立川志の八
立川 志の八(たてかわ しのはち、1974年(昭和49年)5月24日[1] - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身[1]の落語家。本名∶
丸 に 左三蓋松(まる に ひだりさんかいまつ)は、立川流の定紋である。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1974年5月24日(50歳) |
出身地 | 日本・神奈川県横浜市戸塚区 |
師匠 | 立川志の輔 |
名跡 | 1. 立川 志の八(2000年 - ) |
出囃子 | エイトマン |
活動期間 | 2000年 - |
活動内容 | 落語家 |
公式サイト | 落語家 立川志の八 公式サイト |
受賞歴 | |
第10回 さがみはら若手落語家選手権優勝 第 4回 前橋若手落語家選手権優勝。 | |
略歴
編集父親は神奈川県民ホール寄席を主催するごらく茶屋席亭の濱永廣生[2][3]。
神奈川県立汲沢高等学校[4]を経て、町田デザイン専門学校[1]を卒業。2000年(平成12年)5月、落語立川流・立川志の輔門下に入門、兄弟子の志の吉(現・晴の輔)に続く二番弟子となる。前座名は志の八。
2009年(平成21年)2月、二ツ目に昇進。2011年(平成23年)3月、第10回さがみはら若手落語家選手権において優勝。2012年(平成24年)9月、第4回前橋若手落語家選手権において優勝。
人物・芸風
編集落語に出てくる事柄を実際に体験してドキュメンタリーとして観客に見せる試みをしている[6]。2020年(令和2年)「コロナ禍で伸ばしだした髪の毛で町人髷(丁髷)を結い、その頭で落語を演じる」という目標を立て、2022年(令和4年)6月23日『しのはちの覚悟2022 宮戸川(全)』初日の舞台上で剃髪、髷を結った[7][6]。終了後も引き続き髷姿で落語を演じている。
受賞歴
編集出演
編集テレビ
編集インターネット
編集脚注
編集- ^ a b c d “プロフィール|落語家 立川志の八 公式サイト”. 2015年5月22日閲覧。
- ^ “神奈川県民ホールへの100の声 第11回 濱永廣生”. 神奈川県民ホール40周年特設サイト. 神奈川県民ホール (2015年2月25日). 2019年9月12日閲覧。 “息子が落語家になる想定外の出来事が起きたんで、せめて彼が(立川志の八)真打になるまで続けていければ”[リンク切れ]
- ^ 竹書房 落語note (2023年12月26日). “落語見聞録 さようなら! 神奈川県民ホール寄席!”. note. 2023年12月28日閲覧。
- ^ “立川 志の八さん | 10月27日(火)に戸塚区総合庁舎で行われる「落語から知る戸塚よもやま話」の講師を務める落語家の | 戸塚区”. タウンニュース. 2019年6月17日閲覧。
- ^ “立川志の八 真打昇進披露落語会(公式ホームページ)”. 2017年12月27日閲覧。
- ^ a b 塚田史香 (2022年6月8日). “古典落語をちょんまげで。立川志の八が町人髷か坊主になる落語会『しのはちの覚悟2022〜宮戸川 (全)』への覚悟”. SPICE. eplus. 2022年11月16日閲覧。
- ^ “「丁髷道 其の三 最終決戦」立川志の八 ROUTE8”. シノハチドットライブ. youtube (2022年7月6日). 2022年11月16日閲覧。
- ^ “notall『 6U 』 | WALLOP” (2017年10月20日). 2021年11月26日閲覧。
関連項目
編集- 柳家さん助(2代目)- 昭和50年代(1975年(昭和50年) - 1984年(昭和59年))、丁髷を結って高座に上がっていた。
外部リンク
編集- 落語家 立川志の八 公式サイト
- 立川 志の八 (@T_Shino8) - X(旧Twitter)
- 立川 志の八 (shino8info) - Facebook
- シノハチ ドットライブ - YouTubeチャンネル