ユーヤイヤコ(Llullaillaco)とは、アルゼンチンサルタ州)とチリの国境に位置する標高6723m[1]成層火山ジュージャイジャコとも[1]アタカマ砂漠に広がる乾燥地帯アタカマ高原スペイン語版(プーナ・デ・アタカマ)[1]にあり、アンデス山脈では7番目に高いでもある[2]。広大な岩屑地帯に囲まれており、標高が高く寒冷な割には[1]、極めて乾燥しているため氷河は一切存在しない。山体は氷期の氷河によって浅い氷食谷が放射状に刻まれ、万年雪が山頂の極一部に見られるのみである[3]。当該地域の雪線は約6500mと世界最高を誇り、ヒマラヤ山脈よりも1000m程度、コロンビア及びエクアドル方面のアンデス山脈よりも2000m程度それぞれ高い[3]

ユーヤイヤコ
2002年撮影
標高 6,723 m
所在地  チリアルゼンチンの旗 アルゼンチン国境
位置 南緯24度43分12秒 西経68度32分12秒 / 南緯24.72000度 西経68.53667度 / -24.72000; -68.53667座標: 南緯24度43分12秒 西経68度32分12秒 / 南緯24.72000度 西経68.53667度 / -24.72000; -68.53667
山系 アンデス山脈
種類 成層火山
最新噴火 1877年
ユーヤイヤコの位置(チリ内)
ユーヤイヤコ
ユーヤイヤコ
ユーヤイヤコの位置(アルゼンチン内)
ユーヤイヤコ
ユーヤイヤコ
ユーヤイヤコの位置(南アメリカ内)
ユーヤイヤコ
ユーヤイヤコ
プロジェクト 山
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山の名は、「濁水」を意味するアイマラ語(llulla=「濁った」、yacu=「水」)に由来するとも、「偽りの水」を意味するケチュア語(Lullac=「偽りの(または当てにならない)」、yacu=「水」)に起源を有するとも言われる。先コロンブス期にはインカ人が登攀[4]。山頂からの出土品は、19世紀末以前に人間が当時の世界最高高度に達した証拠となっている。1952年12月1日ビオン・ゴンサレスフアン・アルセイムが明確な記録に残る初登頂に成功。

山の西側はチリのユーヤイヤコ国立公園スペイン語版となっており、南側の海抜3665mの場所に位置する塩類平原4号温泉塩原スペイン語版は2009年にラムサール条約登録地となった。一帯はヒメウズラシギアメリカウズラシギアシナガシギハジロオオシギオオキアシシギコキアシシギアメリカヒレアシシギアンデスフラミンゴチリーフラミンゴコバシフラミンゴダーウィンレアアンデスガンミツユビシギダチョウ英語版チンチラビクーニャなどの生息地である[5]

登山ルート 編集

標高の高さから多大なる困難が伴うものの、特殊な登山技術を要さない登山ルートが複数存在する。殆どが残雪地帯を通るため、アイゼンピッケルが必須である。なお、チリとアルゼンチンのビーグル紛争英語版期(1978年 - 1982年[6]地雷が設置されており、チリ側から登攀する際は注意を要する。

考古学 編集

 
山頂の遺構

アメリカ考古学ヨハン・ラインハルト1983年から1985年にかけて、山頂やその付近で3箇所の遺構を調査。

1999年には、ラインハルトとアルゼンチンの考古学者コンスタンサ・チェルティ率いる、アルゼンチン・ペルー合同遠征隊が、山頂にて約500年以上前のものと見られる、人身御供とされたインカ人の子ども3体のミイラを発見[7]。非常に保存状態が良好であった[8]スペイン宣教師が執筆した当時の文献によると、子ども3名がインカ帝国の弥栄を讃える、「カパコチャ英語版」と呼ばれる生贄儀式に参加していたという。

3体は「ラ・ドンセーヤ」(「乙女」の意)と渾名された15歳の少女、7歳の男児、そして「ラ・ニーニャ・デル・ラヨ」(「輝ける少女」の意)と渾名された6歳の女児であった。後者のニックネームが付けられたのは、発見時に遺体や身に付けていた儀式用の工芸品に数度落雷し、一部が燃えていたためである。その後、サルタ州の考古学博物館に展示[9]

2013年に行われた、これらのミイラに関する生物学的分析によると、人身御供となる前年にコカアルコールを摂取していたなど、特異な生活様式や食生活が明らかになったという[10]

「ラ・ドンセーヤ」 編集

 
調査中のラ・ドンセーヤ

壮麗な頭飾りを付けていたため、「アクヤ」(「太陽処女」の意)ではないかとされる。つまり、王家の僧、そして生贄となるであろう他の少女や女性と共になるべく選ばれ、生贄として捧げられたという事である。また茶色い服を着ており、複数の塑像と共に埋葬頭髪は丹念に編み込まれており、精神的ストレスからか白髪が数本あった。3体は人身御供として山に遺棄される前、コカののみならず、トウモロコシから造られたビールであるチチャを服用[11]

男児のミイラ 編集

 
男児のミイラの顔

男児の服の一部には、血液が混じった吐瀉物が付着している事から、肺水腫に罹患しており、窒息死したものと見られる。唯一で括られ、肋骨が折れ骨盤脱臼する程、服がきついものであった[12]

輝ける少女 編集

死後数回が直撃。額には金属付きの頭飾りを装着。チチカカ湖クスコ周辺で造られたと共に埋葬されていた事から、長距離を移動していたのが分かる。3体のうち唯一仰向けの状態で発見された。

地質 編集

 
パラネル天文台とユーヤイヤコ間の距離は200km

火山の形成史においては、重要な地質学上の変容を経験。現在の元となるユーヤイヤコIは更新世にまで遡る。溶岩流が長さ20kmにわたり、山を2箇所侵食したものと見られる。

その上にはユーヤイヤコⅡと呼ばれる、氷期以降現在も火山活動が続く山が形成。完新世の溶岩流が見られたのはこの時期である。溶岩流は火山の南北に広がり、このうち南の溶岩流の1つが3kmに及んだ。

この他に極めて顕著な溶岩流は、約15万年前にユーヤイヤコIの部分崩壊によって引き起こされたもので、東のアルゼンチン側へと拡大。17km先のチェロ・ロサド成層火山付近で分岐し、サラール・デル・ユーヤイヤコにまで到達する。この堆積物は十分に解明されていない。

なお、1854年1868年、そして1877年噴火の記録が残されており、外見が極めて黒いため、周辺では最も新しい溶岩流を引き起こしたとされる。

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d ユーヤイヤコ山コトバンク
  2. ^ Andes 6000m peak list
  3. ^ a b Clapperton, Chalmers M.; “The quaternary glaciation of Chile: a review” in Revista Chilena de Historia Natural, 1994
  4. ^ Ricker, John F.; Yuraq Janka: Cordilleras Blanca and Rosko; p. 4. ISBN 093041005X
  5. ^ Salar de aguas Calientes IV | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2009年8月14日). 2023年4月13日閲覧。
  6. ^ Main, Douglas (2012年6月20日). “Extreme Microbes Found Near Mummy Burial Site”. OurAmazingPlanet. 2013年3月1日閲覧。
  7. ^ Secretaría de Cultura de Salta Argentina – MISSION AND ORIGINS Archived 2012年3月16日, at the Wayback Machine.. Maam.culturasalta.gov.ar (2007-12-16). Retrieved on 2010-12-14.
  8. ^ ナショジオピープル ヨハン・ラインハルト(Johan Reinhardt)ナショナルジオグラフィック公式サイト
  9. ^ Grady, Denise (2007年9月11日). “In Argentina, a Museum Unveils a Long-Frozen Maiden”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2007/09/11/science/11mummu.html 2007年9月11日閲覧。 
  10. ^ A. S. Wilson, E. L. Brown, C. Villa, N. Lynnerup, A. Healey, M. C. Ceruti, J. Reinhard, C. H. Previgliano, F. A. Araoz, J. Gonzalez Diez, T. Taylor. Archaeological, radiological, and biological evidence offer insight into Inca child sacrifice.Proceedings of the National Academy of Sciences, 2013; DOI: 10.1073/pnas.1305117110
  11. ^ Secretaría de Cultura de Salta Argentina – ORIGEN Y MISION Archived 2008年4月15日, at the Wayback Machine.. Maam.org.ar (2007-12-16). Retrieved on 2010-12-14.
  12. ^ Child mummies yield 'grim' evidence. Metro.co.uk (2007-10-02). Retrieved on 2010-12-14.

参考文献 編集

  • Reinhard, Johan: The Ice Maiden: Inca Mummies, Mountain Gods, and Sacred Sites in the Andes. National Geographic Society, Washington, D.C., 2005.
  • Reinhard, Johan and Ceruti, María Constanza: "Inca Rituals and Sacred Mountains: A Study of the World's Highest Archaeological Sites" Los Angeles: UCLA, 2010.
  • Reinhard, Johan and Ceruti, María Constanza: Investigaciones arqueológicas en el Volcán Llullaillaco: Complejo ceremonial incaico de alta montaña. Salta: EUCASA, 2000.
  • Reinhard, Johan and Ceruti, María Constanza: "Sacred Mountains, Ceremonial Sites and Human Sacrifice Among the Incas." Archaeoastronomy 19: 1–43, 2006.
  • Ceruti, María Constanza: Llullaillaco: Sacrificios y Ofrendas en un Santuario Inca de Alta Montaña. Salta: EUCASA, 2003.
  • Reinhard, Johan: "Llullaillaco: An Investigation of the World's Highest Archaeological Site." Latin American Indian Literatures Journal 9(1): 31–54, 1993.
  • Beorchia, Antonio: "El cementerio indígena del volcán Llullaillaco." Revista del Centro de Investigaciones Arqueológicas de Alta Montaña 2: 36–42, 1975, San Juan.
  • Previgliano, Carlos, Constanza Ceruti, Johan Reinhard, Facundo Arias, and Josefina Gonzalez: "Radiologic Evaluation of the Llullaillaco Mummies." American Journal of Roentgenology 181: 1473–1479, 2003.
  • Wilson, Andrew, Timothy Taylor, Constanza Ceruti, Johan Reinhard, José Antonio Chávez, Vaughan Grimes, Wolfram-Meier-Augenstein, Larry Cartmell, Ben Stern, Michael Richards, Michael Worobey, Ian Barnes, and Thomas Gilbert: "Stable isotope and DNA evidence for ritual sequences in Inca child sacrifice." Proceedings of the National Academy of Sciences 104 (42): 16456-16461, 2007.

外部リンク 編集

  • Museum of High Mountain Archaeology (スペイン語)
  • "Llullaillaco". SummitPost.org. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  • Parque Nacional Llullaillaco - CONAF