ウーマンリブ運動
ウーマンリブ運動 (-うんどう; Women's liberation movement)とは、1960年代後半から1970年代前半にかけて、主として欧米や日本などの先進国において起こった女性解放運動である[1]。
目次
歴史編集
フェミニズムの歴史: History of feminism (Wikipedia英語版)
第一次世界大戦・第二次世界大戦の最中、若者の男性は戦場に駆り出され、主に女性が国内の生産現場を担っていた。第二次世界大戦が終了した1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために現場で働いている女性たちが職を手放さなければならなかったが、多くの女性はその後も工場・農場・伝統的な女性職の領域で働き続けた。
戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促し、「女性も男性と同じ仕事ができる」という、仕事における自信をもたらした。この女性の社会的自立が、のちのウーマンリブ運動の気運を高めたといえる。そしてベトナム戦争の反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた女性たちによるウーマンリブ運動がアメリカ中を圧巻した。
伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまで殆ど男子校同様だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。ウーマンリブは反キリスト教運動も兼ねており、それまで禁止されていた女性の堕胎を認める法律ができた。
日本でのウーマンリブ運動編集
最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、街頭デモに繰り出すのは男子学生、女子学生はキャンパスの中でおにぎり作りに従事させられたことから、「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれた。
また学園祭の定番であるミス・コンテストを、男の視点による美醜で女性を評価するのは女性差別に当たるとして、これを中止に追い込んだ。
脚注編集
- ^ 井上輝子, 江原由美子, 加納実紀代, 上野千鶴子, 大沢真理, ed (2002). 『岩波 女性学事典』. 岩波書店.