ジャン=ピエール・ランパル
ジャン=ピエール・ランパル(Jean-Pierre Rampal、1922年1月7日 - 2000年5月20日)は、フランスのフルート奏者。
ジャン=ピエール・ランパル Jean-Pierre Rampal | |
---|---|
アムステルダムにて (1969年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1922年1月7日 |
出身地 | フランス マルセイユ |
死没 | 2000年5月20日(78歳没) |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | フルート奏者 |
担当楽器 | フルート |
公式サイト |
www |
経歴
編集マルセイユに生まれ、音楽院教授であった父ジョセフにフルートの手ほどきを受ける。はじめは医学の道を志し18歳で医科大学に進んだが、第二次世界大戦の影響で1943年にパリ音楽院に入学し、わずか5ヶ月でプルミエ・プリを得て卒業した。パリ音楽院ではガストン・クリュネル[1][2]に師事した。 1946年からはヴィシー歌劇場管弦楽団のメンバーとなり、1947年にジュネーブ国際コンクールで優勝しソロで活動を始める。1956年からパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者となる、1962年に退団後はフランス最高のフルート奏者として世界各地に演奏旅行の傍ら、フランス管楽五重奏団とパリ・バロック合奏団を組織した。パリの自宅にて心臓発作により78歳で逝去した。
ヴィルトゥオーゾ・ランパル
編集この節は言葉を濁した曖昧な記述になっています。 |
20世紀の最も偉大なフルート奏者とみなされている。フルートという楽器を、ピアノや弦楽器と同じように大聴衆の鑑賞に堪えうる楽器として、世界的に認識させた最初の演奏家である。世界の最も有名なオーケストラや室内合奏団と共演したほか、アイザック・スターンやムスティスラフ・ロストロポーヴィチと室内楽の演奏を行なった。プーランクなどの作曲家から作品を献呈されている。数多くの忘れられたバロック音楽を発掘し、編曲し、上演してきたことでも著名、1992年には70歳で世界初録音となるヴィヴァルディの『四季』のフルート協奏曲への編曲版を録音している。
多才な活動
編集ジャズ・ピアニストのクロード・ボリングや、シタール奏者のラヴィ・シャンカル[3]とも共演して、クラシック音楽以外のアルバムも制作している。日本民謡や文部省唱歌を演奏・録音したことでも知られる。
音楽活動や録音によって、国内外から数々の栄誉を受けた。1989年に自叙伝『音楽・わが愛』を出版(日本語訳はシンフォニア社より)。現在はモンパルナス墓地に眠っている。
例年パリ・ラ=ヴィル国際コンクールの一部として、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクールが隔年で開催されている。開催日初日の30年前の日以降に生まれたフルート奏者に、国籍を問わず参加資格がある[4]。第1回の優勝者は日本のフルート奏者工藤重典。
脚注
編集- ^ REPÈRES BIOGRAPHIQUES
- ^ モイーズのパリ音楽院時代の教え子
- ^ “Discogs”. 2024年3月25日閲覧。
- ^ 2008年度コンクール募集要項・規則 - 公式ページ