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経歴・人物編集

1917年生まれ。大阪府立今宮中学校大阪高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部に入学。1958年〜1969年大阪府立大学教授として教鞭をとる。その後山口大学教授、広島経済大学教授などを歴任、1979年帝塚山大学学長に就任。1982年同大学退任。専門は社会政策であり、近代的労使関係の在り方を最大テーマとして取り組み、特に現実社会での具体的問題の解決に力を注いだ[1]

社会思想研究会の設立編集

大学在学中は河合栄治郎の演習に参加し、河合の「人格主義理想主義」に基づく、共産主義にもファシズムにも反対する態度に感銘し、以降の人生が決定する。卒業後は、戦時下で製鉄会社に就職するも、短期現役海軍士官となったり、戦地に応召することを余儀なくされた。戦後は、各種学校の講師、助教授、教授を歴任し、その間、学外では、戦後河合門下の人と共に社会思想研究会を設立し(出版部門は後に社会思想社となる)[2]、その関西での取りまとめと、教育・普及・拡大に尽力[3]

その他の社会的活動編集

経済審議会生活環境審議会中央公害対策審議会など内閣の各種審議会の委員や、大阪府行政改革懇談会大阪市教育委員会など大阪府と大阪市の各種委員会の委員や、関西空港調査会顧問にも就任。1968年からは長く関西労働文化教育研究所理事長を務めた。

著訳書編集

著書編集

  • 『労働運動と社会思想』兵庫県商工労働部、1957年
  • 『技術革新に伴う労働力構成の変化とその賃金構造への影響』日本労働協会、1961年
  • 『次期経済計画策定の課題――成長・公害・福祉』関西経済研究センター、1971年
  • 『窒素酸化物対策の国民的合意を求めて』関西労働文化教育研究所、1977年
  • 『私の関西経済論――関西経済研究センター資料』関西経済研究センター、1988年
  • 『学制改革に優先する教育課題』関西労働文化教育研究所、1984年

共著書編集

  • 『国家と経済』経済学新大系第9巻、河出書房、1952年
  • 『社会思想読本』東洋経済新報社、1958年
  • 『社会生活の倫理』秀英出版、1958年
  • 『産業合理化と労働問題――戦後日本の労働組合』文生書院、1977年
  • 『一千弗経済下の韓国』関西労働文化教育研究所、1988年

共編書編集

  • 『公害・環境の科学』毎日新聞社、1972年
  • 『余暇社会の到来』有信堂、1974年
  • 『婦人と労働――日独シンポジウム報告書』日本労働協会、1975年

訳書編集

  • 『資本論入門』A・D・リンゼイ著(共訳)、アテネ新書、弘文堂、1951年
    • (改訂版は『カール・マルクスの資本論――思想史的・批判的入門』A・D・リンゼイ著(共訳)、弘文堂、1972年)
  • 『革命の研究』E・H・カー著、社会思想研究会出版部、1952年
  • 『フェビアン協会社会改革の新構想』フェビアン協会著、社会思想研究会出版部、1954年
  • 『民主社会主義の政治理論』E・F・M・ダービン著、社会思想研究会出版部、1957年
  • 「政治学入門」H・ラスキ著『イギリスの社会主義思想』世界思想教養全集第17巻、河出書房新社、1963年

脚注編集

  1. ^ 音田は労働問題、社会事業、社会福祉、環境問題、安全保障問題など幅広い分野に興味を見せた。『音田理事長を偲ぶ』(関西労働文化教育研究所、1985年)での伊原吉之助証言、28頁。
  2. ^ 多くの河合門下生はその後の民主社会主義研究会議などに参加したが、音田はなぜか頑として入会しなかった。
  3. ^ 音田が自分の主導する読書会、後援会、合宿ゼミで精力的な活躍を見せたのは参加者の語り癖になっている。『音田理事長を偲ぶ』(関西労働文化教育研究所、1985年)での伊原吉之助証言、28頁。

参考文献編集

  • 『音田理事長を偲ぶ』関西労働文化教育研究所、1985年

関連項目編集