タッカー・トーピードは、プレストン・トマス・タッカーによる自動車メーカー、タッカー社が生産した自動車

1948タッカー・セダン
ブラックホーク博物館Blackhawk Museum)所蔵のタッカー・トーピード
概要
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
販売期間 1947年-1948年
デザイン アレックス・トレムリス(Alex Tremulis)
ボディ
ボディタイプ 4ドア セダン
駆動方式 リアエンジンリアドライブ(RR)
パワートレイン
エンジン 334.1ci (約5.5LF6 OHV
サス前 4輪独立懸架
サス後 4輪独立懸架
車両寸法
ホイールベース 128″(約3,250mm)
全長 219 (約5,560mm
全幅 79″(約2,010mm)
全高 60″(約1,520mm)
車両重量 4,200lb(約1,900kg
その他
総生産台数 51台
テンプレートを表示

概要 編集

プレストン・トマス・タッカーがコンセプトを策定し、開発・設計を主導した。シカゴでの製造は1947年末から1949年初頭にわたるが、ほとんどが1948年の生産であり(そのため、タッカー'48と呼ばれることもある)、1949年3月には裁定によって生産は終了させられた。

この車の特徴として、特に安全性に関しては、操舵方向を照らすライトなどの新奇的な装備がよく取り沙汰されるが、生存率を高めることが科学的には確認されたにもかかわらず当時の他社が等閑にしていたシートベルトなどの機構を積極的に取り入れた点が大きい。大量生産による大衆車にしようとしたが、前述の生産終了のために51台しか生産されなかった(1台目は原型車として製造された。前述の生産終了の時点で、2台目から51台目までの50台が生産・最終的には完成され、52台目は半完成のまま残された)。内訳や各個体の車歴等については次の現存車両の節で詳説する。また次節の最後で述べるが、出来の良いレプリカも量産品ではないが作られている。

1988年の映画『タッカー』はこの車とタッカーその人を描いたもので(原題「Tucker: The Man and His Dream」の "Dream" は車を指しているともとれる)、撮影時点で現存していた実車のうち47台がパレードのシーケンスなどで実写のために使われ、スクリーンにその姿を残した。

現存車両 編集

 
ワルツ・ブルーに塗装されたタッカー'48セダン、#1019
 
ロサンゼルスピーターセン自動車博物館英語版に所蔵される#1030のリアビュー
 
タッカー'48セダンのデザイン特許イラスト[1]

プロトタイプ1台を含めて製造された59台のタッカー'48の所有記録は、タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ[2]などコレクター団体等の調査により極めて詳細に記録されており、全くの行方不明となっているのは末期に製造された未完成車8台のうちの6台(#1053-1058)のみである。未完成車のうち2台(#1051、#1052)は在庫の補修部品やリプロダクション部品などを用いて走行可能な状態にレストアされており、行方不明の6台の内1台(#1054)は、このレストアされた#1052のフレームの一部として現存しているともされる[3]

2016年現在喪失が確認されているタッカー'48は上記の未完成車6台の他、1948年に交通事故で大破し上記未完成車の部品取りにも使われた末に車体の一部のみが残る#1018[4]、レストア作業中保管場所の火災により焼失、ボディ外板の熱変形が著しく復元は不可能と判断された為に後に所有者の希望によりスクラップ処分とされた#1023[5][6]、1960年にメンフィスミシシッピ川沿いで完全に破壊された状態で放置されている状況を、タッカー'48を良く知る地元の警察官に目撃されたのを最後に現在は所在不明[注 1]となっている#1042の3台である[7]。#1038は現存は確認されているものの、元所有者(投資家バーナード・グリーベルマン英語版)の経済難により2006年以降複数回オークション経由で売却された為、現所有者の詳細が明らかになっていない[8]

米国外に持ち出された4台のタッカー'48の内、ブラジルの個人コレクターの手に渡った#1035は、コレクターの死去により他の約50台のコレクション全体と共に管理されていない荒廃状態になっており、現地でレストアの機会を待つ状態であるとされる[9]。日本ではトヨタ博物館が1950年にNASCARグランドナショナルシリーズに参戦した記録を持つ#1004を所蔵しているほか[10]鹿児島県ハニ・バイエルン創業者が#1020を所蔵している[11]

他に米国のホットロッド・ビルダーのイダ・オートモーティブがタッカー'48のレプリカ車両を3台製造している。このレプリカ車両は外装はタッカー'48のボディワークを忠実に再現しているが、ボディパネル自体はレジン製で塗装や内装、ドライブトレーンは近代的なホットロッドの製造技術が盛り込まれている。エンジンはキャデラックノーススター・V8で、最高時速は120マイル毎時(約190km/h)、0-60マイルは約7秒で走行可能という[12]

2010年代に入っても個人所蔵のタッカー'48が、所有者の死亡や経済難などの理由によりオークションに掛けられる事があるが、2010年8月は113万米ドル(#1045)[13]、2012年にはバレットジャクソンで291万米ドル(#1043)で落札されるなど[14]日本円に換算すると数億円に達する極めて高額な価格で取引されている。

呼称について 編集

 
1947年のタッカー・トーピードの構想図。中央配置のステアリングホイール、跳ね上げ式のルーフ、可動式フロントフェンダーなどの構想が窺い知れる。

最初にイメージイラストをメディアに露出した際のタイトル "Torpedo on Wheels" から「トーピード」(魚雷)とも呼ばれるが、タッカー本人は、戦後という時代背景において戦争を思い出させるような名前を避け、以後トーピードの名は使っていない。

特徴的な装備について 編集

当時において、以下のような装備が画期的であった。

 
フランクリン・O-335エンジンとタッカーY-1手動変速機。
 
フランクリン・O-335エンジンとタッカーマチック自動変速機(元々は行方不明となった#1042に搭載されていたと見られるもので、トルクコンバータがトランスミッション前方にもう一つ付いている構造が確認できる。)
 
左リアサスペンションのゴムトーションチューブと、#1001-1025まで用いられたサンドウィッチ形右フロントサスペンション。リーフやコイルなどのばねが使われていない構造が確認できる。
 
#1026以降の製造車で用いられた第2世代のゴムトーションチューブ。このユニットは#1046がV型8気筒に換装された際に降ろされたもの。
 
プロトタイプのタッカー589立方インチ直動エンジン。エンジン両側にトルクコンバータが配置され、初期のゴムディスク形のサスペンションが用いられている構造が確認できる。

なお、本来の構想では自製の589立方インチ(9.65 L)の空冷水平対向6気筒を計画しており、燃料噴射装置の搭載、ポペットバルブの駆動はカムシャフトではなく油圧を用い、更には駆動輪の回転にトランスミッションやディファレンシャルギアを介在させず、エンジンの左右にトルクコンバータを配置してクランクシャフトの回転を直動させる[16]という大変野心的なものであったが、アイドリング時のバルブトレインの油圧制御が困難な上に、60ボルトの巨大なセルモーターで始動する際には外部電源供給が必須になる代物で、騒音が酷く重量も余りに重すぎた為にプロトタイプ以外への搭載は断念された。他にもディスクブレーキマグネシウムホイール、自己シール式チューブレスタイヤ(ミシュランコンチネンタルが近年になって実用化した)の搭載が構想されたが、技術上の課題や製造コストの問題でプロトタイプ以外への搭載は断念され[17]、量産車にはストロンバーグ式ダウンドラフトキャブレターや総輪ドラムブレーキなどの妥協をせざるを得なかった[18]。タッカー'48が「トーピード」と呼ばれていた1946年の構想段階では、運転者を中央に着座させ、左右の前席は後席の乗り降りを容易にするよう回転式とし、フロントフェンダーは前輪と共に可動する構造[19]であったが、当時の技術的限界からこれは実現しなかった。しかし、後年になり米国の熱心なタッカー・ファンが、1971年式ビュイック・リヴィエラをベースに、可動式フロントフェンダーと跳ね上げ式のルーフをほぼ再現したレプリカモデルの製作に成功している[20]

日野自動車でエンジン屋であった鈴木孝は、この車を『「未来の車」と称した野心は一目に値する』としながらも、自身のコンテッサ1300のエンジンルーム設計の際に、うかつにこの車を知っていて真似していたら失敗を誘ったかもしれない、と評している。自身のコンテッサでの経験から見た問題の起きそうな点として、フロントエンジンと比してリアエンジンにおけるエンジンルーム内の埃の多さに対する対策、後方から吸入して下部に抜けさせ、循環が起きないよう冷却風の流れを制御するといった配慮がタッカー'48では特にされていない(タッカー'48はリアフェンダー前方から吸入し後部に抜く構造)点を挙げている。さらに「盛り過ぎ」という点で、折角のアルミが使われた空冷エンジンを、腐食対策された冷却液などまだない時代に水冷化という1点をとってみても無理があった、としている(水冷化による質量増加はRR車の特性にも良くない)。しかし、以上のように冷却に無理があると思えるものの、オーバーヒートの記録はない、という点も指摘しており、設計の余裕のためか、としている。[21]

なお、タッカー'48は1948年に#1027がインディアナポリス・モーター・スピードウェイに持ち込まれ、走行試験が行われた。テスト結果は良好であったが、その時点で会社が破滅し掛かっていた事もあり、結果の公表はされなかった。この事実を知る当時の技術者が、1974年にインディに再びタッカー'48(#1025)を持ち込んでデモ走行を行った。この時のテストドライバーには後にオーバルトラックのレジェンドとして名を馳せる事になるマリオ・アンドレッティアル・アンサーの2名が起用されたが、両名はタッカー'48を評して「我々は1940年代や1950年代の多くの車種に乗ってきたが、これ(タッカー'48)は同時期のどんな車両よりも先進的で優れた運転性能であった。」「これ程優れた車両であれば、きっと当時の国民の多くがこれを購入したのではないか?」と述べたという。両名ともテスト当日までタッカー'48の存在すら知らなかった上での講評である[22]

登場作品 編集

映画 編集

ゲーム 編集

  • Mafia 2
  • L.A.ノワール - 隠し車両とDLC「ニコルソン電気メッキ工場」にて登場している元LAPD風紀犯罪課刑事でヒューズ・エアクラフトの警備主任であるバーモン・マップスの愛車。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 彼は一度自宅に廃車体を曳航したが、オートバイ事故で入院している間に車体が何者かに持ち去られ行方知れずとなったとされる。曳航時点で既にフレームと変速機しか残っていない状況だった為、彼は廃車体が鉄屑と勘違いされて流しの解体屋に持ち去られスクラップにされたのではと見込んでおり、彼が車台番号と共に残存を確認したタッカーマチック自動変速機は途中経過は不明ながらも、同変速機を搭載する唯一の現存車#1026を所蔵するペンシルベニア州ハーシーのAACA博物館に展示品として現存している事が確認されている。

出典 編集

  1. ^ U.S. Design Patent no. 154,192, P.T. Tucker, Design for an Automobile, June 14, 1949
  2. ^ The Tucker Automobile Club of America
  3. ^ The last Tucker assembled from original parts could sell for $1 million - ヘミングス・モーター・ニュース英語版、2015年7月28日。
  4. ^ Tucker 1018 - タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ
  5. ^ Tucker 1023 - タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ
  6. ^ 破砕処理された写真
  7. ^ Tucker 1042 - タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ
  8. ^ The Great Tucker Caper
  9. ^ Long-neglected Tucker exhumed, headed for restoration - ヘミングス・モーター・ニュース、2011年2月15日。
  10. ^ タッカー’48(1948年・アメリカ) - トヨタ博物館
  11. ^ 「外車販売ディーラーひとすじ」車好きが高じて、クラシックカーの蒐集も 株式会社ハニ 代表取締役社長 羽仁正次郎 氏 - 鹿児島県中小企業団体中央会
  12. ^ Ida Automotive New Tucker 48 - カー・アンド・ドライバー、2001年7月。
  13. ^ Tucker 1045 - タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ
  14. ^ Lot #5008 1948 TUCKER TORPEDO - バレットジャクソン
  15. ^ 1948 Tucker 48 - conceptcarz.com
  16. ^ David Cammack Tucker Collection Apr 2010 - Capitol City Rockets
  17. ^ Tin Goose 1000 - - タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカ
  18. ^ The Tucker Car Company: A Wreck Waiting to Happen? - The HistoryRat
  19. ^ Tucker Torpedo: A Car 70 Years in the Making Video - drivingline.com
  20. ^ 1946 Tucker Torpedo Prototype Based On A 1971 Buick Riviera - matusfun.com、2016年10月30日
  21. ^ 鈴木孝『エンジンのロマン』プレジデント社 1988年出版、タッカー車については pp. 156~162、コンテッサ1300については pp. 140~155
  22. ^ Preston T. Tucker - Walter Zoomie's World、2008年9月28日。
  23. ^ スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐DVD、音声解説より