メインメニューを開く

トッテナム・ホットスパーFC

トッテナム・ホットスパー・フットボール・クラブTottenham Hotspur Football Clubイギリス英語発音: [ˌtɒtnəm-ˈhɒtspəː-])は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。愛称はスパーズ(Spurs)。「トットナム」「トテナム」とも呼ばれる。

トッテナム・ホットスパーFC
原語表記 Tottenham Hotspur Football Club
愛称 Spurs, Lilywhites
クラブカラー     白(ホワイト)・    青(ブルー)
創設年 1882年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム Tottenham Hotspur Stadium March 2019 - view from east.jpgトッテナム・ホットスパースタジアム
収容人数 62,062
運営法人 ENICインターナショナルLtd.
代表者 イングランドの旗 ダニエル・リーヴィー (en
監督 アルゼンチンの旗 マウリシオ・ポチェッティーノ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クラブ名の「ホットスパー」は中世イングランドの騎士、ヘンリー・ホットスパー・パーシー[1]に由来する。クラブカラーは。クラブのモットーラテン語で「Audere est Facere(英語訳「To Dare Is to Do」)」。

概要編集

1882年に創立。現在のホームスタジアムはロンドン・トッテナム地区のトッテナム・ホットスパースタジアム(収容人数62,062人)。数度の2部降格を経験しているが、1978年よりイングランドのトップリーグであるプレミアリーグに所属し続けるクラブである。フットボールリーグ時代に2回の優勝記録を持つ。

トッテナムは1901年に初めてFAカップを制した。これはフットボールリーグの設立以降にノン・リーグ・クラブがFAカップを制した唯一の事例である。1960-61シーズンにリーグカップとFAカップを制し、これらの大会の2冠(ダブル)を達成した20世紀初のクラブとなった。1962年にFAカップを連覇した後、1963年にはヨーロピアンカップウィナーズカップを制し、欧州のクラブ大会を制したイギリス初のクラブとなった[2]。1967年には、1960年代で3度目のFAカップ制覇を果たした。

1970年代、トッテナムはリーグカップを2度制し、1972年にはUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)の初代王者となった。異なる2つの主要な欧州タイトルを獲得したイギリスのクラブはトッテナムが初めてである。1980年代、FAカップを2回、コミュニティ・シールドを1回、そして1984年のUEFAカップを制す。1990年代はFAカップとリーグカップをそれぞれ1度ずつ獲得した。2008年にもリーグカップを制したことで、1950年代からのすべての年代における主要タイトル獲得を果たしたクラブとなった(トッテナム以外ではマンチェスター・ユナイテッドのみ)。

デロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2017-18シーズンのトッテナムのクラブ収入は4億2830万ユーロ(550.54億円)であり、ヨーロッパ第10位である。プレミアリーグではアーセナルに次いで第6位である。

地元のアーセナルとは長年ライバル関係にあり、両者の対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれる。

歴史編集

創設編集

 
1901年のFCカップ、シェフィールド・ユナイテッドとの決勝再試合で得点を挙げるサンディー・ブラウン。

1882年9月5日火曜日、トッテナムはオール・ハロウズ・チャーチ英語版と呼ばれるロンドントッテナム地区にある教会の、聖書研究会に所属するグラマースクールの学生によって創設された。結成当初の名前は「ホットスパーFC」であり、彼らはホットスパークリケットクラブのメンバーでもあった。「ホットスパー」という名称は14世紀にこの地域に住んでおり、その子孫が近隣に土地を所有していたヘンリー・ホットスパー・パーシーと関連していると言われている。1884年、既に定着していた「ホットスパーFC」との混同を避けるため、トッテナム・ホットスパーFCと改称した[3]

欧州の舞台へ編集

 
会長のダニエル・リーヴィ。ケンブリッジ大学を首席で卒業している。

2001年よりジョー・ルイスが率いるイギリスの投資会社ENICグループ(かつてスラヴィア・プラハグラスゴー・レンジャーズを保有していた)がクラブの所有権を握り、ダニエル・リーヴィが会長に就任した。2005年にダミアン・コモリをスポーツディレクターとして招聘し、この時期にディミタール・ベルバトフガレス・ベイル、後にバロンドールにも選ばれるルカ・モドリッチらを獲得した。

2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし、惜しくも5位。しかし当時の監督マルティン・ヨルファンデ・ラモスに補強に関する権限を与えなかったことからトラブルが起こり、その後チームは一時低迷する。

2008年10月にハリー・レドナップが監督に就任。同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められた。2009-10シーズンは、ウィガン戦でプレミアリーグ史上2番目の得点差となる9-1で圧勝するなど、プレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位となる4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した[4]。これによって、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで続いたいわゆるビッグ4(アーセナルチェルシーマンチェスター・ユナイテッドリバプール[5][6]によるチャンピオンズリーグの出場権独占を終わらせた。

2010年代編集

2010-2011シーズン編集

2010年にENICが前オーナーのアラン・シュガーイージーグループの総帥ステリオス・ハジ=イオアヌが持つ株式を買収し、クラブ株式の85%を持つに至る。2010-11シーズンの夏の移籍市場ではレアル・マドリードからラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得するなどをして注目を浴びた。初のチャンピオンズリーグでは、イタリアの強豪インテルを抑えてグループリーグを1位通過するとベスト16では同じくイタリアの強豪ACミランを破ってベスト8に進出して健闘した。一方、プレミアリーグではフォワード陣の得点不足やキーパーの凡ミスなどが問題となり惜しくも5位となり、2年連続のチャンピオンズリーグ出場はならずUEFAヨーロッパリーグに出場することになった。

2011-2012シーズン編集

2011-12シーズンは得点不足を解消するためにマンチェスター・シティからエマニュエル・アデバヨールをレンタルで、加えてブラッド・フリーデルスコット・パーカーなども獲得し、前シーズンの不安要素を中心とした補強がされた。また冬の移籍市場では元マンチェスター・ユナイテッドルイ・サハなども獲得した。ヨーロッパリーグではターンオーバーに徹して主力を温存したこともあり、PAOKテッサロニキFCルビン・カザンに次ぐ3位でグループステージ敗退。プレミアリーグでは4位となり、チャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、プレミアリーグを6位で終えたチェルシーがUEFAチャンピオンズリーグで優勝し前年優勝クラブ枠を手にしたため、トッテナムはUEFAヨーロッパリーグへ回ることとなった。2012年1月には、収容人数が4万人に満たないホワイト・ハート・レーンに代わる新たなスタジアムの建設に向け、クラブの非上場化の手続きを完了した。

2012-2013シーズン編集

2012年6月14日、レドナップの退任が発表された。7月3日に新監督としてアンドレ・ビラス・ボアス就任を発表した。それに続いてギルフィ・シグルズソンヤン・フェルトンゲンを獲得した。さらにはエマニュエル・アデバヨールを買い取り、フラムFCからムサ・デンベレクリント・デンプシーを獲得し、フリーデルの後継者としてウーゴ・ロリスも獲得した。一方でモドリッチを移籍金3330万ポンドでレアル・マドリードに売却し、同時にRマドリーと業務提携を結んでいる[7]。さらに冬の移籍市場では、シャルケ04から、サッカードイツ代表である、ルイス・ホルトビーを獲得した。

2013-2014シーズン編集

2013年夏、チームの顔であるガレス・ベイル移籍の噂が大きく報道される中、移籍市場では積極的に動き、チームを強化するためこれまで主力選手だった、クリント・デンプシー、トム・ハドルストーンジェイク・リヴァーモア、前主将のウィリアム・ギャラス、さらには副主将のスコット・パーカーまでもを放出し、巨額の資金を投じてブラジル代表パウリーニョやクラブ史上最高額の移籍金となる約3000万ユーロで、スペイン代表ロベルト・ソルダード、ベルギー代表ナセル・シャドリ、フランス代表エティエンヌ・カプエを獲得するなど大型補強を敢行した。13-14シーズン開幕戦クリスタル・パレス戦、第2節のスウォンジ・シティAFC戦共に、新加入のソルダードのPKでどちらも1-0で勝利し、幸先の良いスタートを切った。さらに補強の手を緩めずエリク・ラメラクリスティアン・エリクセンヴラド・キリケシュといった各国の代表クラスの選手を獲得し、この移籍市場での投資額は、レアル・マドリードパリ・サンジェルマンに次ぐと見られる約160億円に上った。特にエリクセンの獲得はチームの攻撃に大きなオプションを与えた。そして9月1日にベイルを史上最高額の8500万ポンドでレアル・マドリードに売却することを発表[8]、背番号11エリク・ラメラが受け継いだ[9]

2013-14シーズンは前述の大型補強にも拘らず11月24日のマンチェスター・シティ戦で0-6の大敗、12月15日のリヴァプール戦で0-5の大敗を喫するなど調子が上がらず、12月16日にビラス・ボアスは解任された。後任として、ティム・シャーウッドがアシスタントコーチから暫定監督を経て正式に監督に就任、ビラスボアス時代に冷遇されていたエマニュエル・アデバヨールを起用して、彼が再びエースの地位を取り戻すチャンスを与えた。輝きを取り戻したアデバヨールに加え、エリクセン、レノンのコンディションも順調に整い、元日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で勝利するなどして短期間で一気に順位を上げる事に成功したが、その後も優勝争いには絡むことなく6位に終わりCL出場権を逃した。

2014-2015シーズン編集

2013-14シーズン終了後にシャーウッドは解任され、新監督にサウサンプトンFCで好成績を残したマウリシオ・ポチェッティーノを招聘した。2014年6月9日にはベテランGKブラッド・フリーデルが1年間の契約延長発表と同時にクラブのアンバサダーに就任した。

2014-15シーズンは、ベンジャミン・スタンブリフェデリコ・ファシオミシェル・フォルムベン・デイヴィスエリック・ダイアーデアンドレ・イェドリンといった前年度の様な派手さはないが、守備に重きを置いた補強を展開した。ベルギー代表ナセル・シャドリが開幕から5試合で4得点を決めるなど、前シーズンに「失敗」の格印を押された選手達が活躍を始めた[10]

2015-2016シーズン編集

2015-2016シーズンはパウリーニョカプエカブールホルトビーレノンソルダードらが退団。

ケヴィン・ヴィマーキーラン・トリッピアートビー・アルデルヴェイレルトクリントン・エンジソン・フンミンを獲得した。シーズン通してデレ・アリエリック・ダイアーハリー・ケインといった若手が活躍した。

チームは首位のレスター・シティと優勝争いを演じたが終盤に失速し3位に転落した。これに伴い、来シーズンの欧州チャンピオンズリーグの出場権を獲得した。

PFA年間ベストイレブンにはトビー・アルデルヴァイレルトダニー・ローズデレ・アリハリー・ケインが選出された。ハリー・ケインは得点王を、デレ・アリPFA年間最優秀若手選手賞を獲得した。

2016-2017シーズン編集

夏の移籍市場ではケニア代表MFビクター・ワニアマフランス代表MFムサ・シソコオランダ代表FWフィンチェント・ヤンセン、フランスU-21代表FWジョルジュ=ケヴィン・エンクドゥを獲得。

昨シーズン活躍したハリー・ケインデレ・アリなどに加え、ソン・フンミンや新加入のビクター・ワニアマなどが活躍した。しかし、チェルシーとの優勝争いに敗れチームは2位でシーズンを終えた。ライバルであるアーセナルよりも高順位で終えたのは22年ぶりのことである。表彰では、ゴールデンブートハリー・ケインPFA年間最優秀若手選手賞デレ・アリPFA年間ベストイレブンカイル・ウォーカーダニー・ローズデレ・アリハリー・ケインが選出された。

1899年から本拠地であったホワイト・ハート・レーン最後のシーズンであった。最終戦はマンチェスターユナイテッドとの試合でビクター・ワニアマハリー・ケインのゴールで2-1で勝利し、最終戦に華を添えた。終了後には最後の勝利を祝うサポーターがピッチになだれ込み空には虹が現れた。なお、リーグ戦におけるホーム戦では無敗を記録した。

UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17ではグループリーグでASモナコバイエル・レバークーゼンCSKAモスクワと同組になり、決勝トーナメント進出は確実かと思われていたが、2勝1分3敗のグループ3位で敗退した。ヨーロッパリーグに回ったが、ラウンド32でKAAヘントに敗れた。

2017-2018シーズン編集

当シーズンはウェンブリー・スタジアムを本拠地として使用した[11]

カイル・ウォーカーマンチェスター・シティへ、ケヴィン・ヴィマーストーク・シティFCへ完全移籍、レンタル移籍中のファシオローマベンタレブシャルケへ完全移籍した。

一方でアヤックスからコロンビア代表DF ダビンソン・サンチェスサウサンプトンからGKパウロ・ガッサニーガパリ・サンジェルマンからコートジボワール代表DFセルジュ・オーリエエストゥディアンテスからU-20アルゼンチン代表フアン・フォイススウォンジーから元スペイン代表FWフェルナンド・ジョレンテを獲得した。1月の移籍市場ではパリ・サンジェルマンからブラジル代表MFルーカス・モウラを獲得。

UEFAチャンピオンズリーグ 2017-18ではグループリーグで前回王者のレアル・マドリードに勝利するなどして首位通過を果たした。ラウンド16では前回準優勝のユベントスFCと対戦。敵地での1stレグでは序盤に2点を失うもハリー・ケインクリスティアン・エリクセンのゴールで追いついて2-2で終了。貴重なアウェイゴールを2つ奪い、優位な状況で迎えた本拠地での2ndレグでも前半にソン・フンミンのゴールで先制したが、後半にゴンサロ・イグアインパウロ・ディバラに連続でゴールを許し1-2で逆転負け、2戦合計3-4で敗退した。

2018-2019シーズン編集

当シーズンよりトッテナム・ホットスパースタジアムを本拠地として使用する予定だったが、シーズン前半戦はウェンブリーで試合が行われた。夏の移籍市場では補強を一切行わず、補強ゼロに終わったのはプレミアリーグ史上初の出来事となった。冬の移籍市場でも補強は無かった。

シーズン中には、ハリー・ケインデレ・アリエリク・ラメラらが怪我に悩まされ、冬には主力のムサ・デンベレが移籍。しかし、そんな中でもプレミアリーグでは4位でフィニッシュして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得。

そしてこの年のUEFAチャンピオンズリーグでは大躍進。FCバルセロナインテル・ミランと同居したグループステージは2位での突破だったが、決勝トーナメントのラウンド16では、ボルシア・ドルトムントに2戦合計4-0で快勝すると、その勢いのまま、準々決勝でこの年プレミアリーグ連覇を果たすマンチェスター・シティを壮絶な撃ち合いの末に撃破。この時エースであるケインは怪我で離脱していたが、2戦を通して3得点を決めたソン・フンミンや、フェルナンド・ジョレンテらが活躍した。

そして準決勝では、前大会王者レアル・マドリードC.ロナウド擁するユヴェントスを破る快進撃を見せてきたアヤックスと対戦。ホームでのファーストレグをドニー・ファン・デ・ベークのゴールにより0-1で落とすと、セカンドレグでも前半のうちにハキム・ツィエク、マタイス・デ・リフトに得点を許す。敵地で残り45分、合計スコア0-3。決勝進出はまさに絶望的に思われた。しかし、後半から投入されたジョレンテのポストプレーが効果的に機能し、ルーカス・モウラが55分、59分に続けざまに2点を返す。そして迎えた96分、ムサ・シソコからのハイボールをジョレンテが落とし、受けたデレ・アリがDF2人の間に柔らかく通すと、走り込んだルーカス・モウラが左足を振り抜きハットトリック。2試合トータル3-3で並び、アウェーゴールの差でクラブ史上初の決勝進出を果たした。決勝はリヴァプールFCに0-2で敗れたものの、近年最高の成績でシーズンを終えた。

また、4月には新本拠地トッテナム・ホットスパースタジアムが完成。新スタジアム初戦はクリスタル・パレスFC戦で、ソン・フンミンがファーストゴールを達成し、勝利している。[12]

ユニフォーム編集

ブランド編集

胸スポンサー編集

  • 1882-1983: なし
  • 1983-1995: Holsten
  • 1995-1999: ヒューレット・パッカード
  • 1999-2002: Holsten
  • 2002-2006: Thomson Holidays
  • 2006-2010: Mansion.com Casino & Poker
  • 2010-2013: Autonomy(リーグ戦)、Investec Bank(ヨーロッパカップ戦)
  • 2013-2014: ヒューレット・パッカード(リーグ戦、HPがAutonomyを買収したことにより14年ぶりに復帰)、AIA Group Limited(ヨーロッパカップ戦)
  • 2014-: AIA Group Limited[13]

ダービーマッチ編集

同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてアーセナルとは激しいライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのがかつて同クラブに移籍したソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。両チームの対戦は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター・ダービーマージーサイド・ダービーと並び、リーグの三大ダービーの一つに数えられている。他にも同じロンドンを本拠地とするチェルシーウェストハム・ユナイテッドとの対戦もロンドン・ダービーの一つである[14]

サポーター編集

トッテナムはイギリス、主に北ロンドンとホーム・カウンティーズに多くのファンを有している。1946年から1969年の間に5度、イングランドにおける平均観客動員数で最多となった[15][16]。2008-09プレミリーグにおける平均観客動員数は第9位であった[17]。世界中にトッテナムのサポーターズクラブが存在し、特にクラブの歴史的なサポーターにはアルフレッド・エイヤーなどがいる[18][19]。トッテナムのサポーターは主にロンドン地域内の複数のクラブとライバル関係にあるが、最大のライバルは共に北ロンドンを本拠地とするアーセナルである。

トッテナムには他のロンドンの多くのクラブと同様に、多くのユダヤ人サポーターがおり、これがトッテナムサポーターに対する反セム主義的な挑発につながっている[20][21]。トッテナムサポーターはこれに対抗してユダヤ人も非ユダヤ人も自分達を「イーズ(Yids)」と称する。ユダヤ人への侮蔑語である「イード(Yid)」は、元々はスパーズの本拠地周辺がユダヤ人の多く住む地域であることに対し、口汚い相手ファンからの嘲りの言葉として使われ始めたが、やがてスパーズファンはそれを逆手に取って、誇らしげに自称するようになった。自称「イード」の大半はおそらく本当のユダヤ人ではないが、厳密な定義は必要とされず、彼らはドイツ人のユルゲン・クリンスマンがチームに所属した時にも「Chimm-chimminee, chim-chimminee, chim-chim-churoo, Juergen was a German, but now he’s a Jew(ユルゲンはドイツ人だったが、今ではユダヤ人だ)」というチャントチム・チム・チェリーの節で唄った[22]

ユダヤ人団体や反人種差別団体からは「イード」の使用が人種差別を助長していると考えて、スパーズファンに自制を求める声もあるが、スパーズファンは自分たちが使用する「イード」はまったく無害なものだと考えている[23]

著名人のファンとしては元プロサッカー選手の父親を持つNBAスティーブ・ナッシュ、水泳選手のイアン・ソープコールドプレイジョニー・バックランドWWE所属のプロレスラーフィン・ベイラー等が知られている。また、俳優のジュード・ロウもスタンド観戦する姿を度々中継カメラに捉えられている。『007 スカイフォール』の主題歌でオスカーを受賞したアデルもスタジアムに足繁く通い、インタビューにも「私は偽物じゃない。本物のファンよ」と発言している[24]

タイトル編集

国内タイトル編集

国際タイトル編集

過去の成績編集

シーズン ディビジョン FAカップ リーグ
カップ
欧州カップ / その他 最多得点者
リーグ 順位 選手 得点数
1992-93 プレミア 42 16 11 15 60 66 59 8位 準決勝敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム 28
1993-94 42 11 12 19 54 59 45 15位 4回戦敗退 準々決勝敗退 テディ・シェリンガム 15
1994-95 42 16 14 12 66 58 62 7位 準決勝敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン 29
1995-96 38 16 13 9 50 38 61 8位 5回戦敗退 3回戦敗退 インタートトカップ グループステージ敗退 テディ・シェリンガム 24
1996-97 38 13 7 18 44 51 46 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 テディ・シェリンガム 8
1997-98 38 11 11 16 44 56 44 14位 4回戦敗退 3回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン
ダヴィド・ジノラ
9
1998-99 38 11 14 13 47 50 47 11位 準決勝敗退 優勝 ステファン・イヴェルセン 13
1999-00 38 15 8 15 57 49 53 10位 3回戦敗退 4回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 ステファン・イヴェルセン 17
2000-01 38 13 10 15 47 54 49 12位 準決勝敗退 3回戦敗退 セルゲイ・レブロフ 12
2001-02 38 14 8 16 49 53 50 9位 準々決勝敗退 準優勝 グスタボ・ポジェ 14
2002-03 38 14 8 16 51 62 50 10位 3回戦敗退 3回戦敗退 テディ・シェリンガム
ロビー・キーン
13
2003-04 38 13 6 19 47 57 45 14位 4回戦敗退 準々決勝敗退 ロビー・キーン 16
2004-05 38 14 10 14 47 41 52 9位 準々決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 22
2005-06 38 18 11 9 53 38 65 5位 3回戦敗退 2回戦敗退 ロビー・キーン 16
2006-07 38 17 9 12 57 54 60 5位 準々決勝敗退 準決勝敗退 UEFAカップ ベスト8 ディミタール・ベルバトフ 23
2007-08 38 11 13 14 66 61 46 11位 4回戦敗退 優勝 UEFAカップ ベスト16 ディミタール・ベルバトフ
ロビー・キーン
23
2008-09 38 14 9 15 45 45 51 8位 4回戦敗退 準優勝 UEFAカップ ベスト32 ダレン・ベント 17
2009-10 38 21 7 10 67 41 70 4位 準決勝敗退 準々決勝敗退 ジャーメイン・デフォー 24
2010-11 38 16 14 8 55 46 62 5位 4回戦敗退 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト8 ラファエル・ファン・デル・ファールト 15
2011-12 38 20 9 9 66 41 69 4位 準決勝敗退 3回戦敗退 ヨーロッパリーグ グループステージ敗退 エマニュエル・アデバヨール 18
2012-13 38 21 9 8 66 46 72 5位 5回戦敗退 4回戦敗退 ヨーロッパリーグ ベスト8 ガレス・ベイル 21
2013-14 38 21 6 11 55 51 69 6位 3回戦敗退 準々決勝敗退 ヨーロッパリーグ ベスト16 エマニュエル・アデバヨール 11
2014-15 38 19 7 12 58 53 64 5位 4回戦敗退 準優勝 ヨーロッパリーグ ベスト32 ハリー・ケイン 21
2015-16 38 19 13 6 69 35 70 3位 5回戦敗退 3回戦敗退 ヨーロッパリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 25
2016-17 38 26 8 4 86 26 86 2位 準決勝敗退 4回戦敗退 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退 ハリー・ケイン 29
ヨーロッパリーグ ベスト32
2017-18 38 23 8 7 74 36 77 3位 準決勝敗退 4回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト16 ハリー・ケイン 30
2018-19 38 23 2 13 67 39 71 4位 4回戦敗退 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ 準優勝 ハリー・ケイン 17
2019-20 38 チャンピオンズリーグ

現所属メンバー編集

2019-20シーズン 基本フォーメーション
2019年10月26日現在
No. Pos. 選手名
1   GK ウーゴ・ロリス ( )
3   DF ダニー・ローズ ( )
4   DF トビー・アルデルヴェイレルト
5   DF ヤン・フェルトンゲン(第3主将)
6   DF ダビンソン・サンチェス
7   FW ソン・フンミン
8   MF ハリー・ウィンクス
10   FW ハリー・ケイン(副主将)
11   MF エリク・ラメラ ( )
12   MF ビクター・ワニアマ
13   GK ミシェル・フォルム
15   MF エリック・ダイアー ( )
16   DF カイル・ウォーカー=ピータース
No. Pos. 選手名
17   MF ムサ・シソコ ( )
18   MF ジオヴァニ・ロ・チェルソ ( )
19   MF ライアン・セセニョン ( )
20   MF デレ・アリ ( )
21   DF フアン・フォイス
22   GK パウロ・ガッサニーガ
23   MF クリスティアン・エリクセン
24   DF セルジュ・オーリエ
27   MF ルーカス・モウラ
28   MF タンギ・エンドンベレ ( )
29   MF オリヴァー・スキップ
33   DF ベン・デイヴィス
39   DF ジャフェット・タンガンガ ( )
52   FW トロイ・パロット

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手編集

in
No. Pos. 選手名
18   MF ジオヴァニ・ロ・チェルソ (レアル・ベティス)
out
No. Pos. 選手名
38   DF キャメロン・カーター=ヴィッカース (ストーク・シティFC)
40   MF ジョージ・マーシュ (レイトン・オリエントFC)
42   MF アンソニー・ジョルジウ (イプスウィッチ・タウンFC)
45   MF ジャック・ロールズ (ケンブリッジ・ユナイテッドFC)
No. Pos. 選手名
50   FW カザイア・スターリング (ドンカスター・ローヴァーズFC)
--   MF ルーク・エイモス (クイーンズパーク・レンジャーズFC)
--   FW ジャック・クラーク (リーズ・ユナイテッドFC)

リザーブ & アカデミー編集

歴代監督編集


歴代所属選手編集

GK編集


DF編集


MF編集


FW編集


脚注編集

  1. ^ Hotspur(直訳:燃える拍車)のあだ名を持つ騎士で、現代英語のHotspur(意訳:向こう見ず)は彼のあだ名が語源。日本では「向こう見ずのヘンリー(Henry Hotspur)」と訳されることもある。
  2. ^ “Tottenham legend Nicholson dies”. BBC Sport. (2004年10月23日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/3757030.stm 2010年8月17日閲覧。 
  3. ^ History: Year by year”. Tottenham Hotspur F.C.. 2010年12月22日閲覧。
  4. ^ トッテナム 9点を奪いウィガンに快勝、デフォーが5得点”. AFPBB News (2009年11月23日). 2017年9月29日閲覧。
  5. ^ Northcroft, Jonathan (2008年5月11日). “Breaking up the Premier League's Big Four”. The Sunday Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/article3908394.ece 2011年5月26日閲覧。 
  6. ^ “The best of the rest”. Soccernet (ESPN). (2007年1月29日). http://www.espnfc.com/story/405515 2017年9月29日閲覧。 
  7. ^ クラブ声明 モドリッチのRマドリー移籍と業務提携2012年8月27日
  8. ^ レアル・マドリー、ベイル加入を発表”Goal、2013年9月2日
  9. ^ ベイルの後継者 ラメラsoccer king
  10. ^ シャドリ、ゴールの快感spurs japan
  11. ^ トッテナム、来シーズンのホームゲームは全てウェンブリーで開催へ”サッカーキング、2017年3月24日
  12. ^ トッテナム、夏の移籍市場で補強ゼロ…2003年以来、プレミア初の珍事にサッカーキング(2018年8月10日)
  13. ^ AIAとの長期パートナーシップが始まるspurs japan 2014年2月11日
  14. ^ Rivalry uncovered! The results of the largest ever survey into club rivalries Archived 2013年10月20日, at the Wayback Machine., The Football Fans Census. Retrieved 30 January 2008
  15. ^ Historical Attendances 1950s”. European Football Statistics. 2006年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月26日閲覧。
  16. ^ Historical Attendances 1960s”. European Football Statistics. 2006年10月26日閲覧。
  17. ^ Statistics Archived 2010年12月30日, at the Wayback Machine. FA Premier League
  18. ^ Key thinkers in linguistics and the philosophy of language, Edinburgh University Press, 2005, By Siobhan Chapman, page 22
  19. ^ Notable Spurs supporters Retrieved 26 August 2011
  20. ^ Kessel, Anna (2007年10月28日). “Alive and unchecked – a wave of anti-Jewish hate”. The Guardian (UK). http://www.guardian.co.uk/football/2007/oct/28/newsstory.sport2 
  21. ^ Baddiel, David (2002年10月17日). “So you think we've kicked racism out of English football”. The Independent (UK). http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/david-baddiel-so-you-think-weve-kicked-racism-out-of-english-football-614251.html 
  22. ^ Anti-Semitism or endearment?”. European Jewish Press. 2012年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月7日閲覧。
  23. ^ ‘Yid Army’ comes out fighting”. The Jewish Chronicle (2007年10月19日). 2007年11月4日閲覧。
  24. ^ 我が心のクラブを持つセレブリティたち『Number PLUS』2013年10月1日号

参考文献編集

  • フランクリン・フォア『サッカーが世界を解明する』「第3章 ユダヤ人問題」白水社、2006年。ISBN 4-560-04975-0

外部リンク編集