鳴坂 健二(なるさか けんじ、1907年7月30日 - 1993年6月13日)は、日本の経営者山陽電気鉄道社長を務めた。

経歴 編集

岡山県出身[1]1933年同志社大学法学部を卒業し、同年に神明自動車に入社[1]1943年山陽電気鉄道に転じ、1957年11月に取締役に就任し、1959年9月に常務、1966年6月に専務、1969年11月に副社長を経て、1973年5月に社長に就任[1]1977年6月に取締役相談役を経て、1981年6月に相談役に就任[1]

1970年11月に藍綬褒章を受章し、1977年11月に勲四等旭日小綬章を受章[1]

1993年6月13日心不全のために死去[2]。85歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, な258頁.
  2. ^ 1993年 6月15日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 
先代
深水惣吉
山陽電気鉄道社長
1973-1977
次代
南部誠治