アブドゥッラー・アン=ヌスール

アブドゥッラー・アン=ヌスール[1]アラビア語: عبد الله النسور‎、英語: Abdullah Ensour1939年1月20日 -)は、ヨルダン政治家2012年10月11日から2016年6月1日までヨルダン・ハシミテ王国首相を務めた。

アブドゥッラー・アン=ヌスール
عبد الله النسور
生年月日 (1939-01-20) 1939年1月20日(85歳)
出生地 ヨルダンの旗 ヨルダン サルト
出身校 ベイルート・アメリカン大学
ミシガン大学
パリ第1大学
所属政党 無所属
サイン

在任期間 2012年10月11日 - 2016年6月1日
国王 アブドゥッラー2世
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氏名 編集

アブドゥッラーアブドッラーアブドラとも書かれる。ヌスールはナスール[2][3]、もしくは英語名の「Abdullah Ensour」(または「Abdalla Ensour」[4])に基づいてエンスール[5]とも書かれる。日本の外務省首相官邸などではアブドッラー・アル=ヌスール[6][7]とされているが、ヌスール(نسور)の頭文字は太陽文字ن (ヌーン)であるため「アル=ヌスール」ではなく「アン=ヌスール」となる。「ヌスール」とはアラビア語でハゲワシを意味する語であり、定冠詞の部分を略してアブドッラー・ヌスール[8]などとも呼ばれる。

経歴 編集

サルト出身。レバノンベイルート・アメリカン大学で数学学士、米国ミシガン大学で経営学修士、フランスパリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ大学)で人材計画学博士の学位を得た。

1984年より、計画相・教育相・外相・産業貿易相・高等教育相・副首相・行政改革相・情報相などを歴任した。

2012年10月に国王のアブドゥッラー2世によりファーイズ・タラーウネ (Fayez Tarawneh首相に代わる新首相に指名され、ヌスール内閣 (Abdullah Ensour's cabinetを発足させた。2013年1月に実施されたヨルダン総選挙 (Jordanian general election, 2013の後、アブドゥッラー国王より再び首相に指名され、同年3月に第二次ヌスール内閣 (Second cabinet of Abdullah Ensourを発足させた。

脚注 編集

  1. ^ “(技術的理由により非公開)ヨルダン:アン=ヌスール氏の首相任命で政府幹部・野党幹部に驚き”. アル=ハヤート. (2012年10月11日). http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/src/read.php?ID=27848 2015年6月27日閲覧。 
  2. ^ ヨルダン: 政策評議会はナスール首相を支持”. アル=ハヤート (2013年12月2日). 2015年6月27日閲覧。
  3. ^ ヨルダン:アン=ナスール首相、ヨルダンのシリア避難民が100万人になると予測”. アル=ハヤート (2013年3月14日). 2015年6月27日閲覧。
  4. ^ Dr Abdalla Ensour CV”. Prime Ministry, The Hashimite Kingdom of Jordan. 2015年6月27日閲覧。
  5. ^ ヨルダン新内閣が発足 改革派首相、閣僚数を削減”. 日本経済新聞 (2013年3月31日). 2015年6月27日閲覧。
  6. ^ アブドッラー・アル=ヌスール首相(Dr. Abdullah Ensour)”. 外務省 (2012年(平成24年)11月). 2015年6月27日閲覧。このウェブページは検索エンジンでは「アブドッラー・アル=ヌスール首相(Dr. Abdullah Ensour)」として表示されるが、開いたときのタブでは「外務省: ファーイズ・タラーウネ首相兼国防大臣略歴」、ページ本文の題名は「アブドッラー・アル=ヌスール首相兼国防大臣略歴」と表記されている。
  7. ^ ヨルダン訪問”. 首相官邸 (2015年(平成27年)1月17日). 2015年6月27日閲覧。
  8. ^ ヨルダン:内閣改造”. 中東調査会 (2015年3月3日). 2015年6月27日閲覧。

外部リンク 編集

公職
先代
ファーイズ・タラーウネ英語版
  ヨルダン・ハシミテ王国首相
2012年 - 2016年
次代
ハーニー・アル=ムルキー英語版