ブラス・ロック (: brass rock) はロックのジャンルの一つ。ロックのアレンジを基調とし、ジャズの要素を加味してトランペットトロンボーンなどの金管楽器(ブラス)を前面に押し出した音楽性が特徴。1960年代後半から1970年代前半に流行した。代表的なアーティストとしてシカゴ[1]ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ[2] (BS&T)、チェイス[3]などが挙げられる。

ブラス・ロック
現地名 Brass rock
様式的起源
使用楽器
派生ジャンル
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概要 編集

1960年代後半、ロックとジャズの融合が試みられたことで、迫力あるブラス・セクションを導入したロックバンドが現れた。ビッグバンド・ジャズから引き継いだサウンドとシングル向きな楽曲により、シカゴなどがヒットを放った。ホーン・セクションの他に、コンガなどのパーカッションや、ワウ・ペダル(ワウワウ・ギター)などを加えることで、よりブラス・ロックらしいサウンドにするバンドも見られた。なお、ブラス・ロックという呼び方は日本独自のもので、世界では「ジャズ・ロックの一部」[4]として扱われている。チェイスは、トランペット4人編成の変則的なブラス・セクションを用いた。またBS&Tは、ニューヨークを拠点としたブラス・ロック・バンドだった。

詳細 編集

ポップスソウルR&B、ブルーアイド・ソウルの編曲では、従来からブラスを用いることはよくあったが、あくまでも伴奏の一部という位置付けだった。また、エレキギターをサウンドの主役とするロックの世界では、ブラス・セクションは黒人音楽のイメージが強く、積極的に用いられることが少なかった。だが、シカゴのプロデューサーであったジェイムス・ウィリアム・ガルシオは、バッキンガムズ[5]、シカゴ、BS&Tなど複数のブラス・ロック・グループを担当した[6]

他にもバッキンガムズ[注 1]、ライトハウス、テン・ホイールズ・ドライブ、ドリームズ、コールド・ブラッドなどが活躍した。ホーンセクションはR&Bなどの影響がうかがえ、コンガやボンゴなどはラテン音楽からの影響が見られた。

日本の音楽界では1970年前半に、主に歌謡曲のジャンルで筒美京平馬飼野康二らが、ブラス・ロックを編曲に取り入れた楽曲を発表した。 1979年には日本初と言われるブラス・ロックバンドスペクトラムがデビューした。

主な楽曲 編集

シカゴ
  • 長い夜(1970年):25 Or 6 To 4[注 2]
  • クエスチョンズ67&68
  • ビギニングス
  • いったい現実を把握している者はいるだろうか
  • 僕らに微笑みを[注 3]米国では1970年、日本では1972年にヒット)
  • サタディ・イン・ザ・パーク(1972年)
  • ダイアログ(1972年)
  • 俺たちのアメリカ(1972年)
  • 愛の絆(1973年)[注 4]
  • 君と二人で(1973年)
  • 追憶の日々(オールド・デイズ)(1975年)
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ
  • スピニング・ホイール(1969年)
  • ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー(1969年)
チェイス
  • 黒い炎(1971年)
アイズ・オブ・マーチ英語版
  • ヴィークル(1970年)
バッキンガムズ
  • マーシー・マーシー・マーシー
欧陽菲菲
西城秀樹
  • 情熱の嵐
  • 激しい恋
沢田研二
  • 許されない愛
和田アキ子
  • 古い日記
スペクトラム
  • トマトイッパツ
  • サンライズ

主なミュージシャン 編集

関連項目 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「マーシー・マーシー」はキャノン・ボール・アダレーのソウルジャズの曲に、歌詞を付けたものである。
  2. ^ ビルボードHot 100 #4
  3. ^ ビルボードHot 100 #9
  4. ^ ビルボードHot 100 #10
  5. ^ 「涙の滑走路」「恋は二人のハーモニー」などのヒットを放った。
  6. ^ 恋のかけひき」が1971年にヒットした。
  7. ^ 1978年にマイケル・ゼイガー・バンド名義で「レッツ・オール・チャント」のディスコ・ヒットあり。

出典 編集