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飯田 加一(いいだ かいち、1949年10月9日[1] - 2016年11月28日)は、東京都[2]武蔵野市出身の元競艇選手。登録番号2679。身長166cm。血液型O型。36期。東京支部所属。

同期は高山秀則今垣武志らがいる。

経歴・人物編集

  • 競艇選手では異色の大卒(東海大学理学部物理学科卒業)の経歴で、当時としては大卒競艇選手の第1号であった。元々は航空物理学を専攻し、日本航空全日空パイロット試験に身長が足りずに不合格となり、競艇界に進んだ変り種。その後の規定変更で、競艇選手になるには4年制大卒だと年齢制限に抵触するようになったため、4年制大卒で競艇選手になるには、飛び級で大学を卒業するか、選手を続けながら大学に通うかのいずれか[3]でないと2008年度までは不可能だったが、2009年度からやまと競艇学校(現・やまと学校)の競艇選手募集の年齢が再度変更され、29歳まで引き上げられたため、現在では可能となった[4]
  • 元々は天文学をやりたかったとのことだが、日本で天文学を学べる大学が少なく、自らの学力では入学が難しいと判断して物理学の方向に転向したという。しかし、物理学に進んだのは本意ではなかったことから、レーサー・パイロットの分野に関心が向くようになり、「養成費が無料」[5]という点に惹かれて競艇選手を志したと語っている[6]
  • 大学時代に物理学を専攻していた事もあり、モンキーターンと言うテクニックを初めて使った選手。このモンキーターンはウィンドサーフィンのレースにおける選手のテクニックからヒントを得たもので[6]、今でこそ当たり前のテクニックになっているが、当時としては珍しいテクニックだった。
  • 一時期、病気で戦列を離れていた。このとき、飯田は競艇誌のインタビューで「動物が大好きだから、ムツゴロウ王国で勤務させてもらおうと思っていた」と語っている。
  • 芸術センスに長け、歌手としてインディーズレーベルでCDを多数出している他、作曲家として選手のイメージテーマを作曲したり、水墨画はプロ顔負けの腕前で水墨画の個展を開くほど。2007年2月5日、多摩川競艇場で飯田の次男と、支部の後輩の小林拓児の3人で「モンキーターン」という一日限定のバンドを組んでミニライブを行いオリジナル曲を披露した。
  • 趣味の1つにけん玉があり、初段の腕前もある。そのスタイルは競艇の時同様真剣な眼差しである。本人いわく、集中力を養うために始めた。
  • 2012年3月26日付で選手登録を抹消、競艇から引退した。ラストレースは同年1月22日徳山競艇場だった[7]

業績編集

現在の競艇界でモンキーターンする選手が多数いることをみても、飯田加一の業績は大きい。しかしながら、飯田自身は長らくタイトル制覇に縁がない選手であった。しかし1992年、ついに多摩川競艇場にて関東地区選手権を制したことによりタイトルホルダーの仲間入りを果たした。

  • 関東地区選手権競走 (1992年:多摩川競艇場)
  • 三国周年記念競走  (1992年:三国競艇場

脚注編集

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  1. ^ 蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P162。
  2. ^ 蛭子1992、162頁。
  3. ^ 後者の例としては選手を続けながら大学院に通学していた江口晃生の例がある。
  4. ^ 募集年齢改正後は大学卒業選手も坂井田晃(卒業後に公立学校教師となり退職後に競艇選手に転向)など、複数輩出している。
  5. ^ 当時。現在やまと競艇学校においては、食費等は実費負担となっている。
  6. ^ a b 別冊宝島318「競艇ツケマイ読本」pp.116 - 123
  7. ^ 競艇マクール』(三栄書房)2012年5月号

参考文献編集

  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0

関連項目編集