門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手投手)。

門田 富昭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市小倉北区
生年月日 (1956-02-06) 1956年2月6日(68歳)
身長
体重
186 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1977年 ドラフト1位
初出場 1978年4月30日
最終出場 1987年5月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 横浜大洋ホエールズ (1989 - 1990)

来歴・人物

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小倉商高では、1973年にエースとして春の選抜に出場[1]。1回戦で桜美林高を降すが、2回戦でこの大会に優勝した横浜高永川英植と投げ合い、延長13回サヨナラ負けを喫する[2]

卒業後は西南学院大学に進学。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位3回にとどまる。しかし速球投手として知られ、4年春には久留米大学戦で10回を投げて完全試合を記録するなど活躍、リーグ戦通算最多の39勝を記録して「西の江川」と呼ばれた。

1977年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズに、西南学院大学出身として初のプロ野球選手として入団した[1]。入団時は学生結婚して一児の父だったため「子連れルーキー」と話題になる。

1年目の1978年は、ルーキーながら5月から先発陣に組み入れられる。5月30日の巨人戦では死球に怒ったジョン・シピンから暴行を受けた。同年は39試合に登板して5勝を挙げる。翌1979年の開幕5試合目に先発した際に肩を故障、その後3年間ほとんど働けずに終わる。しかし1982年には復活、26試合に先発し8勝を記録、6月には巨人戦で初完封も果たした。その後も先発として起用されるが、1985年に就任した近藤貞雄監督により二段モーションのフォームに矯正され、1986年から中継ぎに転向。1987年限りで現役引退[1]

1988年チームスタッフを経て、1989年より2軍投手コーチ補佐に就任。1991年からは打撃投手として球団に残るが、1994年に退団[1]。現在は地元福岡で会社員。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1978 大洋 39 17 0 0 0 5 11 1 -- .313 489 109.1 114 19 54 5 8 94 0 1 69 66 5.45 1.54
1979 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 3 0.1 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0.00 6.00
1980 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 6.1 4 0 4 0 0 4 0 0 2 2 3.00 1.26
1982 30 26 1 1 0 8 9 0 -- .471 548 120.2 140 14 54 7 3 49 3 0 71 65 4.83 1.61
1983 28 22 1 1 1 5 8 0 -- .385 530 121.0 130 20 48 5 4 43 3 1 79 73 5.43 1.47
1984 20 8 1 0 0 0 6 0 -- .000 235 50.1 63 7 27 1 2 21 3 0 46 42 7.51 1.79
1985 39 11 0 0 0 8 6 0 -- .571 411 92.1 112 8 34 6 3 43 1 0 58 55 5.36 1.58
1986 35 0 0 0 0 5 1 0 -- .833 247 62.0 51 6 12 3 2 31 0 0 19 17 2.47 1.02
1987 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 31 7.0 10 2 0 0 0 4 0 0 6 5 6.43 1.43
通算:9年 203 85 3 2 1 31 41 1 -- .431 2521 569.1 624 76 235 27 22 289 10 2 351 325 5.14 1.51
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 15 (1978年 - 1987年)
  • 72 (1989年)
  • 73 (1990年)
  • 96 (1991年 - 1994年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、153ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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