日秀 (真言宗)
室町時代の真言宗の僧
日秀(にっしゅう、文亀3年(1503年) - 天正5年9月24日(1577年11月4日))は、室町時代の真言宗の僧。字は照皆・照海。
略歴 編集
- 1503年、加賀国または上野国に生まれた。
- 19歳の時から高野山で修行した。
- 紀伊国の那智から補陀落渡海を行ったが、琉球王国金武の富花津(ふなや)に漂着し現地の住人に保護された。金武にある鍾乳洞を拠点に布教活動を行い、金武観音寺を創建したと伝えられる。その鍾乳洞は日秀洞(にっしゅうどう)・永酒堂(えいしゅどう)と呼ばれ、現在は泡盛の酒蔵として利用されている。(金武宮参照)
- 琉球において真言宗と熊野信仰を広め、波之上宮の再興や、弥陀・薬師・観音三像を作って護国寺に祀り、また巷談では法力で妖怪を退治したという[1][2]。現在の沖縄県浦添市の地名「経塚」もまた、日秀に由来すると伝わる。その他沖縄各地に日秀に関する伝承が残されている。
- その後薩摩国に渡り、坊津で一乗院、国分で正護寺、大隅国で三光院を開いた[3]。
脚注 編集
- ^ 日秀上人 (にっしゅうしょうにん) - 琉球新報(『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月)
- ^ 日秀 - weblio/世界宗教用語大事典
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
外部リンク 編集
- 髙橋康夫「補陀落渡海僧日秀上人と琉球 : 史書が創った日秀伝説」『沖縄文化研究= 沖縄文化研究』第37巻、法政大学沖縄文化研究所、2011年3月、1-40頁、doi:10.15002/00007282、hdl:10114/6437、ISSN 1349-4015、CRID 1390290699803921152。