1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒ

ドイツのサッカークラブ

1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒ(1. Fußballclub Lokomotive Leipzig e.V.)は、ドイツザクセン州ライプツィヒを本拠地とするサッカークラブ。20世紀初頭にはドイツ・サッカー選手権を3度制した古豪クラブである。

1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒ
原語表記 1. Fußballclub Lokomotive Leipzig e.V.
愛称 Loksche
クラブカラー     青・   
創設年 1893年
所属リーグ レギオナルリーガ
所属ディビジョン 4部
ホームタウン ライプツィヒ
ホームスタジアム
ブルーノ=プラヒェ=シュタディオン
収容人数 15,600人
代表者 ドイツの旗 トーマス・レーヴェ
監督 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 アルメディン・チヴァ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史 編集

 
クラブの変遷

1893年11月11日設立と長い歴史を持つクラブである。しかし、他クラブとの合併や吸収、2度に及ぶクラブの解散など非常に複雑な歴史を経験したクラブでもある。母体となったクラブは1893年11月に設立されたシュポルトブリューダー・ライプツィヒ (Sportbrüder Leipzig)であり、わずか3年後に近隣のVfBライプツィヒ (VfB Leipzig)と歴史上初の合併を行い、VfBシュポルトブリューダー (VfB Sportbrüder)へと改名された。1900年1月にはドイツサッカー黎明期を代表するクラブとしてドイツサッカー連盟の創設に尽力したものの[1]、連盟設立後に再びクラブ名の改名を行い、よりシンプルなVfBライプツィヒ (VfB Leipzig)とした。

1903シーズンを第1回大会としてスタートしたドイツ・サッカー選手権では、同シーズンに初代王者としてクラブ初のメジャータイトルを獲得すると、1906シーズンと1913シーズンにも優勝を果たした[2]。1948年、ドイツが東西に分裂して東ドイツに位置していたザクセン州は、1949年に発足したDDRオーバーリーガへ組み込まれたため、VfBライプツィヒも同リーグへ参加したこのリーグでの優勝経験はないものの3度の準優勝を経験した。また、この間の1963年にはVfBライプツィヒとSCロコモティヴェ (SC Lomotive)が合併して総合スポーツクラブのSCライプツィヒ (SC Leipzig)が誕生。1966年1月に同クラブからサッカー部門が独立して1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒ (1. FC Lokomotive Leipzig)が創設された。

 
1986-87シーズンのメンバー

ヨーロッパの国際舞台では1963-64シーズンのインターシティーズ・フェアーズカップから参加し始め、1973-74シーズンのUEFAカップでは準決勝まで進出したもののトッテナム・ホットスパーFCの前に決勝進出の夢は絶たれた[3]。次にタイトルに最も近づいたのは1986-87シーズンのUEFAカップウィナーズカップである。SKラピード・ウィーンFCジロンダン・ボルドーを下して登り詰めたアヤックス・アムステルダムとの決勝戦では、前半20分に許したマルコ・ファン・バステンの得点が決勝ゴールとなり、準優勝に終わった[4]

1990年10月、ドイツ再統一によって東西リーグの統一が行われると、以前まで使用していたVfBライプツィヒ (VfB Leipzig)へと改名し、1991-92シーズンの2. ブンデスリーガから参加した[5]。翌シーズンにリーグ戦3位に輝くとSCフライブルクらと共にブンデスリーガへと昇格した。しかし、34試合でわずか3勝と力およばずに降格してしまった[6]。その後2部リーグに1998-99シーズンまで所属した後財政難によって4部相当にあたるレギオナルリーガへの降格処分を受けた。4部降格後も財政は悪化の一途を辿り、2004年に極度の財政難が原因で経営が立ち行かなくなり、活動を停止した。

しかし、解散の前年にVfBライプツィヒのサポーター13人が設立した1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒ (1. FC Lokomotive Leipzig)がVfBライプツィヒの一部の所属選手やユースチーム、女子サッカー部門を引き継いだ[7]

2021年2月、アマチュアクラブとして活動していたVfBライプツィヒが破産手続きを完了し、無借金となったことが報じられた[8]。そして同年10月、VfBライプツィヒと1.FCロコモティヴェ・ライプツィヒの運営陣が対面し、正式に両クラブの合併が発表された。これにより、VfBライプツィヒの1893年からの歴史やタイトルをロコモティヴェ・ライプツィヒが引き継いだ[9]

タイトル 編集

国内タイトル 編集

国際タイトル 編集

過去の成績 編集

シーズン リーグ戦 DFBポカール
ディビジョン  試  勝  分  敗  得  失  順位
1993-94 ブンデスリーガ 34 3 11 20 32 69 17 18位 2回戦敗退
1994-95 2.ブンデスリーガ 34 11 8 15 44 44 30 13位 1回戦敗退
1995-96 2.ブンデスリーガ 34 13 6 15 35 49 45 9位 2回戦敗退
1996-97 2.ブンデスリーガ 34 12 10 12 53 54 46 8位 1回戦敗退
1997-98 2.ブンデスリーガ 34 10 9 15 31 51 39 15位 2回戦敗退
1998-99 レギオナルリーガ 34 21 7 6 59 28 70 2位 1回戦敗退
1999-00 レギオナルリーガ 34 14 7 13 43 36 49 9位
2000-01 オーバーリーガ 38 23 6 5 65 27 75 2位
2001-02 オーバーリーガ 32 20 8 4 55 18 68 4位
2002-03 オーバーリーガ 34 20 7 7 57 23 67 4位
2008-09 オーバーリーガ 30 16 8 6 56 38 56 3位
2009-10 オーバーリーガ 30 8 9 13 30 42 33 12位
2010-11 オーバーリーガ 30 9 12 9 42 43 39 8位
2011-12 オーバーリーガ 26 13 3 10 40 27 42 6位
2012-13 レギオナルリーガ 30 9 9 12 35 39 36 10位
2013-14 レギオナルリーガ 30 8 8 14 29 41 32 15位
2014-15 オーバーリーガ 30 16 8 6 38 21 56 4位
2015-16 オーバーリーガ 30 22 8 0 78 14 74 1位
2016-17 レギオナルリーガ 34 13 8 13 53 49 47 10位
2017-18 レギオナルリーガ 34 14 11 9 48 36 53 6位
2018-19 レギオナルリーガ 34 14 8 12 51 41 50 6位
2019-20 レギオナルリーガ 22 13 8 1 43 24 47 2位
2020-21 レギオナルリーガ 12 5 4 3 20 17 19 6位
2021-22 レギオナルリーガ 38 21 8 9 71 42 71 6位 1回戦敗退

歴代監督 編集

歴代所属選手 編集

脚注 編集

  1. ^ From Leipzig to Paris – the story of how the DFB became the first association to join FIFA”. fifamuseum.com. 2023年3月9日閲覧。
  2. ^ Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF (2023年2月16日). 2023年3月9日閲覧。
  3. ^ Tottnham 2-0 Leipzig Match Overview”. UEFA. 2023年3月9日閲覧。
  4. ^ European Competitions 1986-87 (Cup Winners' Cup)”. RSSSF (2015年6月4日). 2023年3月9日閲覧。
  5. ^ 2. Bundesliga 1991/1992 Nord at Weltfussball.de”. WorldFootball.net. 2023年3月9日閲覧。
  6. ^ Germany 1993/94”. RSSSF (2001年4月1日). 2023年3月9日閲覧。
  7. ^ Lok Leipzig: Tod und Wiedergeburt einer DDR-Legende.” (ドイツ語). fussball.de (2013年5月4日). 2023年3月9日閲覧。
  8. ^ 1. FC Lok und VfB Leipzig vor Fusion: Meisterstern und 127-jährige Tradition?”. Transfermarkt. 2023年3月9日閲覧。
  9. ^ Lok Leipzig und VfB Leipzig vor Fusion”. 2023年3月9日閲覧。

外部リンク 編集