小高 熹郎(小髙熹郎[1]、おだか としろう、1902年2月11日[2] - 1997年12月6日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

小高熹郎
おだか としろう
生年月日 1902年2月11日
出生地 日本の旗 日本 千葉県
没年月日 (1997-12-06) 1997年12月6日(95歳没)
死没地 日本の旗 日本 千葉県鴨川市
所属政党日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
分党派自由党→)
日本民主党
称号 正五位
勲三等瑞宝章

選挙区 旧千葉3区
当選回数 2回
在任期間 1949年 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1955年1月24日

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経歴

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千葉県出身[3]。千葉県会議員、家事審判参与員、家事調停委員、千葉県飼料商業協同組合理事長、千葉県飼料協会長、館山漁業会長、日本旋網漁業協会長となる[3]。ほか昭和食糧工業、館山水産、千葉製油各(株)社長を務める[3]

1947年第23回衆議院議員総選挙において千葉3区から日本自由党公認で立候補して落選[4]1949年第24回衆議院議員総選挙民主自由党から立候補し、初当選した[4]1952年第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選[4]1953年第26回衆議院議員総選挙で復帰[4]1955年第27回衆議院議員総選挙では日本民主党から立候補したが落選した[4]。この間、自由党政策審議会水産部長、日本民主党遊説局長を務めた[3]

1976年秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章[1]

1997年12月6日心不全のため千葉県鴨川市亀田総合病院で死去、95歳[5]。死没日をもって正五位に叙される[6]

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第14949号7頁 昭和51年11月5日号
  2. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』302頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』112頁。
  4. ^ a b c d e 『朝日選挙大観』476頁。
  5. ^ “訃報”. 産経新聞. (1997年12月7日). オリジナルの2000年11月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001120021000/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9712/paper/1207/dead/dead01.htm 2023年10月10日閲覧。 
  6. ^ 『官報』第2296号4-9頁 平成10年1月9日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。