利用者:ABNOIC会話 / 投稿記録 / 記録 さんのこれまでの編集および対話姿勢、特に記事「赤報隊事件」にまつわる姿勢について、各位の意見を伺いたく思います。

当該記事には脈略のよくわからない雑多な事項がどんどん追加され、その質は落ちていくばかりであると懸念しています。その首謀者といえる被依頼者の姿勢は相当に独善的であると言わざるを得ず、許容出来る範囲を逸脱しつつあるように思われます。このまま改善が見込めないようなら、強制的に編集の手を止めてもらいウィキペディアの各種方針の学習のやり直しに専念していただくべきではないかと依頼者としては考えております。--Kojidoi会話2013年1月12日 (土) 17:01 (UTC)(署名修正)[返信]

依頼者コメント 編集

経緯 編集

被依頼者は過去2年以上にわたって記事赤報隊事件の編集を熱心に継続しています。その編集内容について以下のように再三疑義を呈されています。

最後の画像関係の議論は先月コメント依頼を出した案件で、現在も継続中です。私を含め何人もの参加者が異口同音に被依頼者の編集方針の不適切性を主張しているにもかかわらず、当人に「いつまでも納得しない」姿勢を改める気配はなく、当該記事の内容が不適切な状態のまま膠着しているのが現状です。そのパターンは一昨年から繰り返されているものの再々度の繰り返しといっていいと思います。

問題点 編集

特筆性に関する感覚が対話困難なまでに著しくズレていること 編集

とにかく被依頼者は、針の先ほどでも接点がある事項はなんでも「関係がある」とし、それらを記事中に何もかもぶち込むことが「理解を深める」と思い込んでいるようです。 また、「事件の動機かもしれないもの」を「事件の動機となったもの」と転換し、情報の合成、印象操作と言わざるを得ない編集を試みる傾向があります。 これは前述の「外部リンクについて」の議論のころから顕著な傾向で、大勢の人から繰り返し繰り返し批判されているところですが、それから2年近くたった現在も全く改まっていません。実例は枚挙に暇がありませんが、いくつか依頼者の性向の解りやすい発言を挙げておきましょう。

「外部リンクについて」での発言
本件は犯人が未逮捕のままであり、最近もNHKや在日公館を狙った事件を起こしている。 だからこそ、捜査機関は本件の情報提供を現在も呼びかけているのである。それゆえに、警察庁、兵庫県警察が「11.記事の内容に直接関係がないサイト」と到底言えないことは明白である。
「本題と関係性の薄い画像が多すぎる」での発言
『青い山脈』ポスターは、この事件が戦後民主主義を標的にしており、戦後民主主義啓発に貢献した『青い山脈』、この歌は犠牲になった記者が最後の忘年会で歌った歌でもあり、掲載しました。

目的外利用志向 編集

どうもウィキペディアのこの記事を「事件の解決に資するもの」にしなければならないと思い込んでいるフシが見受けられます。

かたくなな議論姿勢 編集

とにかく「関連がある」「理解が深まる」の一点張り
ノート:赤報隊事件#本題と関係性の薄い画像が多すぎるで、私も他の方も、「その写真があることでどのように事件への理解が深まるのか」と繰り返し聞いているのですが、「内容の理解が深まる」の一点張りで全く根拠が示されません。具体的にと迫っても、自分のこだわる記事の記述をただ繰り返すだけで[1][2]、文字通り話になりません。
いつまでも納得しない
前述のとおり、被依頼者の考え方、編集方針には毎回大勢の人が批判的な見解を述べています。その趣旨は大体において共通しているといっていいと思います。が、何を言ってものれんの腕押しの反応が繰り返されるのみで、2年が経過しています。
レッテル貼り
外部リンクの件では、不要論を主張したあるふぁるふぁさんに、「赤報隊」を名乗る犯人の行為は許されるか、本件被害者の心情をどう思っているかなどと問いただす という挙に出ています。写真の件では、関係性の薄い事項をくどくど書くなと言った私の発言を「朝日新聞襲撃事件で靖国公式参拝が動機であることが真相になってもあまり書くな、と受け取れる趣旨のことを主張されています。」と曲解、さらには「振り返りますと、国家秘密法、教科書問題について触れますと、強い怒りの感情を出されています。」などと、もう論評の言葉も見当たらない妄言を吐く始末。自分の意に沿わない主張をするものを事件の犯人のシンパと決めつけ排除しようという本音が窺えます。

(2013/1/14 細部修正) --Kojidoi会話2013年1月14日 (月) 06:24 (UTC)[返信]

被依頼者コメントを受けて 編集

ABNOIC氏は良識なるものを都合よく持ちだして自己正当化を図っています。同じ事は当該ノートの「外部リンク」や「太字」の議論の際にも発言していましたが、そういうものを編集に持ち込むべきではないとの反論が出、結局のところこれらの議論ではABNOIC氏のこだわった外部リンクや太字は軒並み削除される形で決着しています。要するにABNOIC氏の「良識」論は完全に論破されています。しかるにそれから2年たち、議論対象が外部リンクから写真に置き換わっただけで、彼は全く同じ主張を繰り返しているわけです。あまたの反論・批判が全く存在しなかったかのように。あとどれだけ我々はこの人にお付き合いしなくてはならないのでしょうか? --Kojidoi会話2013年1月19日 (土) 13:43 (UTC)[返信]

被依頼者コメントを受けて2 編集

ABNOIC氏がいう「事件への共感」とは、私がノートで記事の改善素案として言及した節構成案に「事件への共感(?)」として書いたものを指しているようです。当該事件については現在赤報隊事件#朝日新聞社への恫喝に言及されているように、犯人への同調とも取れる動きが一部に見えていたことは事実で、そういう動きがあったこと自体は事件への批判があったことと同等の特筆性は有するはずです。両者を対等に並べようというのが私の案の意図であることは普通に読めばわかると思っているのですが、ABNOIC氏にかかると私kojidoiがテロへの共感者であってそれを記事に反映しようとしていることになってしまうらしい。諸氏には一連の被依頼者の発言をよく見ていただきたいと思います。これは完全に、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの範疇にありますし、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#利用者を危険にさらす個人攻撃(他の利用者の安全を脅かす攻撃)に該当する可能性さえあることを指摘しておきます。--Kojidoi会話2013年1月20日 (日) 04:34 (UTC)[返信]

新たなる被依頼者コメントが追記されましたが、「事件への批判と事件への共感を対等に並べること自体不適切」とは、もう依頼者が中立性というものを全く理解していないことがこのコメントだけでも明らかと思われます。「方針文書熟読のためのブロック」の妥当性についても皆様の意見を頂きたく思います。--Kojidoi会話2013年1月20日 (日) 09:44 (UTC)[返信]

Bugandhoneyさんのコメントを受けて 編集

  • まず、私のコメントに「悪意」やら「善意」やらがあるかどうか問うことに意味があるのでしょうか? 仮に私のコメントが「悪意」に起源するとしても、被依頼者に問題があるならあらためていただかなくてはならないし、「善意」に起源するとしても、私のコメントが妥当性を欠くのであればそれは棄却されなければなりません。被依頼者は、善意は尊ばれなければならないという、一見反論が難しい主張に話をすり替えています。それに乗せられていただきたくはありません。
  • 確かに私とABNOIC氏の間には「衝突」があったといえるでしょう。Bugandhoneyさんは彼の姿勢に一定の理解を示しておられるようですが、私から見れば「ウィキペディアの方針に明らかに反した編集」が目に付くし「対話に特に不自由を感じたこと」だらけです。しかし、私は「衝突があったから」コメント依頼を出したわけではありません。
    1. 氏の編集姿勢に疑問を表明し「ウィキペディアは何ではないか」に代表される各種文書の熟読を求める声は、これまでに私だけではなく多くの人が異口同音に何度も何度も繰り返し表明しているわけです。
    2. その状況が2年以上にもわたって継続しているのです。これが参加者の善意に基づく通り一遍の対応で解決できるとは私には到底思えませんでした。
  • すなわち、「強制的に編集の手を止めてもらう」選択肢を考えない訳にはいかないというのが私の見解です。ですので、申し訳ないですが《「著しく妥当性を欠く編集姿勢」などという中立的ではない結論をあらかじめ示す必要性はどこにもない》とは思いませんし、「強制的に編集の手を止めてもらう」を書かずに論点をぼかすということは依頼者としてはありえない選択肢です。もちろん、この私の見解が支持を得るかどうかは、また別の話であります。私の見解が度外れているというのが結論となればそれに従わなければなりませんし、その場合に私自身の信頼度が落ちる結果になることは承知のうえです。--Kojidoi会話2013年1月27日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
    •   コメントとりあえず、誰かを「首謀者」呼ばわりするのは、Calveroさんからも礼を失しているとの指摘がありますので、今後は控えていただけたらと。それで、私のコメントに「悪意」やら「善意」やらがあるかどうか問うことに意味があるのでしょうか? 仮に私のコメントが「悪意」に起源するとしても、被依頼者に問題があるならあらためていただかなくてはならないし、「善意」に起源するとしても、私のコメントが妥当性を欠くのであればそれは棄却されなければなりません。というのは全くその通りです。全く同じ理屈がABNOICさんによる編集の是非を問う際にも当てはまると理解してください。ABNOICさんによる編集が、悪意に根ざしてようと、全くの善意に根ざしてようと、不適切なのであれば改めてもらわなければなりません。どんな意図があったところで、不適切な内容の編集は不適切なのです。ある行為の是非はその意図と切り離して検討が加えられますから、悪意を前提にした「首謀者」というような言葉を使うことには、礼を失していると受け取られるだけで、意味がないです。コメント依頼の結果、Kojidoiさんの見解が支持されないとしても信頼度が落ちることはないですけど、礼を失した言動は確実に信頼度を落とします。それで、コメント依頼のように議論の呼びかけを行う際は、Wikipedia:カンバスも参考にしていただければと。そこには議論への呼びかけは中立的であるべきとなっていて、ガイドラインにはなってないですけど、Wikipedia:コメント依頼はおおむねそのような呼びかけになってます。単純に言って、「これまでの編集および対話姿勢、特に記事「赤報隊事件」にまつわる姿勢について」と呼びかけていたところで、同じ意見が集まっていたはずです。--Bugandhoney会話2013年2月6日 (水) 22:37 (UTC)[返信]
「首謀者」という言葉にそこまで強い拒否反応を示されるとは思っていませんでしたが、今後は配慮することにしましょう。コメント依頼の文面については、すみませんが特に問題を感じません。発議をするのに審判のような「中立性」が要求されているとは思いません。この件についてさらに追求なさりたいなら私の会話ページに続けていただくか、私に対するコメント依頼を出すかしていただければと思います。--Kojidoi会話2013年2月7日 (木) 15:39 (UTC)[返信]
Wikipedia:カンバス#友好的なお知らせを読んだ上で、Wikipedia:コメント依頼の呼びかけ文が適切だということでしたら、私のほうからこれ以上申し上げることはないです。コメント依頼などを使って続けるほどのことでもないでしょう。--Bugandhoney会話2013年2月7日 (木) 17:37 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

問題点 編集

良識に欠ける行為 編集

依頼者の今回の行為について非常に疑問に感じています。「首謀者」呼ばわりし、何か悪事を働いたかのような印象を読者に与えようとしました。Wikipediaは「信頼されるフリーな百科事典」を「共同作業で創り上げる」ことを目的にしています。創設者のジミー・ウェールズ氏は良識を人生の信念とされています小さい頃、百科事典を全部読んだ。人間が持っているもので最も貴重で1回しか与えられていないを奪った朝日記者殺害事件、首相脅迫事件の犯人に一片の良識はありません。依頼者の行為にも良識は感じられません。

辞典執筆、編集で大切なこと 編集

辞典の執筆、編集に当たって、事件ではまずご遺族の心情に配慮することが求められると思います。ある事件を伝えるサイトがご遺族の抗議で閉鎖されたことがあります。Wikipediaも例外ではなく、ご遺族の心情を重視したものにする必要があります。依頼者のご意見を拝見すると、ご遺族の心情への配慮というものがまったく感じられません[3]

「事件への共感」をめぐって 編集

「事件への共感」提案の異様さ 編集

「事件への共感」の記事を提案されています[4]。これはテロを肯定すると受け止められても仕方がないもので、誤解を招くものです。オウム事件他テロ事件に「事件への共感」はありません。「事件への共感」を提案される異様さは際立っています。

排除の論理はどちらか 編集

また、さも被依頼者が自分の意見に沿わない主張をする人を排除するようなこと言われていますが、依頼者こそキリンビックさんに「ウィキペディアの編集になど手を出すべきではありません。どこか他のメディアに活躍の場を見出すべきでしょう[5]」と排除されようとしました。

問題の背景 編集

Wikipediaでできることは明らかになった事実を方針に基づき、読者に分かりやすい記事を提供することです。 その方針についての理解、受け止め方の違いが今回の問題の背景のひとつにあるように思います。--ABNOIC会話2013年1月15日 (火) 06:17 (UTC)[返信]

「テロへの共感」記事提案の重大性 編集

依頼者提案の「事件への共感」記事は「テロへの共感」記事を意味しています。今アルジェリアイスラム武装勢力によるテロ事件が起き、日本人の安否を日本中の人々が心配しています。このようにテロ根絶が今も課題になっている折り、「テロへの共感」を意味する記事を提案されたことは重大な問題であり、不適切だと考えます。--ABNOIC会話2013年1月20日 (日) 03:32 (UTC)[返信]

事件への批判、共感を対等は不適切 編集

事件への批判と事件への共感を対等に並べること自体不適切だと申し上げているのです。テロ事件の一覧日本のテロ事件一覧にテロへの共感の記事はありません。共感を覚えたのは犯人と犯人のシンパなどごく一部で、「犯人への同調とも取れる動き」を事件への批判と同等の特筆性があるというのは、大きな間違いで不適切です。--ABNOIC会話2013年1月20日 (日) 05:20 (UTC)[返信]

コメント依頼への依頼者コメントについて 編集

Bugandhoneyさんにはご迷惑をおかけしています。理不尽としか言いようがない扱いだと思います。どちらが正しいかは、やり取りを見ておられる方にはすぐに分かられるのではないでしょうか。事件への共感(テロへの共感)と批判を対等に扱う事は大きな間違いであり、ここに依頼者のスタンスが出ているように思います。また依頼者がされようとした編集画面を見れば、その意図が透けて見えるように思います写真がない写真がある。--ABNOIC会話2013年1月28日 (月) 13:04 (UTC)[返信]

えーと、Wikipedia:善意にとるの精神は何かというと、その意図が透けて見えるように思いますというような場合でもその意図を推し量るな、ということです。どういう書き方が百科事典的で、どういうのが読みやすいか、というのは人それぞれですので。Kojidoiさんは単に写真の使用は必要最低限にとどめるのが百科事典的で、そのほうが読みやすい、と考えていると捉えるくらいにしといて、Kojidoiさんの編集にそれ以上の意味を見つけようとしないでください。裏にある意図を云々すると、やりとりはいきおい不毛なものになりますので。--Bugandhoney会話2013年2月6日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

コメント 編集

記事「赤報隊事件」にまつわる姿勢 編集

  •   コメント 少なくとも一年以上前に偶然赤報隊事件を見掛けて、他の記事と比較して明らかに異質な状態になっていることは認識していました(恐らく最も近いのは2011年9月11日(日)19:11の版で、実際に目撃したのは著作権侵害のおそれを理由として既に削除済みとなっている「2011年9月13日 (火) 13:17」版から「2011年9月22日 (木) 12:25‎」版のうちのいずれかだったと思います)。その後も時々記事を読んで、2012年4月11日(水)18:06‎の版以降、関連性の薄い抽象的な画像が多数挿入されていくのが気になっていました。先月、記事向けのコメント依頼が行われたの機にノート:赤報隊事件及び「赤報隊事件」の変更履歴を拝見致しましたが、あらゆる意味で予想以上の状態となっていた、というのが正直な感想です。赤報隊事件の記事自体については、当方には加筆・訂正を行えるような知識もなく門外漢の分野であるため静観しておりましたが、裏を返せば門外漢の目から見ても首を傾げざるを得ないような状態となっており、その原因が被依頼者である利用者:ABNOIC会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集及び議論に対する姿勢にあるという依頼者の懸念は、極めて妥当なものだと考えます。Lira586会話2013年1月12日 (土) 23:06 (UTC)[返信]
  •   コメント 当事者です。当議論では、被依頼者様に反対し、依頼者様に同意しておりますので偏った意見になりますし、感覚が極端に違う事を以って、利用者へのコメント依頼として指摘・糾弾して良いのかもわかりません。それでもあえてコメントしますが、部屋が散らかっている事を指摘しても、「散らかっていない」の一点張りでどうしようもありません。教科書問題が動機→教科書の画像(教科書問題と全く関係ない単なる教科書)、秋葉原で爆弾の部品を購入した→秋葉原の画像(爆弾の部品を買った店ではない)、いい加減にして欲しいです。--JapaneseA会話2013年1月13日 (日) 03:39 (UTC)JapaneseAが主アカウントになりました、副アカウントは利用者:Sutepen angel momo会話 / 投稿記録 / 記録[返信]
  • 常時閲覧が出来ず時々覗きの者ですから皆さんのように詳細を把握しての発言は出来ませんが、それでも大まかな状況は把握できますのでそんな観点から一言発言させていただきます。辞典である以上ないことをあると記載したり、あることをないと記載することはいけませんね。最近、ありもしない事象がWPに「事実」として記載され、何年も放置されてやっとインチキ項目と判明、そのことが世界的なニュースとなり、日本でも大きく報道されました。天下の百科事典に死角があったのですね。こういう死角は探せばまだあるかも知れません。その一方で、死角の反対、生角とか活角と云っても良いような訪問活発、ノート論議もっと活発の項目もあるのです。その一つがこの赤報隊事件ですね。生角、活角賞なんて賞を設けて被依頼人様を表彰してもいいのじゃないかと思うほどです。ノート論議の中身は、事実の有無、間違いの有無じゃなくて事実をどこまで詳しく書くのか、関連、参考資料をどれだけ提示するのか、これは必要あれは不要、そんな論議ですね。しかも詳しいことを知っているマニア的な人たちガ寄り集まってああでもないこうでもないとやっている。そして今回の「コメント依頼」です。依頼人、被依頼人なんて言葉も街角では聞かれない言葉、なんだか、糾弾会でも始まりそうな異様な雰囲気を感じます。この事件への関心と熱中の度合いと云う点では私と被依頼人様の間に温度差を感じますが、死角を長年放置したWPの中にあって生角、活角の旗をなびかせる被依頼人様は貴重な存在であり抹殺されるべきではないと思います。--キリンヴィック会話2013年1月14日 (月) 04:18 (UTC)[返信]
依頼者があまり口出しするのは好ましくないとは思うのですが、いくつか重大な誤解があるようなので指摘しておきます。
  • 詳しいことを知っているマニア的な人たちガ寄り集まって - 私は当該事件についてこの記事に記載されている以上のことはほとんど何も知りませんし、特別な思い入れがあるわけではありません。それでも、論理展開がよくわからないとか関連性が見えないとか、明らかに不適切な部分を見出すことができます。だから是正を提起しているだけです。他の方々も概ねそうであろうと想像しています。
  • 死角を長年放置したWPの中にあって生角、活角の旗をなびかせ - ウィキペディアにはウィキペディアの方針というものがあります。あなたがどんな素晴らしい旗を見ているのか知りませんが、ウィキペディアのどこかに「死角」があったからといって方針を無視して意欲の赴くままになんでも試みていいということにはなりません。たとえ善意の発露であったとしてもです。ならぬことはならぬのですよ。
  • 抹殺 - 私は学習をしなおして欲しいと言いました。抹殺などという認識は全く見当外れです。ただし、当人に不適切な編集を辞める意志がないのなら、他の編集者にとって迷惑なことですから、考えを改めていただくまでは強制的に手を止めてもらうというのはあり得る対処だと考えます。--Kojidoi会話2013年1月14日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
  コメント2 キリンヴィック様へ。私もこの事件に関しては門外漢もいいところです。井戸端の議論を見て、あまりにもおかしいと思ったのでノートに参加しました(多少おかしい程度では、専門外なので遠慮していたでしょう)。次に被依頼者様の事を弁護されるのであれば、もう少し第3者から見てわかやすく書いて頂けないでしょうか?「素晴らしい」でなく「この記事のこの問題(画像をたくさん貼付)に対して、どういう理由で素晴らしい」のかを書いて下さい。なお、被依頼者様が他の記事でWikipediaに貢献されている事は皆様御存知ですので、あくまでもこのコメント依頼で指摘されている問題点に関して御願いします。--JapaneseA会話2013年1月14日 (月) 07:03 (UTC)[返信]
JapaneseA様が事件の専門家ではなく門外漢の方だということ、了解しました。ノートの発言者が私以外は皆専門家のように思われたので、ついああいう発言になったのでした。すみません。それから、何が「すばらしい」のかと言うご質問ありましたが、コメント読んでいただければ分かるとおり、わたしは「すばらしい」と言う言葉使いませんでした。次の発言者の方が推測のような形で「すばらしい」という言葉をお使いになったようです。ま、それはそれとして、私はこの事件に関心を持ってはいますが、ウイキペデイアに詳細な投稿をするほどの情熱はありませんでした。そういう自分との比較から被依頼人様のような熱心な方は辞典編集の上で貴重な存在であり、邪魔者扱いはどうかと思う、そんな意味で発言したのでした。--キリンヴィック会話2013年1月16日 (水) 11:21 (UTC)[返信]
誤った方向に熱心なのはただ迷惑なだけですよ。--Kojidoi会話2013年1月19日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
私も熱心な人を邪険にするのは気がひけますが、他者の意見を聞いて、誤りがあればそれを訂正できないような人は困ります。--Calvero会話2013年1月20日 (日) 11:55 (UTC)[返信]

  コメント 非依頼者の記述やコメントをいくつか確認しましたが、中立的、特筆性(重要性)、「演説台ではない」などの理解不足(または無視?)が強く、目的外使用に陥っていると思います。依頼者の懸念は冷静で妥当に思えます。なお政治思想の記事では「○○(テロ、暴力、独裁など)は悪いと読者に判るように」などの特定の立場による編集が多く大変迷惑しています。善意で熱心だからガイドを無視して記事の品質を下げて良いという事にはなりません。非依頼者は冷静に各種ガイドを再読される事を強く期待します。--Rabit gti会話2013年1月20日 (日) 05:20 (UTC)[返信]

  コメント 私はノート:赤報隊事件での議論に参加していたことがありますが、最近のものには触れていません。さて、依頼者のコメント、次いで被依頼者コメントを読みました。そこで被依頼者コメントに即して意見しますが、

  • 良識 - ウィキペディア内の項目へリンクされており、せっかくなので読んでみました。それによると、三木清は良識を常識の上位概念としており、それは知性の自然的な感覚に属しているとのことです。ところで被依頼者コメントでは依頼者は良識に欠けると述べていますが、根拠が示されておらず、なぜなのかがわかりません。良識が知性の自然的な感覚であるというならば、依頼者の主張はその知性に基づいた自然な発想であると感じられるので、これは良識であるということができると思います。
  • 遺族の心情 - 依頼者の指摘する、被依頼者の問題点は、遺族の心情に配慮するため止むを得ないことだという範囲を超えていると思います。直接的な配慮とみられるものはなく、当該の記事内容はこのようなものであるべきだという発想が、その行動の駆動力となっているようです。
  • 事件への共感 - こういうことを書くのは、特に異様ではないと思います。WP:NOTSOAPBOX には「単独記事がそうした事柄を客観的対象として捉えて、中立的な観点からその話題を記述しようとすることは良いでしょう」とあるのですから、そのような事実があればそれを書けばよい。この件については依頼者によって 2012年1月15日 (日) 12:48 (UTC) にすでに回答されています。
  • 排除 - ウィキペディアの方針に合わないものは排除されるべきです。また、方針にそぐわない形で排除が行われようとするなら、それは阻止されるべきです。このように、単に排除すなわち悪である、などのようにいうことはできません。
  • 問題の背景 - 「方針についての理解、受け止め方の違い」が「背景のひとつ」とのことですが、「事件そのものを否定して極力写真掲載に反対ということでしたら問題」(被依頼者、2013年1月9日 (水) 09:54 (UTC))というような発想を被依頼者が持っていることも、本質的な背景であるように思います。このように解されるのであれば、いかなる理由を他者が示そうとも、後付けで無意味なものととらえられるおそれがあります。また、被依頼者には感覚的な部分で他者との隔たりがあることが指摘されていますが、他の人、たとえば「IP202の人」や Sugarman さんによる説明などは「なぜいけないのか」についての直感を越えた具体的な説明であり、これに反対・反論するには同等程度の踏み込みが必要だと思います。被依頼者は説明が充分でなく、説得力に欠けるように思います。たとえば 2012年12月25日 (火) 08:14 (UTC) のコメントは、「画像がなぜ必要なのか」の説明になっていないです。
  • テロへの共感 - 繰り返しですが、WP:NOTSOAPBOX があります。「事件への共感」とかを示した人がいたことを、客観的に記述すれば問題はないでしょう。執筆者がテロに共感を示していることにはなりません。読者にとっても、単に、憎むべき対象にはこういうものもある、という情報の提供にもなりうるでしょう。「共感」という言葉が不適切なら、代替案を提示すればよいです。
  • 対等は不適切 - WP:NPOV では、記述の重み付けは重要性によるものとされていますから、被依頼者の言うように、分量などのバランスには配慮がなされるべきです。とはいえ被依頼者コメントのような主張はここで初めて出てきたもののようで、これまでそのように考えていたとは思われなくとも無理はないです。ともかくも、良識だとか抽象的な概念を持ち出すより、このように方針・ガイドラインに即しているかどうかを基準として議論を進めるべきです。

以上です。--Calvero会話2013年1月20日 (日) 11:55 (UTC)[返信]

(「良識」に関して)ABNOICさんは、「首謀者」呼ばわりし、何か悪事を働いたかのような印象を読者に与えようとしましたというように、Kojidoiさんが良識に欠けると判断した根拠を示していると思いますが...。--Bugandhoney会話2013年1月23日 (水) 22:55 (UTC)[返信]
その「首謀者呼ばわり」は、いささか礼を失しているともいえますが、良識に基づいた行動の範囲内とも解釈できるのではないかと私は思っています。被依頼者の問題と考えられる点を具体的に挙げ、これについて意見を求めると共に可能であれば改善を求める行為について、それらの指摘の主要な部分に触れず、単に「良識に欠ける」と判断することはできないのではないでしょうか。厳しい要求かもしれませんが、本コメント依頼の提出は善意にとるべきところだと思います。--Calvero会話2013年1月25日 (金) 19:00 (UTC)[返信]
ABNOICさんのポイントとしては、「首謀者呼ばわりされた」→「何か悪事を働いたかのような印象を読者に与えようとしている」→「このコメント依頼を善意にとることができない」ということかと。「何か悪事を働いたかのような印象を読者に与えようとしている」例は、「首謀者」以外にも、強制的に編集の手を止めてもらい、とか著しく妥当性を欠く編集姿勢といったようなコメント依頼文のトーンにも現れています。私自身で言えば、首謀者呼ばわりされた後で、それが親切な助言と受け取るのは難しいと思います。第三者に意見を求めるコメント依頼をするときに、「首謀者」という言葉を使ったり、「著しく妥当性を欠く編集姿勢」などという中立的ではない結論をあらかじめ示す必要性はどこにもないわけであって、私の目には、WP:AOBFにある善意が感じられない、悪意があると誰かを責めることには意味がありません。論争が悪化して、編集合戦が誘発されるだけです。相手の行為に明確な悪意があるという証拠がないまま、悪意があると誰かを責めることは個人攻撃とみなされたり、それを繰り返すと嫌がらせと取られるかもしれません。結局、あなたのほうにこそ悪意があると責められる結果に終わり、悪循環になるだけです。に陥っているように見受けられます。--Bugandhoney会話2013年1月25日 (金) 20:23 (UTC)[返信]
なるほど…確かにそのようですね。議論が紛糾すると、いきおい感情が表れることも無理はないところですが、自らの感情を伝達することに力を傾けすぎるとよくないことは明らかでしょう。そうすると、被依頼者においてはそのような感情の部分を差し引いて問題点を共有する努力、依頼者においては部分的に感情を表現しすぎていると思われる箇所を訂正する努力があるとよさそうに思われます。--Calvero会話2013年1月25日 (金) 20:47 (UTC)[返信]
この点について依頼者コメント節に加筆しました。--Kojidoi会話2013年1月27日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
  •   コメントABNOICさんとは赤報隊事件のノートで議論したことがあります。雑多な記述にこだわるところがありますけど、ウィキペディアの方針に明らかに反した編集はないですし、むしろWP:Vを守って事細かに出典を付けようとする姿勢は敬服しています。議論した限りでは、対話に特に不自由を感じたこともなかったです。ABNOICさんは自分の記述が削られることに対しては強い拒否反応を示しますが、記述自体は減らさずに書き方や構成を工夫するというような提案に関しては常に聞き入れてもらっています。確かに、赤報隊事件は他の記事と比べて風変わりな印象を与えます。リストや見出しが多用されていて読みづらかったり、雑多で細かな内容が多いなどといった欠点はありますが、記事はまだ改善される途中にあるというふうに認識しています。ABNOICさんはKojidoiさんと様々な場面で衝突してますけど、記事をどのように改善するのかという点に関して、記述をばっさり削ってすっきりさせたいというKojidoiさんに対して、ABNOICさんは細かな記述が重要であると考えているので、そういう路線の違いが対立の根本原因になっているのではないでしょうか。ABNOICさんがこの事件に関して、人一倍資料を集めていろいろと調べているのは確かです。そうやってわざわざ調べて書いたことが除去されることに対して拒否感を示すのは自然な反応でしょう。ウィキペディアの記事の分量には制限はありませんから、ABNOICさんによる細かな記述のせいでバランスが悪いとか中立的ではない、ということでしたら、余分な記述を削る代わりに、必要な部分を加筆する、ないしABNOICさんにその部分の加筆を促すというような対応をすればよいかなと思います。構成を見直して、見出しやリストは極力使わない、込み入った内容には適宜要約をつけたり分割を検討する、といったような対応で、個々の記述は保ったままもっと読みやすい記事にするのは可能かなと思います。--Bugandhoney会話2013年1月23日 (水) 22:26 (UTC)[返信]
  •   コメント ノート:赤報隊事件#外部リンクについてでお話した者です。その頃から現在まで、Kojidoiさんの言う「良識」論に基づいた姿勢が変わっていません。すなわち未解決事件である赤報隊事件を許してはならない→だから赤報隊事件に関するあらゆる情報収集・情報提供を行おうというものです。事件に対する感情を持つのは自然ですし自由ですが、客観性が求められるWikipediaではその感情を抑えて客観的な編集・議論をすることが求められます。しかし被依頼者コメントにはABNOICさんの感情論ばかりが並べ立てられている、これはABNOICさんの問題点そのものです。その感情を形にしたいのであればWikipediaでやるべきではありません。ここでやりたいのであれば、今回の被依頼者コメントのような言葉は一切使わないで、具体的に客観的に論理的に議論を行う必要があります。
ABNOICさんは記事をかなり充実させており、出典もきちんと示している、そのことは評価すべきです。しかし、自身の感情から生じている問題はそれ以上に有害であって、無視してはなりません。私が参加した2011年8月の議論では、数多くの方がWikipediaの方針に基づいて具体的に意見を述べていますし、ABNOICさんの姿勢はいけないのだと伝えています。それ以来1年半経ってもまだ感情的な姿勢を変えようとしていないのです。ABNOICさんにはその姿勢を改めることができると示するか、赤報隊事件など思い入れのある題材の記事に関わらないと約束するかしないのであればブロック依頼すべきだと私は考えます。
Kojidoiさんの議論や発言の中には感情的なものがあり残念ですが、これだけ長い間辛抱強く対話を続けてきた結果であり致し方ないものだとも理解しています。--NNMM会話2013年1月28日 (月) 14:49 (UTC)[返信]

NNMMさんに感情論と指摘されました。またCalveroさんから「感情の部分を差し引いて問題点を共有する努力」を促されています。冷静に議論しているつもりですが、感情に左右された言い方になっているように映っているようです。ご指摘のように客観的、論理的な議論が求められます。これに異論はありません。 「未解決事件である赤報隊事件を許してはならない→だから赤報隊事件に関するあらゆる情報収集・情報提供を行おう」と表現されました。いかなる犯罪も許されないことは、法治国家であり当然のことですが、本件の場合、警察庁広域重要指定事件で警察庁が重要であると全国的に捜査をした事件です。当時の警察庁刑事局長は「極めて反社会性の強い事件なので、地元兵庫県警のみならず、全国警察の組織を結集して犯人を検挙し、動機や背後関係を解明する」、被害者の一人でもある中曽根康弘首相は「表現の自由、あるいは言論の自由、憲法の保障する基本的な権利への挑戦で、こういう傾向が出てくることは、世の中のためにも憲法擁護のために厳重に阻止しなければならない」と国会答弁されています。社会に与えた衝撃も強く、NHKが未解決事件に取り上げ、事件の情報提供を求めています未解決事件 事件リスト事件に関する情報募集中。また朝日新聞社は116号事件取材班が今も犯人を追及しており、兵庫県警も真相解明を目指していて、犯人が特定されれば事件の真相について問いただすなど事情聴取するとしています。犠牲になられた記者のご遺族は、犯人に裁判を起こされます。刑事責任の追及は今のところ不明ですが(フランス、ドイツでナチス犯罪公訴時効を停止した同じ措置で可能)、民事責任を問う事が出来ます(犯人判明から20年。足立区女性教師殺人事件参照)。Wikipediaでできることは、出来るだけわかりやすく読者に明らかになった事実を方針に基づき提供することです。そのことを忠実に実行するのがWikipedia編集者のすべきことだと認識しています。今回の問題の発端は掲載の写真をめぐってでした。それが議論の最中「埒があかない」としてコメント依頼されます。その文言に「首謀者」という言葉が使用されます。これが不適切であることは自明ではないでしょうか。道理ある態度とは言えません。良識という言葉に抵抗感があるようですので、代わりに良心と言っても良いと思います。問われているのは良心ではないでしょうか。写真のすべて、あるいはほとんどを事件と関係が薄いという主張はまったくおかしな主張としか映りません。もちろんこの写真はこういう理由で事件と関係が薄いと説得力ある言い方でご主張されるなら納得できると思います。しかし、「埒があかない」としてコメント依頼欄を設定し、頭ごなしに批判するという方法では双方にとって悪い結果を生み、実際そうなっています。NNMMさんはこの点をどう思われるでしょうか。--ABNOIC会話2013年1月28日 (月) 17:08 (UTC)[返信]

社会的に重要な題材であるからといって、記事に登場したあらゆる人物・場所・物の画像を載せてよいとはなりません。社会とってではなく、記事の題材を説明するにあたっての重要性・有用性を個々に検討する必要があります。WikipediaではWikipedia:記事どうしをつなぐのように記事から記事へ内部リンクを張ることが推奨されており、赤報隊事件の多くの写真はリンク先で見れば十分です。また記事ノート・井戸端での、Kojidoiさんや私だけでなくWikipediaで様々に活動されている多くの方の意見も参考に。多数決で決まるわけではありませんが、多くの否定的意見が出るのはそれなりの理由があります。(写真についてこれ以上の具体的な話はここではなく記事で)
コメントしたようにKojidoiさんにもよくない点はありますが、それを責めてもABNOICさんの問題は解決しません。なにせ1年半前の外部リンクについての議論から同じ問題が続いているのですから。「こういう理由で事件と関係が薄いと説得力ある言い方でご主張されるなら納得できると思います」と言いますが、私は外部リンクの件で具体的な理由を明確に述べ、ABNOICさんにもそれを求めました。しかし最後まで具体的な理由を述べることはなく、納得せずに応答しなくなりました。それと今回、良識・良心(言葉ではなく中身の問題ですよ)を理由にしたコメントをさらになされたのは残念です。そういえば#問題点についても全くコメントしてないですね。改善しようとする様子が見られません。一度Kojidoiさんが書いたものという意識を捨てて#問題点を客観的に見直し、自分がどのように考えているのか話してみたらどうでしょうか。--NNMM会話2013年1月29日 (火) 14:37 (UTC)[返信]
事件が如何に注目されているかとか、如何に警察が頑張っているかとか、そんな話を何万文字書いてみたところで、あなたに寄せられている批判に反論できたことにはなりません。「社会的に重要な題材であるからといって、記事に登場したあらゆる人物・場所・物の画像を載せてよいとはなりません。」との指摘を踏まえての意向表明を期待したいところです。なお、次の連休明けでコメント依頼を出してからちょうど1ヶ月になりますので、そのころに「まとめ」をしたいと考えていることを付け加えておきます。--Kojidoi会話2013年2月6日 (水) 16:31 (UTC)[返信]

  コメント 非当事者ですが2回目のコメントです。ABNOICさんの発言「事件への共感(テロへの共感)と批判を対等に扱う事は大きな間違い[6]とありますが、私はこのような執筆姿勢が非中立的であり、その趣旨ではKojidoiさんの一連の指摘が(表現は必要以上に激しいと思いますが)内容的には正しいと思いますので、この点は冷静に理解して頂きたいと思います。私は過去や現在の政治や思想の記事を主に編集しています。「テロは悪い」とは言えません。フランス革命暴力革命で、幕末の志士はテロリスト、新撰組は暗殺集団で、また三島由紀夫はクーデター、鈴木邦男は天皇が侮辱された場合の個人テロ、中核派などは武装革命を主張し、中華人民共和国は憲法で「プロレタリア独裁」を肯定し、複数の政府はアメリカの軍事作戦を「テロ」と批判し、大多数の武装抗争では双方が「テロ」非難を行い、それぞれ一定の支持者もいます。ウィキペディアは百科事典なので淡々と事実を記述すべきです(特筆性に応じて)。各事件を「新聞社、政府、国連などが批判の声明を出した」等は書けますが、ウィキペディアでは「テロや独裁は悪い、平和や民主主義が良い、編集者も正しい立場で参加すべき」などというガイドはありません。特に関係者が存命の未解決の刑事事件では特に慎重な客観的記述が求められます。非中立的を守れないならば、ウィキペディアの編集を続けるべきではないと思います。--Rabit gti会話2013年2月10日 (日) 07:11 (UTC)[返信]

次の点を確認したいと思います。
  1. 「テロは悪い」とは言えません、は本件の場合「朝日記者殺害は悪くない」と受け取れます。
  2. 「関係者が存命の未解決の刑事事件」の「関係者」は、「テロは悪い」とは言えません、から記者のご遺族ではなく、殺人犯など事件に関与した者となります。

以上の理解でよいですか。--ABNOIC会話2013年2月10日 (日) 16:47 (UTC)[返信]

  •   コメント要するに「あいつは悪い奴」「あいつは良い奴」ってのをwikipedia上で書いてはいけないって話じゃないですかね。ABNOICさんはwikipediaの記事は正義に基いて書かれるべきだと考えているようですけれども、恐らくそれは非常に良くないです。何故かといえば正義や悪は絶対的な基準が設けられておらず、主観的になりがちだからです。ここでいう正義とは「政治信条」とか「宗教」と言い換えても良いかも知れませんが、例えばイスラム原理主義過激派のテロリストも、(たとえそれが我々に理解できないとしても)彼ら自身の主張があって、彼ら自身の正義があって、彼ら自身の正当性の元にテロ活動を行なっているはずです。となれば犯罪事件においても良い奴」と「悪い奴」を分ける事は容易ではありません。せいぜい「やった奴」と「された奴」が限界だと思います。
さらに2者の衝突に関する記事において「良い奴の言い分はたくさん書こう」「悪い奴の言い分は書いちゃ駄目」となった場合、どっちが「良い奴」で「悪い奴」なのか判断する必要がある。が、ここで利用者が善悪を判断してしまえばその時点で偏向が生まれてしまう。だからして、こと中立を良しとするwikipediaという場所においては正義とか悪とかいうものを基準にするのは好ましくないと言えるんじゃないでしょうか。ああ、私自身はテロに一切のシンパシーを感じず社会平和を愛し犯罪を憎む小市民の1人に過ぎないという点をここに明記しておきますよ、念のため。
それからちょっと細かい質問を。いつぞや画像に関する議論で、ABNOICさんはいずれの画像も非常に重要で関連性の高い画像であるという風に主張されていましたよね。なのに、どうして「ジャーナリスト・メモリアル」の写真を無言で除去してしまったのですか。良ければ除去の理由を教えていただければなと思います(もちろん個人的には不要な画像と考えていますが)。ABNOICさんと同じくらいあの画像の重要性を説いていたキリンヴィックさんにも除去に関する意見を伺ってみたいところです。それからもう一つ、被依頼者コメント欄の「人間が持っているもので最も貴重で1回しか与えられていない命を奪った朝日記者殺害事件、首相脅迫事件の犯人に一片の良識はありません。依頼者の行為にも良識は感じられません。」という箇所ですけれども、これが相手を「首謀者」どころか「殺人犯」扱いしていると取られかねない非常に過激で不穏当な表現だと気づいていますか?--Sugarman会話2013年2月10日 (日) 21:05 (UTC)[返信]
正義ではなく良識だと思います。良識とは物事の健全な考え方、判断力のことです。「やった奴」「された奴」になっているか分かりませんが、アルジェリア人質拘束事件。まだ発展途上の記事だと思いますが、よくできていると思います。「悪い奴」「良い奴」ですが、朝日の事件の場合、殺人罪、殺人未遂、傷害罪、脅迫罪、銃刀法、爆発物取締法、器物破損罪など多くの法律に違反した警察庁広域重要指定事件で、反社会性の強い事件(警察庁刑事局長)ですので、オウム真理教事件同様に適切な扱いが必要だと思います。「ジャーナリスト・メモリアル」ですが、反対意見が多く変更しました。あった方が良いのではと思っています。ここでの「良識…」はコメント依頼を設定されたことを指しています。--ABNOIC会話2013年2月11日 (月) 09:09 (UTC)[返信]
  コメントSugarmanさんとも趣旨は同じと思います。ABNOICさんのコメント[7]ですが、「テロは悪いとは言えない、という人は、当事件での犯行者とみなす」との趣旨ですか? そのように「自分は正義、批判者は犯罪者」との一連の主張が、繰り返し過剰な議論を招き批判されている事を認識してください。非中立的の理解が全く不足しています。特定の立場の宣伝目的で、多くの指摘を受けてもガイドを参照せず改善が無いならば、残念ながら目的外利用者として投稿ブロックに進んでも止むを得ないと思います。問題は「犯行者側か、糾弾者側か」ではなく、「記述内容と執筆姿勢が中立的かどうか」です--Rabit gti会話) 2013年2月11日 (月) 02:39 (UTC)(追記)以下は挑発では無いので冷静に読んで頂きたいのですが、「容認するような発言をする人は、犯罪者と同罪だ」という論法は、多くのテロリストの論法同じです。例えば「ソ連(または戦前の日本軍国主義)は多くの人を殺害した、だから社会主義(戦前の日本)を多少とも容認する人は、手先であり容赦しない。これは正義だ。」という論法です。ウィキペディアのノートは、そのような「政治闘争」または「宗教論争」をする場ではありません。非中立的は方針文書です。--Rabit gti会話2013年2月11日 (月) 03:39 (UTC)[返信]
そのような趣旨ではございません。「テロは悪いとは言えません」の意味を確認したかったのです。歴史上のテロを挙げられていますが、今日の価値観ではテロは悪です。先日アルジェリアで起きたテロ事件に安倍晋三首相は「断じて許すことはできない」と発言、これに異を唱える政治家、政党はありません。現在の日本で「テロは悪いとは言えません」と発言すれば、オウム真理教事件を容認するのか、という反応が返ってくると思います。この種の発言には慎重さが求められるのではないでしょうか。中立的な観点は承知しております。その中で対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すがあります。「そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベル反映されるように記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の観点を不適切に重点的に記述することを避けてください」とあります。ここが大切だと思っております。--ABNOIC会話2013年2月11日 (月) 09:09 (UTC)[返信]
  コメント今日の価値観ではテロは悪です」とありますが、まず「テロ」の定義は立場によるし、紛争地帯では相互に相手を「テロ」と呼んでおり、ウィキペディア日本語版は「日本人向けの百科事典」ではありません。また日本を含め刑事事件の記事は特に客観的に記述すべきです。ウィキペディアのガイドは中立的であり「テロには反対しよう」でも「その国の現在の常識を前提に書く」でもありません。また「中立的な観点は承知しております」という事は了解しました。それでは「「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません」、「ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください」、「偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。」、「事実を書け――だが意見は書くな」、「敵のために書く」なども、似たような説明や例示が、何故繰り返し書かれているのか、冷静に考えて頂きたいと思います。--Rabit gti会話2013年2月11日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

その他の編集および対話姿勢 編集

  •   コメント被依頼者は積極的に日本映画から俳優の画像を切り抜き(screenshot of the movie)コモンズにアップし、Wikipedia日本語版に呼び込んでいます。しかしながら著作権の保護期間内の映画の著作物が使用されている虞があり、それをする論拠を被依頼者のノート(利用者:ABNOIC会話 / 投稿記録 / 記録)で伺っているのですが、対話拒否ともとれる状態です。お熱の記事の編集ばかりでなく、自身が犯しているかもしれない著作権侵害問題に目を向け、学び、対話に臨んでいただきたいものです。--けいとん【鶏豚】会話) 2013年1月17日 (木) 06:00 (UTC) 強調除去。--けいとん【鶏豚】会話2013年1月17日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
  • けいとん様、利用者-会話:ABNOICの「映画のスクリーンショット」で返答させていただきました。--ABNOIC会話2013年1月17日 (木) 08:30 (UTC)[返信]
    •   コメント被依頼者とは対話ができるようになりました。論点がずれている感がありますが、「直接的」にWikipediaの行動を妨げる要素はありません。しかしながら、「精査するので時間がほしい」旨の発言があり、その後議論は停滞、どうなったかの沙汰がありません。一方、このページでの加筆や修正といった発言には署名を付けておりません。これらは、WP:TALKWP:CONWP:SIGに反すると思います。今対話の議題である著作権侵害問題も含めたWikipediaのルールをまず勉強していただきたいです。編集の手を止めるか否かについては言及しません。--けいとん【鶏豚】会話2013年2月10日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
けいとん様、なぜか入力したものが表示されませんが、よく見ていただきますと読めます。よろしくお願いします。--ABNOIC会話2013年2月10日 (日) 12:12 (UTC)[返信]

まとめ 編集

コメント依頼提出から1ヶ月を過ぎたので、ここで議論の要約をしたいと思います。なお、今後も皆様のコメント追加・議論を妨げるものではありません。

被依頼者については、その熱心さ、資料を多く収集し、記事の充実を図っていることを評価するコメントも有りました。

しかしながら、多くの方がその姿勢や考え方に問題があるとの認識を示されています。主な点を列挙すると次のようになるでしょう。

  • 社会にとってではなく、記事の題材を説明するにあたっての重要性・有用性を個々に検討する必要がある。Wikipediaでは記事から記事へ内部リンクを張ることが推奨されており、赤報隊事件の多くの写真はリンク先で見れば十分である。
  • 依頼者の指摘する、被依頼者の問題点は、遺族の心情に配慮するため止むを得ないことだという範囲を超えている。
  • 中立的、特筆性(重要性)、「演説台ではない」などの理解不足(または無視?)が強く、目的外使用に陥っている。
  • 「事件への共感」とかを示した人がいたことを客観的に記述することは特に異様ではない。執筆者がテロに共感を示していることにはならない。
  • 「事件への共感(テロへの共感)と批判を対等に扱う事は大きな間違い」との執筆姿勢こそ非中立的である。(《「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません」》との方針文書の引用もあった。
  • 依頼者の「良識」論に基づいた姿勢(すなわち「未解決事件である赤報隊事件を許してはならない→だから赤報隊事件に関するあらゆる情報収集・情報提供を行おう」というもの)に変化が認められない。その感情を形にしたいのであればWikipediaでやるべきではない。

特に後半で「中立性」に関するやり取りがありましたが、ここでは被依頼者が今後の編集活動を平和裏に進めていけるかを左右する重大な示唆が含まれていると思います。この点に関して今のところ被依頼者からは従前からの主張の繰り返しの域を超えないコメントしかでていないのは残念です。しかし、しばらく本格的な編集活動が止まっていますので現在各種方針文書の再読・再学習に励んでおられるのだと善意に解釈して、現時点でのブロック依頼提出は保留としたいと思います。赤報隊事件に関する議論はもう少し続くでしょう。それを含めて今後の活動をとくと拝見させていただきたいと思っています。--Kojidoi会話2013年2月16日 (土) 01:54 (UTC)[返信]

残念ながら、ノート:赤報隊事件#本題と関係性の薄い画像が多すぎるの合意を編集に反映させた矢先にABNOIC氏が行った編集は、これまでの議論や他編集者からの批判を受け止める気はなく今後も自分の考えによる編集を強行するという意思表示と考えざるを得ません。Wikipedia:投稿ブロック依頼/ABNOICを提出しました。--Kojidoi会話2013年2月24日 (日) 08:28 (UTC)[返信]