エディット・クレッソン

エディット・クレッソンÉdith Cresson1934年1月27日から)はフランスの女性政治家。フランソワ・ミッテラン大統領の時代に12代目フランス首相などを歴任した。姓(Cresson)の読み方はフランス語ではクレソンが近いが(野菜のクレソンと同じ)、日本語メディアでは「クレッソン」と紹介されている。日本では後述の対日批判発言で知られる。

フランスの旗 フランスの政治家
エディット・クレッソン
Édith Cresson
Edith Cresson2.png
生年月日 (1934-01-27) 1934年1月27日(86歳)
出生地 Flag of France (1794–1815, 1830–1958).svg フランス オー=ド=セーヌ県ブローニュ=ビヤンクール
所属政党 フランス社会党(PS)
子女 娘2人

フランスの旗 フランス共和国
12代目首相
在任期間 1991年5月15日 - 1992年4月2日
大統領 フランソワ・ミッテラン
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略歴・人物編集

  • 1934年1月27日
    フランスのパリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに誕生する。高等商業研究所(HEC)を修了しており、人口学博士である。
  • 1975年
    フランス社会党に入党する。
  • 1981年
    ヴィエンヌ県議員となる。
  • 1983年
    シャテルロー市長を務める。国政ではフランソワ・ミッテラン政権で1981年に農相として入閣し、1983年に通商観光相、1984年に産業開発・通商相、1988年から1990年まで欧州問題相と閣僚を歴任した(フランスでは地方と国政の役職を兼務できる)。
  • 1991年5月
    ミシェル・ロカール首相の後任としてフランス首相に就任(フランス史上初の女性首相)した。フランス首相在任中に内政では農産物問題で農民デモが頻発し、外交では「日本人は黄色いアリ」「世界を征服しようとしている」と発言して日本政府からの公式抗議を受けた(後述)。
  • 1992年4月
    地方選挙でフランス社会党が敗北した責任を取って辞任した。
  • 1994年
    EU欧州委員会で科学・研究開発担当委員に就任したが、かつて市長を務めたシャテルローの住民である歯科医の便宜を図って架空の書類を偽造した不正を糾弾され、1999年に辞任した。2004年7月19日に欧州委員会はこの事件でクレッソンを欧州司法裁判所に提訴した。

外国への嫌悪発言編集

プラザ合意後の1980年代後半に日本企業は円高を利用し欧米の有名企業や土地を次々と買収しており、世界的にジャパン・バッシングの風潮があった。その中で元々白人エリート色の強いフランス社会党からの首相であったクレッソンは、「ヨーロッパとアメリカが提携して日本人を潰すべし」といった日本を嫌悪する発言を繰り返し、日本のマスコミでも報道された。

日本においてクレッソンに対する批判的な風潮が派生したのは、1990年1月10日付けの『ラ・トリビューン』(La Tribune de l’expansion、経済紙)によるインタビューを1月13日付けの『朝日新聞』が報じた「日本は敵――規則まもらず世界征服たくらむ。;仏の対日タカ派クレッソン欧州問題担当相が発言」からである(原文では「敵」では無く「競争相手」と書かれている)。その後も各全国紙・週刊誌などはクレッソンの日本や日本人についての発言を大きく取り上げて批判報道を繰り返したことにより問題が拡大し、アメリカなど他の国々のメディアにも取り上げられた。

外国への嫌悪発言(日本人)編集

特に人種差別的であると非難されたクレッソンの発言として、首相在任中に「日本人は兎小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐える蟻のような生活をしている」「日本人は黄色い蟻(fourmis jaunes)」などと公式な場で発言し、こうした発言に対して日本政府から正式な抗議を受けるという異例の事態に至った。だがクレッソンは「市場問題で我々に教訓を与えない国からの抗議は受けられない」と反駁し、抗議には直接応えずに日本への嫌悪や非難を繰り返しただけで、一連の嫌悪発言の撤回や謝罪を拒否した。また実際には日本人の住環境とフランスのそれに大差がある訳では無く、国際統計には日本の一戸当たりの平均の床面積はフランスより広いとするものもある[1]。また過去には『ニューズウィーク』誌のスコット・サリバン欧州総局長に、日本人を「黄色いチビども」と表現した。一方の日本の世論はクレッソンに対して硬化し、右翼団体街宣車が駐日フランス大使館に押し寄せる事態となった。『週刊文春』は「クレッソンよ、もういい加減にせんかい― 「日本が敵」とは失礼千万」と題した記事を掲載し批判し、在日フランス大使館は「日本人は蟻とは褒め言葉(働きアリからの派生)」との見解を表明した。ただし非公式な場ではあるが、日本大使の面前で「日本人は蟻。何度殺しても出てくる蟻」と発言したともされる。

外国への嫌悪発言(アングロ・サクソン)編集

アングロ・サクソンへの嫌悪でも知られ、「ほとんどのイギリス男はホモだ」とも発言、こちらはイギリスのタブロイド紙に「イギリス男に振られたのでは」と皮肉られた。

家族編集

既婚で娘が2人いる。

脚注編集

  1. ^ 『日本は世界で第何位?』新潮社(新潮新書)、2007年。

外部リンク編集

公職
先代:
ミシェル・ロカール
  フランス共和国首相
第五共和政第12代:1991年 - 1992年
次代:
ピエール・ベレゴヴォワ
先代:
ベルナール・ボソンフランス語版
  フランス共和国
欧州問題大臣

第10代:1988年 - 1990年
次代:
エリザベート・ギグー
先代:
ローラン・ファビウス
  フランス共和国
産業開発・通商大臣

1984年 - 1986年
次代:
アラン・マドラン(産業)
ミシェル・ノワールフランス語版(通商)
先代:
ミシェル・ジョベール
  フランス共和国
対外貿易大臣

第9代:1983年 - 1986年
次代:
ミシェル・クレポー英語版
先代:
オリヴィエ・ギシャール英語版
  フランス共和国
通商観光大臣

1983年 - 1984年
次代:
ミシェル・クレポー英語版
先代:
ピエール・メアニェリー英語版
  フランス共和国農務大臣
1981年 - 1983年
次代:
ミシェル・ロカール