スーパー陸上

毎年9月に日本で開かれていた国際陸上競技大会

スーパー陸上(スーパーりくじょう)は、毎年9月日本で開かれていた国際陸上競技大会である。2010年に終了し、2011年からは毎年5月に「ゴールデングランプリ陸上」(IAAFワールドチャレンジ)が開催される。

歴史 編集

1966年から国立霞ヶ丘競技場陸上競技場を舞台に開かれた日本初のナイター陸上競技会「日刊ナイター陸上」(正式には「日刊スポーツ・東京国際ナイター陸上競技会」)[1] を前身とする[2]。この大会は東京教育大学陸上競技部監督の関岡康雄、順天堂大学陸上部監督の帖佐寛章東急陸上部監督の築地美孝、日刊スポーツ新聞社の安田矩明らが企画したもので、東京教育大と順天堂大の2校による競技会から派生したものである[3]

1988年大会(この年はソウルオリンピック終了後の10月8日に開かれた)から「国際スーパー陸上競技大会」として開催。1988年のみ「東芝スーパー陸上」、1989年からTOTO冠協賛スポンサーとなって「TOTOスーパー陸上」として開催。その後1990年1991年は国立が世界陸上選手権開催に向けての全面改修のため、静岡県草薙総合運動場陸上競技場で開いた(1991年の大会は唯一の5月開催となった)[2]。また、1993年Jリーグヤマザキナビスコカップ開催の関係で博多の森陸上競技場で行われた[2]。その後TOTOがスポンサーから退いた2000年から舞台を横浜国際総合競技場(日産スタジアム)に移して毎年開いていた(なお、テレビ中継はそれまでテレビ朝日系列で行っていたが、TOTOの協賛撤退をきっかけにTBS系列に中継局が移った)。2002年にはポケットバンク2004年にはセイコーが冠スポンサーとなった。

2008年は、日産スタジアムがB'zのコンサートの関係などで同年の日本選手権の会場であった川崎市等々力陸上競技場にて開催され、以後の大会は等々力で開催されるようになった。2009年の大会はサッカーAFCチャンピオンズリーグ準々決勝の川崎フロンターレ名古屋グランパスの試合と開催日が重なったが、スーパー陸上の開催が先に決まっていたのでサッカーは国立競技場で開催された。

毎年5月に開催されていたIAAFグランプリ大阪大会が2010年に終了し、スーパー陸上と統合されることが決まった。これに伴い、新大会として「ゴールデングランプリ陸上」が、大阪グランプリが開催されていた5月に開催することとなった。

概要 編集

実施される種目数はオリンピック世界選手権より少ない。20世紀までは、毎年世界各地の陸上競技のトップアスリートが多数集結し、事実上その年の陸上競技の国際大会シーズンを締めくくるにふさわしい大会として定着していた(例えば、1991年(静岡)と、1992年(国立)の大会ではセルゲイ・ブブカが当時の棒高跳び世界新記録を達成した[4]。また1988年(国立)ではフローレンス・グリフィス=ジョイナーカール・ルイスのアメリカ合衆国の2大スター選手が来日した[2])。

しかしながら、末期にはアピアランスマネー(出場料)目的による外国人選手の出場が多いこと、開催時期も西暦奇数年は世界陸上、下1桁が4の倍数の年は夏季オリンピックのそれぞれ大会終了後の開催(例外あり)もあって、低調な記録で終始しており、「ただのお祭り大会に過ぎない」との意見もある。

脚注 編集

  1. ^ 日刊スポーツ・イベント「スーパー陸上競技大会2009川崎」”. 2015年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会 編『日本陸上競技連盟七十年史』日本陸上競技連盟、1995年、324頁。 
  3. ^ 関岡康雄 著「東京教育大学時代(昭和39年〜47年) 〜保谷活動後期〜」、「世紀を越えて〜茗渓陸上競技101年の歩み〜」編集委員会 編 編『世紀を越えて〜茗渓陸上競技101年の歩み〜』筑波大学陸上競技部・陸上競技茗友会、2004年3月25日、45-49頁。 
  4. ^ 日本スポーツ振興センター『SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014』朝日新聞出版、2014年、95頁。ISBN 978-4-02-190250-5 

外部リンク 編集