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本来の表記は「鬪雞神社」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

鬪雞神社(とうけいじんじゃ)は、和歌山県田辺市にある神社である。旧称は田辺宮新熊野新熊野雞合大権現。通称:権現さん。

鬪鶏神社
鳥居
所在地 和歌山県田辺市東陽1番1
位置 北緯33度43分46.93秒
東経135度23分2.08秒
座標: 北緯33度43分46.93秒 東経135度23分2.08秒
主祭神 熊野三所神
社格 県社・別表神社
創建 允恭天皇8年
札所等 神仏霊場巡拝の道第5番(和歌山第5番)
例祭 7月24日25日田辺祭
地図
鬪鶏神社の位置(和歌山県内)
鬪鶏神社
鬪鶏神社
鬪鶏神社の位置(日本内)
鬪鶏神社
鬪鶏神社
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目次

歴史編集

允恭天皇8年9月、熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請し、田辺宮と称したのに始まる。白河法皇の時代には新たに熊野三所権現を勧請した。平安時代末期の熊野別当湛快のときにさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が当社に残る。

田辺は熊野街道大辺路中辺路熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願した。熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいた。

平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地のを紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め[1]熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。

このことから「闘鶏権現」や「新熊野雞合大権現」と呼ばれるようになったが、明治神仏分離の際に鬪雞神社を正式な社名とした。

1871年(明治4年)、郷社(田辺県)。1873年(明治6年)、村社(和歌山県)。1881年(明治14年)2月、県社。1971年昭和46年)7月、別表神社に昇格する。

2016年平成28年)10月23日第40回世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された[2]

なおプロ野球の独立リーグ、BASEBALL FIRST LEAGUE(現・関西独立リーグ (2代目))に2017年(平成29年)より加盟した和歌山ファイティングバーズはこの神社が名の由来である[3]

社殿編集

社殿は6棟あり、それぞれ以下の神を祀る。

西御殿 速玉之男命事解之男神
本殿 伊邪那美命
上御殿 伊邪那岐命天照皇大神宇賀御魂命
中御殿 瓊々杵尊命鵜草葺不合命火々出見尊天之忍穂耳命
下御殿 火産霊命弥都波能売命稚産霊命埴山比売命
八百萬殿 手力男命八百万神

現存する社殿は近世の再建に係る6棟が揃って遺存するもので、仮庵山を背に北面して建ち、東より西へ西殿、本殿、上殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並ぶ。建立年代は、本殿は寛文元年(1661年)、上殿は推定で江戸時代前期、西殿は元文2年(1737年)、他3棟は延享5年(1748年)である。本殿と上殿は一間社春日造かつ奥行二間とする、いわゆる熊野造である。構成や配置、各建物の形式は熊野三山の社殿と類似しており、熊野との強い関係性を示す。本殿と上殿は、田辺地方における数少ない17世紀中期以前に遡る貴重な神社建築例である。各棟ともに細部には地域的特色を備え、近世における当地方の神社建築の展開を考えるうえでも貴重な遺構とされる[4]。これらの社殿は国の重要文化財に指定されている。

境内社編集

境外社編集

文化財編集

国の重要文化財編集

  • 闘鶏神社 6棟(建造物)
    内訳は以下。2000年(平成21年)3月17日に「鬪雞神社 6棟」として和歌山県指定の有形文化財に指定されたのち[5]2017年(平成29年)2月23日に国の重要文化財に指定[6]
    • 本殿(證誠殿) - 江戸時代寛文元年(1661年
    • 西殿 - 江戸時代・元文2年(1737年
    • 上殿 - 江戸時代前期
    • 中殿 - 江戸時代・延享5年(1748年
    • 下殿 - 江戸時代・延享5年
    • 八百萬殿 - 江戸時代・延享5年

国の史跡編集

国の名勝編集

和歌山県有形文化財編集

  • 有形文化財
    • 万代記 1括 - 室町~江戸の記録。和歌山県指定有形文化財(書籍、1963年〈昭和38年〉3月26日指定)[9]
    • 御用留 42冊 - 江戸~近代の記録(書籍、1970年〈昭和45年〉5月25日指定)[9]
    • 田辺町大帳 130冊および町大帳早引 8冊 - 桃山~近代の記録(書籍、1970年〈昭和45年〉5月25日指定)[9]
    • 那智参詣曼荼羅 1幅 - 絵画。2010年(平成22年)3月16日指定[9]
  • 史跡
    • 鬪鶏神社境内 - 2002年(平成23年)3月15日指定[10]。市街の東部に連なる小丘陵の西端、仮庵山の北麓にあり、社殿はほぼ北向きに鎮座している。社殿背後の仮庵山の中腹から山頂で、平安時代末期から鎌倉時代初頭の経塚が3基発見され、外容器の甕、経筒、合子(ごうす)、刀子(とうす)、小型硯、古銭などの遺物が出土した[11]。また、仮庵山については南方熊楠が「当県で平地にはちょっと見られぬ密林なり」と述べている。熊楠は闘鶏神社宮司田村宗造の四女松枝の夫である。

氏子町編集

  • 本町
  • 江川町
  • 福路町
  • 紺屋町
  • 片町
  • 栄町
  • 北新町
  • 南新町
  • 上屋敷町
  • 中屋敷町
  • 下屋敷町
  • 新屋敷町
  • 今福町
  • 江川桝方町

交通編集

脚注編集

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  1. ^ 『平家物語』鶏合わせ(壇ノ浦合戦)のくだり
  2. ^ 世界遺産への追加登録承認 闘鶏神社や八上王子跡など紀伊民報 2016年6月11日
  3. ^ “野球で地域盛り上げたい 田辺市に独立リーグ球団”. 紀伊民報. (2016年6月10日). http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=315969&p=more 2016年6月26日閲覧。 
  4. ^ 鬪雞神社/6棟”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2015年2月14日閲覧。
  5. ^ 県指定文化財・有形文化財・建造物”. 和歌山県教育委員会. 2014年2月14日閲覧。
  6. ^ 平成29年2月23日文部科学省告示第17号。
  7. ^ 田辺市の指定文化財一覧表”. 田辺市教育委員会. 2016年5月20日閲覧。
  8. ^ 田辺市の指定文化財一覧表”. 田辺市教育委員会. 2016年5月21日閲覧。
  9. ^ a b c d 県指定文化財・有形文化財・美術工芸品”. 和歌山県教育委員会. 2016年2月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年2月14日閲覧。
  10. ^ 鬪雞神社 (新熊野鬪雞権現社)境内”. 和歌山県教育委員会. 2017年2月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年2月14日閲覧。
  11. ^ 鬪鶏神社境内”. わかやま文化財ガイド. 和歌山県. 2017年2月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年2月14日閲覧。

参考文献編集

外部リンク編集