dj honda(ディージェイ・ホンダ)はヒップホップDJビートメイカー音楽プロデューサー北海道出身。

dj honda
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ヒップホップ
職業 DJ
活動期間 1980年代中期 - 現在
レーベル dj honda RECORDINGS
公式サイト dj honda RECORDINGS Japan

経歴

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1980年代中盤からクラブDJとして活動、DJ KOOらとリミキサーグループ『The JG's』を結成、リミックス作品に関わる他、グループ自身のアルバムも発表。
1992年に渡米し、同年ニューヨークで開かれた DJ Battle World Supremacyで準優勝(このときの優勝者はビースティ・ボーイズミックス・マスター・マイク)。1995年に日本で1stアルバム『dj honda』をリリース。同作には、ファット・ジョーコモンDJプレミアエリック・サーモン英語版ビートナッツ英語版レッドマンなどが参加。
1997年には2ndアルバム『h II』をリリース。このアルバムには、モス・デフKRS-Oneキース・マレイ英語版デ・ラ・ソウルなどが参加した。1999年、ニューヨークに dj honda RECORDINGS US、東京に dj honda RECORDINGS JAPAN を設立。2001年に3rdアルバム『h III』(ジェルー・ザ・ダマジャ英語版、ビートナッツ、PMDM.O.P.英語版他参加)、PMDとのコラボ・アルバム『UNDERGROUND CONNECTION』をリリース。
2009年8月5日、モス・デフフレッド・ダーストリンプ・ビズキット)、クール・G・ラップ英語版EPMD, ラッカ・アイリサイエンスダイレイテッド・ピープルズ英語版)らをフィーチャーしたアルバム『dj honda IV』を世界[どこ?]同時発売した。
2011年、日野皓正のアルバム『Aftershock』のビートを全曲担当、「Tokyo Jazz Festival 2011」に出演、全国ツアーも敢行。
2013年、『Aftershock』に続き日野のアルバム『Unity -h factor-』のビートを全曲担当。
2015年、B.I.G.JOEとタッグを組み、フルアルバム『Unfinished Connection』をリリース。
2019年、岡山県津山市出身のラッパー紅桜とのコラボ・アルバム『dark side』をリリース。
2021年、ザ ブルーハーブのフロントマン、ill-bosstino(今作では小文字表記)とのコラボ・アルバム『KINGS CROSS』をリリース。
2022年、SIMON JAPとのコラボ・アルバム『Golden Age』をリリース。

その後も、国・ジャンルを問わず、コラボレーション・プロデュースを行っている。

音楽以外の活動は、ファッションブランド『h』を設立。イチローキャップを着用したことで1990年代に一大ブームを巻き起こした[1]

脚注

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出典

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  1. ^ 山下奈緒子. “「dj honda」グッズ売上100億円だった!30万個売れた帽子の秘密”. withnews.jp. 2021年6月22日閲覧。

外部リンク

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