戸沢 正己(とざわ まさおと、1888年明治21年)9月21日[1] - 1960年昭和35年)4月17日[2])は、明治後期から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員新庄市

戸沢正己
とざわ まさおと
生年月日 1888年9月21日
出生地 日本の旗 東京府(現東京都)
没年月日 (1960-04-17) 1960年4月17日(71歳没)
出身校 学習院
称号 正三位

在任期間 1919年6月21日 - 1947年5月2日

当選回数 1回
在任期間 1950年3月21日 - 1954年1月8日
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経歴

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東京府出身[2]。旧新庄藩戸沢家に生まれる。最後の新庄藩主・戸沢正実の長男・正定の子[3]。妻は酒井忠彰の娘・錦子[3]

祖父・戸沢正実の死去に伴い、1896年(明治29年)9月8日、子爵を襲爵[4][5][6]学習院に学び[2]1919年(大正8年)6月21日、補欠選挙で当選し貴族院議員に就任する[1][2][7]研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで議員を務めた[1][2]

その後は新庄商工会議所会頭となり[1]1950年(昭和25年)新庄市長に就任した[1]。市長在任中は市報の発行[1]、市内にデンマーク式農場の開設[1]、県立病院の誘致[1]、「最上特定地域総合開発」の策定[1]などを行った。市長は1954年まで務めた[1]。1960年死去。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本の歴代市長 第1巻』402頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』48頁。
  3. ^ a b 『現代華族譜要』433頁。
  4. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 下巻』178-179頁。
  5. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』ト3頁。
  6. ^ 『官報』第3961号、明治29年9月9日。
  7. ^ 『官報』第2065号、大正8年6月23日。
  8. ^ 『官報』第5245号「叙任及辞令」1944年7月10日。

参考文献

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  • 『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
戸沢正実
子爵
新庄戸沢家第2代
1896年 - 1947年
次代
華族制度廃止