アンジェロ・テイラーAngelo Taylor, 1978年12月29日 - )は、アメリカ合衆国陸上競技選手(短距離・障害)。400メートルハードルにおいて、2000年シドニーオリンピック北京オリンピックの2大会で金メダルを獲得した。現在のコーチはロサンゼルスオリンピック(1984年)、銅メダリストのイノセント・エグブニケ

アンジェロ・テイラー Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム アンジェロ・F・テイラー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
種目 短距離走400m障害走
大学 ジョージア工科大学
生年月日 (1978-12-29) 1978年12月29日(45歳)
生誕地 ジョージア州アルバニー
身長 188cm
体重 84kg
自己ベスト
100m 10秒58(2008年)
200m 20秒23(2010年)
400m 44秒05(2007年)
400mハードル 47秒25(2008年)
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
陸上競技
オリンピック
2000 シドニー 400mH
2008 北京 400mH
2008 北京 4x400mR
2012 ロンドン 4x400mR
世界陸上選手権
剥奪 1999 セビリア 4x400mR
剥奪 2001 エドモントン 4x400mR
2007 大阪 4x400mR
2009 ベルリン 4x400mR
2011 大邱 4x400mR
2007 大阪 400m
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経歴 編集

1978年、ジョージア州アルバニー生まれ。ジョージア工科大学を卒業。

両親がアスリートだった影響もあり、陸上は高校に進学してから本格的に始める。高校2年の時にはジョージア州大会の300mハードル、三段跳4×400mリレーで優勝を果たす。高校時代に全種目を経験し、最終的に選んだのが400mハードルだった。

1996年、全米ジュニア選手権の400mハードルを制して世界ジュニア選手権米国代表に選出されると、本番では50秒18の自己ベストで銅メダルを獲得した。

1998年6月、19歳で出場した全米選手権の400mハードルで47秒90をマークして2位に入る。もしも誕生が3日遅ければジュニア選手初の47秒台となるジュニア世界記録だった。

1999年、400mハードルで、弱冠20歳ながら世界陸上米国代表に選出されるが、本番の予選で3着まで予選通過という勘違いのため落選(実際は2着まで)。4×400mリレーでは3走を務め金メダル獲得に貢献。

2000年、400mハードルで全米選手権で優勝し、2000年シドニーオリンピックでも1レーンという不利な条件の中、47秒50の好タイムで優勝を果たす。

2001年、エドモントンで開催された世界陸上選手権にも400mハードルに出場するが、準決勝4着で敗退。リレーでは優勝する。 ただし、4×400mリレーに関してはメンバーのアントニオ・ペティグルーにドーピング使用が判明したため2008年8月に失格となり、1999年世界陸上と2001年世界陸上の金メダルが剥奪されている。[1]

2002年、400mハードルが不調ということもあり400mに切り替え、全米選手権400mで2位に入る(後にアルビン・ハリソンのドーピング違反で1位に繰り上がった)。

2004年アテネオリンピックでは五輪2連覇を狙い400mハードルに出場するが前年の世界選手権に続き準決勝で敗退する。

高校時代からハードルや跳躍種目をやっていた影響もあり、レントゲン検査の結果両脚に多数の疲労骨折が見つかる。医者からはボルトを入れる手術を勧められるが、出術せずに直すことを選択した。しかし、小さい頃からの夢だったオリンピックの金メダル獲得を初出場で叶え、次の目標を探している時に怪我をして走れなくなってしまった精神的ダメージは大きかった。

2005年1月、未成年と性交渉をしたことで逮捕される。保釈金を支払って釈放されるが、3年間の保護観察処分を受けることになった。この事件の影響で大会への出場も禁止され、同年の全米選手権には出場できず、スポンサーだったスポーツメーカーからも契約を打ち切られた。

2006年、前年に誕生した双子の養育費などを稼ぐため、親戚のつてで電気工事作業員の職に就いた。朝4時起床で5時から午後3時くらいまで仕事をし、その後は練習場のジョージア工科大学に向かい、練習時間が来るまで車の中で仮眠するという生活を送った。この生活は2007年6月の全米選手権400mで優勝してスポンサーと再契約するまで続いた。なお、電気工事作業員時代には同僚に正体がばれて、色々なことを根掘り葉掘り聞かれて嫌な気分になることもあったという。

2007年、大阪で開催された世界陸上選手権では従来の繊細なイメージを覆す短髪、サングラスで登場し、フラットの400mに出場。 大会前に44秒05の好タイムをマークしていたため、優勝候補筆頭のジェレミー・ウォリナーとの一騎討ちが期待されたが、決勝では44秒32の3位に終わった。

2008年6月、全米選手権には400mと400mハードルの2種目にエントリーした。報道陣からは「400mハードルで代表を逃した時の保険」という声もあったが、本人は本気で両種目でのオリンピック代表入りを目指し、400mハードルで3位に入り代表を決めたにもかかわらず、その7分後に行われた400mにも出場した。しかし、さすがに疲れもあって250m付近で突然うずくまって棄権し、係員に抱きかかえられて400mハードルの表彰式に連れて行かれた。

2008年8月、北京オリンピックでは、400mハードルで8年振りに自己記録を更新する47秒25の好タイムで優勝。4×400mリレーも制し、この大会2冠に輝いた。

2009年の世界陸上選手権では400mハードルで予選敗退したが、4×400mリレーで金メダルを獲得した。

2011年の世界陸上選手権では400mハードルで7位、4×400mリレーで金メダルを獲得した。

2012年のオリンピックでは400mハードルで5位、4×400mリレーで銀メダルを獲得した。

自己ベスト 編集

種目 記録 年月日 場所 備考
屋外
100m 10秒58 (+0.5 m/s) 2008年4月19日   アセンズ
200m 20秒23 (+0.6 m/s) 2010年8月29日   リエーティ
300m 32秒67 2002年8月27日   リエージュ
400m 44秒05 2007年6月23日   インディアナポリス
400mハードル 47秒25 2008年8月18日   北京
室内
400m 45秒50 1999年2月27日   アトランタ

主な実績 編集

大会 場所 種目 結果 記録 備考
1996 世界ジュニア陸上選手権 シドニーオーストラリア 400mハードル 3位 50秒18 自己ベスト
1999 世界陸上選手権 セビリアスペイン 400mハードル 予選 49秒58 7組3着
4x400mリレー 1位
失格
2分56秒45
DQ
3走
リレーメンバーのドーピング
2000 オリンピック シドニーオーストラリア 400mハードル 1位 47秒50 自己ベスト
4x400mリレー 準決勝 2分58秒78 2走、1組1着(決勝進出)[2]
2000 IAAFグランプリファイナル ドーハカタール 400mハードル 1位 48秒14
2001 世界陸上選手権 エドモントンカナダ 400mハードル 準決勝 49秒23 1組4着
4x400mリレー 1位
失格
2分57秒54
DQ
4走
リレーメンバーのドーピング
2004 オリンピック アテネギリシャ 400mハードル 準決勝 48秒72 1組4着
2007 世界陸上選手権 大阪日本 400m 3位 44秒32
4x400mリレー 1位 2分55秒56 2走
2007 IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 3位 44秒92
400mハードル 5位 49秒27
2008 オリンピック 北京中国 400mハードル 1位 47秒25 自己ベスト
4x400mリレー 1位 2分55秒39 2走、大会記録
2008 IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 4位 45秒37
2009 世界陸上選手権 ベルリンドイツ 400mハードル 予選 49秒64 4組4着
4x400mリレー 1位 2分57秒86 1走
2009 IAAFワールドアスレチックファイナル テッサロニキギリシャ 400m 7位 46秒20
2011 世界陸上選手権 大邱韓国 400mハードル 7位 49秒31
4x400mリレー 1位 2分59秒31 3走
2012 オリンピック ロンドンイギリス 400mハードル 5位 48秒25
4x400mリレー 2位 2分57秒05 4走

参考 編集

  • スポットライト 男子400mH アンジェロ・テイラー、『月刊陸上競技』第43巻第7号、講談社、2009年6月号、46-49頁。

脚注 編集

  1. ^ 五輪=IOC、米リレーチームのシドニー五輪金をはく奪、ロイター、2008年8月3日。
  2. ^ 決勝は未出場。決勝のアメリカは2分56秒35で金メダルを獲得するが、後にアントニオ・ペティグルーのドーピングにより失格

外部リンク 編集

記録
先代
  ロイ・コクラン
(29歳207日)
オリンピック男子400mハードル
最年長金メダリスト記録保持者
(29歳233日)

2008年8月18日 - 2012年8月6日
次代
  フェリックス・サンチェス
(34歳342日)