鍋島宗茂

日本の江戸時代の大名、肥前国佐賀藩の第5代藩主

鍋島 宗茂(なべしま むねしげ)は、肥前国佐賀藩5代藩主。第2代藩主・鍋島光茂の十五男。

 
鍋島宗茂
鍋島宗茂(高伝寺蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 貞享3年12月21日1687年2月3日
死没 宝暦4年11月25日1755年1月7日
改名 鍋島直董(初名)、神代直堅、鍋島宗茂
別名 主膳(通称
戒名 海量院殿慈明活眼大居士
墓所 佐賀県佐賀市本庄町本庄の高伝寺
官位 従四位下信濃守飛騨守侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
肥前佐賀藩
氏族 鍋島氏神代氏、鍋島氏
父母 父:鍋島光茂、母:振
養父:鍋島吉茂
兄弟 綱茂吉茂多久茂文宗茂、千、伊東祐実側室、水野忠直正室、鍋島茂正室、鍋島直恒正室ら41人
貞姫、(久世通夏の娘)雪(小代氏)
宗教直隣重茂治茂、護姫、岡部長住正室ら
神代直方
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生涯

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貞享3年(1687年)、鍋島光茂の子として生まれる。初名は直董(なおただ)。宝永2年(1705年)、異母兄神代直利(後の鍋島吉茂)が子のなかった異母兄綱茂の養嗣子となったのに伴い、直利の養子となり神代家を相続、直堅(なおかた)に改名する。しかし、綱茂の跡を継いで藩主となった吉茂にも子ができず、享保3年(1718年)、実家に戻ってその嗣子となった(神代家は弟の直方(なおかた)が継承した)。享保15年(1730年)、吉茂の死去に伴い家督を相続する。将軍徳川吉宗偏諱と鍋島家の通字により、宗茂と改名した。その前の享保11年(1726年)に焼失した佐賀城再建のための倹約と財政改革のため、広く人材を登用する。享保の大飢饉に見舞われ、借銀返済のため藩札を発行する。従四位下・侍従・信濃守に叙せられた。元文3年(1738年)に隠居し、家督を長男の教茂(宗教)に譲った。宝暦4年(1754年)に69歳で死去した。

系譜

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