植村家隆
植村 家隆(うえむら いえたか、1920年(大正9年)6月2日 - 1981年(昭和56年)5月18日[1])は日本の実業家。日本生命保険元専務取締役[2]。ニッセイ児童文化振興財団(現:ニッセイ文化振興財団)常務理事[2]。日本インターナショナル整流器監査役[2]。旧子爵[2]・旧大和高取藩第16代当主[2]。東京都港区在籍[2]。従五位[2]。
経歴
編集東京都出身。旧大和高取藩第15代当主・植村家治の次男として生まれる[2]。1944年(昭和19年)神戸商業大学(現:神戸大学)卒業後、1946年(昭和21)10月日本生命保険に入社[2]。1968年(昭和43年)東京総務部長、1971年(昭和46年)取締役、1974年(昭和49年)常務、1979年(昭和54年)専務に就任[2]。
1981年(昭和56年)5月18日、急性心不全のため聖路加国際病院で死去[1][3]。葬儀は社葬(葬儀委員長は弘世現社長)により青山葬儀所(青山斎場)で、同年6月2日に執り行われた[3]。
人物
編集日本人離れした端正なマスク、ソフトな物腰から、日本生命保険時代は女性社員のファンが多かったという[4]。
家族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第31版 上』人事興信所、1981年。