メインメニューを開く

高天彦神社

奈良県と大阪府の県境にある金剛山の東麓、奈良県御所市高天にある、延喜式内社、名神大社

祭神編集

祭神は次の3柱[1]

延喜式神名帳での祭神は1座。元々は当地の地主神の「高天彦」を祀ったものと推測される[2]

社名・神名の「高天(たかま)」は一帯の地名でもあり、神話に見える高天原の伝承地とする説が古くからあるほか、高皇産霊神の神名の転訛が由来とする説、高皇産霊神の別名が「高天彦神」とする説、「高間」すなわち金剛山中腹の平地を意味するとする説がある[1]。『万葉集』では、「葛城の高間」と詠まれた歌が知られる(巻7 1337番)[2]。『延喜式』神名帳では宇智郡に高天岸野神社・高天山佐太雄神社が見え、いずれも五條市の金剛山中腹の神社に比定されることから、「高天彦神」を金剛山の神霊そのものとする説もある[2]

歴史編集

概史編集

 
白雲岳(神体山
画像左下に高天彦神社境内。

創建は不詳。金剛山東麓に鎮座し、元々は社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高694メートル)を神体山に祀った神社とされる[3][4]

新抄格勅符抄大同元年(806年)牒には「高天彦神 四戸大和国 宝亀十年奉充」として、宝亀10年(779年)に大和国内から充てられた神戸の存在が記されている[1]

国史では、大同元年(806年)に正四位上の神階にある「高天彦神」が吉野大后(井上内親王)の願いで四時幣帛に預かったと見えるが、内親王と当社の関係は明らかでない[2]。その後承和6年(839年)には従三位の「高天彦神」が名神に列したこと、また天安3年(859年)には従二位勲二等に昇叙された旨が記されている[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国葛上郡に「高天彦神社 名神大 月次相嘗新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭相嘗祭新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている[1]

その後の変遷は不詳。高天の地は金剛山への登山口であるため、葛城修験道の発展とともに文人・俳人が高天を訪れたと伝えるほか、当社は「彦沢権現」とも称されたという[1]。また神社東側には、神宮寺の高天寺があった[2]

明治維新後、近代社格制度では村社に列している[4]

神階編集

脚注編集

参考文献編集

  • 境内説明板
  • 地方自治体史
    • 『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。ISBN 462601335X
  • 百科事典
  • その他書籍
    • 池田末則「高天彦神社」『式内社調査報告 第2巻』式内社研究会編、皇學館大学出版部、1982年。
    • 木村芳一「高天彦神社」『日本の神々 -神社と聖地- 4 大和』谷川健一編、白水社、1985年。ISBN 4560022143

関連項目編集

外部リンク編集