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ハードコア (ポルノ)

性行為をあからさまに取り扱ったポルノグラフィ
ハードコアのポルノ映画の撮影現場

ハードコア: Hardcore)はポルノグラフィの一形態で、性行為をあからさまに取り扱ったもの。ハードコア・ポルノグラフィ(Hardcore pornography)とも呼ばれ、ソフトコアと対比される。媒体写真ビデオ映画(若しくは動画)等だが、これ以外のものでも定義の範疇に入る。

実際の性行為が伴う物を指し、日本では大多数のアダルトビデオなどが該当する。ポルノ映画は他国では日本で言うところのアダルトビデオとの境界が曖昧なことが多いが、日本で「ポルノ映画」という場合は、通常、性行為を抽象的に演出するソフトコア・ポルノを指す。

歴史編集

17世紀まで、性的な芸術や書物を買ら余裕があったのは、教養のある上流階級の人々だけだったが、19世紀までにはこうしたものが安価になり、労働者階級でも買らことができるようになった。このことは、産業化が進んでいたり、貧富間の緊張が高まっていた国々 の当局をおののかせた。特に19世紀のイギリスで上流階級が懸念したのは、労働者がセックスぼかりの題材に触れたら、一生懸命に働かなくなるのではないかということだった。ヴィクトリア女王の長い治世に、イギリス、ヨーロッバ大陸、アメリカはマスターベーシ ョンを恐れるようになった。これより前、マスターベーションをよくないと思う人々は聖書を引用し、 子どもをもうける見込みがないのに「種」をこぼすのはいけないと警告し、そのうち、医師がマ スターベーションは若者を病気にし、精神を狂わせるという「科学的な」主帳を始めた。19世紀末まで、マス ターベーション の現場を見つけられた少年は、痛みを伴う奇妙な仕掛けにペニスを入れられ、二度とさわれなくさせられた。同じことをした少女は、生殖器の一部を焼かれた。こらした極端な例は、性的な書物や絵がとても危険だと思われていたことを教えてくれるが、それは子どもや貧しい人々や女性にかぎってのことであり、教育のある上流階級の紳士は、おそらくなんの差し支えもなく性的な題材を見ることができた。一方、上流階級以外の人間は危険から遠ざける必要があった。この恐怖を表すかのように、イギリスは1857年に「猥褻」だとみなされる性的な題材の販売と配布を禁止する法律を制定した。

こうして、性的な題材を見ることを許されたのは、少数の男性裁判官、男性の美術収集家、男性警察官だけとなった。その方で、何が許され何が許されないか、 だれが見ることができてだれが見ることができないか、法律が施行されなければどんなひどいことが起こるのか、多くの人々がさかんに議論をした。こうしてポルノグラフィが誕生した。

ドキュメンタリーフィルム製作者フェントン・ベイリーは、1990年代のテレビシリーズ 『ポルノグラフィー文明のひそかな歴史』の中で、ポルノグラフィを定義するのは「おろかなことだ。本来そういうものは存在しないのだから。それを作りだすものをそう名づけたにすぎない」と結論を下した。ボルノグラフィと名前を付けることで、性描写は日常生活から切り離されたのである。このネーミングによって性描写は、人がロにすることができ、そして同時に頭から一時も離れないタブーとして、具体化された。ポルノグラフィは、語られ、頭から離れなくなればなるほど、厳然とそこに存在した。

19世紀にポルノが激増したのは新しい技術、1827年に発明された写真撮影術の結果で、世界で初めて撮影された写真には裸の人々が写り、セックスをしている人々の写真もあった。

『写真を〈読む〉視点』(著者: 小林美香 出版社: 青弓社)によると、ハードコアな性描写は、絵画のヌードグラフィックではなく写真の出現からとし、写真の流通の仕方、写真がポストカードのような通信手段といった流通法によって一般に許容されるような性的な描写バリエーションが広がったとしている。同書では米国ではそれまでのヌードグラフィックから「ペントハウス」や「ハスラー」などの陰毛や性器を露出した写真とともに、読者が撮影して投稿した写真を掲載するハードコア雑誌が1960年代半ば以降に創刊されていったという。

1860年代までにはこうした場面を写したポストカードが容易に手に入るようになり、2 0世記末に映画製作が発達すると、初期の動画の中にもセックスをする人々を撮ったものがあった。性交場面が映っているフィルムで現存する最古のものは、『グラス·サンドウィッチ』という題名で知られる。1915年にニュージャージーで撮影されたと言われている。第一次世界大戦のころまでは『グラス·サンドウィッチ』のようなフィルムがたくさんあった。それらは「男性向け映画」と呼ばれ、女人禁制のパーティで見ることができた。そのころハリウッドでは何人かの映画監督が女優のトップレス姿を取り入れていたが、それも1930年代までである。

大恐慌時代が到来すると、一般映画はあからさまな性行動の描写ができなくなった。夫婦の寝室でさえ、ツインベッドを置かなければならない。それでもその後20年ほどで、いわゆるアートシアター、大学のそばにあることが多いその類いの映画館が、 もっと率直に性を表現する一般映画を上映するようになったことも影響する。例えば『素直な悪女』は、ブリジット·バルドー主演のフランス映画で、アメリカでは1958年に初上映された。この映画はバルドーの肉感的な後姿と豊満な胸を自らむき出しにするエロティックな場面が呼び物となった。この映画は一般映画の性表現を大きく変えるきっかけとなった。

現代のハードコア・ポルノは20世紀後半の西欧諸国で隆興し、1969年デンマークを皮切りに各国で流通の合法化が進められた。2000年ごろまでには大多数の自由民主主義国家で合法となったが、日本では刑法175条のわいせつ物頒布罪により2016年時点でも違法とされている一方、欧米諸国においては、性器にモザイク処理が施されたものであっても暴力的または著しく反社会的な性表現が含まれていると、わいせつ物とみなされる場合がある。このため、日本国内で審査を通過し市販されている作品であっても、該当する表現が含まれていれば、頒布や所持に罰則が適用される可能性がある。欧米在住の日本産アニメ愛好家が準児童ポルノ表現を含む成年コミックアダルトアニメ美少女ゲームなどを所持していたとして摘発され、後に有罪判決が言い渡される事件も複数発生している。

ただし、映像の該当箇所に対してモザイク処理等の修正を行い、映像的な明示性を薄めたものについては実質的に合法流通が可能となっているため、各分野の企業は映像倫理審査団体を設立して自主規制にあたっている。刑法175条など関連法案の改正によってハードコア・ポルノ全面解禁を目指す大きな動きは現時点では見られないものの、インターネットポルノの普及普遍化によって、現状の規制を続ける必然性・現実性は薄れつつある。これを受けて各倫理審査団体の審査基準も年々緩和される傾向はあるものの、今後しばらくは「状況にあわせた現実的適応」が続くと考えられている。

一方、海外に目を向けると、世界最大のハードコア・ポルノ市場を有するアメリカでは、業界の自主規制によって強姦・痴漢やSM、ロリコン獣姦などの暴力的または反社会的な表現を極力抑えた性行為の映像が主流となっている。欧州では、各国の法律や業界の自主規制によって表現に大きな幅がある。ドイツやオランダなどでは、その過激さ故に国内外から批判されている日本のハードコア・ポルノを超える内容のコンテンツが流通している。

アメリカ合衆国では通常のポルノグラフィについては憲法修正第1条によって憲法で保障されている表現の自由の範疇に入るとされるが、猥褻(obscenity)と児童ポルノ(child pornograhy)は保護されるポルノから除外されておりまた表現の自由の保護から除外できるかどうかについても、最高裁判所の過去の判例に基づいて、かなり細かい規定が設けられており、ポルノが法的に猥褻であるとされ、その結果として、憲法修正第1条の保護の対象から除かれるには、それが最低でも明らかに不快な(patentlu offensive)ハードコアの性的行為を描写または記述していることが必要である。連邦最高裁では、表現物が猥褻であるか否かを判断するため、ミラー・テスト(Miller test)という3つの用件からなる基準を設けている。[1]

憲法修正第1条によって保護されるポルノや下劣な情報・素材であっても、未成年者がそれらの情報にアクセス制限を講ずるため規制対象になる場合もあって、表現の自由を保障する憲法修正第1条もその規制に反対するための根拠にはならない。1973年のミラー判決から、連邦最高裁はハードコア・ポルノを確定できることはしめされている[2]

関連項目編集