ビッグ・マンモス

かつての日本の少年合唱団

ビッグ・マンモスは、フジテレビの子供向け番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』で活躍した少年合唱団。1975年に結成し、1982年の番組終了まで活動した。当時のメンバーの大半は劇団いろは劇団ひまわりに所属していた。

結成当初からメンバーの入れ替えを随時行いながら、15人前後で活動。少年合唱団であったがアイドルのように歌って踊れるグループで、個性・ルックスの良さも兼ね備えていたため、当時の10代の少女たちを中心に大変な人気を集めていた。

歴代メンバー 編集

※加入順→背番号順で列挙。

加入時期 背番号 名前 よみ ニックネーム 生年月日 血液型 卒業(脱退)時期 所属事務所 備考
1975年9月(第1期) 売豆紀一 みずき はじめ ミルキー     1975年10月? 劇団日本児童 レコードデビュー前に脱退。
10 森井信好 もりい のぶよし ノンノン 1965年3月25日   1978年3月 劇団いろは 初代リーダー(卒業まで兼安とダブル就任)
11 秋葉 あきば アッキー     1976年3月 劇団若草 下の名前は不明。
18 世利一弘 せり かずひろ パセリ 1967年8月22日 B 1981年3月 劇団ひまわり
20 兼安博文 かねやす ひろふみ カネゴン 1964年10月24日 A 1980年3月 劇団いろは 初代リーダー(1978年4月より単独)
21 西野正一 にしの しょういち ショーチャン 1965年9月6日 A
22 大沢総一郎 おおさわ そういちろう オートン 1967年9月3日 O 1981年3月 劇団いろは 二代目リーダー(1980年4月~)
30 前田裕介 まえだ ゆうすけ マメダ、ユースケ 1966年7月10日 O 1980年3月 劇団日本児童
35 芹沢康久 せりざわ やすひさ プリンスハゲ 1965年6月1日 O 1978年3月 劇団いろは 3年B組金八先生』(TBSテレビ)に梅原明役として出演。
47 新敷浄 しんしき きよし ヘンシン 1966年6月1日 O 1980年3月 劇団日本児童 2021年に死去(Youtubeで世利一弘が自身の投稿動画でコメントしている[1])。
56 古川武生 ふるかわ たけお イカちゃん 1965年4月2日 1978年3月 劇団いろは
66 野田利明 のだ としあき ノーマン 1976年3月 劇団日本児童
72 長谷川淳史 はせがわ あつし アッチャン 1967年1月31日 B 1980年3月 劇団日本児童 姉は『3年B組金八先生』(TBSテレビ)に瀬戸克江役として出演していた長谷川純代。
1976年3月(第2期) 11 酒井晃 さかい あきら ヒラメ 1966年11月26日 A 東京音楽学院
15 前田陽介 まえだ ようすけ デブリンマン 1968年9月16日 O 1981年3月 劇団日本児童 1期メンバー・前田裕介の弟。
27 山崎圭一 やまざき けいいち ヤセヤマ 1967年7月27日 AB FMG 1981年8月3日神奈川県で海水遭難事故のため死去[2][3]。享年14。
武田久美子はアイドルとしてデビューする前の堀越学園中等部時代に山崎圭一と交際していたことを2005年の著書「くみこの掟」と2016年5月放送のTBS「7時にあいましょう」にて語っている。
88 東原稔 ひがしはら みのる トンバラ 1965年8月18日 O 1980年3月
90 岩田浩一 いわた こういち コーチャン 1966年3月19日 A
1977年10月(第3期) 12 田村勲 たむら いさお コフ、ツリマユゲ 1968年3月15日 A 1981年3月 東京音楽学院
19 高橋秀典 たかはし ひでのり タコ、テンタコルズ 1968年6月26日 AB 劇団日本児童
28 山崎公彦 やまざき きみひこ チビヤマ 1969年2月19日 AB FMG 2期メンバー・山崎圭一の弟。
1978年10月(第4期) 16 伊藤光 いとう ひかる ピカ 1970年1月27日 AB 解散時メンバー 劇団ひまわり 三代目リーダー(1981年4月~)
33 玉川康司 たまがわ こうじ タマチャン 1970年1月19日 A 劇団日本児童
45 小倉一夫 おぐら かずお モグ 1970年3月5日 A 東京音楽学院
73 酒井新一郎 さかい しんいちろう チビシン 1969年10月21日 B ボンド
1980年8月(第5期) 23 中垣一巳 なかがき かずみ カンミカン 1971年6月21日
55 石井隆一 いしい りゅういち ハンバーグ 1981年5月
64 菊池晋 きくち すすむ スーチャン
1980年11月(第6期) 10 倉形敏正 くらがた としまさ
11 山元泰三 やまもと たいぞう ゲンゴロウ 1973年9月30日 解散時メンバー
17 藤田裕二 ふじた ゆうじ 1981年5月
29 飯田吉信 いいだ よしのぶ ピッケル 1972年3月26日 解散時メンバー
30 佐藤美樹晴 さとう みきはる 1981年5月
1981年5月(第7期) 15 柳英徳 やなぎ ひでのり ボケヤナギ 1972年5月15日 解散時メンバー 東京音楽学院
25 金子真也 かねこ しんや キンコ、ネコ 1971年5月25日 1981年12月 劇団ひまわり
62 渡辺弘樹 わたなべ ひろき ガッチャマン 1971年11月6日 解散時メンバー
69 六浦誠 むつうら まこと ロク 1971年9月14日 劇団日本児童 解散後は俳優として芸能活動を継続したが、現在は引退。
75 野口将 のぐち まさる ウマヅラ 1971年7月3日
88 富樫寛 とがし ひろし トカゲ 1972年3月7日 1981年12月 NHK大河ドラマ『春の波涛』などに出演。
90 岩崎基亘 いわさき もとのぶ 頭デッカチ 1971年7月29日
99 山本日出一 やまもと ひでかず 太平洋 1972年3月28日 3年B組金八先生スペシャル』(1986年・TBSテレビ)に生徒役として出演。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

いずれも日本コロムビア盤、キャニオン・レコード盤の2種類のジャケットが存在する。

  • そばかすつけた女の子 / パジャママンのうた(1975/12) - メインは酒井ゆきえ。
  • あたふたバンバン / 風がふけば風がふく(1976/6) - 両面ともコーラス参加。
  • あの子の心はぼくのもの / ボクとどらねこ(1976/8) - キャニオン盤は収録面が逆になっている。
  • 火の玉ロック / あつまりましたよっ!ピンポンパン~シャンプーマン(1976/12) - B面は酒井ゆきえ。
  • レッツゴーともだち / イヤイヤマン(1977/4) - B面は酒井ゆきえ。
  • イヤイヤマン~こぐまのテディ / 火の玉ロック~あの子の心はボクのもの(1977/4) - コロムビア盤のみ。
  • イヤイヤマン~ボクとどらねこ / こぐまのテディ~火の玉ロック(1977/6) - キャニオン盤のみ。
  • いなずまロック / ぼくらは未来のベーブ・ルース(1977/7)
  • おはようさんさんピンポンパン / ピッピ・ビューティ(1977/9) - B面は酒井ゆきえ。
  • あの字 / やっぱり僕は僕なんだ(1978/1) - A面は酒井ゆきえ。
  • 星物語 / ゆくぞ!ビッグ・マンモス(1978/4)
  • おはようさんさんピンポンパン~ピッピ・ビューティ / あの字~やっぱり僕は僕なんだ(1978/4) ※コロムビアの再録版。
  • ドリーム・ボーイ / 青空特急(1979/9~10) - キャニオン盤は収録面が逆になっている。
  • 社長さんスッテンコ / 熱く!バビューン!(1980/5)
  • 君にタッチダウン / サンボのジャングル大通り(1980/7)
  • コマーシャル体操 / スープはいかが(1980/12) - B面のメインは大野かおり。
  • ストップ・ゲーム / ザ・しりとり(1981/4) - メインは井上佳子。
  • ロボラボ☆ピンポンパン / ピンポンパンディスコNo.2(1981/11) - メインは井上佳子。

CD 編集

  • ママとあそぼう!ピンポンパン ビッグ・マンモス SONG COLLECTION(2019/6)[4]

出演番組 編集

レギュラー出演の『ピンポンパン』は除く。

脚注 編集

  1. ^ Youtube 「パセリチャンネル」- 【55歳のパセリが歌う!シリーズ】第4回「火の玉ロック」[ビッグマンモス / ピンポンパン]
  2. ^ 『7時にあいましょう』2016年5月30日放送「一触触発!気まずい相手と対面SP」 - gooテレビ、2016年5月31日閲覧。
  3. ^ あの日のこと(アーカイブ) - 死去した当時のエピソードが詳細に書かれている。
  4. ^ ビッグ・マンモス | 日本コロムビアオフィシャルサイト”. 日本コロムビア公式サイト. 2019年11月8日閲覧。

関連項目 編集