高岡大輔 (政治家)

政治家、実業家

高岡 大輔(たかおか だいすけ、1901年9月15日[1] - 1992年7月10日[1])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員

高岡 大輔
たかおか だいすけ
生年月日 (1901-09-15) 1901年9月15日
出生地 日本の旗 日本 新潟県十全村
(後の旧村松町、現五泉市)
没年月日 (1992-07-10) 1992年7月10日(90歳没)
出身校 東京外国語学校
所属政党国民同盟→)
改進党
親族 高岡忠弘(兄)
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経歴編集

新潟県[2]中蒲原郡十全村[3]村松町[1]を経て現五泉市)で、高岡忠興の二男として生まれる[4]。1923年(大正12年[注 1]東京外国語学校印度語部拓殖科を卒業した[2][3][4]

新潟新聞社員、大倉土木(現大成建設)社員を務めた[1][2][3]。1926年(大正15年)日印協会勤務となる[1][2][3]参謀本部嘱託、台湾総督府総務長官政治顧問などを務めた[1][2]

1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に新潟県第2区から国民同盟公認で出馬して初当選[1][2][3]第20回総選挙でも再選され、1942年(昭和17年)4月、第21回総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選した[2][3]。この間、大東亜省委員、翼政会政調外務委員などを務めた[1][3]。戦後に公職追放となった[5]

追放解除後、1952年(昭和27年)10月、第25回総選挙新潟県第2区から改進党公認で出馬して再選[6]第26回総選挙では次点で落選[7]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で再選され[7]、衆議院議員に通算5期在任した[1][2]。この間、衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長、日本民主党全国委員会副委員長などを務めた[2]。その後、第28回第29回第31回総選挙に立候補したがいずれも落選した[8]

その他、新津食品工場取締役社長、日印協会理事、全国山林会顧問、全国治山治水協会理事などを務めた[2]

著作編集

  • 『印度の真相』高岡大輔、1933年。
  • 『素っ裸のガンヂー』我観社、1934年。
  • 『農村繁栄の鍵』起久屋書店、1935年。
  • 『見たまゝの南方亜細亜』日印協会、1939年。
  • 『印度案内』日印協会、1940年。
  • 『英国の印度侵略を歴史的事実に見る』東南亜細亜民族解放同盟、1941年。
  • 『印度の全貌』岡倉書房、1941年。
  • 『沖縄問題の焦点』南方同胞援護会、1957年。
訳書
  • エ・エム・サハイ著『英帝国敗るゝの日』象山閣、1940年。

親族編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』343頁では大正11年。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』343頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』370頁。
  3. ^ a b c d e f g 『翼賛議員銘鑑』239頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』タ90頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿629頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』170頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』70-71頁。

参考文献編集

  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。