ヘルベルト・マルクーゼ
ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse、1898年7月19日 - 1979年7月29日)は、アメリカの哲学者。ドイツ出身で出自はユダヤ系。
経歴
編集マルクーゼは1898年7月19日にベルリンで生まれた[1][2]。1928年から1932年の間、フライブルク大学でエドムント・フッサール、マルティン・ハイデッガーのもと、ヘーゲル、マルクスを研究した。
1933年からフランクフルトの社会研究所につとめ、フランクフルト学派の一員となったが、1934年アメリカへの亡命を余儀なくされ、1940年に帰化した。第二次世界大戦中はアメリカの対ナチス政策に協力した[3]。
1952年からコロンビア大学で政治哲学の教授として教鞭を執り、1954年から1965年までブランダイス大学の教授、1965年からはカリフォルニア大学サンディエゴ校の教授。1969年に『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた[4]。
「否定の哲学」を根底に据え、1960年代の新左翼の父と呼ばれる[5]。
ドイツへ帰郷中の1979年、脳出血のためバイエルンのシュタルンベルクで急逝。遺灰は2003年にアメリカで発見され、ベルリンのドロテーエンシュタット墓地へ埋葬された。
主な著作
編集- 1932年 "Neue Quellen zur Grundlegung des historischen Materialismus. Interpretation der neuveröffentlichten Manuskripte von Marx" / "Über die philosophischen Grundlagen des wirtschaftswissenschaftlichen Arbeitsbegriffs
- 同年 Hegels Ontologie und die Theorie der Geschichtlichkeit
- 吉田茂芳訳『ヘーゲル存在論と歴史性の理論』 未來社, 1980年
- 1941年 Reason and revolution
- 1955年 Eros and civilization
- フロイトの理論を批判的に摂取しつつ、人間解放の構想を展開した
- 1958年 Soviet Marxism
- 片岡啓治訳『工業社会とマルクス主義--ソヴェト・マルクス主義批判』林書店, 1971年
- 1964年 One-Dimensional man : studies in the ideology of advanced industrial society
- 1965年 Kultur und Gesellschaft
- 同年 Robert P. Wolff, Barrington Moore Jr. and H. Marcuse, A Critique of pure tolerance
- ロバート・ポール・ウォルフ他、大沢真一郎訳『純粋寛容批判』せりか書房, 1968年
- 権力者や、社会的強者の不正に無力な『消極的寛容』(passive tolerance)を批判し、社会的弱者を虐げる権力を容認しない『抑圧的寛容』(repressive tolerance)を主張した。
- 1967年 "Das Ende der Utopie"
- 1968年 Psychoanalyse und Politik
- 片岡啓治・清水多吉訳『生と死の衝動』 合同出版, 1969年
- 1969年 An Essay on Liberation
- 1972年 Counter-Revolution and Revolt
- 生松敬三訳『反革命と叛乱』 河出書房新社, 1975年
- 1978年 The Aesthetic Dimension
- 生松敬三訳『美的次元--マルクス主義美学の批判に向けて』 河出書房新社, 1981年
脚注
編集- ^ “Herbert Marcuse”. スタンフォード哲学百科事典 (2019年4月10日). 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月2日閲覧。 “Herbert Marcuse was born on July 19, 1898 in Berlin.”
- ^ “ヘルベルト マルクーゼとは”. コトバンク. 2021年10月11日閲覧。
- ^ 『フランクフルト学派のナチ・ドイツ秘密レポート』(野口雅弘訳、みすず書房、2019年)に詳しい。
- ^ ジョン・ダワーのノーマン再評価で日本悪玉論拡散岡部伸『歴史通』2015.7月号、ワック
- ^ Douglas Kellner. "Illuminations: Kellner". Retrieved October 1, 2012.