高城町 (鹿児島県)

日本の鹿児島県薩摩郡にあった町

高城町(たき[3]ちょう)は鹿児島県の北西部、薩摩郡(1896年以前は高城郡)に属していた

たきちょう
高城町
廃止日 1965年4月15日
廃止理由 編入合併
高城町川内市
現在の自治体 薩摩川内市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
薩摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 69.10 km2.
総人口 8,906
(1965年[1]
隣接自治体 阿久根市、川内市、薩摩郡東郷町
高城町役場
所在地 鹿児島県薩摩郡高城町大字麦之浦4260番地[2]
座標 北緯31度51分03秒 東経130度17分18秒 / 北緯31.85081度 東経130.28831度 / 31.85081; 130.28831 (高城町)座標: 北緯31度51分03秒 東経130度17分18秒 / 北緯31.85081度 東経130.28831度 / 31.85081; 130.28831 (高城町)
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1965年(昭和40年)4月15日に川内市(現在の薩摩川内市)に編入され、自治体としては消滅した。

概要 編集

川内平野の北端部、高城川の流域に位置し、東西9.15キロメートル、南北17.45キロメートルに及ぶ[4]。町役場は麦之浦に置かれていた。1965年2月1日時点の総人口は9,215人、世帯数は2,299戸[5]、編入直前の昭和35年国勢調査(1960年10月1日)時点ではそれぞれ10,485人、2,462戸であった[6]

高城町は麓、城上、麦之浦、湯田、西方の5大字から編成されており[1]、現在の高城町(編入時に麓から改称)、城上町陽成町(編入時に麦之浦から改称)、湯田町西方町の全域が当時の町域にあたる。

地理 編集

  • 河川:高城川

沿革 編集

江戸時代には薩摩藩の行政区域「高城[7]が町域そのまま(1957年の編入地域を除く)に置かれており、麓集落が麓村にあった。明治初期の戸長役場も麓村にあったが、町村制以降(時期不明)は麦之浦が行政の中心となった。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い麓村、城上村、麦之浦、湯田村、西方村が合併し、高城村が成立。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 高城郡薩摩郡に編入され、薩摩郡のうちとなる。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 下東郷村大字田海(現在の薩摩川内市田海町)の一部を大字城上に編入。
    • 編入地域のうち、特に下之段地区では消防・小学校(吉川小学校)を高城村側と共同運営しており、日常面でも高城村と密接な関係にあった[8]。村役場職員2名を受け入れ[9]。面積は65.16 km²から68.72 km²に広がった[10]
  • 1959年(昭和34年)12月31日 - 高城村が町制施行し、高城町となる。
  • 1965年(昭和40年)4月15日 - 高城町が川内市に編入される。町役場は川内市役所高城支所(後に出張所に格下げ)となる。

地域 編集

教育 編集

中学校 編集

小学校 編集

  • 高城町立高来小学校
  • 高城町立城上小学校
  • 高城町立吉川小学校(1957年まで下東郷村との一部事務組合立であった)
  • 高城町立陽成小学校
  • 高城町立湯田小学校
  • 高城町立西方小学校

交通 編集

道路 編集

国道 編集

県道 編集

鉄道 編集

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.403
  2. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.814
  3. ^ 『日本地名大辞典』による読みは「たかき」。
  4. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.812
  5. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.811
  6. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.810
  7. ^ 日向国にも同名の郷(読みは「たかじょう」、平成の大合併前の宮崎県高城町に相当)が存在したが、直接の関係はない。類似例として「山田郷」(薩摩国、大隅国にそれぞれ存在)がある。
  8. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.703
  9. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.705 1名は上東郷村(後の東郷町)、その他の全職員は川内市が受け入れ。
  10. ^ 『鹿児島県市町村変遷史』p.707

参考文献 編集

  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』鹿児島県、1967年。
  • 澤田久雄・編『日本地名大辞典』第1巻、日本書房、1937年 p.188

関連項目 編集