トーマス・ランドルフ「トム」ベル[1]1943年1月26日 - )はジャマイカキングストン生まれのアメリカ合衆国ソングライターアレンジャーレコードプロデューサー1970年代ギャンブル&ハフとともにフィラデルフィア・ソウル音楽を作った。彼がフィラデルフィアに引っ越したのは子供の頃。

伝記編集

クラシック音楽の教育を受けた。10代の頃ギャンブル&ハフダリル・ホールと歌っていた。 フィラデルフィアのCameo Recordsでセッションプレーヤー・アレンジャーとして働き頭角を現した。

デルフォニックス編集

1967年地元のデルフォニックスというグループを紹介され、サブ・レーベルMoonglowでシングルを二枚切った。 流麗で豪華なアレンジをソウル音楽に導入し、マネージャーのスタン・ワトソンが経営するPhilly Groove labelでいくつかの大ヒットを放った。『La-La (Means I Love You)』『Didn't I (Blow Your Mind This Time)』(1970年にグラミー賞にノミネート)などがそうである。

ギャンブル&ハフと編集

また、急成長するギャンブル&ハフの会社(1971年設立、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード)に参加し、ジェリー・バトラーアーチー・ベル&ザ・ドレルズオージェイズダスティ・スプリングフィールドなどのアレンジを担当。 オージェイズ『裏切り者のテーマ~Back Stabbers』は大ヒットとなった。 ギャンブル&ハフとは音楽出版社Mighty Three Musicを設立した。

スタイリスティックス編集

1971年にスタイリスティックスをAvco Recordsで担当。 このころまでにフィラデルフィア出身のリンダ・クリードとチームを組み、スタイリスティックスのリードシンガー、ラッセル・トンプキンズ・ジュニアとともに、記憶に残る曲で満載の三枚のアルバムを生んだ。 ベル&クリードは『Stop, Look, Listen (To Your Heart)』『You Are Everything』『Betcha by Golly, Wow』『Break Up to Make Up』『You Make Me Feel Brand New』などを書き、一世風靡。

プリンスは『Betcha by Golly, Wow』を「この世で最も美しいメロディー」と評し、結婚直後の1996年のアルバム『Emancipation』でカバーし、シングルにもした。

ベイビーフェイスは『You Make Me Feel Brand New』を1986年のデビュー・アルバム『Lovers』でカバーした。

スピナーズ編集

1972年アトランティック・レコーズスピナーズを担当。 同グループは長年モータウン・レコードにいたがうだつが上がらず、アトランティックに移籍していた。 両者の組み合わせは大成功し、7年で8枚のアルバムを発表した。5枚がゴールド(50万枚)になり、『Mighty Love』『Ghetto Child』『I'll Be Around』『Could It Be I'm Falling in Love』『The Rubberband Man』がヒットした。 1975年、彼はグラミー賞の「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー』を受賞。 ・後に『Could It Be I'm Falling in Love』はマイケル・ジャクソンが、『I'll Be Around』はホール&オーツがカバーした。

その後編集

1976年ディオンヌ・ワーウィックのアルバム『Track of the Cat』を担当。 1978年には彼女とスピナーズの『Then Came You』を切り、トップになった。 1970年代後期はJohnny Mathisの二枚のアルバム、ビリー・ポールロニー・ダイソンアンソニー&ジ・インペリアルズ、ニューヨーク・シティーなどを担当したが、商業的にはあまり成功しなかった。

その後、デニース・ウィリアムズ『It's Gonna Take a Miracle』が1982年にヒット。 ジェームス・イングラムI Don't Have the Heart』が1990年にベルのポップチャートでの二曲目のナンバーワン・ヒットとなる。 1977年に制作し79年になって発売されたエルトン・ジョンのEP『The Thom Bell Sessions』ではスピナーズがバック・ヴォーカルを務め、『Mama Can't Buy You Love』がトップ10ヒットした。

1980年代以降編集

1980年代にはテンプテーションズフィリス・ハイマン, ディー・ディー・ブリッジウォータースタイリスティックス(1981年TSOPレーベルで)などを担当。

2006年、ソングライターの殿堂入り。

2008年のボックス・セット『Love Train』でのインタビューで、MFSBの後進「フィラデルフィア・オーケストラ」のために曲を書く予定だと発言している。

抜粋プロダクション・作曲編集

参照編集

外部リンク編集