須田 鷹雄(すだ たかお、1970年6月8日 - )は、日本競馬評論家

すだ たかお

須田 鷹雄
天皇賞予想会(2011年10月30日)にて。
生誕 下坂 昇平
(1970-06-08) 1970年6月8日(53歳)
日本の旗 日本東京都
出身校 東京大学経済学部
職業 競馬評論家
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本名は下坂 昇平(しもさか しょうへい)。東京都出身。麻布高校東京大学経済学部卒業。

ペンネームの「須田鷹雄」は競走馬のスダホーク[1]と東大馬術部の練習場がある東京都三鷹市に由来する。血液型A型。

おもに競馬ライター(競馬評論家)として各種連載や著作執筆のほか、テレビ、ラジオにも出演。競馬関係の番組や格闘技番組(K-1 JAPANなど)の放送作家を務めるなど幅広い分野で活動している。

経歴 編集

大学在学中の1990年別冊宝島『競馬ダントツ読本』でライターとしてデビュー。1994年にはJR東日本に就職する。就職活動の際、面接した人間が吉沢宗一[注 1] の実兄だったというエピソードがある。JR東日本ではJRA中山競馬場最寄り駅の西船橋駅に勤務。当時のサラリーマン生活を、本人は著作の中で「副業」と表現している。また「競馬の神様」大川慶次郎がその「副業」ぶりを観に行ったことがあるという。

1996年にJR東日本を退社。血統評論家の田端到が社長を務める有限会社ドラゴンプレスに所属する。須田も、学生・サラリーマン時代はメディアに顔や本名を露出することはなかったが、退社後はライターだけではなくイベントやテレビへの出演などを積極的にこなすようになる。「プロレス激本」(双葉社)の編集チーフを務めたこともあり、1999年には新宿ロフトプラスワンで編集長の黒須田守と共にライバル誌「紙のプロレス」の山口日昇・吉田豪との対決トークライブを行ったこともある[2]

2000年には個人事務所として有限会社須田鷹雄商店を設立し、取締役社長に就任する。

評論活動 編集

大学時代は馬術部に所属しており(高田万由子の1年先輩にあたる)、騎乗技術に関する評論もある程度行える。

以前は競馬だけでなく競輪についても頻繁に記事を書いていたほか、競艇オートレースも嗜むため公営競技全般について詳しい。競艇に関しては大村競艇場の「マイルクラブ大村24」に入会しており、2009年現在ゴールド会員[3]。また、マカオやラスベガスのカジノにも頻繁に出かけておりギャンブル全般に詳しい。

ディープインパクトの薬物問題では、フリーの立場でありながらも日本中央競馬会 (JRA) の対応を批判し話題になった。経営に苦しむばんえい競馬の支援にあたっては、ふるさと納税制度を通じた寄付を競馬関係者らに呼びかけ成果を挙げた[4]

須田の馬券に対するスタンスは「回収率重視」であり[5]、1番人気になるような馬はあまり本命に指名しない。その姿勢はディープインパクトに対してもほとんど本命の印を打たないほど徹底している。

趣味・嗜好 編集

関連する人物 編集

  • 尊敬する人は師匠である井崎脩五郎であり、共著で書物を執筆することもある。ただ、井崎との縁は長く、長男・次男の家庭教師をしたこともあったという(学生時代の著作では家庭教師のことも「副業」と書いている)。なお、須田のブログでは長男の家庭教師をしていた時期はすでに共著で「ウマ家」を書いていた頃と記している[9]。大学時代にライターデビューの口利きをしたのも井崎である。
  • 鈴木淑子がパーソナリティを務めた『走れ!歌謡曲』のハガキ職人でもあった。
  • 馬主鈴木隆司と親交があり、競走馬の購買に関するアドバイスも行っている[10]。またJRA調教師小笠倫弘は東大馬術部の後輩。
  • 競馬通としても知られる衆議院議員の柿沢未途とは中学・高校の同窓生に当たる。

エピソード 編集

  • 数年前からスターアライアンスのゴールドメンバーで、特に2009年以降はANAマイレージクラブのダイヤモンドサービス対象者となっている。このため、海外への移動には基本的にスターアライアンス系列の航空会社を利用するほか(本人いわく「スタアラの奴隷」[11])、日本国内でも飛行機での移動はほとんど全日空を使う。
  • 下戸であり、酒を飲まない。ただし、酒の席を拒むわけではない。
  • 通常ばんえい記念当日の帯広競馬場では企業協賛競走以外の協賛競走は行われないが、2011年は東日本大震災の影響で協賛を自粛・協賛撤回する企業が多く埋まらなかったレースがあったため、主催者から須田のところに要請があり、協賛レース「須田鷹雄商店復興支援とかち駿馬賞」が実施された。ただし、須田本人はドバイにいたため表彰式には参加していない。
  • 1994年の日本ダービーでは、大本命馬のナリタブライアン(1着)がいるにもかかわらず、ペーパーオーナーゲームの所有馬エアダブリン(2着)とノーザンポラリス(5着)の単勝を各10万円、両馬の馬連を10万円購入していた。当時、須田はサラリーマンであり、30万円は当時の月収をはるかに上回る金額であった。なおこの時のペーパーオーナーゲームで、ドラフト時はまだ馬名すら決まっていなかった「パシフィカスの91」を選択した井崎脩五郎に一人勝ちされた、と著作内で述べている。
  • 2012年4月29日の開催(天皇賞(春)の開催日)において、WIN5で2500万円超の高額配当を的中させた[12][13]。本人曰く「競馬マスコミ人が公表した的中実績の中では過去最高記録ではないか」とのこと[注 2]

主な出演 編集

現在出演中の番組 編集

降板・終了した番組 編集

ゲーム 編集

おもな著作 編集

  • もうひとつのダビスタワールド(アスペクト)- 競馬ゲーム『ダービースタリオン』シリーズで「最強馬」作りが目標とされていたのに対し、この本では逆に「最弱馬」(ひたすら弱い競走馬)を徹底的に生産しようとする企画が行われた。
  • 負け馬の遠吠え(双葉社
  • バンキシュ!(光文社
  • 須田鷹雄の新理論「ガラット」(東邦出版
  • POGの達人シリーズ(光文社
  • いい日、旅打ち。公営ギャンブル行脚の文化史(中公新書ラクレ
  • 世界の中心で馬に賭ける 海外競馬放浪記(中央公論新社

井崎脩五郎と共著 編集

  • ウマ家でわかる馬ゴコロ(ワニブックス
  • 「もしも」で変わる馬人生(ワニブックス)
  • 新「ウマ家」の謎(ザ・マサダ
  • 完全「ウマ家」大事典(廣済堂出版
  • 「最重要ウマ問題」裏議事録(ザ・マサダ)
  • 珍馬怪記録うま大全(ザ・マサダ)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 元騎手。現在は競馬解説者。
  2. ^ 芸能人の記録としては、2014年1月にインスタントジョンソンのじゃいが4332万円の配当を的中させている[14]

出典 編集

  1. ^ ONAIR:2007/01/28「馬の魅力って何ですか?」”. Growing Reed. J-WAVE (2007年1月28日). 2011年10月6日閲覧。
  2. ^ 1999.7/1~7/31”. ロフトプラスワン. 2016年3月8日閲覧。
  3. ^ 行ってきました - 須田鷹雄の日常・非日常 2009年10月6日
  4. ^ 評論家須田鷹雄さん「ふるさと納税でばんえい応援を」”. 十勝毎日新聞社ニュース. 十勝毎日新聞 (2010年11月28日). 2011年10月6日閲覧。
  5. ^ 私の競馬はちょっと新しい 第13回 競馬ライター 須田鷹雄さん”. JRA-VAN. p. 3. 2011年10月6日閲覧。
  6. ^ 福山で須田鷹雄氏記念レースを開催”. netkeiba.com (2008年1月25日). 2011年10月6日閲覧。
  7. ^ 須田鷹雄全公営競技場踏破記念競走プレゼント企画”. オッズパーク. 2011年10月6日閲覧。
  8. ^ GS神戸・オリックス戦チケットをペアでプレゼント”. 須田鷹雄商店. 2011年10月6日閲覧。
  9. ^ 一瞬だけ競馬場 須田鷹雄の日常・非日常 2009年2月1日
  10. ^ 栗山求 (2011年4月10日). “阪神牝馬Sはカレンチャン”. 血統評論家の雑感雑記. 2011年10月6日閲覧。
  11. ^ ファーストクラス未遂 - 須田鷹雄の日常・非日常 2012年1月28日
  12. ^ 改めてご報告 須田鷹雄の日常・非日常 2012年5月8日
  13. ^ FLASH 2012年5月22日号 93ページ
  14. ^ 【競馬超大穴列伝】なんと4000万円超えも! 高額配当をゲットしたあの芸能人 週プレNEWS・2014年11月9日
  15. ^ 須田鷹雄商店の掲示板(2008年10月26日付)で本人自ら「既に降板済」であることを表明しているが、同番組の公式サイトには2009年4月のリニューアルまで名前が残っていた。
  16. ^ 番組ロゴに顔写真付きでクレジットされているが、出演は数ヶ月に1回程度。

外部リンク 編集