高山 勝義(たかやま かつよし、1944年1月6日 - )は、日本の元プロボクサー千葉県館山市出身。現役時代は木村ジム(現・新日本木村ボクシングジム)所属。左ストレートが武器のサウスポーでアグレッシブなインファイトを得意とした。

高山 勝義
基本情報
本名 高山 勝義
階級 フライ級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1944-01-06) 1944年1月6日(76歳)
出身地 千葉県館山市
スタイルファイター
プロボクシング戦績
総試合数 61
勝ち 45
KO勝ち 12
敗け 11
引き分け 6
無効試合 他に2EX
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来歴編集

1962年3月22日、プロデビューでは判定負けを喫し、2戦目は引き分けた。しかし、その後は連勝を重ね、1963年1月28日、初回KO勝利で第9回全日本フライ級新人王を獲得。8月22日、現役の日本フライ級王者斎藤清作(たこ八郎)にノンタイトル戦ながら10回判定勝ち。1963年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会では新鋭賞に選出された。

1965年10月7日、WBAWBC世界フライ級王者サルバトーレ・ブルニ(イタリア)とのノンタイトル10回戦では右フック、ジャブが好調で、3Rには左ストレートの追撃でダウンを奪ってペースを譲らず、判定勝利を収めた。この後、デビュー3戦目からは1分を挟んで32連勝となり、1965年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会では殊勲賞に選出された。

1敗3分のまま迎えた1966年3月1日日本武道館、ブルニが剥奪されたために空位となったWBA・WBC世界フライ級王座をオラシオ・アカバリョ(アルゼンチン)と争い、3Rまでは左右のフックで試合をリードしたが、後半は攻め込まれる展開となり、1-2の判定負け。日本人ジャッジは高山の勝ちとした[1]。同年5月1日の再起戦からは6連勝を収めた。

1967年8月23日、スピーディ早瀬が持つ日本フライ級王座に挑戦。過去の対戦では2勝1分と相性の良い相手であったが、判定でまたしてもタイトルを逃した。

1970年8月15日の試合を最後に引退した。

脚注編集

  1. ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目編集

外部リンク編集