ザフライングダッチマン

ザフライングダッチマン (The Flying Dutchman) はイギリス競走馬である。19世紀中ごろの強豪で16戦15勝、エプソムダービーセントレジャー、大ロシア皇帝陛下プレート(現在のアスコットゴールドカップ)勝ちなどの成績を残した。セントサイモンの父ガロピンブルードメアサイアーでもある。

ザフライングダッチマン
1851年5月13日、ヨーク競馬場
ヴォルティジュールとのグレートマッチ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1846年2月27日
死没 1870年
ベイミドルトン
バーベル
生国 イギリス
生産者 ヘンリー・ヴァンシタート
馬主 第13代エグリントン伯爵英語版
調教師 ジョン・フォバート
競走成績
生涯成績 16戦15勝
獲得賞金 -
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2歳時はシャンペンステークスなど5戦5勝、3歳になっても勢いは止まらず8か月ぶりに出走したエプソムダービーでもホットスパーを下し勝利、さらにセントレジャーも勝利しイギリスクラシック二冠を達成した。4歳になっても大ロシア皇帝陛下プレートを8馬身で圧勝するなどしたが、ドンカスターカップで生涯唯一の敗戦を喫している。相手は無敗の二冠馬ヴォルティジュール(セントサイモンの父方祖先)で、ザフライングダッチマンの騎手チャールズ・マーロウ英語版泥酔しての出走だった。このため馬主のエグリントン伯爵英語版アーチボルド・モントゴメリーはすぐに再戦を申し込み、翌年2頭のマッチレースが実現した。

マッチレースはヨーク競馬場の2マイルで行われ、掛け率は互角。ザフライングダッチマンには名誉回復のためにマーロウが跨っていた。レースは当初ヴォルティジュールが先行し、その3馬身後をザフライングダッチマンが追った。そして直線入り口からゴールまでは2頭ならんでの激闘が展開され、競馬史に残るマッチレースとして現代に語り継がれている。結果は徐々に差を詰めたザフライングダッチマンが先にゴールに達し、1馬身差でヴォルティジュールに雪辱した。ザフライングダッチマンはこのレースを最後に現役を退いている。なおマーロウは名誉回復を果たしたものの、泥酔の件が大きく響いて信用を失い、次第に競馬界から追い出される形となり、最期は貧乏窟で亡くなった。

引退後は種牡馬となったがほどなくフランスに輸出された。現役時代からの期待に比べれば成功したとはいえないが、フランスでの産駒ドラールがアンドロクレスを出し直系を繋いでいる。子孫はトウルビヨンや日本ではシンボリルドルフメジロマックイーントウカイテイオーなどが代表格である。

年度別競走成績

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おもな産駒

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血統表

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The Flying Dutchman血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘロド系
[§ 2]

Bay Middleton
1833 鹿毛
父の父
Sultan
1816 鹿毛
Selim英語版 Buzzard
Alexander Mare
Bacchante Williamson's Ditto英語版
Mercury Mare
父の母
Cobweb英語版
1821 鹿毛
Phantom英語版 Walton
Julia
Filagree Soothsayer英語版
Webwikidata

Barbelle
1836 鹿毛
Sandbeckwikidata
1818 鹿毛
Cattonwikidata Golumpus
Lucy Gray
Orvillina Beningbrough
Evelina
母の母
Darioletta
1822 黒鹿毛
Amadiswikidata Don Quixote
Fanny
Selima Selim
Pot8o's Mare
母系(F-No.) 3号族(FN:3-i) [§ 3]
5代内の近親交配 Selim: S3×M4, Sir Peter: S5×S5×M5, Arethusa: S5×S5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[1]
  2. ^ netkeiba.com[2]
  3. ^ JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[2]
  4. ^ JBISサーチ[1]
  • おもな兄弟 Van Tromp(セントレジャー、アスコットゴールドカップ、グッドウッドカップ)

出典

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  1. ^ a b c 5代血統表|血統情報|The Flying Dutchman(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2024年10月26日閲覧。
  2. ^ a b The Flying Dutchmanの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2024年10月26日閲覧。

外部リンク

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