森山汀川
日本の歌人
森山 汀川(もりやま ていせん、1880年9月30日[1] - 1946年9月17日[1])は、日本の歌人。本名:森山 藤一。
森山 汀川 (もりやま ていせん) | |
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誕生 |
1880年9月30日[1] 日本 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)[1] |
死没 | 1946年9月17日(65歳没)[1] |
職業 | 歌人 |
言語 | 日本語 |
ウィキポータル 文学 |
略歴
編集長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)生まれ[1]。諏訪郡立実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)在学中に俳句を始める。正岡子規に師事。旧制中学校卒業後、1901年から小学校の教師を務める[1]。
1900年、同じく長野県で教師をしていた歌人・島木赤彦を知り、短歌に専念[1]。1903年、島木赤彦、太田水穂らとともに歌誌「比牟呂」(ひむろ)を創刊した[2]。「比牟呂」は1909年、「アララギ」(1908年創刊)に合流[3]。汀川は師の島木赤彦らとともに「比牟呂」、「アララギ」の編集に携わった。1929年より「アララギ」選者[1]。ほかに、「信毎歌壇」(信濃毎日新聞)の選者も務めた。
戦後は1946年、土屋文明の提案により、甲信越版「アララギ」として第二次「ヒムロ」を発刊したが、同年に死去した。汀川の死去後、第二次「ヒムロ」の編集・発行人は北澤敏郎らが務め、月刊の歌誌として刊行が続いている。[2]
孫に歌人・文筆家の宮坂丹保(みやさか にほ)がいる。
歌集
編集校歌の作詞
編集脚注
編集参考文献
編集- 北澤敏郎『評伝 歌人森山汀川(ヒムロ叢書(第25編))』ユースビジコム出版、1999年
- 宮坂丹保『森山汀川あて書簡にみるアララギ巨匠たちの素顔』銀河書房、1996年
- 宮坂丹保『汀川と「アララギ」その周辺』信濃毎日新聞社、2015年
外部リンク
編集- 斎藤茂吉「島木赤彦臨終記」(青空文庫) - 斎藤茂吉の1926年の随筆。森山汀川が登場する。