(まんじ、: swastika スヴァスティカ、スワスティカ: g.yung drung ユンドゥン)は、幾何学的な紋章や意匠・記号・文字の一つ。世界の多くの文化や宗教でシンボルとして使用されており、ヒンドゥー教仏教などの宗教的象徴、アメリカ州の先住民族、西洋では太陽十字からの派生などの例が存在している。日本では家紋漢字としても使用されている。

「卍」は多くの文化で多様な形状や意味が見られる。
「左卍(ひだりまんじ)」はボン教大乗仏教などの伝統的なシンボルとして使用されている[1][2]
「右卍(みぎまんじ)」はヒンドゥー教ジャイナ教スリランカ仏教などの一般的なシンボルとして使用されている[1][2]

用語 編集

サンスクリット語Svastika (デーヴァナーガリー表記: स्वस्तिकスワスティカ、スヴァスティカ)と呼ばれる。英語swastikaフランス語svastika もこの語に由来する。現在の日本語では「まんじ」は漢字「卍」の訓読みとされているが、由来は漢語「卍字」または「万字」の音読みである。

」は「左まんじ」・「左向きまんじ」・「正まんじ」、「」を「右まんじ」・「右向きまんじ」・「逆まんじ」と呼ぶ場合もある。「卍」は「和の元」、「卐」は「力の元」とされている。なお漢字では卐は卍の異体字である。

「卍」の日本における訓読みは「まんじ」であり、「万字」の意である。音は「万」と同じく呉音「マン」、漢音「バン」。現代中国語では wàn と読む。康熙字典では「」部4画に属し、総画数は6画である。

」という漢字は卍あるいは卐が変化してできた字であるとする説があるが[3][4]、これは誤りである。「万」の元となった文字は仏教が漢字文化圏に伝来するはるか以前の甲骨文字に既に存在する[5]

なお「卍山」で「かずやま」「まんざん」と読む[6]

歴史 編集

最も古いと知られている卍はウクライナのメジネで発見された、旧石器時代の紀元前1万年に象牙で彫られた鳥の置物での複雑な蛇行パターンの一部である。

ブルガリアの洞窟(en:Devetashka cave)では紀元前6000年頃に儀式で使用されたと思われる、対になった左向きと右向きの卍が発見された[7]

インド亜大陸では紀元前3000年頃より考古学的証拠が見られる。

ドイツハインリヒ・シュリーマントロイ遺跡の中で卍を発見し、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと見なした[8][9]

ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回のは、力の元といわれる。メソポタミアでも先史時代から見られ、その後アッシュルの新アッシリア神殿に天然アスファルトで描かれている[10]

アジア 編集

インド 編集

インドにおいては卍は現在も吉祥の印として非常によく使われている。建物や機械の竣工式、新車の安全祈願などには、日本と同様神職(インドではバラモン祭司)が祭事を行うが、その時に吉祥の卍が水で溶いたサフラン色の顔料で描かれる(右写真参照)。祭事で卍を書く際には必ず右手の薬指が使われる。この模様は自然に消えるにまかせられ、清掃等で消さないよう配慮される。グジャラート州の結婚式では、で卍の形を描き、その上に椅子を置いて花婿が座る、という儀式が行われる。

中国 編集

中国には仏典を通して伝わり、シュリーヴァットサの音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」、「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什玄奘はこれを「徳」と訳した[要出典]が、北魏菩提流支(6世紀)は『十地経論』のなかで「萬字」と訳している。また、5世紀に翻訳された『長阿含経』「大本経」にも仏の三十二相の第十六として「胸有萬字」をあげている。武則天長寿 2 年(693年)、「卍」を「萬」と読むことが定められた。吉祥万徳の集まる所の意味である。これにより卍が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴・卍果など)は少ない。

日本 編集

日本では、奈良時代薬師寺本尊である中尊の薬師如来の掌と足の裏に描かれたものが現存最古の例とされる。卍を組み合わせた、紗綾形(さやがた)は安土桃山時代から輸入された織物に見られた文様で、染め物や陶磁器などに使用される(画像)。「卍崩し」「卍繋ぎ」「雷紋繋ぎ」ともいい、英語では key fret と呼ばれる。また、法隆寺など飛鳥時代から奈良時代の建築に見られる「卍崩しの組子」の組高欄(画像)は、を崩したものである。

家紋 編集

卍紋万字紋(まんじもん)は、仏教の吉祥を表す紋として用いられる。形状から日本のキリシタンが十字架の代わりともした。

卍紋を家紋として用いた氏族としては、平安後期から鎌倉初期武蔵七党筆頭(小野横山氏が「丸に左万字」、戦国時代から江戸時代以降では、加賀八家横山家が「丸に左万字」、大名では大給松平家、高木家は「左万字」、津軽家は「五つ割左万字」、蜂須賀家は「丸に左万字」、江戸幕府家臣では、60家ほどが『寛政重修諸家譜』に掲載されている[11]幕末に活躍した吉田松陰の家紋は「五瓜(ごか)に左万字」である。津軽家の本拠であった青森県弘前市は卍紋を市章にしている。

地図記号 編集

寺院を表す地図記号は卍の漢字を記号化したものが元になっている。日本では1880年明治13年)に決められた「佛閣」の記号として表記されたのが始まりである[12]。現在でも国土地理院が定めた地図記号として変わっていない。

文字コード 編集

日本文字コードには、最初電波産業会が定めた FM 文字放送の放送規格である ARIB STD-B3FM 多重放送の運用上の標準規格)で ARIB外字の道路交通情報用の文字として、国土地理院地形図の表示形態と同一になる文字として導入された[13]。この記号は正式にARIB STD-B24(デジタル放送におけるデータ放送符号化方式と伝送方式)で定められた文字と対応している[14]。データ放送で使用されている文字を国際標準とするため Unicode に提案され、2010 年にUnicode 5.2 に ARIB 外字が対応するように定められ、U+0FD6 の「」(LEFT-FACING SVASTI SIGN) がこの文字に対応するとされた[15]。したがって、 U+0FD6 の文字は国土地理院の地図記号の形状にすることがよいとされる。

その他 編集

台湾では台湾素食専門店を表すマークとして看板に表示した食堂レストランを多くの街角にみることが出来る。

他には世界紅卍字会などでも使用された。

浮世絵師葛飾北斎が名乗った号にも「卍」というのがある。

ヨーロッパ 編集

ヨーロッパでは新石器時代から卍に似た記号が使われており、最も古典的で普遍的な文様の一つであった。(三脚巴紋の派生と考えられることもあるが)“四つ脚が結合したシンボル”(テトラスケリオン、tetraskelion)はアナトリア半島一帯で知られている。 古代ギリシャではロゼット文様とともに太陽の光の象徴として描かれ、ギリシア雷文のように帯状に繋いだ文様は太陽の恩賜が無限に続くという吉祥文だった[16]19世紀末から20世紀はじめにかけて、「swastika」の名とともに幸運のシンボルとして新たに流行した。また、ラウブル(バスク十字、テトラスケレス)と呼ばれる文様があり、ケルト人ゲルマン人西ゴート族およびバスク人の間で芸術表現として象徴的に用いられてきた。

ポーランド 編集

第一次世界大戦後、ポーランド陸軍ポドハレ第21・22山岳歩兵師団第1から第6歩兵歩兵連隊の連隊章に使用される。意匠としてはハカリスティに酷似。第1・第6歩兵連隊のみ45度傾斜している、ただし第6歩兵連隊は回転方向が逆(時計回り)。 当時のパレードの写真でのみ描かれた看板が見られる。現用の第21旅団章、第1連隊章でも同様の意匠が使用されているが、登山用の斧2本を組み合わせた形状に偽装されている。現在ポドハレ兵士のリエナクター(ヒストリカルゲームの参加者)は第二次大戦当時のバッジをそのまま装着しているが、特に問題はない様である。

フィンランド 編集

フィンランドでは1918年から1944年まで鈎十字に類似した「ハカリスティ」(Hakaristi)が空軍および陸軍の国籍標識として使用された。青いハカリスティはフィンランド内戦中、白軍に最初の航空機を寄贈した、スウェーデンの伯爵エリック・フォン・ローゼンによって幸運のシンボルとしてデザインされた。後にフィンランドはナチスと共同戦線を組むことになるものの、このハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった。1945年以降は陸軍および空軍の国籍標識はラウンデル状のマーキングに変更されたが、現在もフィンランドのメダルおよび装飾物、旗などに目立たない形で使用されている。

スウェーデン 編集

スウェーデンの会社ASEA(現在スイス企業アセア・ブラウン・ボベリの一部)は、1800年代から1933年までハカリスティをロゴに使用した。

ラトビア 編集

ラトビアの伝統的な文様で、ラトビア独立時から1940年ソビエト連邦侵攻まで空軍および陸軍の国籍標識としても使用された。

ドイツ(ハーケンクロイツ) 編集

1900年代初頭のドイツにおいて、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)のハーケンクロイツ(鉤十字)は、シュリーマンインド・ヨーロッパ語族(右まんじ)の関連を示したことで、アーリア人の象徴として採用。上記の使用例により、現在のヨーロッパにとって、はナチスの忌まわしいシンボルマークとして認識されている。

北米 編集

カナダオンタリオ州北部にスワスティカ英語版 (Swastika) という名称の町がある。トロントの北およそ580km、カークランド湖の5km西に位置し、1906年に成立した。近くで金鉱が発見され、スワスティカ・マイニング・カンパニーが1908年に設立された。オンタリオ州政府は第二次世界大戦中に町の名を変更しようとしたが町は抵抗した。

ノバスコシア州のウィンザーには、1905年から1916年まで「スワスティカズ」という名のアイスホッケー・チームが存在した。チームのユニフォームには卍がデザインされていた。さらに、アルバータ州のエドモントン(1916年)と、ブリティッシュコロンビア州のファーニー(1922年)にも「スワスティカズ」という名のホッケー・チームが存在した。

符号位置 編集

記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
U+534D 1-50-36 卍
卍
統合漢字 534D
U+5350 - 卐
卐
統合漢字 5350
U+0FD5 - ࿕
࿕
RIGHT-FACING SVASTI SIGN
U+0FD6 - ࿖
࿖
LEFT-FACING SVASTI SIGN
寺院
U+0FD7 - ࿗
࿗
RIGHT-FACING SVASTI SIGN WITH DOTS
U+0FD8 - ࿘
࿘
LEFT-FACING SVASTI SIGN WITH DOTS

脚注 編集

  1. ^ a b Powers, John (2007). Introduction to Tibetan Buddhism. Shambhala Press. p. 509. ISBN 978-1-55939-835-0. https://books.google.com/books?id=cy980CH84mEC&pg=PA509 
  2. ^ a b Chessa, Luciano (2012). Luigi Russolo, Futurist: Noise, Visual Arts, and the Occult. University of California Press. p. 34. ISBN 978-0-520-95156-3. https://books.google.com/books?id=P2NGRnEFfmQC&pg=PA34 
  3. ^ 『大漢和辞典 巻一』(諸橋轍次著、大修館書店)104ページ「万」項「参考」欄
  4. ^ 『学研 新漢和大字典』(藤堂明保・加納喜光編、学習研究社)21ページ「万」項「解字」欄
  5. ^ 裘錫圭 (1980). “甲骨文中的幾種楽器名称”. 中華文史論叢 2. 
    季旭昇 (2014). 説文新証. 台北: 芸文印書館. p. 701. ISBN 978-957-520-168-5 
    林志強等 (2017). 《文源》評注. 北京: 中国社会科学出版社. p. 171. ISBN 978-7-5203-0419-1 
  6. ^ 藤堂明保松本昭竹田晃加納喜光 編『漢字源』(改訂第5版)学研教育出版、2011年。ISBN 978-4-05-303101-3 P.208
  7. ^ Dimitrova, Stefania. “Eight Thousand Years Ago Proto-Thracians Depicted the Evolution of the Divine - English”. Courrier of UNESCO. https://www.academia.edu/4220126. 
  8. ^ Schliemann, Heinrich (1875), Troy and its remains, London: Murray, pp. 102, 119-120 
  9. ^ Boxer, Sarah (2000), “One of the world's great symbols strives for a comeback”, The New York Times, 2000-07-29, http://faluninfo.net/displayAnArticle.asp?ID=606 [リンク切れ]
  10. ^ アンソニー・グリーン監修『メソポタミアの神々と空想動物』p52
  11. ^ 高澤等著『家紋の事典』東京堂出版 2008年
  12. ^ 地図のQ&A Q23:「卍」の記号を、寺院として地図記号に使用するようになったのはいつ頃?(日本地図センター) (日本語)
  13. ^ FM多重放送の運用上の標準規格
  14. ^ デジタル放送におけるデータ放送符号化方式と伝送方式
  15. ^ ARIB-Unicode Mapping Table
  16. ^ 視覚デザイン研究所編『ヨーロッパの文様事典』視覚デザイン研究所、2000年ISBN 4881081519 p.215.

関連項目 編集

外部リンク 編集