ノート:菅直人/過去ログ1

最新のコメント:10 年前 | トピック:Naruhodouさんの編集について | 投稿者:タコロス
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仮対処を行いました

永らく削除依頼に出されていましたが、2004年10月24日 (日) 07:44(UTC)の版へrevertする事で仮対処を行いました。この版から私がrevertを実行した版までの間から文章を引き写す、参考にする等はしないでください。後々特定版削除が実行される予定です。Tekune 2005年4月1日 (金) 17:58 (UTC)

√発言について

記述に3.15...となっていますが、ここは3.14で正しいですよね? --Cbrhorse 2007年3月30日 (金) 05:42 (UTC) おそらく、問題ないと思われるので、変更します。--Cbrhorse 2007年3月30日 (金) 15:19 (UTC)

違います。[1]によると「3.1519」となっています。まあ、発言集自体、そのサイトのコピペなので検証可能性を満たしてない記述ではあるのですが--彩華1226 2007年4月20日 (金) 17:29 (UTC)

O157とカイワレに関して

彩華1226さんと編集合戦になりそうなので、コメントします。事実に即している部分、特に、地裁判決などの記述は必要であると思います。功罪のうち「功」のみを記述するのは事典としてのバランスを欠き、賛美するだけの文章となります。もし、彩華1226さんが菅直人さんの身内や選挙事務所関係者、後援会、民主党に所属される方であった場合、「罪」を削除し続けるのは、ある種の検閲ではないかとも考えられます。また、愛媛県の方のようですが、この問題が引き起こした現状をあまり詳しくお知りではないのではないかと危惧いたします。--葉月 2007年4月28日 (土) 02:49 (UTC)

その風評被害によりカイワレ大根業者(その多くが自営業者零細企業)の倒産自殺などが相次いだ。(中略)この問題については、東京と大阪でカイワレ業者らによる損害賠償請求訴訟が起こされ、双方とも第二審で公表方法の過失が認定され、国が敗訴している。
と記述してあるにも関わらず「罪」の部分が書かれていないというあなたの論旨がよくわかりません。そもそもWikipediaは法学のレポートとかではなく、百科事典であるわけですから、最低限度の事実をどちらの立場にも立たずに記述することが必要なのではないでしょうか。
彩華1226さんが菅直人さんの身内や選挙事務所関係者、後援会、民主党に所属される方であった場合
とありますが、なわけないじゃないですか。正直に言うと、私は菅直人とか民主党とか浅野史郎とかが大嫌いなんですよw だからこそ、バランスをとった記述をこころがけなければならんわけです。--彩華1226 2007年4月28日 (土) 13:49 (UTC)

えー、横槍失礼いたしします。彩華1226さんのいきなりの削除の手法には、相当問題あると言わざるをえません。このような編集を行えば、このような事態(編集合戦)に陥るのは、編集以前にわかることでしょう(大人であれば)。改善を求めますし、けんかを売ってるといわれても、仕方がないのではないでしょうか? 

ここからは、僕個人の意見ですが。彩華1226さんの編集(大幅削除)以前の記述が公平性が保たれてないとは思えないのですが、どうですかね?

百科事典だからか、わかりませんが、別に必要最低限でなければならないという制約もないと思いますが..... ついでにいうと、O157事件についてのいきさつの詳しいことは、菅直人のページでは不適当かもしれないとも思うのですが...--Cbrhorse 2007年4月29日 (日) 16:27 (UTC)

私の編集に関してですが、彩華1226さんが記述されている内容では不十分と感じておりますし、論拠を示す必要性から判例を一部引用し、判決内容を知りたい方のために記録をつけています。なお、彩華1226さんの記述では「国が敗訴している。」となっており、裁判所の各判決文で指摘されている「厚生大臣」の発表の時期および内容が問題であったという趣旨が欠落し、単に、国(厚生省(現在の厚生労働省))が敗訴しているとなると、菅直人氏との関係が不鮮明に成ります。そのため、私としては、菅直人氏に関連する表記を論拠を明示した形で表記したく、多少、長いかもしれませんが、判決文を引用して記述しています。--葉月 2007年5月2日 (水) 02:27 (UTC)
判例を示すのなら、脚注を用いればいいのではと思いそのようなかたちにして見ました。--彩華1226 2007年5月7日 (月) 16:54 (UTC)
ありがとうございます。長々しかったのが、すっきりしてたいへん見やすくなりました。--葉月 2007年5月9日 (水) 01:04 (UTC)

年金関係の削除について

「消えた年金記録」問題のところの記述と重複しているために削除いたしました。 他にもあるのですが、ちょっと時間切れなので後ほどかきます。すいません。--Cbrhorse 2007年6月4日 (月) 11:11 (UTC)

追加です。今の世論の状況を見ると、とても菅直人に責任を問う声が巻き起こってるとは思えません。また、自民党と民主党との泥仕合という見方は間違っていると思います。

菅直人の責任が全くないとはもちろん言いませんが、菅直人が作ったシステムが悪かったというだけの問題ではそもそもないでしょう。仮に菅直人に責任を問うとしても、自民党首班の橋本内閣の厚生大臣であり、その後もずっと自民党政権なのです。菅直人のせい(安倍氏の主張だとほぼ100%)で、今の年金問題が発生したかのごとくウィキペディア(あらゆる人が見る)に記述するのは、あまりに公平性にかけると思います。 --Cbrhorse 2007年6月5日 (火) 09:28 (UTC)

>追加です。今の世論の状況を見ると、とても菅直人に責任を問う声が巻き起こってるとは思えません。
>また、自民党と民主党との泥仕合という見方は間違っていると思います。
とありますが、巻き起こってはいませんが、そういう見解はないわけではなく、WEb上では意外にあります。ですので、「菅直人に責任を問う声もある」程度の記述は必要かと。 また、「泥仕合という見方は」間違っているか、正しいかということは必要ではなく、泥仕合だという見方があるのは事実なので、この場合も、「泥仕合という見方もある」程度の記述は必要かと。--阿波座行広 2007年6月5日 (火) 14:06 (UTC)

なるほど。わかりました。しかしながら記事中の「消えた年金記録」問題のところに、安倍氏らから、菅直人の責任を問う声が上がったとあるので、充分ということでよろしいですかね。
あと、泥仕合の件ですが、こちらは自民と民主の話に発展してますので、書くにしても『菅直人』には不必要なような気がします。こういう、全体の話は年金支給漏れ問題のところが適切ではなかろうかと思う次第です。--Cbrhorse 2007年6月7日 (木) 11:57 (UTC)

後期高齢者医療制度における年金天引き

2008年4月24日の民主党定例記者会見で菅直人は

75歳で線引きしたうえ、受けられる医療を制限し、「消えた年金問題」が解決していないにもかかわらずその年金から保険料を天引きするという、まさに「お年寄りいじめ・現代版姥捨て山」とも言える後期高齢者医療制度の問題点を指摘する民主党に対し、自民党の古賀選対委員長が「いたずらに年金からの天引きだけを象徴的に国民に発信する。テロ行為」と、的外れな批判を展開している点を問題視。「矛盾を指摘している人をテロリストとは、とんでもない発言だ」と不快感を示し、矛盾への批判を抑圧しようとする言論弾圧にも繋がりかねない許しがたい発言だとした。

と述べているが、衆議院厚生委員会 1996年6月12日では国務大臣という立場において、

荒井聰委員
そこで、私自身は、介護保険というのは、国保の改正のある方向性を示しているとともに、国保の負担というものをかなり軽減している、軽減するべき要素を持っているというふうに思っております。つまり、国保で今までカバーしていた部分を介護保険として切り離して、介護保険で独立て対応していくわけですので、その部分、国保の部分がスレンダーになる。と同時に、国保の将来の制度改革の方向性というものも、例えば未納対策でありますとか財政調整の対策でありますとか、そういう問題についてもこの介護保険ではかなり工夫をしているのじゃないか。
その方向性が、この国保の問題でもある意味の将来の改革の方向性を私は指し示しているのではないかなというふうに思っているのですけれども、この国保の改革について今後の考え方、それらについて菅厚生大臣としてどのようにお考えなのか、お聞かせ願いたいと思います。
菅直人国務大臣
今日の国保というのはある意味では高齢者、特にもうリタイアしたりして職を持たない方の加入が非常に多くを占めておりまして、そういう点からも保険者である自治体の皆さんに大変御苦労をおかけしている、あるいは今言われました未納等についても、職域の場合と違って地域ですので、自治体がその納入をお願いするのにこれも非常に苦労されている、そういういろいろな面でその御苦労が大変大きなものであるということは十分理解をいたしております。(中略)
また、未納の問題などについてもかなり具体的な手だてを今考えておりまして、そういう中では国保自体の未納も少し減るような方向でいろいろな施策を考えて提案をさせていただいております。そういうことを通して、国保と一緒に納入をお願いすることになる介護保険料の未納部分も少なくなると思いますし、高齢者の保険料についても実質的にはそう未納が多くならないでやれるような、例えば年金等からの天引きなど、そういうやり方で対応していくことによってできるのではないかと思っております。

と保険料を年金から天引きすることを肯定する答弁をしておられます。この点については2008年に与党議員から突っ込みを入れられてしまいました。--経済準学士 2008年6月10日 (火) 21:21 (UTC)

シンガンス話題は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B9 シンガンスの話題がないのは不自然ではないでしょうか?--211.122.122.206 2008年9月16日 (火) 10:29 (UTC)

山口県出身の第9人目の宰相(首相/内閣総理大臣)では?

山口県宇部市にて出生し、山口県立宇部高等学校在籍途中に父親の仕事場の転勤に伴ない東京都三鷹市に転居しているということは、『生まれは山口県』、『16、17ぐらいまで、育ちも山口県』これをもって名実【山口県出身】と言わないほうが詭弁であろう。もちろんこれまでの8人は自民党系統だったかもしれないが、そういうしがらみは堂々と取っ払って、『管直人は山口県出身の第9人目の首相』と言い切っていいはずだ。 ただ、本文に記載する前にウィキペディアの管理人等が検証あるいは論議すべき事項かと思い、ノートに書き出しました。--CLEOVAT 2010年6月4日 (金) 06:41 (UTC)

とりあえず現時点では、まだ内閣総理大臣になっていません。憲法第六条により天皇による任命が済むまでは総理大臣ではありません。--Vigorous actionTalk/History2010年6月4日 (金) 06:47 (UTC)
2010年6月5日の地元紙宇部日報では「県出身の総理大臣は5人目となるが、選挙区が異なることから、県は9人目とはしない方針。」、「安倍晋三元首相に次いで山口県9人目の宰相とはならない。東京が首相としての出身地となる。」と報じられています。--OAzipper 2010年6月6日 (日) 01:44 (UTC)
山口県庁では「東京生まれ東京育ちの人物」を「山口出身の首相」の一人としてカウントしています。菅氏を「山口生まれ山口育ちだから山口出身の首相として認定しよう」ということになると、「じゃあなぜ東京生まれ東京育ちの人物を山口出身の首相として扱っているのか?」という論争に発展しかねないため、県当局としてはそういった話題には深入りせずにスルーしておくというスタンスなんだと思います。--以上の署名のないコメントは、114.48.39.14会話/Whois)さんが 2010年6月12日(土)15:15 (UTC) に投稿したものです(Bsxによる付記)。
菅直人は山口生まれ東京育ちですが東京都第18区選出、安倍晋三は東京生まれ東京育ちですが山口県第4区選出です(父の安倍晋太郎の地盤を引き継いだため、というのもありますが)。現行憲法下では内閣総理大臣が国会議員から選出されるということを考えれば、政治家としての菅直人の出身地は東京都と言うことになり、「山口県9人目の宰相」と見なしていないのでしょう。--Bsx 2010年6月13日 (日) 00:12 (UTC)
新聞の情報ですが山口県の当局では菅直人さんを東京出身の首相、安倍さんを山口出身の首相としてカウントしているようです(総理記念館的なホームページ上でもそのように表記)。ただ、「山口県生まれ山口県育ち・現在は東京都在住・東京都選出」の菅直人さんと「東京都生まれ・東京都育ち・現在は東京都在住・山口県選出」の安倍晋三さんのどちらが山口県出身者なのかについては、ひじょうに難しいような気がします。というか、県の当局(県庁の職員の方なんでしょうか?)が「山口出身の首相かどうかを認定する権限」を持っているのでしょうか? その点がやや不可解ですが・・・。そもそも、認定基準がよくわからないのですが、両者を比較すると選挙区が山口かどうかがポイントみたいです。しかし、それだと鳩山総理とかどうするつもりなんだろうか・・・????それに伊藤博文さんとかの場合、どう考えても選挙区なんて関係ないような気が・・・--以上の署名のないコメントは、114.48.9.197会話/Whois)さんが 2010年6月14日(月)4:26 (UTC) に投稿したものです(Bsxによる付記)。

なんだか、山口県庁の職員がどこまで粘るのか見ものになってきましたが。。。菅首相の「出生地」は山口であることに疑問の余地はないと思います。ただ、出身って、明確な定義はないですよね。高校生くらいまで山口で育った、でもそのあとは東京というのば、山口育ちといってもいいかもしれませんが、山口あんど東京育ちのような気もします。ただ、それだと安倍首相のように出生地は東京、子供のころから大学までずっと東京、そのあとは留学、といった場合、東京生まれの東京育ちというでしょう。しかし、県の基準はおそらくこういった条件とは別の条件が勘案されているのだと思います。ただ、その条件が世間の常識から離れていれば、納得は得られないでしょうけど(ふつう、地域おこしのためにほとんど縁もゆかりもないのに勝手に地元が「おらが首相」といい始めるのが常ですが、今回ばかりは県が「うちの出身者じゃない」と宣言する珍事態となっています)--以上の署名のないコメントは、111.188.9.21会話/Whois)さんが 2010年6月14日(月)17:11 (UTC) に投稿したものです(Bsxによる付記)。

こんな記事が出ました。
山口県出身だよ派
  • 宇部市の市長(県議時代は新政クラブに所属)「本市出身の宰相誕生は同郷の人間として誇り」
  • 神原中学校の校長「この学校から総理大臣が出たことを誇りにして頑張ろう」
おおすみ歴史美術館「9人目(の総理)として、収蔵に向けて働きかけたい」カッコ内は筆者注
  • 民主党山口県連の幹事長「自民党の首相も多いので『何人目』には関心ないが、間違いなく“宇部の菅さん”は山口県出身の首相」
東京都出身だよ派
  • 山口県「9人目の地元出身首相と数えない」
  • 山口県の知事(自民党員。ただし党費未納が発覚)「県ゆかりのある菅直人衆院議員」
  • 山口県立宇部高等学校「途中転出者は同窓生名簿にない」
  • 宇部市議会の議員(保守系)「政治家として立ち、育ったのが山口でないと、『山口県出身の宰相』とするのに違和感がある」
出身地なんてそもそも関係ないんだよ派
  • 内閣官房内閣総務官室「あくまでも便宜的なもの」
なんだか、みんな単に自分に都合のいいように判断してるように見えますけど、、、。記事内には「一方、政府は首相の出身地を「戦前は出生地、戦後は選挙区」と定義し、衆院東京18区選出の菅氏は「東京出身の宰相」となる」と断言しちゃってるんですが、これ、「政府は~定義し」なんていっちゃってるもののどこの機関の方針(内閣官房?内閣府?総務省?)かも明示されておりません。単にネットで検索しただけなのでは。。。ですが、内閣官房の内閣総務官室は「あくまでも便宜的なもの」といってるようです。安倍さん自身はどう思ってるんでしょうか。菅さんは山口出身をアピールしまくってますが。--以上の署名のないコメントは、111.188.38.137会話/Whois)さんが 2010年6月15日(火)7:11 (UTC) に投稿したものです(Bsxによる付記)。

「戦前は出生地、戦後は選挙区」という出身地区分の仕方は、比較的一般的に広まっている見方のような気がしますが(選挙区から立候補するためにはその選挙区の選挙人名簿に記載されていることが必要だったはずで、その意味では安倍晋三も住民票上は確か山口県下関市在住ということになっていたかと)。いずれにしても、この場は私見を披露したり独白を行う場ではありませんので、総合して「~という見方もある」程度の記述にとどめるのが妥当なんでしょうね。--Bsx 2010年6月15日 (火) 14:22 (UTC)

選挙の立候補と住民票には特に何の関係もないでしょう。小泉総理は神奈川県から立候補していますが、総理在任中は公邸に住んでましたよね。だから住民票も東京都千代田区に移動していたはずです。立候補は神奈川の選挙区ですが、投票は住民票のある千代田区が含まれる東京1区で投票していましたよ(おそらく東京1区の与謝野薫氏に入れたと思います)。住民票がなくても立候補自体には問題ないのは、丸川珠代氏の騒動を見てもわかります。ただ、ちょっと心配なのですが「安倍晋三も住民票上は確か山口県下関市在住ということになっていた」というのはさすがにまずい発言では。法的なリスクのある発言はやめた方がいいと思います。田中康夫氏が長野市から泰阜村に住民票を移したとき、生活実態がほとんどないところに住民票を移していいのか裁判沙汰になりましたよね?危ない発言はちょっと。。。--以上の署名のないコメントは、114.48.174.249会話/Whois)さんが 2010年6月15日(火)15:49 (UTC) に投稿したものです(Bsxによる付記)。
住民票上の住所の件は私も記憶があやふやなので、これ以上は掘り下げません(私の勘違いだとしたら申し訳ない)。ただ、当該選挙区から選出されたと言うことは(居住の有無を別にしても)その選挙区の選挙民からの付託を受けたからこそ当選しているので、「選出選挙区の所在地=政治家としての出身地」とするのは比較的自然な考え方だと思います。
いずれにしても、Wikipediaは独自の考えを発表する場でもなければ何らかの定義を与える場所でもないですから、様々な見方のあるこの件について一意的な記述を試みようといつまでも話題を引っ張るのは適切ではないと思いますが。--Bsx 2010年6月15日 (火) 21:28 (UTC)

Interwiki link

Please be kind to add interwiki link to Occitan : [[oc:Naoto Kan]]. --Jfblanc 2010年6月4日 (金) 08:34 (UTC)

internet timemachine internet height length earth circle internet speed lights internet murderrer homicide killer

現職の書き換えについて

この署名のない書き込みは,Sekai sokuho hakkenさんによって,2010年6月11日 (金) 01:49 UTCに書き込まれました。Suzukitaro 2010年6月12日 (土) 14:22 (UTC)

「第94代内閣総理大臣」に書き換えてもよいころだと思うのですが。--okyamane 2010年6月8日 (火) 10:14 (UTC)

憲法第六条によると天皇による任命が済めば正式に総理大臣となるそうです。よって天皇の任命が発表された瞬間から総理大臣となり内閣が発足するわけです。任命が済んでいれば書き換えてもかまいません。--126.116.128.37 2010年6月8日 (火) 11:28 (UTC)

天皇による親任式が、2010年6月8日午後6時30分に皇居の宮殿松の間において行われました。--翰林硯士 2010年6月8日 (火) 11:35 (UTC)

もう天皇から内閣総理大臣に任命されて正式に就任しているわけですから、書き換えてはいけない理由はないですよね。--コンスタンティノープルからの使者 2010年6月8日 (火) 15:02 (UTC)

早急に保護を解除願います。--okyamane 2010年6月9日 (水) 09:40 (UTC)

なぜ未だに保護が解除されないのでしょうか。既に多くの外国語版では首相として扱われており、当事者国である日本語版が、これらに遅れを取ることはよろしくないと思います。管理者には早急な保護解除を要求致します。--海胆 2010年6月10日 (木) 16:43 (UTC)

系譜記述の必要性について

私は系譜記述の必要はないと考えています。 記述者のコメントアウトにて>「菅直人氏について「在日の出自ではないか?」と批判する人が一部いる。これに対応するため菅直人氏がきちんとした日本人であることを証明する手段として系譜情報は必要なので削除しないで下さい」と書かれているのが記述の根拠なのが、でしたらその論争について取り上げる項目を作り、そこに記述するのが筋ではないでしょうか?また、ご自身で>「確実な系譜はないというのが実状である。」と記述されている通り、この記述の正確性には疑問があります。編集合戦となるのは避けたいのでご意見をいただければ幸いです。--123.219.118.66 2010年7月19日 (月) 08:47 (UTC)

記事の本文を確認すると「美作菅家党は有元家を宗家として近世作州の名門とされている。しかし菅公の後裔とはしながらも、確実な系譜はないというのが実状である。」と書かれています。美作菅家党は菅原道真の末裔とされているものの、菅原道真から美作菅家党に繋がる確実な系譜がないということです。また、記事の系譜を見ると、「佐常…」からスタートしており、菅原道真から美作菅家党までの繋がりについては記載されていません。ですから、特に矛盾はないと思うのですが。--以上の署名のないコメントは、114.48.178.223会話/Whois)さんが 2010年7月21日 (水) 15:42 (UTC) に投稿したものです(114.172.56.198による付記)。
記事の本文で菅原道真から美作菅家党への繋がりが不明確だと指摘しており、記事中の系譜では菅原道真から美作菅家党への繋がりを記載せず佐常以降の記述にとどめているわけですから、何が問題なのでしょうか、もしかして「美作菅家党から菅直人に繋がる確実な系譜はないというのが実状である。」だと勘違いしてるのでしょうか? もう一度本文をよく読んでからコメントしたほうがいいと思います。--以上の署名のないコメントは、114.48.178.223会話/Whois)さんが 2010年7月21日 (水) 15:42 (UTC) に投稿したものです(114.172.56.198による付記)。

北方領土の元島民の子弟の中学生の表敬訪問

2010年7月27日、北方領土に関する中学生の表敬訪問で、「日程の都合」を理由に菅首相の代わりに仙谷由人官房長官が応じました。菅首相は首相執務室にいたのに応じなかったと報じられています。

読売新聞 2010年7月27日配信記事によると、1971年から行われている北方領土に関する中学生の表敬訪問で官房長官らが代理が対応したのは3回だけだそうです。

  • 1989年 海部内閣の組閣当日に重なった
  • 1990年 イラクのクウェート侵攻直後
  • 1993年 行われず
  • 2007年 安倍首相が参院選における全国遊説

産経新聞 2010年7月27日配信記事では「訪問事業で首相への面会が実現しなかったのは40年間で5回目。(中略)ただ過去4回は、組閣直前や国政選挙などが理由」と4回となっており、読売新聞の記事と回数がずれています。1993年に関する扱いが違うのでしょうか。--経済準学士 2010年7月27日 (火) 22:25 (UTC)

KY線を保有している

載せちゃだめなの?--Koufgh 2010年8月6日 (金) 12:30 (UTC)

大胆頭脳線に改めました。--Koufgh 2010年8月6日 (金) 12:30 (UTC)

出典を明記していただけますか?「Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去」を参照してください。--W.CC 2010年8月6日 (金) 12:36 (UTC)

途中で荒らしがはいった。意図的ですか?。7月22日「エアベンダー」のヒット御礼イベントでの島田秀平の鑑定です。--Koufgh 2010年8月6日 (金) 12:41 (UTC)
載せてほしくない人がいるようですね。出典があってもダメですか?--Koufgh 2010年8月6日 (金) 12:49 (UTC)
出典があるならとりあえずは問題ないと思いますよ。脚注などを使って記事上に出典を明記してください。--W.CC 2010年8月6日 (金) 12:56 (UTC)
出典があっても整理が求められている記事に貼るような内容ではないと思いますが。--多摩に暇人 2010年8月6日 (金) 13:00 (UTC)

記事に貼るような内容ではないですか?。--Koufgh 2010年8月6日 (金) 13:11 (UTC)

個人的な意見。記事に貼るべきではないとは思いません。ただ、「過剰な内容の整理」が貼り付けられているという現状を踏まえるなら、(記事の全般的な議論がこれからなされる可能性もありますし、)加筆を見送っても良いのではないでしょうか?--W.CC 2010年8月6日 (金) 13:17 (UTC)
しょうがないですね~。手相ブームでそういった事に興味がある人が多いと思ったので書き込んでみたのですが。残念です。--Koufgh 2010年8月6日 (金) 13:24 (UTC)
こんにちは、「過剰な内容の整理」を貼り付けた本人ですので参考までに意図をお伝えしにきました。貼り付けた時点の版で運営基準の”*特に事情がないにもかかわらず、ある特定の状況に関する例示が複数項目記述されているもの。”に該当する記述があったためであり、今ではほとんどの項目を整理し終えております。ただ、当記事は執筆者が複数でかなりの頻度で編集が続いており間違いを見つけては訂正の流れが続いていますので注意喚起の意図でテンプレートを残しております。したがって出典があれば、記述にはなんら問題はないと思います。現役の総理大臣であり、人物像まで載せている記事ですので特に出典には敏感ですが、どうかお気を悪くなさらないで今後ともよろしくお願いします。--114.172.56.198 2010年8月6日 (金) 21:35 (UTC)
お気遣いして頂いてすいません。--Koufgh 2010年8月6日 (金) 22:58 (UTC)

  情報 出典がないことが記載論議の中心とお見受けして、当該の記述について出典に耐えられそうな記事をご報告しておきます。テレビ朝日"手相芸人もお墨付き!蓮舫は日本の救世主に!‎"産経新聞"明石家さんまにあって菅首相にないものは?日本を救うのは蓮舫氏?手相芸人の島田秀平が占う!"Walkerplus"島田秀平が手相占い!蓮舫議員は女性初総理大臣になれるかも?"--114.172.56.198 2010年8月7日 (土) 07:00 (UTC)

  コメント人物像項目と見比べる限り、百科事典的基準から逸脱しているとは見受けられませんが、多摩に暇人さんのような意見もありますので、もし編集されるのでしたら合意の上でアカウントをお持ちの方に委ねたいと思います。--114.172.56.198 2010年8月7日 (土) 07:00 (UTC)
KY線という言葉に抵抗がある人も多いのかもしれません。ただ他の言葉に言い換えたとすると、どの手相の事を言っているのか分からない人も多いと思いますので難しいですね。皆さんがどういう御意見を御持ちなのか知りたいです。--Koufgh 2010年8月7日 (土) 11:33 (UTC)
うーん、占った方がそう称してメディアでもそう報じている以上、あえてこちらで言葉を濁す必要もないかと思います。記事を参考に調べ物をする場合、一般的でない言い回しですと検索などに差し支えますし基本的に言い換えは避けた方がよいかと。--114.172.56.198 2010年8月7日 (土) 12:59 (UTC)
確かにそうだと思います。それより、すぐに削除されたわりには削除された方の反応が無いですよね。編集する事に不満がある方の意見を聞きたいのですが。--Koufgh 2010年8月7日 (土) 22:16 (UTC)
そういった場合記載したい文章をここに提示してください。内容に異議があった場合相談の上内容を改変して同意を得るか、または一週間程度反対意見が無い場合は合意があったとみなせます。--114.172.56.198 2010年8月8日 (日) 14:13 (UTC)
こうした手順で記載された内容はノートでの再議論か管理者の権限以外では勝手に削除出来ない拘束力があります。--114.172.56.198 2010年8月8日 (日) 14:19 (UTC)
手相では島田秀平の鑑定によるとKY線を保有している。ですけど、難しいですかね。--Koufgh 2010年8月8日 (日) 15:02 (UTC)
簡素で主観も入っていないので問題ないと思います。これに出典を付け加えることもお忘れ無く。--114.172.56.198 2010年8月8日 (日) 16:00 (UTC)
「出典があっても掲載してはならない典型例」だと思います。特定の宗教宗派の見解をわざわざ百科事典に乗せる必要は全くありません。このような記述を許した場合、今後、他の宗教宗派からの編集を食い止めることができなくなります。たとえば、ノート:船田元がいい例だと思いますが、ある某教団の教祖の見解をそのまま載せようとする動きがあるようです。「○○教団の教祖□□が、政治家△△の前世は××だと主張した」のような記述は、百科事典に全くふさわしくありません。それはその宗教宗派の独自の考え方に過ぎません。かつて安倍晋三首相が在任中にも、「安倍首相の前世は○○だ」というその教団独自の見解が記載されたこともありました。今回も「KY線を保有している」との記述は、あくまで島田氏独自の宗教的見解に過ぎません。このような記述は望ましくないと思います。—以上の署名の無いコメントは、111.188.24.114ノート履歴)さんが 2010年8月9日 (月)21:43 (UTC) に投稿したものです。
追記。もしかすると手相占いの広告宣伝のために記述しようとしているのかもしれませんが、そのような占術亀卜の類を広範に流布したいのであれば、別のサイトでやるべきだと思います。—以上の署名の無いコメントは、111.188.24.114ノート履歴)さんが 2010年8月9日 (月) 01:13 (UTC) に投稿したものです。
  コメント斬新な発想で感心しましたが的外れな心配ではないかと思います。特定の宗教宗派の見解を載せないというだけを指針にした場合、例えば国産みのような神話の説明記事はもとより、一次資料のない神武天皇ナザレのイエスまでも記載すべきでないということになりますよ。たしかに宗教的な新説は注意が必要ですが社会において普遍的であれば記載されている事実があります。今回、珍奇な主張ですが公人の島田秀平が主張して多数のメディアに報じられているのですから強固な情報源とみなして問題なく、完全に検証可能性をみたしています。IP:111.188.24.114会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが例にあげられたノート:船田元や「安倍首相の前世は○○だ」といった例はそもそも「○○という新興宗教団体の講演で主張された」程度の有効な出典のない内容で、同列に扱うのは乱暴です。ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準が「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」であるからこそ神話や逸話、民間伝承を記載できるのです。--114.172.56.198 2010年8月9日 (月) 01:13 (UTC)
私はなにか書く気がなくなりました。話しが重いです。すいません。--Koufgh 2010年8月9日 (月) 01:51 (UTC)
国産み神武天皇ナザレのイエス、はいずれも宗教的側面のある事物を主体とした記事ですから、宗教的な記述をするのが当然でしょう。(神武天皇が実在するとの説も当然ありますが、それはまた別の話です。基本的には記紀に登場する神話的な人物という側面があります)。しかし、菅直人氏はどう考えても神話の登場人物ではありません。彼について、宗教的な解釈を乗せる必要があるとは到底思えないのですが。少なくとも、「手相占い」POVだろうと思いますし、まして島田秀平氏の個人的な宗教宗派的主張とあれば、わざわざ載せる必要があるのだろうか?、と思います。なお、某教団について「「○○という新興宗教団体の講演で主張された」程度の有効な出典のない内容」との指摘がありますが、その教団は多数の出版物を出しているため検証可能性としては文句のつけようがありません(たとえば、このような書物まであります→ ISBN 9784863950566 )。だからといって、検証可能性を満たすから何を載せてもいいかといわれれば、それはちょっと違うだろうと思います。もちろん、手相占いを熱心に信仰する信者の方にとっては事実かもしれませんが、それをいちいち百科事典に載せちゃうのでしょうか?--111.188.105.105 2010年8月9日 (月) 03:09 (UTC)

(インデント戻し)手相は文化的側面もあり広く浸透しているものだから容認すべきと思ってましたが、参考に利用者‐会話:Stttnnnみてたらなんかもう手相なんか載せなくていいやと思い至りましたので私も反対に回ります。提起者も取り下げたようですしこれにて。--114.172.56.198 2010年8月9日 (月) 04:13 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/宗教宗派的な記述はどこまで許されるのかにて議論が行われましたが、このような事柄は書くべきでないとの論調で一致しております。熱心な信徒の方々にとってはご不満かもしれませんが、「所属する教団宗教宗派の内部では一般的な事柄であっても、我々世間一般から見ると全く認められていない」、といった場合も多々あります。ですので、自身が信仰する宗教宗派の独自の主張に沿った記述を加えたいのであれば、きわめて慎重に扱うべきです。—以上の署名の無いコメントは、111.188.34.81ノート/Whois)さんが[2010-08-13T10:03:04 (UTC)]に投稿したものです。
一方的物言いや「信徒ら」とレッテルを貼る行為には憮然としましたが仰ることはわかりました。特に不服もありません。ところで署名をお忘れ無きように。公式な基本方針でもありますが、それ以前に基本的なエチケットとして扱われます。--114.172.56.198 2010年8月14日 (土) 07:43 (UTC)

何の責任?

「震災対応にメドをつけたら若い人に責任を引き継いでもらいたい」と菅さんは語り、それを近々退陣するものだと受け取る人がいましたが、そのメドというのがいつなのかはっきりしていませんでした。それと同様に、責任を引き継ぐといっても、何の責任を引き継ぐのかはっきりと語っておらず、内閣総理大臣の職を引き継ぐかどうかはわかりません。マスコミはこれを退陣表明と解釈しましたが、それはマスコミの解釈であり、菅さんが本当に退陣表明をしたのかどうかは不明です。なので「進退を表明した」というのは飛躍しすぎであり、ウイキペディア的には「語った」でとどめておくべきです。--124.101.75.62 2011年6月11日 (土) 06:21 (UTC)

原発対応について

防災訓練の件に森氏が言及しているように書かれるなど発言と東京新聞記者による内容が区別されておらず、IP氏の編集内容に疑問があるため一旦コメントアウトし別の出典をつけました[2]。なお中立性を欠くネットでの糾弾は不要と考えます。--Nofull 2011年11月2日 (水) 13:42 (UTC)

甲状腺機能の件と菅氏は無関係なので除去します。--Nofull 2011年11月2日 (水) 22:13 (UTC)

原発事故に関連した菅直人批判が偏向編集された問題

特定の、菅直人首相を著しく擁護するマスコミの偏向報道と同調する、恣意的な錯誤への誘導を目的とした記事の改変行為が認められます。森まさこ議員が、2011年6月3日の参院予算委員会で、国民の声を代表して国会で追及した批判の内容と、それに関連するマスコミの反応、ネット上の国民の声などが、2011年11月2日 (水)偏向編集されました。菅政権の判断ミスによって、「子供達が被爆させられた責任を追及する声」を、消し去るべきではありません。「子供の被爆」問題に憤りを覚えた国民の声が存在した歴史的な出来事を、最も主要なキーワードを削除することで隠蔽する、政治的意味合いが強い編集が行われた事実は、問題の根が深いと感じます。東京新聞の「住民に被ばく強いた」と報じた記事や、「万死に値する」というネット上の批判の声は、ありのまま正しく残しておくべきでしょう。菅直人批判の項目から、何事もなかったかのように、最大の批判の声を綺麗さっぱり消し去る行為は、偏向を目的とした事実の隠蔽、記事の改変に他なりません。11月2日 (水) 22:08の編集によって、中立性が大きく損なわれたことは、誰の目にも明らかです。

スピーディの問題で、菅直人首相は森まさこ議員から、以下のように追及されました。 1.事前に原発事故の予防訓練を受けて、スピーディーの存在とマニュアルの内容を知っていながら、マニュアルと法令に定められた適切な避難指示を出さず、総理大臣の職責を果たさなかった点。 2.ベントまでには8時間の避難の余裕があったにもかかわらず、危険を知らせようとせず、避難所の屋外で炊き出しを食べていた子供達にまで、食品に付着した放射能の摂取によって、内部被爆をさせてしまった点。 3.菅直人首相の国会答弁に、自己弁護を目的とした明白な嘘が含まれている点。

1.の追及に対して、菅直人首相は「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」と言い訳にならない答弁を行いました。「マニュアルに従った適切な指示を出さなかったのはなぜか」と追及されたのに、「作成された予測図が自分のところまで来なかったのだから、自分は知らなかった」という理屈は、成り立ちません。事前に定められたマニュアルどおり指示を出して、役人に適切な仕事をさせるのが、総理大臣の職務です。職責を果たさなかった理由を追及されても、菅直人首相はまともな返事が出来なかったのが、歴史的事実です。これを隠蔽することなく、ありのままの姿で後世に伝えるべきだと思います。言い訳にならない答弁を、さも適切なものであったかのように、読み手を錯誤させる書き方をしてはなりません。マスコミが行っている国民の声を封殺する悪質な偏向報道と等質の、中立性を著しく損なう記事の改変が行われていると判断します。

2.の追及に対する回答を国民は期待したのですが、「仮のデータを使ったもので、正しい予測ではないから、公表しなかった」と答弁しています。菅直人首相が原発を視察したことによってベントが遅れ、風向きが変わって住民に被爆を強いる結果を招いたのではないか、という批判の声が、スピーディーの問題が指摘される以前からありました。そこで、スピーディーによって風向きの変化などが事前に予測出来ていたにもかかわらず、何も知らされずに屋外で食べ物を食べている子供達に、内部被爆を強いる結果になった事態に対する、適切な回答が求められたのです。菅直人首相は国会でまともな返事をしなかったのが、歴史的事実です。「子供達に必要のない内部被ばくを強いる結果を招いた」と菅直人首相を批判する国民の声を、ウィキペディア上から完全に抹殺してよしとする改変は、その判断基準におおいに疑問があります。中立性を著しく損なう問題性のある行為です。

3.国会答弁で総理大臣が嘘をつけば、とうぜん批判の的になります。「仮のデータを使った不正確なものだから公表しなかった」と弁明すれば、データの存在を知っていたことになります。にもかかわらず、「予測図が作られたが私の手元まで伝わらなかった。存在を知らなかった」と言い張れば、明らかに嘘をついていることになります。森まさこ議員はこの点を追求し、「マニュアルには、仮の数値を入れて計算すると明記されているのだから、マニュアルどおりデータを公表せず、避難の指示も出さなかった言い訳にはならない」点を追及しました。菅直人首相は、まともな答弁が出来ず、国会で言い訳にもならない嘘をついたことを謝罪もせず、形だけの陳謝を行っています。しかもその内容は、「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。大変申し訳ない」というものでした。マニュアルどうりに指示を出さず、総理大臣の職責を果たしていなかったこと、国会で見え透いた嘘の答弁を行ったこと、に対する謝罪の言葉は、一切ありませんでした。予測図が自分の手元に届かなかったことが問題だと、話をすり替えて、あたかも書類を自分のところに持ってこなかった役人にこそ罪があるのだと、ほのめかすように、責任転嫁する内容だったため、国民の怒りが爆発したのです。

菅直人首相が国会でまともな謝罪を行わなかったため、今でもこの問題は収拾しておらず、ネット上で「万死に値する」と、厳しく責任を追及する批判が続けられているのが現実です。ネット上の国民の声を無視するのが適切と主張して、ウィキペディアを改変した2011年11月2日の編集行為には、問題があります。国会で嘘の答弁を行い、職責を果たさず、国民に対する背任行為を行った歴史的事実を、生の批判の声とともに、ありのままの姿で載せておくべきだと思います。嘘つきの背信者と国民から批判され続けている人物を利するような、事実の隠蔽や情報の歪曲を含む記事の改変行為は、社会に及ぼす影響が大きいと感じます。マスコミによる一連の偏向報道と等質の、ウィキペディアの記事の中立性を著しく損なう根深い深刻なものと判断し、内容の改善を求めます。マスコミの偏向報道がそのままウィキペディアに投影され、誤情報の流布や歴史の捏造につながることがあってはなりません。--以上の署名のないコメントは、222.231.99.79会話/Whois)さんが 2011年11月4日 (金) 07:49‎ (UTC) に投稿したものです(でぃーぷぶるー2による付記)。

すぐ上で説明をしているのでその後に続けてもらえませんか。また、Wikipediaは演説台ではありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。見出しで批判することもおやめください(Wikipedia:ノートページのガイドライン)。
1.森氏の発言は議事録で確認できますが、訓練には言及していません。これは誰の発言でしょうか。
2.多少違いはあるものの、この点は産経の記事にも載っています。ただしありのまま書くのが方針であり、真実かどうかの調査はしないことが求められています(Wikipedia:検証可能性)。
3.これもありのまま書くだけです。編集者による嘘だ偏向報道だとの主張を記事に反映させてはいけません。
なお事故と甲状腺機能の関係は不明とされているので、以降の内容は菅氏の記事に書くべきではありません。--Nofull 2011年11月4日 (金) 13:03 (UTC) 議事録のURLを修正--Nofull 2011年11月4日 (金) 13:25 (UTC)

一部記述の移動

『人物像』の節にあった震災関連の記述を『経歴』に移動しました。政治家の記事全般に言えることですが、同じような話題の記載がなぜか複数箇所に分散しているのを是正するための処理です。--Hotaruike会話2013年1月5日 (土) 14:26 (UTC)

プレジデント・ロイター誌の記載について

この編集でプレジデント・ロイター誌を出典をした記載の削除がありますが、ロイター社の発行で、Wikipedia:信頼できる情報源でないということは確認できません。批評者も名の知られた人物で、WPルールの外形的には問題の無い記述です。別途、問題がある場合は具体的に指摘してください。--Los688会話2013年1月6日 (日) 11:03 (UTC)

IAEAの報告内容について

「政府の事故後対応が模範的で感銘を受けるほど優れていたとは書かれてない。」というコメント付きで編集を削除している方がいますがどういう了見でしょうか? 出典の冒頭に

(原文)L’AIEA, l’Agence internationale de l’énergie atomique, distribue les bons et les mauvais points. La réaction des autorités japonaises a été exemplaire. Les évacuations ont été impressionnantes, mais les risques de tsunami ont été sous-estimés, estime l'agence.
(和訳)IAEA、国際原子力機関は正負の両面を指摘した。日本当局の反応は模範的なものであるとしている。非難プロセスは感銘を受けるほどのものであったが、津波の危険性については過小評価されていた面もある、と指摘している。

という風に記載されています。コメントで具体的に指摘された点についても以下の通りです。

impressionnantes→impressionnantの変化形(英語で言うところの三単現)で和訳は、感銘を受ける、感動的な、印象的な、など
exemplaire→見本、模範的な、典型的な

また、メディアの評価についても震災からおよそ一年後に各紙が報じた総括的な評価を記載しています。事故当時に出ては消えるを繰り返したものより、時を経過して出された評価の方が百科事典の記載として妥当であると考えています。--220.214.163.75 2013年1月20日 (日) 12:00 (UTC)

IPアドレスから見るに、あなたは下記の「原発対応の評価に関して」における222.5.109.18と同じ方のようですね。下記の「原発対応の評価に関して」と内容も重複しているようなので、この「IAEAの報告内容について」は今後「原発対応の評価に関して」と統合したうえで「原発対応の評価に関して」で議論を行いましょう。--Naruhodou会話2013年1月20日 (日) 14:17 (UTC)

原発対応の評価に関して

上の節でも言及していますが、原発対応に関するメディアなどの評価に関して、事故当初に出された突発的なものではなく、事故から期間が経った時期のものを記載すべきだと思います。 時間を経て総括として出されたもののほうが、事故当初に情報が錯綜していた頃に出されたものよりも深く検証されたものであり、信頼性も高いと考えるためです。--222.5.109.18 2013年1月20日 (日) 12:32 (UTC)

過去に出典された記載を削除しておられますが、当初に書かれた内容だから全て間違っているということには当たらないため、これらはWikipedia:信頼できる情報源でないということは確認できず、WPルールの外形的には特に問題の無い内容です。また、今回一旦除去され私が差し戻した箇所には、あなたが出典として記載されておられる2012年2月から3月よりも後の、「東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会の最終報告」後に書かれたものも含まれており、提案されておられる内容と矛盾しております。情報が錯綜していたことによる間違った内容であるということであれば、別途、出典元の内容が間違っているという裏づけとなる確たる証拠を個別に提示して、具体的に指摘してください。--Naruhodou会話2013年1月20日 (日) 13:44 (UTC)
私がいったん記事をこの時点のもの差し戻したのは、上の節にも記載したようにこの編集が出典に記載されているものを記載されていないなどとする虚偽の理由に基づいていたためです。
本題ですが、ある程度の期間が経った後の評価を記載することについて特に異論はありません(ただし新たに追加しようとされている記載の出典の日刊ゲンダイがそのた大手新聞社等と比較してWikipedia:信頼できる情報源といえるかは議論の余地がありそうですが)。ある程度期間がたった後に各新聞社が総評として出した論評があるにも関わらず、当初情報が錯綜した板敷きに出された論評をあえて記載する必要があるでしょうか?私はそれは雑多な情報の羅に該当し、必要ないと考えています。
それから二点ほど指摘して起きたい点があります。まず第一にIAEAの評価を記事にしているラジオフランスを出典とした記載を削除しているのはなぜですか?第二に、(もしかしたらあなたの編集ではないかも知れないので、違っていたら大変失礼なのですが)あなたの差し戻した記載ですが、主語と述語の関係が不明確だったり、句読点が無茶苦茶だったりと、非常に読みにくくなっています。
なおこの件に関しては議論の活性化のためコメント依頼も出しています。--222.5.109.18 2013年1月20日 (日) 15:41 (UTC)
私が手を加えたものは履歴に私のアカウント名が示されております。もし他の編集まで私のしたことであるかのように言われているのなら、はなはだ心外です。また、出典が書かれた記事をこれだけ大量に除去するのならば、いきなり除去したりせず事前にノートでの提案と同意のステップを踏むべきです。
除去された箇所についてですが、「出典に記載されているものを記載されていないなどとする虚偽の理由」というのが今ひとつ理解できないのですが、出典に記載されているものが記載されていないから虚偽であると申されておられるのでしょうか?もしそうであるのなら、出典に記載されている内容を、書き足すなり文章を正しく修正すれば済む話ではないでしょうか?文章についても、主語と述語の関係が不明確だったり句読点が無茶苦茶だったりして読みにくいと感じるならば、文章そのものを修正すれば良いだけのことです。
「当初情報が錯綜した板敷きに出された論評」というのも今ひとつ理解できないのですが、あなたが書かれた2012年2月から3月以前の情報は誤りである、もしくは書くに値しない情報ばかりだと申されたいのでしょうか?もし内容が誤っているため削除すべきということなら、これらの情報が誤りであるという裏づけとなる確たる証拠を個別に提示して具体的に指摘すべきです。書くに値しない雑多な情報であると主張されたいのなら、なぜ書くに値しない雑多な情報であるかを個別にもっと詳しく指摘したうえで、この場で提案して同意を得たうえで行うべきであると考えます。
期間がたった後に各新聞社が総評として出した論評を書くべきということであれば、2012年2月から3月に書かれた論評ではなく「東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会の最終報告」後に書かれたものを書くべきであると考えます。IAEAの記事については要訳欄において疑問の声が挙がっていたようなので、失礼ながら一旦除去させていただきました。--Naruhodou会話2013年1月21日 (月) 06:08 (UTC)
Naruhodouさんの主張及び、Naruhodouさんの編集はNaruhodouさんのアカウントが履歴に残っているもののみであると言う旨、理解しました。
「出典に記載されているものを記載されていないなどとする虚偽の理由」←この指摘はこの編集に対するものです。IAEAの報告内容についてで指摘したようにラジオフランスの記事に明確に記載されている内容がこの編集によって「記載されていない」という理由で除去されています。
本題ですが、私が主張したいのは、事故から一年が経過した後に各新聞社が一面や社会面を丸々使って社としての総括を出しているのに、それに至るまでの途中経過で出ていたような評論を記載する必要があるだろうか?という点です。
「東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会の最終報告」に関してですが、確かにこの報告の後に新たな総括評論等が出されているなら、そちらを優先すべきだとは思います。社説とか、小さい記事レベルはあったかもしれませんが、私はその後の総括みたいなものを見た記憶がありません。暇が出来た時に図書館にでも言って、その時期の新聞を確認してみようかと思います(いつかは未定ですが)。
コメント依頼も出していますので、ある程度の期間コメントを待つために削除は差し控えますが、少なくとも文章が成立していない部分については修正しておきます。--222.13.236.29 2013年1月21日 (月) 11:45 (UTC)

インデント戻します。一旦削除した箇所についてですが、あなたが「その後の総括」と呼んでおられる事故調の最終報告すら出ていない2012年2ー3月の記事を理由に、記載する必要がないというのは正直いかがなものかと考えます。例えば「その後の総括」と呼んでおられる箇所には名前が挙がっていない日本経済新聞の主張を、他の新聞が行った主張とひと括りにして無かったことにするのは良くないと考えます。例えば、滞在時間も短かかったこと等により被災者の厳しい声が挙がったことと、それを伝えるメディアがあったことについても、被災者がその後、菅政権の行動を高く評価し直しているわけではないこともフェアに見たうえで、この件を無かったことにするのも反対です。

加えて、あなたが修正された箇所についても中立的な観点から見た場合、問題があるのではないかと考えます。その後、今回のように事故調の最終報告で菅氏に対して厳しい意見が出ているケースの場合は特に、菅氏を高く評価する内容が文章全体を支配するような内容になるような書きかたにはならぬよう注意を払うべきです。政府の事故調査・検証委員会の最終報告を書き加えられていることは良いのですが、文章の最後が、原子力村と対立したことが一部メディアでの菅批判や政界における菅おろしの流れにつながったのではないかという文章で締めくくっていることも、見ようにによっては政府の事故調査・検証委員会の最終報告まで原子力村と対立したことが原因であるかのような印象を与えかねず、結果として中立性を欠いてしまっていると考えます。それを避けるためにも、第2ドイツテレビの番組については菅氏に対して評価または擁護しているメディアのひとつとして毎日新聞やニューヨークタイムスなどと同じく上の箇所にまとめて書くべきと考えます。

ちなみに、IAEAの報告内容についても私なりに調べてみました。私が見つけた和訳だと「国際原子力機関は、良かった点と悪かった点を列記した。日本当局の反応は模範的だった。住民の避難は感動的だった。しかし、津波のリスクは過小評価されたと、同機関は評価している。」と訳されております。このとおりであるならば、日本当局の反応は模範的だったという部分においては異論はありません。しかしながら、住民の避難が素晴らしかったことについては菅政権の功績によるものとは言及されておらず、菅政権の評価というより住民の行動に対し評価していることになるため、特に菅氏の人物像に寄与していない蛇足な内容ではないかという疑問を持ったのですが、いかがでしょうか。--Naruhodou会話2013年1月21日 (月) 22:00 (UTC)

議題がいくつかに渡っていますが、まず一つ目の段落での内容については、私が見落としているような総括評論があるのならそれを記載することには特に反対しません。しかし、なんでもかんでも評論しているものを集めていくと記事がひたすら肥大していくことを懸念しています。そういう意味で新聞社の総括評論を記載内容にチョイスするのは間違ってはいないのではないでしょうか?
二つ目の段落の内容について、ドイツ第二テレビのフクシマの嘘をご覧になりましたでしょうか?この番組は当時の政府の対応の是非に言及しているものではありません(多少はそういう内容もありはしますが)。この番組は主に原子力村と日本の原子力行政についてのリポートになっていて、その中で原子力村の影響力がマスコミや日本の政界に及んでいることを批判しているものです。ですので、政府の対応に対するマスコミの反応に関する記述を並べた後に、じゃあそのマスコミ自体はどうなのか?、という記述が来るのは文章構成として妥当ではないかと思います。
三つ目の段落の内容について、私は人様に偉そうに語れるほどフランス語が出来るわけではありませんが、「避難」という動作の『主格』は何だと思いますか?あなたの指摘するように「住民」という可能性も絶対に無いとは言い切れません。しかしその「住民」という主格はどこから出てきたものでしょうか?フランス語は主格を省略することがよくありますが、省略される主格はそれ以前に出てきたものです(蛇足ですが「避難とは~~」のように、避難とは何ぞや?というような一般論を語るような場合も当然主格は省略されます)。「避難」より前に文章内に出てきた単語でその後の文章の主格となれそうなのはIAEAと日本政府だけで、住民を表すような単語は見当たりません。IAEAが主格だとすると意味の通る訳が出てこないように思います。ですのでこの避難の主客は日本政府で、訳としては「(日本政府が行った)避難活動は感動的だ」となると考えます。原文に「Les évacuations」と言う風に定冠詞が付いている点からも避難の主格は直前の文に出てきている日本政府と考えるのが妥当かと思います。直訳すると「日本政府の対応は模範的であった。その避難活動は感動的であった」となると思います。--222.13.236.29 2013年1月22日 (火) 15:33 (UTC)
ありがとうございます。IAEA報告内容の文章については理解致しました。報告内容はNHKでも詳しく解説されておりました。ただ、これを読むと住民の避難についてはよく組織化されているとして適切であるとの評価を下していると解説されております。フェアに見て、菅政権以前から元来組織化されていた自治体や行政の行動も含め政府としてよく組織化され住民の避難は感動的だったという評価であって、取立てて菅政権だから素晴らしく組織化されていたというわけではないようにも思えるのですが、その点も考慮すれば菅政権だからこそ住民の避難は素晴らしかったという印象を与える内容にはならないように文脈には注意を払うべではないかと考えます。
また、記事が肥大することを懸念して記載内容をチョイスするという理由から、あなたが「総括評論」と呼ぶ2012年2ー3月の記事だけ残すべきと主張されておられますが、日本経済新聞も2012年7月6日に「原発事故は人災 国会事故調が報告書決定 官邸の過剰介入を批判」と報じており、あなたが「その後の総括」と呼ぶ記事を引き合いに出して「及第点程度の評価を与えているメディア」として名前を挙げておられる読売や毎日ですら、その後、朝日新聞が2012年7月6日に「原発事故は人災と断定 国会事故調が最終報告」という見出しで首相官邸の過剰介入について報じ、読売新聞も2012年6月10日には「官邸の過剰な介入 原発事故の避難に混乱招く」、2012年7月24日には「菅氏の自負 原子力に土地鑑、混乱巻き起こす」と報じています。このことからも2012年2ー3月の記事を、最終的な意見であるかのように扱うのは問題があるのではないかと考えます。
先日、例えとして上記に挙げた2点などについても、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるに「このような節を安易に除去してはいけない。それぞれの内容を系統立てて本文に織り込んでいきましょう」と書かれているように、菅氏を擁護する記事を取り立てて引き合いに出し、被災地における住民の意見を伝えた報道などを、まるで無かったことかのように全て削除して葬ってしまってよいということには当たらないと考えます。
あなたが「総括」と呼ばれている箇所と、修正された編集は、菅氏を評価したり擁護する観点に立ったものになってしまっており、Wikipediaの3大方針と照らした場合も問題であると考えます。そもそも理由はどうあれ、1つの意見に過ぎないドイツ第二テレビの番組を取り立てて文章の締めくくりとして書き記し、菅氏を批判しているマスコミの報道は、原子力村の影響力がマスコミや日本の政界に及び原子力村との対立がメディアの批判や政界にける菅おろしの流れに繋がったのではないかという、あなたが支持する内容であるドイツ第二テレビの番組を最後に持ってくることで、結果として菅氏を擁護するような印象が文章全体を支配する構成になっていることは、「中立的な観点」における「書きかたの失敗例は、意見ではなく事実を記述するものになっており対立する見方について紹介しつつも、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者に、それとなく感じさせるものになっており特定の見方を支持するものになる場合。暗に示したり、読者を信じ込ませようとしたりもしない、どのような特定の観点も全く表明しないのが正しい」「どのような特定の立場もひいきされないように工夫すべき。その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要」「論争の種になるような立場を主張することなく単に記述する。「p主義者はpが正しい、q主義者はqが正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある」といった記述をすること。編集者の仕事は、単に信頼できる情報源に記載されている主張を忠実に紹介するだけ」という方針や、「独自研究」の「特定の立場を推進する見解が主張されている自分の支持する特定の観点からなる発表済みの情報を自分の提唱する論証や定義を支持するような形で解釈・合成するようなことを排除する」という方針にも、そぐわないと考えます。--Naruhodou会話2013年1月23日 (水) 04:53 (UTC)
IAEA関連の記述に関しては合意します。
国会事故調査委員会の最終報告書に関しては認識の合っていない部分があるような気がしてきました。私が総括と表現している2012年の2,3月のものは、各新聞社が独自の検証を行って紙面に掲載された記事のことです。一方、国会事故調査委員会の最終報告書に関しては、各マスコミが「~~~という内容の最終報告を国会事故調査委員会が出した。」という報道・引用を行っているのであって、各新聞社が最終報告を元に独自の検証をした、というものではありません。私がNaruhodouさんの意図を読み誤っているのかもしれませんが、Naruhodouさんの書き方を見ると「事故調査委員会の最終報告と同じ内容の検証報告を新聞社が行った」という風に編集しようとしているのではないかと読み取れます。そうでないのであれば、コメントをしてくれているHotaruikeさんが言うように、「大手新聞社の総評」と「事故調の最終報告」を併記することに反対はしていません。
ドイツ第二テレビに関して、私が特定の観点を推奨するような編集を行っていると言われているようで非常に心外です。私が行っている編集は単純に次のように事実のみを列挙しています。
1.菅に対してあるマスコミがこんな肯定的評価をした。2.菅に対してあるマスコミがこんな否定的評価をした。3.事故調査委員会がこんな報告をした。4.日本のメディア・政界と原子力村の間の関係が菅に対する評価に影響があるのでは、と海外のメディアが指摘した。
文章構成として真っ当だと思いますし、事実のみを記載しているつもりです。--222.13.236.29 2013年1月23日 (水) 15:55 (UTC)
IAEA関連の記述に関して合意していただくにあたり、住民の避難に関しては菅政権だからこそ素晴らしかったという印象を与える内容にはならないよう、どのような文章を記載されるつもりなのか提示していただけないでしょうか。
特定の観点を推奨するような編集を行うつもりがないのなら、事故当初に情報が錯綜していたこととは関係がない被災地における住民の意見を伝えた報道まで消す必要性は無いはずです。
最終報告が出された後だと、読売新聞も、2013年1月1日には「安倍政権に期待高まる」という記事で菅政権は震災への対応等で混乱して批判を受けるなどゴタゴタが続いたため民主党に対する信頼を失わせた、日本経済新聞も2012年12月30日に「民主惨敗の序曲は昨年に」という記事で、震災や福島原発事故を巡る菅の対応は初動を巡る政治の混乱が国内外に不安をもたらしたと評しています。やはり最終報告が出される前の報道を最終的な評価のように扱うのは問題があると考えます。
ドイツ第二テレビに関しては、下記における疑問にも答えていてだけないでしょうか。下記の理由を考えれば、ドイツ第二テレビの番組に関しても今回あなたが雑多な内容と判断した記事と同じく、取り立てて書かなければならないものには当たらないのではないかと考えます。
IAEAの報告にかんしては、「避難」に関連する部分を記載しなければいいのではないでしょうか?私は元々冗長な記載は避けるべきだと考えているので、避難が政権による影響を受けたものでないというなら、記載する必要は無いと考えます。
読売新聞の記事は確認しましたが、この記事に書かれている内容は2012年に紙面に掲載された評論にも書かれていることです。紙面に掲載された評論は、非があったことも含め、様々な観点から検証し、最終的に、非もあったがある程度評価できる対応だった、といった論調のものでした。他紙の同時期の評論も同じような論調のものでした。同新聞社の記事により多くの観点から検証を行った記事があるにも関わらず、あえて一つの観点のみを抜き出した記事を選ぶ(しかもこどもニュース)のはそれこそ中立性の欠片もない出典のえり好みです。日経新聞の記事については会員登録していないので確認できませんでした。ご了承下さい。
別の方に出された疑問に私が答えるのもなんですが、「フクシマのうそ」の構成は、語り手が原子村の政界などへの影響を批判をする上で、その裏づけとする証言例として菅や佐藤にインタビューを取り上げているのであって、インタビューに基づいてこの番組の主張が作られたわけではないように受け取りました。まぁ私はドイツ語はさっぱりわからないので、ネットに転がってる幾つかの英訳、和訳を読んでそう感じたにすぎず、ドイツ語のニュアンスだと違うのかもしれませんが、youtubeなどで大量に引っかかる「フクシマのうそ」を含むZDFの震災・原発特集の一連の番組内容からは私の解釈のほうが合ってるんじゃないかという気がします(他の番組の内容理解も英訳、和訳に頼っていますが)。
ところで、すでに私の編集に対する考えは全て書いたつもりですし、議論内容が若干堂々巡り化しているため、これ以上の二人での議論は意義が薄いように感じますので、一旦ここで私からの意見は区切ろうかと思います。コメント依頼も出していますので今後コメントを寄せてくれる方がいるかもしれませんのでもうしばらくコメント待ちをした後、もしよろしければ一度あなたの考える編集をしてみてはいかがでしょうか?あなたが記事を編集し、もしその内容がここでの議論を妥協できないレベルで反故にするようなものであった場合、再度意見を表明したいと考えます。--222.13.237.26 2013年1月24日 (木) 17:46 (UTC)

インデント戻します。あなたの意見にはまだ疑問、反論等ございますが、その提案を受け入れさせていただきたいと考えております。ただし、もし仮に私が編集することになった場合、妥協できないレベルで反故にするようなものとあなたが判断する最低限の基準というのがわからないと困る部分もありますので、もしよろしければ前もってわかりやすく提示していただければと考えます。--Naruhodou会話2013年1月24日 (木) 23:28 (UTC)

  コメント複数の話題が入り混じっていてコメントしにくくなっていますが、コメントをしておきます。対象となっている出来事が震災という大きなものなので他者からの評価をある程度選別することに賛成です。そういう意味ではIPユーザーさんが取り上げている「独立検証委員会」の報告後の大手新聞社の総評とNaruhodouさんが取り上げている「事故調の最終報告」を併記して、他のものは削除してもいいと考えます。 現在(2013年1月23日 (水) 10:50 (UTC))記載されている震災後間もないニュースを出典とした記述は、当時この記事を編集をした人がえり好みで集めてきたあまり重要でない事項の羅列に見える、と言うのが記事をパッと見た感想です。現在の記述の一部を残すにしてもせいぜい支持率が下がったという記述くらいではないでしょうか。

ドイツ第二テレビの記載を最後に記載することは特に問題無いと考えています。動画サイトで字幕つきの動画を視聴した限り、この番組は管に対する評論ではなく、原子力ムラに対する評論(主に批判)が大部分を占めており、その中の一部としてマスコミが管と敵対した背景を取り上げているというものでした。それを管に対する評論の中に織り交ぜるように記載するのは非常に読みにくいように感じますし、最後に記載されていたからといって特段、特定の観点を推奨しているような文章にはなっていないように感じます。むしろ管に対する評論の途中に、管に対する評論でないものが混じっているほうが、何らかの意図のある編集のように誤解される気がします。--Hotaruike会話2013年1月23日 (水) 10:51 (UTC)

ドキュメンタリー番組「フクシマのうそ」を最後に書き記すにあたっての問題は、まだあります。番組の中で主張されている菅が事故対応をめぐり「原子力村」と対立したことが一部メディアでの菅批判や政界における菅おろしの流れにつながったのではないかという結論は、菅氏本人が語ったインタビュー内容を元にしていることです。番組内で菅氏は「津波の前にしておくべき対策をしなかった責任者に責任がある」という発言もしており、自分を擁護するために語った内容と受け取ることもできるため、語っていることが全て真実ではない可能性もあることもフェアに見るべきだと考えます。番組自体が信用できないとは、ゆめ申しません。しかし、このことを考えれば、あなたが雑多な内容と判断しておられるものと同じく、この番組も取り立てて書くような内容には当たらないのではないかと考えます。--Naruhodou会話2013年1月23日 (水) 12:04 (UTC)
Naruhodouさんの指摘を受け確認しましたが、指摘内容に誤りがあると思います。管批判や管おろしたが起こったのは原子力ムラとの対立が原因だ、と主張しているのは管ではなく、ZDFのナレーターです。番組開始から3分ほどのところで管のインタビューがありますがその中に「原子力ムラと対立したから管おろしや管批判が起こった」との発言はありませんし、インタビュー直前のナレーションで「彼は『マスコミにウソを報じられた』と語った。そして彼は辞任に追い込まれた。これは彼が原子力ムラと対立したからだ」と、ナレータが原子力との対立が原因と指摘しています。番組で取り上げられている原子力ムラの影響力の紹介の一つ目の例として、管批判や管おろしも原子力ムラの影響力によるものだ、だと結論付けています。インタビューの中に自分を擁護するかのような発言があるからインタビューに真実でないことが含まれている可能性がある、ともおっしゃっていますが、「自分を擁護する発言がある⇒発言が真実でない可能性がある」という論理ははっきり言って理解不能です、途中の因果関係に大量の仮定や思い込みが入っているように感じます。そもそも、可能性がある、などという曖昧な理由で仮にもドイツの公共放送局がわざわざ日本で取材をして特集を組んで作った番組を雑多なものだと判断するのであれば、世の中のほとんどの報道やニュースが雑多なものになると思います。
どちらにせよ、新聞社の特集記事と政府の最終報告に基づいて、好意的な批評、批判的な批評、批評への批評、という順序で記載することが百科事典の記述としてふさわしいかと思います。
この件にかんしてこれ以上絡むつもりもありませんが、議論内容を見ているとNaruhodouさんの編集方針にはやや問題があるように思います。Naruhodouさんは中立とかフェアという言葉を何度か使っていますが、対象となる事象をより大きな規模で多くの観点から検証したという特集を出典とする記述を、小さな記事(それもその内の一部の記述だけを切り出したもの)を出典とする記述で置き換えようとしたり、または対等な意見として扱おうとしたりすることは、中立的な観点で禁止されている特定の視点を不適切に重点的に記述する行為にあたります。また、ドイツ第二テレビのような一般に信頼できる情報源とされている報道機関の報道を出典としている検証可能な記述を「と受け取ることもできる」、「可能性もある」などというような理由で取り消そうという行為は、ご自身の主張に合致した記事を作成するための腕ずくでの解決に該当するとみなされても文句が言えないのではないでしょうか?--Hotaruike会話2013年1月26日 (土) 07:10 (UTC)
(追記)念のためドイツ第二テレビの報道内容をドイツ語原文から再度検証しました結果、私の英訳や和訳から行った解釈には一部誤りがありました。上のコメントでナレーションの内容を「彼は『マスコミにウソを報じられた』と語った。そして彼は辞任に追い込まれた。これは彼が原子力ムラと対立したからだ」と訳しましたが、より正確なニュアンスでは「彼は『マスコミが私を辞任に追い込もうと嘘の情報を報じた』と語った。これ(マスコミの行動)は彼が原子力ムラと対立していたからだ」とのことです。つまり、原子力ムラと対立したのが原因である、というフレーズだけがナレータの指摘です。指摘の核心部分が間違っていたわけではありませんが、一応報告しておきます。以上です。--Hotaruike会話2013年1月26日 (土) 14:13 (UTC)
番組においてナレーターが解説している内容を正確かつフェアに書いていただき、ありがとうございます。
今回議題に挙がっている主な事項は、雑多な情報の羅を除去すべきということだったと思います。そして、事故当初に情報が錯綜していたこととは関係がない被災地における住民の意見を伝えた報道については、雑多な情報として残す必要はないと判断されておられますが、重要なのはドイツ第二テレビの番組が、この報道よりも上位とみなされるような取り立てて書かなければならない内容にあたるのかということです。
私がドイツ第二テレビの番組を取り立てて書くことに賛同できない理由は主に2つあります。1つは、ドイツ第二テレビの番組も1つの意見に過ぎないこと。もう1つは、この番組が菅氏の意見を、ひとつの重要な意見として採用したうえで構成された内容であるということです。インタビューで菅氏は、総理だった自分の責任については語らず「マスコミが私を辞任に追い込もうと嘘の情報を報じた」「私には報告が挙がってこなかった」という発言をしていますが、番組内では特に疑問を呈されること無く、そのまま肯定的に報じる構成になっています。それゆえ「原子力村と対立したのが原因」という番組の主張は、菅氏の主張に全く影響を受けていない結論かどうかは疑問が残るということです。菅氏の発言には見方によっては、自分は良くやっていたが周りが悪かったと主張したいのではないかと取れる箇所もあります。自分は悪くないと擁護するために、総理時代に批判を受けたことなどを原子力村のせいにしてしまおうという考えで喋ったものは一切無いと言い切れますでしょうか?ドイツの公共放送局がわざわざ日本で取材をして特集を組んで作った番組だから、取り立てて書き記さなければならないということにはならないはずです。仮に、どうしても書かなければならない特に取り立てて書かなければならない理由があったとしても、この場合は正確性を期するためにも菅氏へのインタビューも報道された番組であることを一言書き足すべきであると考えます。
また、小さな記事、それもその内の一部の記述だけを切り出したものを出典とする記述で置き換えようとしたりというのは、穿った見方ではないでしょうか。上記において私が例として挙げた読売新聞に書かれている内容も、「非があったことも含め様々な観点から検証し最終的に非もあったがある程度評価できる対応だった」という論調の2012年3月に掲載された評論と同じだと書かれているようですが、そもそも私が例として挙げた記事は最終報告後のものであり、この時点の記事には、ある程度評価できる対応だったという論調の文書は書かれておりません。記事の内容を、ありのままに書いただけです。2012年3月時点で、似たような評価が、ある程度評価できる対応だと書かれていたからといって、その後の最終報告後に執筆された「評価できる」といった文章が書かれていない記事まで同じ主張に決まっていると判断を下すことは、見方によっては、それこそ仮定や思い込みによる、ご自身の主張に合致した記事の作成と判断されてしまう危険性があるのではないかと考えます。加えて、子供にもわかりやすく解説されている記事であろうと読売新聞の中で書かれていることに間違いないわけで、それを理由に排除されるべき対象にはならないはずです。
菅氏が語っている「マスコミが私を辞任に追い込もうと嘘の情報を報じた」という「批評への批評」の対象に、最終報告まで含めることにも問題があると考えます。1.好意的な批評、2.批判的な批評、3.事故調査委員会の報告、4.批評への批評という順番で書くべきだとおっしゃられていますが、上記の理由に加え時系列を明確にすることも考慮すれば、1、2、4、3という順番で書くのが妥当ではないかと考えます。--Naruhodou会話2013年1月27日 (日) 00:49 (UTC)
まず最初に指摘しておきたいのですが、Naruhodさんはwikipediaの編集方針を完全に誤解しています。二段落目、三段落目でドイツ第二テレビがなぜそういう主張をしたかについてあなた独自の見解を述べていますが、それを思わせる記述を記事に載せることも、それを理由に記載を削除することもできません。なぜならば全てあなた独自の見解に過ぎないからです。wikipediaで可能なのはドイツ第二テレビがどう報じているかをそのまま記載する、それだけです。なお、番組内に管やその他数名のインタビューがあることを記載するのは特に反対しません、そのインタビューによって番組の主張が作られた、というようなNaruhodさんの見解を思わせるような記述でなければですが。
四段落目について、一部私の記述とIPユーザーさんの記述を混同している部分があります。私は政府の最終報告を記載することには反対していません(というか最終報告を記載すること自体には誰も反対していないのでは)。しかし、Naruhodさんのコメントを見ていると、最終報告の内容を各メディアが報道したことを、あたかも各メディアが最終報告と同じような主張をしているかのように記載しようとしているかのように見えます。「新聞社が誰かの意見や検証を報道すること」と「新聞社自身の主張」は別物であり、それを混同するような記述は避けるべきです。それが分かるようにするために私は最初のコメントでも『「独立検証委員会」の報告後の大手新聞社の総評』、『「事故調の最終報告」』という風に記載しました。前者は新聞社自身の主張であって、後者は新聞社が誰かの意見や検証を報道したこと、にあたります。
五段落目について、私が批評への批評と言っているのは番組内の管のインタビュー内の発言ではなく、管がインタビューで言ったような管批判管おろしが起こったのは管が原子力村と対立したからだ、というドイツ第二テレビの主張です。記載順序ですが、時系列を気にしたいと言うのであれば1,2,4,3の順番でも構いません。--Hotaruike会話2013年1月27日 (日) 21:24 (UTC)

インデント戻します。申し訳ありませんが、その答えは一段目についての答えになっておりません。単にその編集方針だけに当てはめるなら、あなたが雑多な内容だから除去すべきと主張している他の記事も、同様に削除可能な対象にはならないはずです。今回、雑多な記事は除去すべきという議題だったはずです。あなたは、残すのは支持率が下がったという記述くらいで、後は不要と主張されておられますよね。あなたは、事故当初に情報が錯綜していたこととは関係がない被災地における住民の意見を伝えた報道については、雑多な情報として残す必要はないと判断されておられますが、今回問うているのは、ドイツ第二テレビの番組が、この報道よりも上位とみなされるような取り立てて書かなければならない内容にあたると、あなたが判断しているのかどうかと、その理由です。前述の理由も、ドイツ第二テレビの番組も雑多な内容にあたるのではないかと私が判断した根拠について書いたまでのことです。

なお、可変IPが菅氏に関する他の記事を「速報、飛ばし記事で出た記事」と呼んだうえで「事故から一年が経過した後に各新聞社が独自の検証を行って一面や社会面を丸々使い、社としての総括として論評したものを紙面に掲載した記事。事故当初に情報が錯綜していた頃よりも深く検証されたもので信頼性も高い」と主張し、あなたが、「対象となる事象をより大きな規模で多くの観点から検証したという特集を出典とする記述」と主張しており、本文に「及第点程度の評価を与えている」と評されている記事ですが、挙げられている日付の菅氏に関する記事を図書館で調べたところ虚偽の内容であることが判明しました。

これらの日付を元に菅氏に関して検索にかけ発見した記事が、どうも書いてあることと違うことや、当時のブログや掲示板などでも、そういった内容が書いているものが引っかからないことに加え、本文に新聞名と日付だけ書かれ記事タイトルが記載されていないことなどに疑問を感じていた予感が的中したわけです。可変IPがIPを変え、わざわざ2つの意見書いたこと、違反の出典という名目の元に菅氏に好意的ではない記事を除去しようとした動きがあったこと、菅氏を取り立てて持ち上げるような編集が衆院選ぐらいから目立って始まっていることなどを考えると、考えまいと思っていても色々と勘ぐってしまいます。内容については以下のとおりです。

  • 毎日新聞2012年2月28日朝刊については、1面に「官邸の初動 混乱要因に 菅前首相が強く自己主張 反論難しく 民間事故調」、5面に「電源車手配 警察に任せず 菅前首相「俺に報告しろ」」という記事が掲載されていたが、民間事故調の内容を、そのまま紹介していただけで、新聞社の見解は書き加えられていない。記事全体を見ても「強いリーダーシップを発揮した」という一文は存在しない。
  • 読売新聞3月2日朝刊については、2日にそのような記事は存在せず。3月1日には社説が掲載されていたが、報告書に書かれた菅政権への手厳しい内容を紹介したうえで、「2つの調査委員会が、ともに政府の責任を厳しく問うていることを重く受け止めねばならない」「まさに菅災である」と主張。「感情をあらわにして関係者を萎縮させることもあったが、東電に強い覚悟で対処することを迫ることができた」という一文は存在しない。
  • 朝日新聞2012年3月1日朝刊については、1日にそのような記事は存在せず。他の日付における記事でも「東電の怠慢、原発関連システムの不備の中、事故収束に尽力した」という文章はおろか、菅政権を評価するような新聞社の意見は発見できず。

これが指定されている日付と前後1週間の記事を、何度も読み返した結果です。菅氏の人物像を不当に高く評価せんがため出典内容を捏造してWikipediaの信頼を貶めるような、このような行為は許せません。それとも私が見落としているだけで、他に「対象となる事象をより大きな規模で多くの観点から検証したという特集を出典とする記述」の記事でもあるのでしょうか?とりあえず、この可変IPが行った編集は一旦差し戻しておきます。--Naruhodou会話2013年1月29日 (火) 12:06 (UTC)

一段落目についてWikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点に「ある観点を記事で言及する際には、その観点を位置づけておくことが肝要です。」との記載があります。ドイツ第二テレビの番組内容は日本メディアの報道の観点が何に基づいているかを検証したものであり有意な情報であるといえるものです。なお当然のことですが、ある主張・観点を記述するのに検証可能な出典が必要なように、その主張・観点が何に基づいているかを記述するためにも検証可能な出典が必要ですし、その出典がどのような根拠によってなされているかを検証するにも検証可能な出典が必要であり、wikipedia編集者の主観に基づいた検証は記載することはできません。
Naruhodouさんの報告をうけ私の方も空き時間に調べてみたところ、確かにそれらしい記事は見つかりませんでした。ちなみに目に留まったややそれっぽい記事としては2月28日の読売新聞「菅氏の個性 正負両面に」、2月28日の朝日新聞「東電 組織的な怠慢」という記事がありました。
なんかちょっと急速にアホらしくなってきました・・・。--Hotaruike会話2013年1月30日 (水) 15:20 (UTC)
ややそれっぽい記事として挙げておられる2つの記事も新聞社が菅氏に及第点程度の評価を与えている記事とは、ほど遠い内容です。つまり、あなたが「対象となる事象をより大きな規模で多くの観点から検証したという特集を出典とする記述」と呼ぶ「及第点程度の評価を与えている」記事は存在しないということですね。問題がある編集を行っていたのはどちらかが、これではっきりしましたね。各新聞社が独自の検証を行い社としての総括として及第点程度の評価を与えた論評があるから他の記事は飛ばし記事で出た記事であるという大前提自体が、そもそも間違っていたわけですからね。ドイツ第二テレビの内容についてはあなたの意見も尊重して残したうえで、より正確な内容にするため「第2ドイツテレビ(ZDF)は、菅氏へのインタビューも放送されたドキュメンタリー番組「フクシマの嘘 」の中で「菅はマスコミが私を辞任に追い込もうと嘘の情報を報じたと語った。これは彼が原子力ムラと対立していたからだ」と報道している」と記載するつもりです。
ちなみに、あなたの名前も署名されているノート:鳩山由紀夫において、大量の出典が書かれた内容を除去した可変IPも、この可変IPとIP情報が同じみたいですね。そちらの大量除去した内容も偏った思惑によるものでなかったかを今一度精査しておいたほうが良いのではないかと思います。--Naruhodou会話2013年1月30日 (水) 22:05 (UTC)

  コメント最早何が議論の核心なのかわからなくなっていますが、気づいた点があるのでコメントしておきます。私もZDFの番組を見てみたのですが、Hotaruikeさんの訳「菅はマスコミが私を辞任に追い込もうと嘘の情報を報じたと語った。これは彼が原子力ムラと対立していたからだ」は少し間違っています。番組の3分付近の内容は「In den Medien werden Lügen über ihn verbreitet, er wird zum Rücktritt gezwungen. Der Regierungschef hat er sich mit dem Atomdorf angelegt.」となっており、この訳は「彼を辞任させようとマスコミでは嘘が報じられた。首相である彼が原子力村と対立する関係にあったからだ。」といった感じです。「菅が~と語った~」のフレーズは元々のナレーションの内容からは出てきません。このナレーションの少し前に「Er wird dinge erzählen~」で始まるナレーションがあり、Hotaruikeさんは「In den Medien~」で始まる部分も「Er wird dinge erzählen~」の一部と考えて訳されたのかもしれませんが、番組を確認したところ二つのナレーションの間には何秒か間がおかれており、二つのナレーションは独立しています。語り言葉でこれだけ間が空いている状態の後ろの文章を前の文章の従属節とするにはそれ相応の接続詞をつけなければなりません。よって正しい、というかナレーションそのままの訳は「彼を辞任させようとマスコミでは嘘が報じられた。首相である彼が原子力村と対立する関係にあったからだ。」か「マスコミでは嘘が報じられ彼は辞任に追い込まれた。首相である彼が原子力村と対立する関係にあったからだ。」といった感じになります。完全な直訳だと後者のほうが妥当ではないかと思いますが、番組全体を見て訳すとHotaruikeさんがされた前者のような訳のほうがニュアンスとしては妥当かもしれません。大した違いではないですが。--114.190.14.195 2013年2月11日 (月) 15:38 (UTC)

該当部分を修正しておきました。--Iam114.190.14.195会話2013年2月13日 (水) 16:00 (UTC)

報告

本ノートの2013-01-23T10:51:24の編集において、他者の発言の変更がありましたので、問題となる部分を差し戻しました。内容から考え、改竄でなくコピー・ペーストの際の間違いであると考えられますので、特にこれ以外の対応は行いませんが、編集にあたっては、差分等を確認した上でお願いします。KMT会話2013年1月23日 (水) 11:32 (UTC)

申し訳ありません、コピーと間違えてカットをしてしまったためと思われます。以後気をつけます。--Hotaruike会話2013年1月26日 (土) 07:11 (UTC)

テンプレート貼り付け

疑義が持たれた言動の節に内容過剰のテンプレートを貼り付けました。内容の整理が必要かと思います。そもそもの問題としてこの節自体記載する必要があるのか甚だ疑問です。「疑義が持たれた」というかなりマイナスの印象を受ける節の記載であるにも関わらず出典はほぼ産経のみに頼っている状態であり、複数の報道機関が大きく取り上げてるほどの問題でもなかったものを大問題かのように印象付けるWP:BLPGOSSIP違反の記述ではないかと感じます。--Takuraman会話2013年2月18日 (月) 15:13 (UTC)

書いてあることが悪意のある事実無根な出来事ならまだしも、公に公開された政治資金報告書にも記載されており、本人も国会答弁で認めている事実であるにも関わらず、マイナスの印象を受ける節の記載だから不要というのは、おかしな話だと思います。本人も公の場で認めていることを産経新聞が記事にしたものが、信頼できる情報源にあたらないとは思えませんし、新聞以外だと、当時の地上波テレビ番組でも、この問題は扱われておりました。このところ、出典を捏造してまで菅氏の人物像を不当に高く評価しようとする編集があったことを考えても、いたずらに信頼できる情報を除去すべきではないと考えます。--Naruhodou会話2013年2月18日 (月) 23:32 (UTC)
出典の捏造は言うまでも無く論外ですが、WP:IINFOの4.にもあるようにwikipediaでは出典があればいくらでも記載して言い訳ではありません。wikipediaに記載すべきことは「主題について必要な知識を適切な分量でまとめたもの」です。歴史上の出来事で詳細を書かなければ話の流れすら分からない、というような場合ならともかく、この節の内容は要するに「政治献金について批判があった」ということで、3,4,5段落目のような記述は全く無くても事象を理解するには十分で、むしろ過剰な内容が事象の理解の妨げになっていると見受けられます。報道しているのがほぼ産経新聞のみという点も考慮すると、とても現状のような膨大な量の記載が必要な事象とは考えられません。
なにも産経新聞が信頼できる情報源ではないとか言っているわけではありません。記載するにしても適切な分量にまとめ簡素化すべきである、と言っているのです。特に存命中の人物にマイナスイメージを与えるような記述についてはWP:BLPGOSSIPにあるようにシビアな問題です。現在進行中の事象ならともかく、一年以上も新情報など無くほぼ収束したと言える事象なので、適切な分量に簡素化するのを阻害する理由も特にないように思います。ちなみに鳩山由紀夫の記事でテンプレートを貼り付けた節は、何月何日が何がどうなった、という詳細記録でもつけているかのような記述で、しかも文章表現がまるで現在進行中のことかのように書かれていたり、「可能性がある」という過去の時点での予測のような記載(結果がでた過去の予想や未来永劫結果がでない予想を記載し続ける理由はありません)まであったりと、このページより酷い状態でした。
繰り返しになりますが、wikipediaは起こったこと、報道されたことの詳細な情報を無差別に記録するデータベースのようなものではなく、主題を説明するに足る適切な分量の記述を記載するものです。これはRequests for arbitrationにも提言されており遵守すべきものです。失礼ながらNaruhodouさんの編集履歴を見ると、(この記事の記述ほどではありませんが)若干過剰な内容の追記に見えてしまう編集が極稀に見受けられるように思います(サブカル関連は過剰な記述が非常に多い分野になっていますが)。
正直私としては、「まぁぶっちゃけ私が編集しなくてもその内誰かが改版するだろう」位に考えていますので反対票があるようならテンプレートだけ残しておいて性急な編集は差し控えますが、編集者によっては議論無くWikipedia:編集方針にしたがって改版を行う人がいてもおかしくない状態かと思います。
備考ですがWikipedia:井戸端でも政治家の記事の過剰な記載や「疑義をもたれた、問題を指摘された」の節は定期的に話題になるので、著名な政治家の記事を閲覧していたらこの菅直人鳩山由紀夫安倍晋三などをはじめ現在進行中だった時に出典が出るたびに追記されたような記載が適切な分量にまとめられることなく放置されている記事がかなりありました。引退されているような政治家の記事は割りと適切な分量へのまとめが行われていましたが。--Takuraman会話2013年2月20日 (水) 16:14 (UTC)
もし、各メディアが菅氏の人物像を高く評価した内容に捏造していた記載内容を一旦除去したうえで正しい評価内容に訂正したうえで戻したり、各事故調により下された評価がプラス面だけ強調したりマイナス面をほとんど書き記していない記述になっており読み手に誤解を与えるような内容になっていたため、より正確な内容になるよう具体的なものに修正したものを、過剰な内容の追記に見えるとおっしゃれているのなら心外です。
本題ですが前述したように、この問題に関しては産経新聞のみならず、菅氏や鳩山氏などをはじめ多数の政治家も出演したことのあるTVタックルやたかじんのそこまで言って委員会などの地上派テレビ番組等でも問題として取り上げておりました。適切な分量にまとめ簡素化するのは良いのですが、この節自体記載する必要があるのか甚だ疑問という理由や違反ではないかという名目の元、この問題について書かれた記述自体を丸ごと除去するという話であれば論外であると言わざるを得ません。上述したように、菅氏を不当に高く評価しようとするかのような編集が立て続けに行われたことを踏まえても、こういったことは慎重に行うべきであると考えます。もし簡素化が必要ということであっても、この問題や報道をまるで無かったことかのようにしてしまなわないよう、どのように編集を行い、どのような文章にするつもりかを事前に具体的に提示したうえで合意を得て行うべきであると考えます。--Naruhodou会話2013年2月23日 (土) 01:19 (UTC)
最初の発言は何の話をされているのでしょうか?「 福島第一原子力発電所事故への対応」に貼られているテンプレートのことでしたら、そこにテンプレートを貼り付けたのは私ではなく利用者:孫次さんですので私の与り知るところではありません。
一応出典があるので丸ごと削除は乱暴な処置なので行おうとは思いませんが、事象の検証可能な出典の量や質に基づいた簡素化は必要です(今すぐ性急な編集を行うつもりもありませんが)。
ところで「TVタックルやたかじんのそこまで言って委員会などの地上派テレビ番組等でも~」とおっしゃっていますが、これを受けてあなたはWP:IINFOWP:BLPGOSSIPだけでなくWikipedia:編集方針自体をほとんど理解していないのではないかと思いました。Wikipedia:検証可能性WP:NOTRELIABLEをご覧下さい、放送局が公式アーカイブなどを残していて(日本の放送局で公式アーカイブを持っているところは恐らくないはずです)それを参照することが可能という場合でもない限りTV番組に基づいた記述は検証不可能であるため出典にはできません。youtube等の動画サイトに投稿されている場合もありますが、言うまでもなくそれらは著作権違反ですので使用不可です。あなたはまずWikipedia:編集方針を熟読すべきです。--Takuraman会話2013年2月23日 (土) 12:30 (UTC)
テレビ番組を出典にするとはどこにも書いていないのに、なにをおっしゃられているのでしょうか?新聞としての出典が産経新聞だけであることを理由に、些細な問題であるかのように主張されておられるようにも聞こえたので、複数のメディアが取り上げていた問題であることを示しただけのことです。もしや、夕刊フジを含む産経新聞がほぼ独占して報道している状態であったという文章から産経しか取り上げていなかったと勘違いをされておられるのかもしれませんが、テレビメディア以外であれば2011年には、7月7日付と7月21日付で時事通信、7月30日付で東京新聞、7月21日付と8月9日付で毎日新聞、朝日新聞、7月7日付と7月28日付と7月30日付と7月31日付で読売新聞、7月21日号で週刊文春、7月20日号でニューズウィーク、国会で取り上げられる前だと2010年6月24日号で週刊新潮が取り上げていたことを付け加えておきます。
とりあえず、丸ごと削除するという趣旨ではないとのことで、この問題や報道をまるで無かったことにしてしまう内容でないことは理解致しました。ただし、くどいようですが、もし簡素化が必要ということであっても、この問題や報道をまるで無かったことかのようにしてしまなわないよう、どのように編集を行い、どのような文章にするつもりかを事前に具体的に提示したうえで合意を得て行うべきであると考えます。--Naruhodou会話2013年2月24日 (日) 00:23 (UTC)
あなた自身が直前の投稿で「TVタックルやたかじんのそこまで言って委員会などの地上派テレビ番組等でも~」と書かれているのでてっきりそれを出典にするつもりかと思いました。いくつか別の出典元を書かれていますが、結局その程度の報道しかされていない事象なら現状の文章はやはり過剰量と言わざるを得ないでしょう。--Takuraman会話2013年2月28日 (木) 16:00 (UTC)
複数の新聞等が何度も取り上げ、産経と読売に到っては社説等でも取り上げているものを、その程度の報道しかされていない事象で現状の文章は過剰と判断するというのは、正直いかがなものかと。その他の理由は下記に記載しておきました。--Naruhodou会話2013年3月1日 (金) 09:30 (UTC)
  コメント 横より失礼。Takuramanさんのいう「適切な分量」に疑問です。何バイトならいいというのですか?そもそも政治家関係の記事はこのようなエピソードだらけですし、小泉純一郎鳩山由紀夫田中眞紀子安倍晋三などにも共通する問題です。マスコミでの報道が多いのも閣僚や国会議員であれば国民の関心が高いのは当然でしょう。政治家は芸能人と同じく、大衆文化にも属しているものですし(Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションも参照)。出典のない憶測などは削除すればいいでしょうが、そうでないものについて削除することには反対します。「エピソードの羅列」が問題なのであれば、それをもっと読みやすい文章として書き換えればすむことですし、削除することで解決しません。それに人物・言動節だけでなく他の節も「羅列」といえば羅列です。「適切な分量」なんて結局なんの基準もありませんし、Wikipedia:編集方針のどこにも分量の制限など書いてありません。少なくとも17万バイト程度で制限などありません。70万バイトの記事さえあるし、40万バイトの記事もあります。吉田拓郎記事読まれたことありますか?分量が問題なら、まとまるものを別記事にすればすむ話です。菅おろしなどもひとによっては「エピソード」という方もおられるかもしれない。でも、これだけの分量と質と特筆性を持つものはあっていいです。「無差別な羅列」というのもどうかと。関係ないことを延々と説明しているような記事もあるなか、菅直人氏に関する情報が記載されていることのどこが「無差別」ですか?現在活動中の方を記事にしているのですから、現在進行形で分量が増えていくのはしかたないことです。それを歴史上の人物のようにまとめるのは後世の編集の仕事ではないでしょうか。存命人物の記事については話題性に応じていくどもこういう問題提起がされますが、結局情報が残るのも、削除するべきではない、つまり重要なもの、特筆性のあるものを含むと考える方もおられるからです。Naruhodouさんもいわれてますが、問題となる記述を具体的に例示し、それをここで議論するしかないでしょう。--人物論会話2013年2月27日 (水) 15:52 (UTC)
主旨を勘違いしているように思います。誰も記事の大きさそのものの話をしているのではありません。起こった事象に対しての記載の分量の話をしているのです。やや幼稚な例ですが分かりやすいたとえ話として、ある人物が宝くじで大当たりを出したと言うエピソードがあったとしましょう、その人物がその宝くじの当たりを元にして事業に成功し、それは多くのメディアで報じられたことであるような場合ならその宝くじ当選のエピソードを数千バイト記載されても不思議ではありません。しかしその人物にとってその宝くじ当選がちょっと資産が増えた程度の出来事であるなら、宝くじ当選のエピソードは数百バイトでも十分すぎる量でしょう。他にもエピソードの羅列に近い記事が大量にあるからこの記事がそうでも問題無い、とでも主張したいかのように読み取れる発言をしていますが、それは他人が赤信号を無視してるから自分も無視していいといっているのと同じです(これまた幼稚な例ですが)。正しい対応は記事の問題点に気づいた人が随時改善を行うことです。
情報をまとめるのは後世の仕事だといっていますが、テンプレートを貼り付けた場所はもうかなり以前のことで、ここ数ヶ月はこの事象に対する新情報は出ていないようです。百科事典として百科事典らしい記述にするには十分な期間です。端的に言って、あなたはWikipediaを所謂「まとめサイト」か何かと考えていませんか。答えは明確に違います。Wikipediaは百科事典です。WP:IINFOの4.をご精読ください。単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません。
編集に際してノートでの合意が必要になるのはWikipedia:編集方針の解釈が分かれるような場合だけです。私がいくつか引用しているWPのように明確に記載されているルールに反する問題編集では場合が違います。なお、失礼かとも思いましたが過去の編集履歴を確認したところ、Naruhodouさんは何人かの政治家の記事に批判的な記述のみをかなりの量追記していることが分かりました。一方的な観点を読者に持たせかねないような編集行為はWikipedia:中立的な観点に反し「Wikipedia:投稿ブロックの方針7.宣伝・広告や政治的その他の一方的主張となる記事の投稿」に該当しかねない問題編集です(私からこの件を元にブロック依頼を掛けようとは思っていませんが)。--Takuraman会話2013年2月28日 (木) 16:00 (UTC)

インデント戻します。私が何人かの政治家の記事に批判的な記述のみを、かなりの量追記している問題編集者だとおっしゃられておりますが、その主張は、例え出典を明記したうえで真実を記載しても、その人物にとって少しでもマイナス印象を与える内容は記載してはいけないとおっしゃられているのと同じですよね。私から言わせればむしろ、プラス印象を与える内容であれば、例え、たった1つの海外テレビ番組が取り上げた内容であろうと積極的に記載すべきだが、マイナス印象を与える内容が含まれているものということであれば報道もされた紛れも無い事実でも記載すべきではないという主張のほうがむしろ、中立的な観点に反していると考えます。むしろ、公に公開された政治資金報告書にも記載されており、本人も国会答弁で認めた事実で、拉致被害者家族会も批難している問題であるにも関わらず、他の新聞各紙が取り上げていなかったかどうかも、ろくに調べないまま、Web記事の掲載期間が長い産経新聞を主に出典として挙げていることを理由に、この節自体が記載する必要のあるものか甚だ疑問と主張したり、内容の整理と簡素化が必要という名目の元、些細な問題であるかのように主張して、内容を大幅に除去しようとすることのほうが、一方的な観点に基づいた編集ではないでしょうか。
なお、この問題は上記に記載した当時の地上波テレビ番組や新聞各紙などの報道に加え、読売新聞も7月31日に社説で問題であるとする内容を主張しており、当時の石原慎太郎都知事も定例会見で批判した問題であることを付け加えておきます。とりあえず、この問題については適切な量でないという主張が再度起こらぬよう、上記において挙げた新聞各紙等の出典も追加しようと考えております。ちなみに以前、産経以外の新聞各紙が取り上げたことについて書かれた記述を除去した可変IPも、出典を捏造した可変IPとIP情報が同じなようです。
Takuramanさんは、編集に際して合意が必要になるのはWikipedia:編集方針の解釈が分かれるような場合だけで、記載されているルールに反する問題編集の場合は、どのような文章で、どのように編集を行うつもりかを事前に具体的に提示したうえで合意を得る必要は無いと主張されておられるようですが、前述した数々の新聞各紙等による報道を見てもなお、大問題かのように印象付けるWP:BLPGOSSIP違反だと主張されるつもりなのでしょうか?または、私がブロック対象となる問題編集者であると主張しておられるようですが、それを理由に編集内容を具体的に示したうえで合意を得る必要は無いと主張されておられるのでしょうか?
また、Takuramanさんは私のことを投稿ブロック対象となる問題編集者だと主張されておられますが、はっきり言ってその主張は、他の編集者にとっても執筆して良いかどうかの判断を迷わせ、編集の妨げにも繋がりかねない問題です。私の編集が問題編集か白黒はっきりしないと他の編集者にとっても迷惑になりますので、他の投稿者に対し個人攻撃はしないという方針にあえて反してまで私のことをブロック対象となる問題編集者だとおっしゃられるのであれば、どうぞ今すぐ、あなた自身の手で私に対してブロック依頼をされてみてください。--Naruhodou会話2013年2月28日 (木) 23:56 (UTC)

あくまで編集方針の例として出したに杉なのに、じゃあ投稿ブロック依頼してみろ、とは開き直りですか。あなたがどう議論を収集させたいのか全く見えません。もしかして私は冷やかされているのでしょうか。--Takuraman会話2013年3月3日 (日) 14:15 (UTC)
他の投稿者に対し個人攻撃してはならないという方針に反してまで私がブロック対象となる問題編集者であると主張しておきながら、あくまでも編集方針の例を出したに過ぎず冷やかされているのではないかという主張は、かなり無理があると思います。上述したように、私がブロック対象となる問題編集者であるというその主張は、例え出典を明記したうえで真実を記載しても、その人物にとって少しでもマイナス印象を与える内容は記載してはいけないとおっしゃられているのと同じであり、他の投稿者にも編集をして良いかどうかの判断を迷わせてしまう結果になりかねない問題です。私のことをブロック対象となる問題編集者と主張するからには、このことを白黒はっきりさせる意味でも、あなたは自分の言葉に責任を持つべきです。また、あいかわらず、どのように編集を行い、どのような文章にするつもりかを具体的に提示する気配は見えないようですが、他の方もおっしゃられているように正直これでは議論にすらなりません。私のことを批判するばかりで上記の疑問にもまだ返答をいただいておりませんし、むしろ、あなたがどう議論を収集させたいのか全く見えません。--Naruhodou会話
お二人ともブロック依頼の話題はやめませんか?ブロック依頼はすればいいだけの話で、ブロック依頼をするぞしないぞみたいな話は脅迫にさえなっていませんし。Takuramanさんは論に答えるべきですし、第三者のコメントを求めるのであればコメント依頼をやればいいです。--人物論会話2013年3月7日 (木) 14:01 (UTC)
Takuramanさんの「都合の悪い情報を削除する」編集こそが政治的な一方的主張でしょう。Naruhodouさんもいわれていますが、双方の情報を中立的観点から記載すべきです。またWP:IINFOの4といってますが、1はあらすじのみの解説、2は歌詞のデータベース、3統計の過剰な記載とあり、4では「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」とあるのは、たとえば菅直人氏が政治家・首相であることをもって、「政治家とは…」「首相とは…」などといちいち説明しているような記事のことではないですか。WP:IINFOには続いて、WP:IINFO#ウィキペディアでは検閲は行われませんがあり、一部の読者にとって好ましくない、あるいは不快と感じる内容が含まれているかもしれませんが、引用部分に不快感を与え得る言葉があっても、これを検閲して除去してはいけません、とありますよ。ノート:鳩山由紀夫でも同じなのですが、Takuramanさんが行うべきは、ごたごた方針を恣意的に解釈しそれを振りかざすことでなく、Naruhodouさんのいうように、具体的にどこの記述のことをいっているのか、まずは指摘されることです。それをしなければ議論にもなりません。--人物論会話2013年3月1日 (金) 09:58 (UTC)
また「適切な分量」をTakuramanさんはいっていたのに、記事全体の大きさの話として意図的に話をずらすのもまったく不愉快ですね。ただの誤解とは思えませんよ。あなたは「人物像」を「適切な分量」におさえるべきと主張されているのでしょ?私もそれに応じて発言したのですよ。記事全体からみて、重複箇所など改善すべき点は多々ありますが、「人物像」節のみが過剰であるようには見受けられない。何度もいいますが、あなたにとって不快な情報を削除する前にやるべき編集があります。--人物論会話2013年3月1日 (金) 10:23 (UTC)

  コメント上の原子力の話題でドイツ語を修正した者ですがついでなのでコメントをしていきます。端から見ていると、話題となっている節の記載量が過剰でしかも中立的でないというのはその通りだと思います。この話題は「疑義」と題している節の一部に書かれているにも関わらず、取り上げられている話題は違法性が明らかになっているものではなく、一部の人たちが「なんとなく気に入らない」と言っている程度のことのようです。賛否両論を大量に記載するならともかく、その程度のことで出典があるからといって無闇に詳細情報を記載するのは「文章の量を増やすことで小さな問題を大問題かのように読者に錯覚させる」危険性が非常に強いように思います。ブロック対象と言うのは言いすぎでしょうが、Takuramanさんが言うように、(原発対応の節なども含め)批判的な批評だけを無闇に追記していくNaruhodouさんの編集は中立的な編集とはほど遠いというのが見たままの感想です。政治家関連の記事を編集している編集者には往々にしてそういう編集者が多いですが。--Iam114.190.14.195会話2013年3月3日 (日) 08:35 (UTC)

少しでもマイナス印象を与えるような内容が含まれた編集が多いからという理由で、私のことを中立的な編集とはほど遠い人物と批判されておられますが、その理屈は、無理にプラス評価されている部分を見つけ出してでも書き足すような編集を数多く行わない投稿者は、記事を編集したり追記したりしてはいけないとおっしゃられていることと同じであると考えます。三大方針の「中立的な観点」のどこを見ても、マイナス印象が含まれた編集が多い投稿者は問題であるといったことは記載されておりませんし、賛否両論を大量に記載したもの以外は、中立的な観点に反しているという記載もありません。また、各事故調により下された評価がプラス面だけ強調したりマイナス面をほとんど書き記しておらず偏った記述になっていた箇所を見ていただいてもわかるように、私が編集においてプラス評価を除去したというわけでもありません。あなたのおっしゃられていることは、Wikipediaの方針を自分のいいように解釈しているだけに見えます。賛否両論を記載すべきとおっしゃるのなら、高評価している出典を引用し書き加えればよいだけのことです。
むしろ、プラス評価だけ強調したりマイナス面を極度なまでにあえて記載していない各事故調により下された評価の編集等については問題にせず、新聞各紙が時間を経て総括として出した菅氏を好意的に評価する記事があるという理由で、総括がどうであろうと全く関連性が無い被災地における住民の意見を伝えた報道まで消すべきという主張が挙がったことなどには異論を唱えないわりに、拉致家族会や当時の都知事が批判しただけなく、多数の新聞各紙が何度も取り上げたうえ大手新聞2社が社説でも取り上げ、地上派TV番組などを含めた複数のメディアが報道していることを、「一部の人たちが」なんとなく気に入らないと言っている程度で詳細情報は記載してはならないと主張することこそ、一方的な観点による見解ではないでしょうか。人物論さんがおっしゃられているように、引用部分に不快感を与え得る言葉があっても検閲して除去してよいということにならないのですから。--Naruhodou会話2013年3月3日 (日) 11:50 (UTC)

重複部分など、整理して編集しました。重複は削除しましたが、基本的に情報の削除はしていません。--人物論会話2013年3月3日 (日) 11:58 (UTC)

1週間以上経ちましたが、具体的にどうすべきか提示される気配がなく反論も出ないようなので、WP:CONに従い合意形成とみなし内容過剰タグを除去したうえで宣言どおり出典を書き加えました。--Naruhodou会話2013年3月16日 (土) 01:43 (UTC)

日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金問題へ再度テンプレート貼り付け

GW中に出典を確認しましたが、外部出典の情報量に比べて異常に量の多い記述となっていたのでテンプレートを張り付けています。 また、多くの記述が「~されており」などと現在進行形の出来事のように記述されていますが、すでにずいぶんと時間がたっていますし、結論として不起訴処分となった出来事であり、それ以降の続報も一切ありません。 この記事はどう見ても、最終的に問題がなかった、もしくは微細であったことを読者に対して大問題かのように印象付けさせようとしている印象を受けます。--125.201.56.204 2013年5月4日 (土) 13:32 (UTC)

この件については、すぐ上での対話内容と全く同じことを主張されておられるようですが、上記にあるように、具体的にどうすべきか提示していただくよう再三求め続けたにも関わらず応じていただけなかったうえに、一定期間待っても異論が出なかったことから同意確定した事項です。上記にも書かれているように、異論があるのなら、まずは具体的にどうすべきか示していただかないことには議論にすらなりません。--Naruhodou会話2013年5月4日 (土) 13:41 (UTC)

Naruhodouさんの編集について

備考:以前はIam114.190.14.195というアカウントを使っていましたが分かりにくい名前だったのでアカウントをとりなおしました。125.201.56.204も私です。

ここからが本題ですが、Naruhodouさんの非常識ともいえる編集を取り消しました。私がZDF関連で記載した記述には私の主観など一切はいっていませんし、ZDF自体が先進国の一流のメディアであるので特別な主張にも当たりません。そもそも他の記事で行っている議論をこの記事に持ち込むことが理解不能です。関わる気は余りありませんが、議論を見る限りNaruhodouさんは大分劣勢のようですが、その腹いせの荒らし行為でしょうか?ついでに出張先で再放送(?)されていたBBCの番組にもこの件に関する論説があったので追加しています。

また、上の節で触れている献金問題の話題についても今後暇を見つけて編集していきます。Naruhodouさんは出典の数を集めてどうにかしようとしていますが、ほとんどの出典が記事自体が非常に小さいものでした。さらに言えば一部の出典については提示されている日付やページでは見つからないものもありました、Naruhodouさんの出典捏造行為でないのなら、同じ日付内の版数変更や地域差で消えてしまったのでしょう。どの道その程度の扱いの出来事だということですが、Naruhodouさんの行為は世間的にはそれほど重要とされなかったことを大量記述することで、読者に特定の印象を植えつけようとしているように感じます。WP:DUE違反行為です。--タコロス会話2013年6月29日 (土) 17:09 (UTC)

菅直人の記事に関することを議論する場において私個人を名指ししたうえで、腹いせの荒らし行為とレッテルを貼るなど個人攻撃はしないという方針に反した行為を行うのは、おやめください。
また、上記にあるように具体的にどうすべきか提示していただくよう再三求め続けたにも関わらず応じていただけず長期に渡り返答が無く、一定期間待っても異論が出なかったことから同意確定した事項についても「上の節で触れている献金問題の話題についても今後暇を見つけて編集していきます」と堂々と宣言されていますが、それはWikipediaにおけるルールを尊重する気など更々無いという宣言でしょうか?
一部の出典が提示されている日付やページでは見つからないものがあり、同じ日付内の版数変更や地域差で消えてしまったのなら、どの道その程度の扱いの出来事だとおっしゃられていますが、日本においてネットのニュース記事は時間と共に消えてゆくのが当たり前のこととなっており、大々的に扱われたニュースでも現在では消されている記事など今まで多々ありますよね。これについては、ノートにおける今までの発言傾向を見たうえで、そういった意見が出た場合も想定して、実際に確認した複数の新聞記事に加え、誌面に掲載された新聞社における複数の社説まで示しております。複数の社における社説で言及までされているものを、その程度の扱いと呼び、対話や同意確定事項を無視して編集を強行しようとするその姿勢には、異を唱えざるを得ません。--Naruhodou会話2013年6月29日 (土) 23:36 (UTC)
長期間返答が出来なかったのは私が長らくお出かけしていたためなので特にそれについて反論するつもりはありません。
ここで問題となっているのはマスコミの扱いの大きさについて記事の記載量が不釣合いに多いことです。私の確認した限りNaruhodouさんの記載しいる紙面記事はほとんどが片手で隠せてしまう程度の記載量しかありませんでした。この編集は典型的なWP:DUE違反の編集です。記載量としては現状の、一段目、二段目、三段目の前半くらいが外部メディアの扱いの量からして妥当ではにでしょうか?
それから私が一部の記事が見当たらないといっているのはネットニュースでは無く紙面の話です。新聞社の紙面記事は地域差や版数により小さい記事は同日のものであっても差し替えがあります。--タコロス会話2013年7月6日 (土) 16:43 (UTC)
長らく出かけていたという理由であれば、無断で長期間返答をしなかろうとルールにおける合意形成期間など一切関係ないため、上の節で触れている献金問題の話題についてもルールを無視して今後勝手に編集しても良いとでも言いたいのでしょうか。そのようなルールは聞いたこともありません。
また、記事の大きさを殊更取り上げ違反というレッテルを貼ったうえで、三段目の前半くらいが妥当という主張を展開しておられますが、複数の社における社説で言及までされている事実を踏まえても、失礼ながらその主張は、あえて過小評価して、あなたにとって都合の悪い内容を除去しようとしているように見えます。WP:IINFO#ウィキペディアでは検閲は行われませんには「一部の読者にとって好ましくない、あるいは不快と感じる内容が含まれているかもしれませんが、引用部分に不快感を与え得る言葉があっても、これを検閲して除去してはいけません」と明記されており、3行目以下は除去すべきというあなたの乱暴な主張は、これに反しております。
新聞記事の一部が見当たらないとおっしゃられていることについてですが、あなたはどの地域における紙面のことを行っておられるのでしょうか?私の出典は、図書館等によく置かれている、東京における新聞記事が後日、各月ごとにまとめ掲載され出版されている本によるものであり、同日のものであっても差し替えがある件については問題とはならないはずです。個人攻撃はしないというルールに反した行為にしろ、今回の発言にしろ、ルールを理由に私に対して異を唱えルールを説くのであれば、まずはあなた自身がルールを尊重すべきである考えます。--Naruhodou会話2013年7月7日 (日) 03:04 (UTC)
まず第一に、あなたが主張している「ルール」とは具体的にどの方針やガイドラインのことなのでしょうか?私の知る限り、ノートで一部の編集者によって合意がなされたからといってそれを理由に編集が禁止されるなどという方針やガイドラインは存在しません。少なくともWikipedia:合意形成にはそこまでの拘束を儲けていません。これは当然のことです、wikipediaは誰でも自由に編集できる百科事典なのですから、一部の人たちが一記事のノートページで決めたことで他の編集者の行為を縛ることはできません。
第二(こちらが本題ですが)に、今問題になっているのはWP:DUEです。WP:IINFOは十分な外部出典の記述があるにも関わらずそれを除去するような行為を禁止する行為であり、外部出典の記載量に比べて本文の量が異様に多いという、今回のケースにでは対象になりません。なお(おそらく)あなたが参照したという縮刷版も確認し、ソレらしい記事も発見しました。やはり同一紙の同日の新聞であっても差し替えが起こるレベルの扱いの記事であったということで、今の状態は外部出典の記述量にそぐわない量の記述がされている状態、すなわちWP:DUEと照らして問題のある状態です。--タコロス会話2013年7月15日 (月) 16:03 (UTC)
今回も、のらりくらりと1週間を過ぎてから返答を返しておられますが、あなたの主張を聞いていると、前回も今回も、合意形成期間についてのルールの記述などまるで関係ないかのような言い方ですね。では、あなたにとって合意形成に書かれているルールとはなんだとお考えですか?合意形成期間など尊重などせずとも良い内容だとでも、おっしゃりたいのでしょうか?
またWP:DUEのことを理由としておられますが、この内容は対立する論争における複数の観点について比較する内容があった場合のことではありませんか。ただし書きにも、対立した観点において一方の観点が真実であるといった形で表現されるべきでないという内容が書かれており、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきという意味では無いことや、ウィキペディアにはサイズの制限は無いことも書かれておりますよね。あなたの主張するルールの理由には、3段目以降は除去して良いといった、検閲を行い除去して良いなどという主張を裏付ける内容など書かれていないではないですか。それ以前に、この問題の記述が違反だとおっしゃられるあなたの主張は、複数の新聞社における社説で言及までされているものであるという事実を、意図的にあえて無視しておられるように感じますし、縮刷版で出典として示した記事も発見してなお、同一紙の同日の新聞であっても差し替えが起こるレベルの扱いの記事と呼ぶ姿を見ていると、あなたにとって不都合な内容をどうあっても検閲して除去したいという意図を感じざるを得ません。あなたのおっしゃるWP:IINFOのルールは、外部出典の記述があるにも関わらずそれを除去するような行為を禁止する行為であり、あなたのおっしゃる主張の場合であれば検閲して除去して良いなど、どこにも示されておりません。あなたの主張はいまだWP:IINFOに反しております。--Naruhodou会話2013年7月15日 (月) 22:15 (UTC)

(インデント削除)私がwikipediaを編集する時間をあなたに指定される筋合いはありません。仕事でやってるわけじゃあるまいし、時間の空いていることが多い土日に編集が偏るのは特段おかしなことではないでしょう。さて本題ですが、wikipediaは広く知られている事実や考えを取り扱う百科事典です。別記事のノートのやり取りも含め、あなたの意見を見ているとあなたは「出典さえあれば極少数の人達の主張する珍説や、あまり注目されなかった出来事を大々的に宣伝するのにwikipediaを利用しても良い」と考えているように見えます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに以下のように記載されている通り、wikipediaでは外部出典の参照量にあった分量の記載を行うべきであり、瑣末な出来事を殊更に大げさに記載することはできません。

  • 著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。
  • 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。

同日同一新聞社の新聞紙にも関わらず地域や版数によって記載されたりされなかったりするような記事は、新聞社にとっても「スペースがあれば記載するけど、他にネタが降ってきたらそれに置き換える」程度の扱いだったということです。新聞社が重要だと判断したネタなら版数毎に置き換えたりする理由がありません。ちなみに、縮刷版で確認した内容も、一部を除きそのほとんどが元の新聞紙のサイズに戻したとしても手のひらで隠れてしまう分量の上に、その後数週間分を確認しても続報の出てこない雑報のような扱いのものでした。--タコロス会話2013年7月20日 (土) 15:17 (UTC)

つまりあなたは、他の編集者やルールを含めたすべての事柄は、あなたの都合に合わせるのが当たり前であり、どんなに長期間返答を返さず放置しようと、それに沿わない合意形成期間を含めたルールのほうが悪いとおっしゃりたいわけでしょうか?つまり、あなたはルールを尊重する気など無いということですね?
3段目以降は除去すべきと主張されておられる主張については、「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」という部分を理由とされておられますが、そもそもその部分にも、そういった理由であれば検閲して除去して良いとは、どこにも示されていませんよね?また、あなたの主張されておられる「適切な分量」のすぐ下には「ウィキペディアでは検閲は行われません」として、そういった行為は許されないことも示されております。検閲禁止のルールについては、外部出典の記載量に比べて本文の量が異様に多いという今回のケースにでは対象にならないと主張しておられるようですが、対象にならないなどというルールの記載は、どこにも見当たりません。それ以前に数々の記事に加え、複数の社における社説でも言及されている今回のケースは、外部出典の記載量に比べて本文の量が異様に多いとは私は感じません。またあなたは、地域や版数によって記載されたりされない記事は、まるで出典として価値が無いかのように主張されておられますが、今後、全国の図書館等で記録として残り続ける縮小版(総まとめ)の本に掲載されている記事であろうと、出典としての価値が無いというその主張は、どのルールにも記載されていない、あなたの独自見解ですよね?地域や版によって掲載されていないという件についても、どの地域のどの版数において、どの記事が掲載されていないのかすら全く示そうとしないのは何故でしょうか?上記において他の方がおっしゃられているように、たとえあなたにとっては3段目以降は除去すべきと考える重要とは感じない内容でも、読む方によっては特筆性のある重要なものを含んでいると感じる方もおられる内容であり、そのような理由で削除して良いものでもありません。適切な分量なんて何の基準もありませんし、Wikipedia:編集方針にも分量の制限についての基準が明確に示されているわけでもありません。分量が問題ということであれば、内容はそのままで、もっとわかりやすく短い文章にできる部分がないか提案して改善するのなら筋は通らなくもありませんが、あなたが主張する検閲して除去するような事柄はルール違反であると断じざるを得ません。
また、あいかわらずあなたはこのことを、「極少数の人達の主張する珍説や、あまり注目されなかった出来事」と呼び、どうあっても過小評価しようとしておられるように見受けられますが、通常の記事だけでなく、複数の社における社説で言及までされている事実であることについても、いいかげん答えをはぐらかさずお答えください。--Naruhodou会話2013年7月21日 (日) 14:04 (UTC)
長々と同じことを繰り返すような主張をされていますが、あなたはWP:IINFOの「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」という文言が目に入らないのでしょうか?wikipediaの記載は外部文献の参照量に合致する分量で行われるべきであって、雑報や些末な情報をかき集める場所ではありません。--タコロス会話2013年8月11日 (日) 12:04 (UTC)
上記のことに対する答えになっておりません。ようするに、あなたの主張の根拠は、あなたの脳内にあるルールの個人的解釈だけというわけですね。合意形成期間に関するルールを守る気が無い件などルールを尊重する気すら無いことも含め、お話になりません。それらの主張を通したいのならば、まずはルールを尊重する姿勢を見せたうえで、上記において示した数々の事項に答えるのが筋であると考えます。Wikipediaは、あなたの独自解釈を根拠に内容を検閲して良い場所ではありません。--Naruhodou会話2013年8月15日 (木) 05:59 (UTC)
ルールを守っていないのはあなたのほうです。wikipediaは重要性の多寡や外部文献での参照量を考慮せずに瑣末な情報を集めるデータベースでもなければあなたのメモ帳でもありません。これはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに明確に記載されています。すでに一度明示していますが、再掲しておきます。
  • 著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。
  • 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。
問題となっている出来事の本記事内の記述が外部文献の記載量に比べて異様に多いことはあなたも確認したという縮刷版でも分かることです。
Wikipedia:合意形成に関しても独自のルールを主張しているのはあなたのほうです。少数の編集者が行った合意形成を未来永劫全ての編集者が守らなければならないというルールはどこにもありません。合意形成の結果出てきた記載が方針やガイドラインに反するような場合はその合意は全く意味をもちません。これもWikipedia:合意形成にも「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。」と明示されています。--タコロス会話2013年8月18日 (日) 12:22 (UTC)
あなたにとって都合の良さそうな文章だけを抜粋して、さもあなたの主張が正しいかのように主張しても無駄です。そこまでおっしゃるのなら、上記において私が示した数々の事項に正確に答えることができるはずではありませんか。合意形成のルールについても、合意形成期間を1度のみならず何度も無視しておきながら、開き直っておられるようにしか聞こえません。あなたの主張からは、今のあなたにルールを尊重する気が無いということしか伝わってこず、お話になりません。--Naruhodou会話2013年8月22日 (木) 19:21 (UTC)

(インデント削除)何度か聞いているのですが、あなたのいう「合意形成のルール」とやらはどこに記載されていますか?まずそれを明示してください。--タコロス会話2013年8月25日 (日) 12:25 (UTC)

合意形成期間については、まずはWikipedia:合意形成#合意形成をお読みください。--Naruhodou会話2013年8月27日 (火) 21:57 (UTC)
熟読しましたが、あなたの主張を支えるような記述は見当たりません。あなたが拠り所としている記述を具体的に提示してください。--タコロス会話2013年9月1日 (日) 13:19 (UTC)
なにがどう違うというのでしょうか?具体的に示してください。また、再三申し上げているとおり、上記における数々の疑問質問にも、逃げずにそろそろ答えてください。それにしても、長らくお出かけしていたなどと言い訳をして、今までは平気で一週間を過ぎてから返答を返していたのに、こういうときは返答が早いですね。これだけ早く返答ができるのならば、その気になれば今までも合意形成期間である一週間を過ぎないうちにに返答することは可能だったんじゃないですか?--Naruhodou会話2013年9月2日 (月) 21:18 (UTC)
あなたが主張する、一度一部の編集者の間で合意「らしきもの」が成立したら他のそのすべてのユーザーがその合意「らしきもの」に従わなければならないというルールはどこに書かれているのですか?ぜひそれを引用してください。わざわざ指摘するほどのことでもありませんが、何らかのプロジェクトレベルで決定された事項ならともかく、一記事のノートでの少数の利用者による合意が三大方針より優先されることなどありません。
なおあなたの過剰加筆を否定するルールはWP:IINFOです。
私の編集タイミングに関してですが、返答が早いも遅いも、私は最近は土日の夜しかWikipediaを編集していないのですが、何をおっしゃりたいのでしょうか?--118.17.128.30 2013年9月8日 (日) 16:10 (UTC)(ログイン忘れ)--タコロス会話2013年9月8日 (日) 16:15 (UTC)
申し訳ありませんが、合意形成期間について書かれたルールなど尊重しなくても良いという開き直りに見えます。三大方針より優先されることなどありませんという主張ですが、逆に合意形成期間など一切尊重しなくても良いなどというその方針がどのことを言っておられるのか理解に苦しみます。では逆に合意形成期間についてのルールは、なんのために書かれているとお考えでしょうか?
編集タイミングについては、一週間を過ぎてから返答を返す行為を今まで4度も行っていたのに最近やたら返事が早いことに対して疑問を抱いたということです。
あなたが過剰加筆と呼んでいる記述を検閲して除去しても良いというルールについてですが、あいかわらずWP:IINFOであるという程度の主張しかできないのですか?あいかわらず同じ返答を繰り返しておられるだけのようですが、それでは上記に示した数々の疑問質問の答えにすらなっておりません。上記に示した数々の疑問質問は、あなたが何故そう主張されるかについて具体的に掘り下げて質問している内容です。あなたの主張が正しいのでれば答えられるはずでしょう?--Naruhodou会話2013年9月8日 (日) 21:39 (UTC)
WP:IINFOに反している、これだけで編集を改善する十分な理由なのですがご理解いただけないのでしょうか?逆にあなたはあなたの主張のよりどころとしているルールを一度たりとも提示していません。速やかに提示してください。Wikipedia:合意形成を持ち出していますが、具体的にWikipedia:合意形成のどの部分でしょうか?--タコロス会話2013年9月15日 (日) 15:43 (UTC)

インデント戻します。主張のよりどころとしているルールを一度たりとも提示しておらず速やかに提示してくださいというお言葉ですが、そっくりそのままお返し致します。記載内容がWP:IINFOに反しているというのであれば、その根拠または証拠として上記における数々の疑問質問に明確に返答できるはずです。それができない以上、記載内容がWP:IINFO違反だとするその主張も独自見解として却下せざるを得ません。--Naruhodou会話2013年9月16日 (月) 21:21 (UTC)

WP:IINFOには「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」という風に、wikipediaに記載する分量は出典とされている文献・ニュース記事に記載されている分量に似合った分量であることが求められています。
あなたが出典として用いている記事のほとんどは縮刷版を確認したところ、そのほとんどが握り拳で隠れるくらいの分量の記載でした。元の新聞のサイズに戻した場合でも掌サイズかややれそれを上回る程度の少量の記事となっています。はっきり言えばほとんどのメディアはこの出来事を瑣末な出来事のように扱っています。にも関わらずあなたの編集はそれらの記事を繋ぎ合わせあたかも全てのメディアが大騒ぎしたかのような印象を与える長大な記述となっています。これは明らかなWP:IINFO違反の編集です。
さらに言えば、出典[259]や[260]のように「なんかこういう動きがあるらしい」「こんな感じのことが起こるかも」のような所謂記者の想像を交えた解説記事や途中経過を報じた記事を出典として用い、最終的に結果がどうなったのかを記載しないなどの問題もあります。そもそもこれらの記事で触れられていることは結果的にどうなったのでしょう?私が軽く検索した程度では続報らしきものは何もヒットしませんでした。最終的に「何も起こらなかった」のではないでしょうか?だとするとこれは記載する価値のある情報でしょうか?「何かあるかも」→「何もなかった」なんて百科事典として記載する内容なのでしょうか?--タコロス会話2013年9月22日 (日) 13:31 (UTC)
(追記)で、Naruhodouさんが自分の主張としているルールが記載されているのはWikipedia:合意形成のどの部分ですか?コピーして張り付けるだけなのに、なぜ早く明示しないのでしょうか?--タコロス会話2013年9月22日 (日) 13:33 (UTC)
あなたの主張が正しいというのなら尚更、なぜ上記における数々の疑問問いかけに答え、そのことが証明できないのか理解に苦しみます。もう一度記載しておきますので、今度こそお答えください。
①「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」という部分を理由とされておられますが、適切な分量なんて何の基準もありませんし、Wikipedia:編集方針にも分量の制限についての基準は明確に示されていないようですが、これについてお答えください。
②適切な分量には、そういった理由であれば検閲して除去して良いとは、どこにも示されておらず、あなたの主張されておられる「適切な分量」のすぐ下にあるWP:IINFO#ウィキペディアでは検閲は行われませんには「一部の読者にとって好ましくない、あるいは不快と感じる内容が含まれているかもしれませんが、引用部分に不快感を与え得る言葉があっても、これを検閲して除去してはいけません」と書かれており、あなたの主張するような行為は許されないことも示されております。これについてお答えください。
③単体記事の文章量を根拠としておられる件についてです。多数の社が掲載した多数の記事が存在していることに加え、複数の社がわざわざ社説でも言及している今回のケースは、外部出典の記載量に比べて本文の量が異様に多いとは私は感じません。ほとんどのメディアはこの出来事を瑣末な出来事のように扱っているという主張については、実際には複数の社が、あえて社説でも問題として取り上げて言及しており事実と反しております。あなたは検閲禁止のルールは外部出典の単体文章量に比べて記載量が多いという今回のケースでは対象にならないと主張しておられるようですが、そういった場合であれば取り扱った記事が多数あり、複数の社があえて社説でも問題として取り扱った内容でも検閲して除去して良いという内容が書かれたルールの文章は、あなたの示したものの中にはどこにも見当たりません。新たな根拠を示したうえで、これについてお答えください。
④今回問題にされている内容は、あなたにとって重要でなくても読む方によっては特筆性のある重要なものを含んでいると感じる方もおられる内容であると考えます。分量が問題ということであれば、内容はそのままで、もっとわかりやすく短い文章にできる部分がないか提案して改善するのなら筋は通らなくもありませんが、あえてそうはせず、あくまでも除去しなければならないとするその理由についてお答えください。
⑤WP:DUEのことを理由としておられる件についても、この内容は対立する論争における複数の観点について比較する内容があった場合のことが書かれているだけです。ただし書きにも、対立した観点において一方の観点が真実であるといった形で表現されるべきでないという内容が書かれており、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきという意味では無いことや、ウィキペディアにはサイズの制限は無いことも書かれております。あなたの主張するルールには、3段目以降は除去して良いといった、検閲を行い除去して良いなどという主張を裏付ける内容など書かれておりませんが、そのことについてお答えください。
⑥あなたの主張を聞いていると、合意形成期間について書かれたルールの記述などまるで関係ないかのように聞こえますが、では、あなたにとって私が示した合意形成に書かれているルールとはなんだとお考えですか?合意形成期間など尊重などせずとも良い内容だとでも、おっしゃりたいのでしょうか?私に明示していないと主張するからには、まずはこのことにお答えください。
ちなみに出典[259]や[260]の件については、北朝鮮絡みの献金疑惑を責任追及するプロジェクトチームの会合が行われたというのは事実ですよね。あなたにとって重要でなくても読む方によっては特筆性のある重要なものを含んでいると感じる方もおられる内容かもしれませんので、最終的に何も起こらなかったということで残すべき記載に値しないというのであれば、これについては個別に検証して、どうすべきかこの場の対話で決めれば良いだけのことだと考えます。3行目以降は全て除去すべきという乱暴かつ横暴な編集より、はるかに有意義です。--Naruhodou会話2013年9月29日 (日) 03:21 (UTC)
わざわざ5つに話題を分けていますが、全て同じ内容ですね。何の意味があって同じことを言葉を変えて5回も繰り返しているのでしょうか?私としては議論の撹乱ば目的としか思えません。これらに関する答えは全て「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」というルールです。あなたがやっているのは「個別には少量の記載しかない記事を組み合わせて、あたかも大事が起こったかのように印象操作をしている」ということで明らかに上記ルールに反しています。ルールに沿っていない編集が改善されるのは当然でしょう。
あなたの主張を端的にまとめると「大してメディアに取り上げられてもいないし、その後の続報も無い単発情報でも、もしかしたら読む人によっては重要と思うかも知れないから掲載しておくべきだ」という感じですが、これはWP:IINFOで否定されている、典型的な「情報の無差別な収集」ですね。wikipediaは外部出典により重要性や検証可能性が担保されている情報を集めている百科事典であって、瑣末な情報を集めるまとめサイトではありません。
⑥についても、Wikipedia:合意形成のどこにあなたが主張するようなルールが記載されているのですか?いい加減明示してもらえないでしょうか。本当にあなたの主張するようなことが記載されているなら、コピペして持ってくるだけなので簡単にできると思うのですが。--タコロス会話2013年10月6日 (日) 14:36 (UTC)
それは違います。①から⑤の質問は、あなたが再三主張されている「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」というルールの裏付けとなる根拠や証明を具体的に示していただくための質問です。にも関わらず、これらの質問が5つとも全て同じ内容にしか見えず無意味なものにしか見えないのであれば、あなたは己の正当性を信じるあまり、疑問を投げかけられた内容に対して、その裏付けを証明しようとする努力を怠っても良いという意識が頭の中に働いているからではありませんか?またもや「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」の一点張りなのも裏を返せば、裏付けとなる証拠を示したくないという思いから突きつけられた①から⑥の事実を拒んでおられるからではありませんか?穿った見かたをすれば、①から⑥に対して個別に答えを示せないのは失礼ながら、あなたがこれらの裏付けを証明することができないからではないかという疑念が頭から拭えません。
「大してメディアに取り上げられていない、その後の続報も無い単発情報」という感想についても、複数の大手新聞社があえて社説でも言及しており複数の新聞社等が何度も報じているという事実を軽視した、あなたの観点に立った個人見解にしか見えません。あなたは、WP:IINFOで否定されている典型的な「情報の無差別な収集」とおっしゃられていますが、あなたのおっしゃられているのはルールにおけるどの記述ですか?加えて、そう主張したからにはこの件についても、その根拠である裏付けとなる内容や記載文を、明確に示し正当性を証明してください。それができない以上、あなたの主張は何の説得力も持ちません。--Naruhodou会話2013年10月13日 (日) 08:25 (UTC)
「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」の一点張りなどとおっしゃっていますが、これはルールとして明記されているものであり、編集する上でこれを重視するのは当然ではないでしょうか?あなたはこのルールは無効で、情報源の中立性や信頼性、事象そのものの大小は全く考慮せず、出典さえあれば何をいくらでも記述していい、とお考えなのでしょうか?
それから、Naruhodouさんが論争を起こしている他の二つの記事も拝見しましたが、どうもあなたは論点を不毛に発散させるような質疑を行っているように感じます。--タコロス会話2013年10月13日 (日) 16:10 (UTC)
それは裏を返せば、あなたが一点張りで根拠としているルールが、あなたのおっしゃるような内容だと証明することができないということではありませんか。もし違うのならあなたの主張が正しいということを証明するためにも、①から⑥に対して明確な証明を示してください。何故①から⑥に対し詳細な返答を示せないのでしょうか?あなたの主張が正しいのならば、これらの質問に明確な答えを示せて当然ではありませんか。答えられない以上、あなたの主張が正しいということを受け入れろという、ルールの記述文一点張りの主張など何の価値も説得力もありません。加えて、「他の記事で行っている議論をこの記事に持ち込むことが理解不能です」という言葉は、以前あなたが私に対して放った言葉であることもお忘れなく。--Naruhodou会話2013年10月20日 (日) 07:28 (UTC)

(インデント削除)なぜ「該当するルールをコピーしてきて貼り付ける」というだけの単純な要求に応じないのでしょうか?客観的に見て、あなたの主張を裏付ける記述がどこにも無いからである、としか思えないのですが。それから私がいつ他の記事の論争をここに持ち込んだというのでしょうか?単にあなたの編集傾向を調べただけなんですが。--タコロス会話2013年10月20日 (日) 14:15 (UTC)

客観的に見て、あなたの主張を裏付ける記述がどこにも無いからであるとしか思えないというその言葉は①から⑥に対し明確に答えられないあなたに、そっくりそのままお返し致します。
なぜ「該当するルールをコピーしてきて貼り付ける」というだけの単純な要求に応じられないかという主張に対しても、あなたが何故そのように主張されるのか具体的な根拠を示していただけていない現状では答えようがありません。⑥の問いは、そのための質問でもあります。
何故①から⑥までの問いに対し具体的に答えることができないのでしょうか?--Naruhodou会話2013年10月27日 (日) 01:17 (UTC)
①から⑥の「無駄に」細分化された質問をされているのはどうしてでしょうか?この議論の最初の、そして唯一の論点は、「世間での取り扱い方、即ちwikipediaでいうところの出典の記述量に比して本項内の記述量が多すぎる」ということです。私はこの主張のよりどころとして「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」というルールを提示しています。一方あなたはそれに反論するためのルールを提示していません。さらに、本題とは関係ないにも関わらず、あえてお付き合いしてあげた合意事項に関するルールについても、あなたはあなたの主張のよりどころとなるルールを一切提示していませんよね、コピペして持ってくればいいだけにも関わらず。
私はあなたが論争を起こしている他二つのページの編集者のように、あなたの論点ずらしのための議論の発散に付き合うつもりは一切ありません。本題の話をしてください。--タコロス会話2013年10月27日 (日) 15:01 (UTC)
反論するためのルールを提示していないもなにも、そもそもあなたの示しているルールが、あなたの主張しているような内容だという証拠を全く示していただけておりません。そのことを正確かつ具体的にあなたから示していただくため、①から⑥にかけ細分化して質問させていただいている次第です。そして、①から⑥にかけての質問そのものが本題に他なりません。失礼ながら、①から⑥の質問を「無駄に」と返しているあなたからは今回の件に対する誠実さは感じられません。あなたこそ①から⑥にかけた本題の話をするべきであると考えます。--Naruhodou会話2013年11月3日 (日) 02:17 (UTC)
まず最初に再度明言しておきますが、私はあなたの論点ずらしの論法に乗っかって議論を発散させるつもりは一切ありません。
私の主張はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに記載されている以下の考えての通り、外部出典の言及量に沿った記載量にすべきというものであり、あなたはこれに関する反論が全く出来ていません。
  • 著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。
  • 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。
あなたは「wikipediaは出典さえあれば何をいくら記載してもいい」とお考えなのでしょうか?
合意形成に関して、あなたの主張を支える部分はどこにどう記載されているのですか?コピペで持ってこれるはずなので速やかに提示してください。あるんなら。--タコロス会話2013年11月3日 (日) 14:21 (UTC)
反論もなにも、あなたの解釈が正しいという具体的根拠を示していただいておりませんので返答しようがありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにある、外部出典の言及量に沿った記載量にすべきという内容は、検閲して大量除去しても良いという内容であるというあなたの主張を支える根拠についても一切示していただいておりません。なのでまずは①から⑥についてお答えくださいと求めているのです。コピペでも提示できるはずです。速やかに提示してください。今の現状では「あなたの主張を支える部分はどこにどう記載されているのですか」という言葉も、そっくりそのままお返しせざるを得ません。--Naruhodou会話2013年11月10日 (日) 05:38 (UTC)
あなたは人のコメントを全く読んでいないのでしょうか?私の主張の根拠としているルールはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの「著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。」「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」という記載です。
さて、あなたの主張の根拠となるルールをご提示ください。--タコロス会話2013年11月10日 (日) 13:49 (UTC)

インデント戻します。あなたこそ読解力が無いのでしょうか?そのルール文が本当にあなたの言っているような内容だという根拠と証拠を示してくださいと言っているのです。本当にあなたの主張どおりなら①から⑥に答えられない理由がありません。速やかにお答えください。--Naruhodou会話2013年11月11日 (月) 14:16 (UTC)

私の引用しているルールは文字面の通りの内容で、特別な解釈の必要な部分はどこにもありません。で、あなたはいつになったらあなたの主張のよりどころとなるルールを定時してくれるんでしょうか?コピペするだけのはずなので速やかにお願いします。--タコロス会話2013年11月17日 (日) 15:32 (UTC)
根拠不足です。特別な解釈の必要な部分はどこにもないというのが本当なら当然、裏付けとなる根拠を証明できるはずです。ウィキペディアは演説台ではありません。①から⑥に答え実例を示し、事実である証明をしてください。それができない以上、あなたの主張は通る余地がありません。--Naruhodou会話2013年11月23日 (土) 00:15 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに以下のように記載されている通り、wikipediaでは外部出典の参照量にあった分量の記載を行うべきであり、瑣末な出来事を殊更に大げさに記載することはできません。
  • 著名な個人であっても、その人物が関与した出来事のすべてが重要とは限りません。
  • 記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。
いい加減、独自の見解をやめてあなたの主張のより所となっているルールを提示してもらえませんかね?いい加減待ち飽きてるんですが。--タコロス会話2013年11月24日 (日) 13:38 (UTC)
あなたが唯一の拠り所としている、そのルール文の掲載はもう結構です。①から⑥の質問に答えられない以上、そのルール文が検閲して大量削除しても良いというルールだというあなたの主張する解釈は、その証拠も、適用されたという前例も存在しない、あなた独自の見解による一人よがりに過ぎません。Wikipediaのノートは対話の場であり、①から⑥に答えられない以上あなたの主張は通る余地がありません。--Naruhodou会話2013年12月1日 (日) 11:38 (UTC)
あなたの主張のよりどころとしているルールはなんですか?速やかに提示してください。もしかして、ないんでしょうか?--タコロス会話2013年12月1日 (日) 15:10 (UTC)

インデント戻します。なんですか?と問われても、それ以前にあなたが何故そのように主張されるのかという具体的な根拠を示していただくための①から⑥の質問に答えていただいけていない状態なので答えようがありません。--Naruhodou会話2013年12月7日 (土) 22:27 (UTC)

あなたの主張のよりどころとなっているルールを提示してください。私は私の主張のよりどころとしているルールを提示済みです。一方あなたはそれを行うことなく、何の根拠もない自説を繰り返しているだけです。正直話にならないレベルだと思っています。--タコロス会話2013年12月8日 (日) 14:35 (UTC)
失礼ながら正直話にならないレベルだと思っている、何の根拠もない自説を繰り返しているだけ、という言葉は、そっくりそのままお返しせざるを得ません。私は、あなたが主張のよりどころとしているルールが本当に検閲して除去しても良いという内容かどうかを具体的に証明してもらうため、その証拠となるルール文、もしくは前例を示していただくため①から⑥の質問に対する回答を求め続けております。にも関わらず、あなたは何ひとつ確たる根拠も示さないまま自分の解釈は間違っていない繰り返すのみで、なおかつ提示済みだと主張しているからです。ここは、あなたの演説台ではありません。①から⑥の質問に答えぬまま、私の主張のよりどころとなっているルールを提示しろと言われても示せるはずがありません。--Naruhodou会話2013年12月15日 (日) 11:18 (UTC)
で、あなたの主張のよりどころとしているルールは何ですか?まずそれを提示してもらえないと話が進みません。--タコロス会話2013年12月15日 (日) 13:24 (UTC)

  コメント ちょっと小耳に挟んだのでやって参りました。取り敢えずこう言うのはタイマンだと駄目です。きりがない。何ヶ月続けてるんですか。できるだけ早く「Wikipedia:コメント依頼」を用いて、中立の第三者に入って貰って下さい。執筆実績豊富な人であれば、「必要な情報を必要なバランスで配置」「些末な情報の切り捨て」について、客観的なコメントをしてくださるでしょう。方針・ガイドラインの一般的な解釈についての解説も期待出来ます。--Hman会話2013年12月18日 (水) 09:12 (UTC)

ご意見ありがとうございます。コメント依頼については実行済みです。--タコロス会話2013年12月22日 (日) 15:57 (UTC)

  コメント なんと!誰も仲裁に来てくれないんですか。これはいよいよウィキペディアもオワコン(コメント依頼見ている人も、仲裁できるだけの技量を持った人もいない)ですかね・・・。まあただ、コメント依頼の場合、コメントしやすいもの、しにくいものがあります。何百キロバイトを査読しなければコメントできない様なものにコメントはなかなか、難しいです。コメント依頼から来て下さった人のために、論点をまとめておくといいでしょう。もしくは河岸を変えて、利用者:タコロス & 利用者:Naruhodouの「利用者の行為に対するコメント依頼」と言うかたちにしてみるのも、いいかもしれません。

なおいくつかの質問とやらですが、仕方がないので私の方で、あくまで一般論として(個別のお話がどうなっているかはもちろん私にもわかりません)お答えしますと

1.今回でしたら人物の記事ですので、その人物の経歴に照らし合わせて重要な情報は重点的に、あまり重要で無い情報は端折るか相応に軽く触れる程度にしてください。可読性を向上させるために行われる些末もしくはしつこい情報の減筆は単なる「整理」であり、検閲などではありません。 2.除去は検閲ではなく、あくまで読者の可読性への配慮の為にあります。あまり意味の無い情報を多量に読まされると読者は結局意味が分かりません。ウィキペディアは情報を無差別に収拾する場所ではありません。ウィキペディアは百科事典です。「事実であれば何でも載っけていいまとめサイト」では、断じて、ありません。 3.社説で取りあえげたのなら社説で取りあげたなりの扱いをして良いですが、社説で取りあげる程度の事象は、実はそれほど大きな事象ではありません。所詮はいくつかの新聞社が取りあげたと言う話でしかありません。もっと重要な事象については、通常、社説でとりあげたとかとりあげていないとか、そういうレベルでの言い争いにはなりません。例えば、東日本大震災などは、どこの新聞社が何回社説で取りあげたとかそういうのはどうでもいいレベルです。新聞に掲載されると言うのは何らかの事象が特筆すべきものであることを示す最低限レベルの要素ですが、社説はそれの一段階上、程度のものだと言うのが、私の考えです。 4.他の百科事典・・・は難しいでしょうが、他の「三次資料」(一般向けの解説本)を参考にすると良いでしょう。最も大切なことは、記事全体として「一次資料」や「新聞記事」「ネットニュース」への依存度を下げる事です。良く整理された二次資料を主に用い、構成の参考に三次資料を用いる事ができれば、よいものになります。それを怠ると、人類の到底読めない様な長くてスパゲティの様に複雑な、実用性の無い記事になります。常に適切な文献を手元に置いて編集を行って下さい。まともな記事を書くためには交通費だのコピー代だの文献代だのノーパソ代だのは、どうしてもかかります。必要なコストです。 5.記事は是非とも一般の人がまともに読める程度の長さにしてください。逆に言えば、人類の読める程度の長さであればあまり長さは気にしなくていいです。特別:長いページを見てください。人類が読めない記事が多数あります。もちろん、これに計上されていても十分に読める記事もありますが、むしろ例外です。一般的には、記事は人類が読めるものであるべきです。一番偉いのは読者様だと思ってかかると良いでしょう。ある部分についてはどうしても詳述する必要があるのであれば、記事を分割することで可読性を保って下さい。 6.合意形成については無風でしたら通常「一週間」で暗黙の、弱い合意が得られますが、議論が続くのであれば続くだけ続きます。また先述の弱い合意の後も、有力な異議が入るのであれば、もちろん対話プロセスが開始されます。ある合意はその記事やウィキペディアを未来永劫縛り付けるものではありません。状況や人が変われば、再度話し合いの場が持たれる場合があるのは当然のことです。

更に補足すれば、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは、ウィキペディアがウィキペディアであるために絶対に守らねばならないものです。これを蔑ろにすれば、ウィキペディアはウィキペディアではなくなり、すなわちそれはウィキペディアの目的外利用もしくは破壊行為とも言えるものでしかなく、その様なことはウィキペディアのサーバーで行われるべきではありません。そんなことをするために、サーバーを解放している訳では無いのですから。

以上、解決の一助となりましたら、幸いです。--Hman会話2013年12月22日 (日) 17:16 (UTC)

Hman様、返答とアドバイスありがとうございます。では、これらの回答を踏まえたうえで今まで議論を行っている可変IP編集者も方も含め、編集方針について今一度問わせていただきます。短く読みやすい内容とするための減筆や再構成ではなく、あくまで3段目以降は除去すべきという可変IP編集者の意見については、私としては、やはり同意致しかねます。これらのアドバイスを元に内容を短くすべきというのなら、3段目以降を丸々除去するよりも、可読性を確保するため要点を抑えたうえで内容を短くまとめるべきではないかと考えるからです。何故3段目以降は、短くして記載ではなく、丸々除去でなければならないのか甚だ疑問なのですが、いかがでしょうか?--Naruhodou会話2013年12月23日 (月) 05:29 (UTC)
えー差しあたり、節を変えての仕切り直しを強くお勧めします。また、Naruhodou氏は絶対にタコロス氏を個人的に攻撃しないでください。もちろんタコロス氏についても、それは同様です。二人で口喧嘩してどちらが勝手もウィキペディアのルールは変わらないのですから、意味が無いのです!この節はもう「二人のケンカ」になってしまっていますので、廃棄しましょう。大体、そんなことしてもストレスがたまるだけです。誰しもケンカをするためにアカウントを取得した訳ではないはずで、その分のパワーで一回でも図書館に足を運んだ方が記事は絶対に良くなります。記事のみを見て、中立性、バランス、そしてウィキペディアの方針を元に考えて下さい。なお、方針の運用・解釈でご不明な点がございましたら、お問い合わせ下されば、私の方でかなりの部分までお答えすることが可能ですと、申し上げておきます(一応元管理者ですし、執筆賞も多数頂いておりますので、jawpでの普遍的かつ中立的な観点からのお答えが可能です。幸いにも菅直人氏に個人的な好き嫌いもありません)。
節を変えると同時に論点をまとめて具体的なコメントを求めれば、新たにコメントが付く可能性があります。その際にはWikipedia:コメント依頼での文言も、より具体的なものに改めるとよろしいでしょう。仕切り直し後は、必要でしたら、私がコメントを述べさせて頂くこともあるでしょう。なお、両氏の他に継続されている方が行っていらっしゃる編集で「問題」と感じられた際には、差しあたりNaruhodou氏、タコロス氏でご協議頂いた上、やはり問題だと言うことであれば、会話ページもしくは編集要約欄を用いて、ノートにご招待してください。ま、年の瀬も迫って参りましたので、のんびりで良いと思います。いやでも中断が入りますからね。--Hman会話2013年12月23日 (月) 08:12 (UTC)
Hman様、重ね重ねアドバイス感謝致します。Hman様のおっしゃるとおり、いささか感情的になっていた部分がありました。これを踏まえ再度「個人攻撃はしない」のルールに従い議論させていただくことを肝に銘じます。今回のアドバイスを受け、この節は破棄させていただいたうえで議論における問題点や論点を短くまとめ、年明け後には節を変えての仕切り直しを行わせていただこうとおもいます。というわけで、この節での議論は終了とさせていただきます。--Naruhodou会話2013年12月29日 (日) 12:52 (UTC)
とりあえず節を一旦閉じるという点については賛同します。--タコロス会話2013年12月29日 (日) 16:23 (UTC)
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