土屋政重
土屋 政重(つちや まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士。土屋讃岐守家の第3代当主。
時代 | 安土桃山時代、江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長3年(1598年) |
死没 | 寛文7年1月1日(1667年1月24日) |
別名 | 長三郎(通称)、宗悟(法名) |
墓所 | 大養寺 |
幕府 | 江戸幕府 小姓組、御書院番士、御守衆組 |
主君 | 徳川家光→徳川家綱 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋政成、母:天野の局の養女 |
兄弟 | 土屋政重、土屋政久 |
妻 | 神谷正次の娘 |
子 | 土屋政一、長右衛門、土屋正克 |
生涯
編集慶長3年(1598年)に土屋政成の子として誕生。慶長16年(1611年)に14歳で3代将軍徳川家光の小姓となる。その功により下総国葛飾郡、常陸国鹿島郡両郡内において500石を賜る。鹿島郡下は幕末まで継続する武井村(200石)、葛飾郡は現松戸市内の千駄堀村と栗ヶ沢村であったと推測される。のちに御書院番士に昇進し、寛永10年(1633年)3月に相模国愛甲郡のうち200石(猿ヶ島村(現・神奈川県厚木市内))を加増され、石高700石となる。寛永20年(1643年)、徳川家綱の御守衆組となり、慶安3年(1650年)に書院番士に戻る。
寛文7年(1667年)、70歳にて没する。
知行所
編集年表
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参考文献
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