エペイ・ウドゥ

ナイジェリア系アメリカ人のバスケットボール選手 (1987 - )

エペデム・フライデー・ウドゥEkpedeme Friday "Ekpe" Udoh[ɛˈp ˈjuːd]1987年5月21日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州エドモンド出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード/センター。現在はNBAアトランタ・ホークスのアシスタントコーチを務めている。

エペイ・ウドゥ
Ekpe Udoh
ミルウォーキー・バックスでのウドー (2012年)
アトランタ・ホークス AC
ポジション PF/C
役職 アシスタントコーチ
基本情報
愛称 "Ekpe"
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1987-05-20) 1987年5月20日(36歳)
出身地 オクラホマ州の旗 オクラホマ州エドモンド
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
ウィングスパン(現役時) 220cm  (7 ft 3 in)
キャリア情報
高校 エドモンド・サンタフェ高校
大学 ベイラー大学
NBAドラフト 2010年 / 1巡目 / 全体6位[1]
経歴
選手時代:
2010-2012ゴールデンステート・ウォリアーズ
2012-2014ミルウォーキー・バックス
2014-2015ロサンゼルス・クリッパーズ
2015-2017トルコの旗 フェネルバフチェ
2017-2019ユタ・ジャズ
2019-2020中華人民共和国の旗 北京首鋼籃球倶楽部
2020-2021中華人民共和国の旗 北京控股翺龍籃球倶楽部
2021-2022イタリアの旗 ヴィルトゥス・ボローニャ
2022-2023島根スサノオマジック
2023京都ハンナリーズ
コーチ時代:
2023-アトランタ・ホークス (AC)
受賞歴
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

来歴 編集

オクラホマ州の高校卒業後、2006年にミシガン大学に進学したウドーだったが、2008年にベイラー大学に転校。NCAAの規定により2009-2010シーズンから出場が認められ、BIG-12のルーキーチームやオールディフェンスチームなどに選出されるなど飛躍のシーズンをおくったウドーは、2010年のNBAドラフトへのエントリーを表明[1]。全体6位という高評価を受けゴールデンステート・ウォリアーズから指名されたが、その後右手首を負傷していたことが判明[2]。結局手術を余儀無くされ、NBAデビューは2010年12月10日のマイアミ・ヒート戦までずれ込んだ。

その後も攻撃力の乏しさが仇となり、伸び悩んだウドーは、2012年3月13日に、アンドリュー・ボーガットらとのトレードで、モンタ・エリスクワミ・ブラウンと共にミルウォーキー・バックスに放出された[3]。因みにボーガットはその後2015年にウォリアーズでNBAチャンピオンを経験。一方バックスが獲得したエリスは2013年で退団。ブラウンは負傷の影響で不出場に終わり、ウドーもさしたる活躍が出来なかったこともあり、ミルウォーキーのメディアやファンから「バックス史上最悪のトレード」と酷評されてしまった[要出典]。結局ウドーは2013-2014シーズン終了後にクオリファイング・オファーの提示を受けることも出来ず、完全FAになった。

2014年9月4日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約[4]。クリッパーズでは33試合の出場にとどまり、平均出場時間も約4分に終わった。

2015年7月28日、NBAのチームと契約することが出来なかったウドーは、TBLフェネルバフチェ・ユルケルと契約[5]。リーグカップ優勝を経験し、ユーロリーグでも活躍した。更に2016-17シーズンはユーロリーグで優勝に導き、MVPも受賞した。

2017年7月12日、ユタ・ジャズと2年650万ドルの契約を結び、念願のNBA復帰を果たした[6]

2022年12月24日、Bリーグ島根スサノオマジックと契約した[7]

2023年2月28日、Bリーグの京都ハンナリーズと契約し[8]、このシーズンをもって現役を引退することを同年6月15日に発表した[9][10]。また、同日にNBAアトランタ・ホークスのアシスタントコーチに就任したことが発表された[11]

その他 編集

脚注 編集

外部リンク 編集