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ジャック・ビクトリーJack Victory)のリングネームで知られるケン・ラインハーストKenneth "Ken" Rinehurst)は、アメリカ合衆国プロレスラーニュージャージー州アトランティックシティ出身[1]

ジャック・ビクトリー
The Russian Assassin 2013.jpg
ロシアン・アサシン(2013年)
プロフィール
リングネーム ジャック・ビクトリー
ジャッコ・ビクトリー
ロシアン・アサシン2号
スーパー・デストロイヤー
テロリスト
ブラックメーラー
タイタン
ビッグバン
本名 ケネス "ケン" ラインハースト
ニックネーム シークレット・サービス
身長 191cm - 193cm
体重 111kg - 125kg
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州
アトランティック郡アトランティックシティ
デビュー 1984年
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目次

来歴編集

キャリア初期編集

1984年ビル・ワットがミッドサウス地区で主宰していたUWF(Universal Wrestling Federation)にてジャック・ビクトリーJack Victory)のリングネームでデビュー。以降、UWFおよびフォン・エリック・ファミリーが主宰するテキサス州ダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)の2団体を主戦場に活動。

リック・フレアーの影響下にある金髪ヒールとして、"ハリウッド" ジョン・テイタムとタッグを組みザ・ファンタスティックス(ボビー・フルトン & トミー・ロジャース)と対戦を重ねた。UWFでは女性マネージャーのミッシー・ハイアットを従え、後にハイアットと結婚する "ホット・スタッフ" エディ・ギルバートがマネージメントしていた若手ヒール時代のスティングリック・スタイナーとも共闘し、H&HインターナショナルHot Stuff & Hyatt International)なるユニットのメンバーとしても活動した[2]

WCW編集

1988年7月、UWFを買収した当時のNWAの基幹団体MACW(Mid-Atlantic Championship Wrestling)に参戦し、ポール・ジョーンズをマネージャーに迎えて覆面レスラーロシアン・アサシン2号Russian Assassin #2)に変身。1号のデビッド・シェルダンとロシアン・アサシンズThe Russian Assassins)なるタッグチームを結成し、当時ベビーフェイスのポジションにいたザ・ラシアンズイワン・コロフ & ニキタ・コロフ)とロシア対決を繰り広げた。

同年11月よりMACWを買収したWCWにも継続参戦。オリジナル・ミッドナイト・エクスプレスランディ・ローズとのタッグを経て、1989年6月、リングネームをジャッコ・ビクトリーJacko Victory)へと変更し、ニュージーランド出身のリップ・モーガンとニュージーランド特殊部隊ギミックのニュージーランド・ミリティアThe New Zealand Militia)を結成。ダイナミック・デューズ(シェーン・ダグラス & ジョニー・エース)と抗争を展開した。1990年からはチーム名をロイヤル・ファミリーThe Royal Family)に変更させ、12月16日開催のスターケードで行われたインターナショナル・タッグチーム・トーナメントにニュージーランド代表チームとして出場したが、1回戦でマサ斎藤グレート・ムタの日本代表チームに敗退[3]。以降は出場機会が減少し、1991年6月にWCWから退団した。

1992年7月、メキシコのメジャー団体であるCMLLタイタンTitan)のリングネームで参戦。ハビアー・クルズやフェリーノと組んで出場した。

ECW編集

一時期プロレスの活動から離れていたが1998年5月、ECWと契約を交わし入団。デビュー早々トミー・ドリーマーと抗争を展開。9月にはジャスティン・クレディブルワンマン・ギャング、サル・E・グラツィアーノを仲間に引きこんでドリーマー & ジョン・クローナス & ニュー・ジャック & スパイク・ダッドリーと大人数によるエニシング・ゴーズマッチを連日行い、11月1日のPPVであるNovember to Remember 1998では、クレディブルと組んでドリーマーが助っ人に呼んだジェイク・ロバーツとスペシャルタッグマッチを行うが試合中に脚を骨折して敗戦。そのまま長期離脱することになった。

負傷中は車椅子に乗ってヒールのマネージャーとなって活動。1999年サイラス・ザ・ヴァイラス率いるザ・ネットワークThe Network)の一員となり[4]、8月より復帰した際にはスティーブ・コリノとのタッグで活動。レイヴェン & ドリーマーと長期抗争を展開。2001年1月13日、ECW最後のイベントではCWアンダーソンと対戦して勝利し、有終の美を飾った。

インディー団体編集

ECW崩壊後、2001年5月よりコリノがペンシルベニア州で主宰するインディー団体であるPWF(Premier Wrestling Federation)に参戦。2002年にはPWFエクストリーム王座を保持するニュー・ジャックと抗争を展開。2003年3月、ROHにコリノ、CWアンダーソン、サモア・ジョー、マイケル・シェーンとザ・グループThe Group)なるユニットを結成して参戦し、リング内外で暴れた。12月、ブルー・ミーニーとジャスミン・セントクレアがペンシルベニア州で主宰する3PW(Pro Pain Pro Wrestling)に参戦した。

2004年2月、コリノが新たに旗揚げした団体であるWORLD-1に参戦。3月に初来日を果たし、WORLD-1と提携していたZERO-ONEに参戦。記者会見にて自分から強引にWORLD-1の会長に就任したことを宣言。5日に田中将斗とWORLD-1ヘビー級王座戦を無理やり決めて対戦するがわずか5分でローリングエルボーを喰らい敗戦。翌6日、コリノとECW時代以来となるタッグを組んで横井宏考 & 佐藤耕平と対戦するが敗戦した。

2006年より再びプロレスの活動から遠ざかっていたが2011年よりロシアン・アサシン2号としてNWA加盟団体のNWAトップ・オブ・テキサスにスポット参戦している。

得意技編集

フィニッシャー。
ブリッジング・クレイドル・スープレックス

獲得タイトル編集

UWF(Universal Wrestling Federation)
  • UWF世界タッグ王座 : 1回
w / ジョン・テイタム[5]
WCCW(World Class Championship Wrestling)
  • WCCW TV王座 : 1回[6]

他、アメリカのインディー団体を中心に多くのタイトルを獲得。

入場曲編集

  • Whiskey Bent And Hell Bound
  • The Old School Style

脚注編集

  1. ^ Jack Victory”. Online World of Wrestling. 2014年4月21日閲覧。
  2. ^ Hot Stuff & Hyatt International”. Online World of Wrestling. 2016年1月14日閲覧。
  3. ^ NWA Starrcade 1990 "Collision Course"”. Cagematch.net. 2016年1月14日閲覧。
  4. ^ The Network”. Online World of Wrestling. 2011年4月25日閲覧。
  5. ^ UWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年1月14日閲覧。
  6. ^ World Class Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年1月14日閲覧。

外部リンク編集