龍雲寺 (浜松市)

静岡県浜松市にある寺院

龍雲寺(りょううんじ)は、静岡県浜松市中央区入野町にある木寺宮康仁親王が創建したとされる臨済宗寺院山号は西湖山。本尊阿弥陀如来開山春屋妙葩

龍雲寺りょううんじ
本堂と無量寿庭
所在地 静岡県浜松市中央区
位置 北緯34度42分8.7秒 東経137度41分18.1秒 / 北緯34.702417度 東経137.688361度 / 34.702417; 137.688361座標: 北緯34度42分8.7秒 東経137度41分18.1秒 / 北緯34.702417度 東経137.688361度 / 34.702417; 137.688361
山号 西湖山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
寺格 準別格地
本尊 阿弥陀如来
創建年 1330年代
開山 春屋妙葩
開基 木寺宮康仁親王
札所等 浜名湖岸88ヶ所霊場 41番札所
文化財 阿弥陀如来坐像
法人番号 7080405001182 ウィキデータを編集
地図
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学校法人常葉学園創立者は同寺の出身であり、現在の住職は創立者のひ孫にあたる。ただ学園と寺は直接的な関係はない。

庭園は、第一世650年遠忌に合わせ北山安夫により造園された。 ダウン症の天才書家としられる金澤翔子により世界一大きい般若心経が平成29年に奉納された。

歴史

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伝承では、南北朝時代後二条天皇の皇孫で光厳天皇皇太子である木寺宮康仁親王がより下向し、現在の龍雲寺東墓地付近に居を構え、南西に龍雲寺、北東に六所神社を建立したとされる。ただし、康仁親王が京都付近で没したことが『園太暦』に記されているため、この説は伝承の域を出ない。

木寺宮家は入野地方を治めていたが、三方ヶ原の戦いの際、春屋妙葩が甲斐慧林寺出身である縁により、武田方の味方をしたため、徳川家康に攻められ、全山が焼失。この際、宮家は信濃を抜け、越後に落ち延びたとされる。

元禄年間に再興される。現在の本堂はこの再興当時のもの。

1946年に、龍雲寺出身の木宮泰彦が常葉学園を設立する。

平成25年に、北山安夫により、境内整備がすすめられ、無量寿庭・清浄庭が造園される。

平成29年に、金澤翔子により、世界一大きい般若心経他が奉納され、毎年展覧会が開催されている。

文化財

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  • 木造阿弥陀如来坐像 - 浜松市指定有形文化財、平安時代後期作[1]

脚注

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外部リンク

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