ベアルン, 1937年
艦歴
発注 ラ・セーヌ造船所
起工 1914年1月10日
進水 1920年4月15日
改装 1923年8月より航空母艦へと改設計。
就役 1927年5月
退役
その後 1967年3月21日にスクラップとして処分
除籍
前級 フードル
次級 ジョッフル級
性能諸元
排水量 基準:22,146トン
常備:27,951トン
満載:28,400トン
全長 182.6m
水線長 170.6m
全幅 最大幅:35.2m
水線幅:27.1m
吃水 常備:8.7m
満載:9.3m
飛行
甲板長
176.8m x 21.38m
機関 ド・テンム ノルマンディー式重油専焼水管缶12基
パーソンズ高速型直結タービン2基
&三段膨張式四気筒レシプロ機関2基
計4軸推進
最大出力 37,500shp
(タービン:22,500shp
+巡航用レシプロ:15,000shp)
最大速力 21.5ノット[1]
航続距離 10ノット/7,000海里
18ノット/4,500海里
燃料 石炭:900トン(常備)、1,800トン(満載)
重油:300トン
乗員 875名
兵装 Model 1920 15.5cm(50口径)単装速射砲8基
Model 1927 7.5cm(60口径)単装高角砲6基
(1935年:Models 1927 10cm(45口径)単装高角砲6基に換装)
Model 1933 3.7cm(50口径)連装機関砲4基
Model 1929 13.2mm(76口径)単装機銃16丁
55cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側装甲:83mm(水線部)
甲板:25mm(飛行甲板)、70mm(主甲板装甲)
主砲ケースメイト:70mm(最厚部)
搭載機 40機以上[2]

ベアルンフランス語: porte-avions Béarn[注釈 1]は、フランス初の航空母艦[注釈 2]ノルマンディー級戦艦の5番艦として建造が始まったが第一次世界大戦で建造が中止され[5]ワシントン海軍軍縮条約により戦艦から空母に艦種変更した軍艦である[注釈 3]。名の由来は、当時スペインとの国境地帯にあったベアルン州(現在のピレネー=アトランティック県)から。

1923年(大正12年)8月より空母への改装を開始し[7]、1927年(昭和2年)5月に竣工[注釈 4]。初期の航空母艦としては高い完成度をもっていたが[9]海軍休日時代のフランス海軍は空母を本艦(ベアルン)しか保有しておらず、さらに明確な運用方針をもっていなかった[10][注釈 5][注釈 6]海軍航空隊艦載機の問題もあり[注釈 7]、総合力としては列強各国(英海軍米海軍日本海軍)の空母に大きく見劣りした[15]第二次世界大戦ではフランス海軍自由フランス海軍に所属し、大戦を生き延びた[16]。その後は航空機輸送艦や練習艦として使用され、1967年(昭和42年)に解体された[17]

概要編集

超弩級戦艦ノルマンディー級戦艦として1914年(大正3年)1月10日に建造がはじまったベアルンだが[18]第一次世界大戦の勃発により陸戦兵器の生産が優先されたので、姉妹艦やリヨン級戦艦 (Lyon-class battleship) と共に建造中止になった[19][注釈 8]。第一次世界大戦終結後の1920年(大正9年)4月15日に進水。その状態で放置された[18]。1922年(大正11年)2月にワシントン海軍軍縮条約が締結され、ノルマンディー級戦艦全5隻が戦艦として陽の目を見る機会は失われた[21][4]。しかし建造途中の戦艦もしくは巡洋戦艦を航空母艦に改装して保有することが軍縮条約で認められたため、フランスはベアルンを改造対象に選んだ[6]1923年(大正12年)8月1日より、ベアルンは航空母艦へと改装されることとなった[注釈 9]

戦艦から空母への改造先例としては[22]チリ海軍むけに建造中の戦艦アルミランテ・コクレン (Almirante Cochrane) を買収し[23][24]、空母に改造したイギリス海軍の2万2,000トン級空母イーグル (HMS Eagle) が存在する[注釈 10][注釈 11][注釈 12]

ワシントン軍縮条約により戦艦(巡洋戦艦)から空母に改造された例としては[9]巡洋戦艦として建造中に空母に改造された日本海軍の赤城[28]、戦艦から空母になった加賀[29][注釈 13]レキシントン級巡洋戦艦より空母になったアメリカ海軍のレキシントン (USS Lexington, CV-2) とサラトガUSS Saratoga,CC-3) が該当する[31][注釈 14]

なお、ワシントン軍縮条約によりフランスは6万トンの空母保有枠が認められた[33][34]。この枠内でベアルンを戦艦から空母に改造したが、まだかなりの枠が余っていた[7]。1935年(昭和10年)6月に英独海軍協定英語版ドイツ語版[35]によってドイツは38,500トンの空母保有枠を獲得し[36][注釈 15]グラーフ・ツェッペリン級航空母艦2隻の建造を開始する[注釈 16]。対抗策としてフランスはジョッフル級航空母艦を建造することにした[40]。1番艦ジョッフルは1938年(昭和13年)11月に起工したが、第二次世界大戦の勃発とフランスの敗北により、完成度約3割で解体された[41]。同級2番艦パンルヴェと同級3番艦は、未起工のまま建造中止になった[41]

建造思想編集

 
1928年に撮影されたベアルン。

ノルマンディー級戦艦を改造した空母であるため、全幅の広い船体形状であったことから高速を出しにくい[42]。さらに航空母艦への改設計時に問題が生じた。本来の設計では、11,250馬力タービン4基(合計出力45,000馬力)4軸推進であった[43]。第一次世界大戦の戦訓により航続距離を伸ばすため、その内2基を低速巡洋時に燃費のよい三段膨張式四気筒レシプロ機関2基(合計15,000馬力)に変更した[44]。このため合計馬力37,500馬力となり、最高速力21.5ノットとなった[43]。ベアルンが竣工した時期は小型低速の複葉機が主流であり、21ノットでも充分であった[43]。だが艦載機の大型化が進むと、発艦時に必要となる速力が足らなくなった。

しかし、フランス海軍は本艦の改設計前に水上機母艦で得られたアイディアを参考にしながら、独自の優れたアイディアをいくつか投入した。これらのアイディアのいくつかは列強各国の空母で既に実現していたが、ベアルン独自のアイデアも散見され、現代に残された。

  • 障害物のない全通飛行甲板:全通式飛行甲板は、最初期の空母で実現している[注釈 17]多段式空母のイギリス海軍大型空母フューリアス (HMS Furious, 47、1917年6月就役) とグローリアス級航空母艦[51]、それら影響をうけた赤城と加賀に比較して[52]、先見の明があった[53]
  • 島型艦橋(アイランド)と一体化した煙突:イギリス海軍は空母ハーミーズとイーグルで、艦橋と煙突が一体化した島型艦橋を採用した[54][55]レキシントン級航空母艦もこれに倣ったが[56]、ベアルンの場合は島型艦橋が飛行甲板の右舷側から舷外にはみ出し、舷側にふくらみを設けて支えている[57][注釈 18]
  • 島型艦橋の煙突(排煙処理):島型艦橋と一体化したベアルンの煙突(煙路)には、海水を利用した水噴霧式煤煙冷却装置が内蔵されている[58]。排煙に水を噴霧して煙を重くし、冷却する。着艦時の搭載機の視界を妨げにくい[58]。フューリアス方式を採用して排煙処理に悩まされ、試行錯誤を重ねた赤城や加賀と対照的である[59]。のちに日本海軍の空母もこの方式を採用した[60]
  • 鋼索横張り式の着艦制動装置:最初期の空母はイギリスが採用した縦張り式に倣ったが[61][62]、ベアルンは横張り式となり、世界各国の空母より実用的であった。当初はイギリス方式の縦張り式を採用したアメリカ海軍と日本海軍も、1930年(昭和5年)にフランスのシュナイダー社がフュー式横索式着艦制動装置を開発するとこの方式に切り替え[63]、最終的に世界の主流となった。
  • 空母として最初にエレベーターを装備したのはアーガスであるが[64]、ベアルンでは建造時からエレベーターを3基もうけていた[65]。これは緊急発進時の作業効率向上のためであった。多段式空母の赤城と加賀はエレベーター2基だったが[66]、近代化大改装のあとエレベーターを3基に増やしている[67][68]

設計年時が古いために旧世代な設計も見られる。

  • 水上機運用のためのグースネック(鴨の首)型クレーンの装備[69]。なお第二次世界大戦直前に建造された新世代空母ジョッフルも、艦尾に水上機運用や飛行甲板搬入用の巨大クレーンを装備している[70]
  • 対水上艦艇攻撃のため、艦体側面(舷側)に中口径砲を搭載した[71]。初期の空母が対水上艦戦闘を考慮して中口径砲を装備するのは、世界的時流であった[注釈 19][注釈 20]。ベアルンの特徴は、艦首の両舷水面下に水中魚雷発射管を装備した点である[69]
  • 低速力。戦艦から空母に改造された加賀[29]は最大速力23ノット[75][76](本当は25ノット以上)[77]、戦艦から空母になったイーグルも最大速力24ノットだったが[78]、ベアルンはさらに低速の22ノットであった[79][42]

艦形編集

飛行甲板編集

 
障害物のない飛行甲板。

紆余曲折を経て完成した本艦の飛行甲板長は縦176.8m×幅21.38m。飛行甲板先端(艦首)は、船体の形状に沿って細くなってゆく[80]。飛行甲板最後部(艦尾)は、海に向かって傾斜している[81]。 上面から見て3基の横長のエレベータを、飛行甲板の前部・中部・後部に1基ずつ設けた。このエレベータは全て形が違っていた。

竣工直後の着艦制動装置はフランス独自の鋼索横張り式の着艦制動装置を装備していた。当時、イギリス海軍に採用されていた鋼索縦張り式よりも安全に着艦でき、後に世界各国の航空母艦が同形式を採用した事からも本艦の先進性がうかがえる。

飛行甲板の下には密閉型の格納庫が設けられており、格納庫には40機が搭載できたが、一部の機は分解して収納する必要があった。このため、艦載機を全て使用する時は甲板上に分解してある部品を台車で運んでから組み立てる必要があった。

アイランド編集

 
1935年に撮影されたベアルン。(1935年)

初期の航空母艦は、空母アーガス[82]ラングレー[83]に代表される平甲板型(フラッシュデッキ型)と、空母イーグルならびにハーミーズを元祖とする、艦橋と煙突を舷側にあつめた島型(アイランド型)に大別できる[84][85][注釈 21]。 ベアルンが採用した島型艦橋(アイランド)の構成は、飛行甲板の邪魔にならないように右舷側に張り出しを設け、そこに配置されていた[8]。張り出しの基部には前述の海水利用の煤煙軽減装置が組み込まれており、さらに煙路冷却用のスリットが設けられていた。この基部の上に前部に箱型の艦橋を基部として簡素な単脚式のマスト、楕円筒型の煙突を組み込む先進的な構成となっている。

アイランド後方の飛行甲板に、水上機運用のためのグース・ネック型クレーンが後向きに1基配置していた[69]。艦載機の積み込みや艦載艇の運用にも使用する[69]。艦載艇は、舷側部に2本1組のボート・ダビッドを置き、平時は必要分をこれに吊るした。さらに船体後部にもこのボート・ダビッドを片舷3組ずつ計6組配置し、艦載艇を吊っていた。

舷側の前後部には、主砲の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」が舷側ケースメイト配置で、片舷4基ずつ計8基が配置されていた。この時期から、大型艦を中心に高角砲の搭載が始まっており、本艦にも「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が砲弾の断片防御程度の防盾を被せられた上で前部ケースメイト後方の舷側部に、前向きに片舷2基ずつと、飛行甲板後部に後向きに1基の計6基が装備されている。これらの高角砲は1935年に配置を変更せず新型の「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」6基に更新された。船体中央部に「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が連装砲架で片舷2基ずつ計4基配置されている。他に上部構造物上に「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で16丁装備されていた。このほか対艦攻撃用として、船体の水面下に55cm魚雷発射管を単装で片舷2基ずつ、計4基を配置していた[71]

武装編集

主砲、備砲兵装の詳細編集

 
1940年代に撮られた「ベアルン」。

主砲は新設計の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」を採用した。砲身は当時の最新技術である自緊型砲身を採用し、製造にいち早く成功したものである。砲の旋回・俯仰動力はフランス軍艦伝統の電動方式を採用しており、竣工当時から艦橋の上部に射撃方位盤が取り付けられ、方位盤管制による効果的な射撃が可能になった。その性能は重量56.5kgの砲弾を仰角40度で25,000mまで届かせることができた。 俯仰能力は仰角40度・俯角5度で、旋回角度は140度の旋回角度を持つ。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分3~5発であった。

他に、対空兵装として「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が採用された。この砲はロングセラーで、続く「シュフラン級」と戦利巡洋艦にも搭載された。その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で14,100mまで、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角90度・俯角10度で、旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分8~15発であった。これらは後に「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」へと換装された。この砲身の俯仰能力は仰角85度・俯角10度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、これも実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分10発であった。

他に近接対空火器としてオチキス社製の「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が採用された。その性能は重量0.725kgの砲弾を仰角45度で7,175mまで、最大仰角80度で高度5,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角80度・俯角15度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は機力装填のため毎分30~42発であった。これを連装砲架で4基を搭載した。他に同じくオチキス社の「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で4丁が載せられた。対空武装が大人しめに感じられるが、本級が竣工した時代はまだ航空攻撃が確立していない為、設計に盛り込まれていないという背景がある。

搭載機編集

ベアルンの予定搭載機数は約40機であった[注釈 1][4]。主翼に折り畳み構造を持つ艦上機の場合、50機程度可能とみられる[2][69]。 第一次世界大戦後、フランスは航空機の開発に出遅れた[71]フランス海軍海軍航空隊が運用した艦上機は、海軍休日が終わろうとする1935年(昭和10年)以降になると、アメリカ海軍日本海軍の使用機体に比べて見劣りするようになった[87]。世界大戦の気配が漂うなか、フランス海軍は技術研究を兼ねてアメリカの航空機輸入を決断する[14]。艦上機の一部は、フランス国産で開発・製造する方針であった[87]

攻撃機編集

就役時のベアルンに配備されたのは、ルバッスール社英語版フランス語版複葉機であった。まず艦上攻撃機PL 2英語版 (Levasseur PL 2) 、偵察機のPL 4 (Levasseur PL 4) が配備された。PL2の後継機としてPL 7 (Levasseur PL 7) が登場し、ベアルンに配備された。

その後、フランス海軍は空母で運用する小型輸送機の開発に乗り出した。ポテーズ社 (Potez) のポテーズ 56英語版フランス語版に着艦装置をとりつけ、ポテーズ56E型として1936年(昭和11年)頃にベアルンで着艦訓練をおこなった。

単座式艦上爆撃機ロアール・ニューポール LN.401英語版フランス語版は、世界水準の能力をもっていた[88]。フランス海軍は1937年(昭和12年)に先行試作型7機の生産をニューポールSNCAO)に命じ、1939年(昭和14年)に36機の量産を命じた[88]。ベアルンに2個の急降下爆撃中隊(24機)が配備予定であり、陸上基地で訓練を開始した[89]。ところが1940年(昭和15年)5月10日にドイツ軍のフランス侵攻がはじまり、LN.401部隊は地上支援のため連日出撃して全滅した[89]

次世代のジョッフル級航空母艦のため、国営企業SNCAOSNCAO CAO.600英語版フランス語版双発爆撃機/雷撃機を開発した。だが1940年(昭和15年)3月21日に試作機が初飛行をおこなった段階であり、独仏休戦協定締結までに量産できなかった。

1939年(昭和14年)9月の第二次世界大戦勃発時、アメリカ海軍はカーチス社が開発した複葉機のSBCヘルダイヴァー (Curtiss-Wright Corporation 、CWC) を装備していた[90]。フランス海軍はSBCに目をつけ、カーチス社に90機を注文した[91]。納期までに90機を揃えるのは無理と判断したカーチス社は、在庫や予備機をかきあつめて50機を確保し、フランスに引き渡す[91]。ベアルンはSBC多数を搭載して大西洋を航行中に、祖国の降伏という事態に遭遇した[92]

第二次世界大戦勃発時、アメリカ海軍の新鋭艦上爆撃機は、ヴォート社が開発したSB2U ヴィンディケイター (Chance Vought SB2U Vindicator) だった[93][注釈 22]。ヴォート社はSB2Uの輸出型を開発し、これがフランス海軍の興味を引く[93]。SB2Uのフランス輸出型はV-156とよばれ、ベアルンに配備予定だった。フランスは降伏までに約90機を発注したが、フランス本国に配備されたのは34機にすぎなかった[93]。V-156はフランス空軍に引き渡され、1940年(昭和15年)5月10日からのフランス侵攻で地上支援のために出撃した[93]

戦闘機編集

就役時のベアルンに配備された艦上戦闘機は、ウィボー社英語版フランス語版ウィボー7英語版フランス語版を空母搭載用に改修したウィボー74フランス語版であった。 続いてデヴォアティーヌ社D.371を艦上機型に改修したD.373 (Dewoitine D.373) が納入された。

1930年代後半、フランス空軍は主力戦闘機をモラーヌ・ソルニエ M.S.406 (Morane-Saulnier MS.406) から、D.520 (Dewoitine D.520) に更新しようとしていた。D.520の艦上機版をD.790と呼ぶが、実用化されなかった。

艦上戦闘機としてフランス海軍が目をつけていたのが、グラマン社F4F ワイルドキャット (Grumman F4F Wildcat) だった。1939年(昭和14年)12月、フランス海軍とグラマン社はベアルンとジョッフル級2隻のためにワイルドキャット81機を購入する契約を交わした[94]。フランス向けのF4F-3は「G.36A」と呼ばれ、武装をフランス製7.65mm 4丁にするなど、仕様が変更されていた[94]。G.36Aは1940年(昭和15年)5月2日に初飛行に成功したが、直後にフランスが降伏して行き先がなくなり、イギリス海軍に引き渡されてマートレット(Martletイワツバメの意)と呼ばれた[91]

艦歴編集

空母への改装が検討された1920年、パイロットのポール・テスト少佐がフランス海軍史上初めて、臨時に設営されたモックアップではあったが甲板上への離着陸を成功させた。

ベアルンは、竣工後に欧州最新鋭の航空母艦として運用されていた。当初は搭載機の多くが複葉機であったために、低速の空母でも離着艦できた。しかしベアルンの性能は、次第に航空機の大型化・重量化などの進化に対応できなくなった。またフランスの国内事情により、航空機の開発も遅れがちであった[95]。フランスはロンドン海軍軍縮条約に部分参加だったことから、新世代戦艦(ダンケルク級リシュリュー級)や補助艦艇(巡洋艦、通報艦、駆逐艦、潜水艦)に関しては比較的順調に充実しつつあった[96]。ところがフランス海軍航空隊の有力な飛行機搭載母艦は[97]、ベアルンと[14]、水上機母艦コマンダン・テスト (Commandant Teste) の2隻しかなかった[注釈 23][注釈 24]

1936年(昭和11年)になるとドイツが19,000トン級空母2隻[37]グラーフ・ツェッペリン級)を建造することが判明し[注釈 16]、フランス海軍はジョッフル級航空母艦を複数隻建造することで対抗した[40]。ベアルンはジョッフル級に一線を譲り、航空機輸送や戦時の船団護衛に使用することとされた。この経緯から「ジョッフル」級の就役まで、逆に一線に留まる事が確実となる。

1936年(昭和11年)7月以降のスペイン内戦で、ベアルンはフランス艦隊の航空支援を実施した。

1939年(昭和14年)9月からはじまった第二次世界大戦初期、いわゆるまやかし戦争Phoney War)において、ドイツ海軍は、連合国軍のシーレーン攪乱を狙って通商破壊艦(ポケット戦艦[100]仮装巡洋艦Uボート)を大西洋に放った。ベアルンはそれに対応する英仏海軍部隊の一つ、L部隊に属してドイツ艦の捜索にあたった[101]。さらにフランス海軍は、本艦とダンケルク級戦艦2隻(ダンケルクストラスブール)および軽巡洋艦や大型駆逐艦で襲撃部隊英語版フランス語版を編成していた。ベアルンは大規模な海戦に参加する機会もなく、フランスとアメリカ間の航空機輸送任務に従事した[90]

1940年(昭和15年)5月、ベアルンはフランス空軍向けの航空機輸送任務に従事していた[89]。5月10日よりドイツ軍のフランス侵攻がはじまり、ベアルン搭載予定の急降下爆撃中隊は地上支援で全滅する(上述)[102]。6月15日、アメリカへ発注した航空機の輸送をおこなうため、ベアルンはカナダハリファックスに入港した[103]カーチスSBC-4爆撃機多数、カーチスH75A-4戦闘機ベルギー向けのバッファロー戦闘機 (B-339B) 6機などを搭載する[103][注釈 25]。6月16日、練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク[104] (Croiseur-École Jeanne D'Arc) とともに出港した[105]。だが大西洋を航行中にドイツ軍侵攻によるフランス本国の情勢が急変し、6月22日に独仏休戦協定が結ばれる[92]。ベアルンはカリブ海マルティニークへ行き先を変え、27日に到着した[105]。本艦が搭載していた航空機は同地で陸上に移され、結局スクラップとなった[105]

6月22日の独仏休戦協定締結により、フランスはドイツにより占領された(ヴィシー政権の樹立)。ベアルンなどはマルティニークで抑留され[105]、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃とアメリカの参戦という事態を迎えた。1943年(昭和18年)5月から7月にかけて、ベアルンを故意に座礁させる工作がおこなわれた。ベアルンは損傷状態で自由フランス軍に編入された[106]。低速のベアルンは航空機運搬艦として運用されることになり、同年12月からニューオーリンズのトッド造船所で改装工事が行われた[107]。以後は自由フランス海軍の艦艇として、航空機の輸送に従事したとされる[108]

1945年(昭和20年)3月13日、ベアルンは航空機(SBD ドーントレスP-47 サンダーボルトP-51 ムスタング)や兵員輸送任務に従事中、C3型貨物船マカンドリューと衝突して損傷した。7月末まで修理をおこなった。

自由フランス海軍が第二次世界大戦終結までに保有していた空母は、ベアルンと、イギリス海軍から提供されたアヴェンジャー級航空母艦バイター (フランス側は「ディズミュド/デュズミュード」と改名) だけだった[109][110]。デュズミュード (Dixmude) は、一度に40機以上の戦闘機を輸送できた[111]

1945年(昭和20年)8月15日に日本がポツダム宣言を受諾、9月2日に降伏文書に調印すると、フランス領インドシナの情勢が激変した。ベトナム民主共和国が独立を宣言し、局地的な戦闘状態になった[112]。旧主国フランスの立場も危うくなる(第一次インドシナ戦争[113]。戦艦リシュリュー (Richelieu) 、軽巡洋艦グロワール (Gloire) 、大型駆逐艦ル・トリオンファン (Le Triomphant) などと共に、極東海域に派遣された。ベアルンは、イギリスから貸与されたスピットファイア (Supermarine Spitfire) 、アメリカから貸与されたベル社P-63 (Bell P-63 Kingcobra) やカーチス社のヘルダイバー (Curtiss-Wright SB2C Helldiver) などを輸送した[17][注釈 26]。 同年12月、ベアルンはシンガポールからインドシナまで上陸用舟艇20隻を運んだほか[115]、1946年(昭和21年)3月のハイフォン上陸作戦では零式水上偵察機などを輸送している[116]。 1948年(昭和23年)前半、ベアルンは航空機輸送艦としても活動を終えた[17]。その後はツーロンで繋留され教育訓練艦、潜水艦乗員宿泊艦等として使用され、1967年に除籍[117]。イタリアで解体された[117]

出典編集

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  1. ^ a b 佛蘭西 航空母艦ベアルン(一九二七年五月竣工)[3] 基準排水量二二一四六噸、時速二一節半。一九一四年一月ノルマンディ級戰艦として決定されたものであるが、大戰中その製造が中絶し、進水せるは二〇年四月。二三年八月豫定變更に依る工事開始。四十機以上を用意するを得、三臺の電力引上機に依つて翔程甲板に搭載する。寫眞の右方に見る艦首翔程甲板のカーヴは後に改變を施せるものを示す。
  2. ^ 航空母艦“ベアルン Béarn[4] 全要目{排水量22,146噸 速力21.5節 備砲15糎砲8門 魚雷發射管(53糎)4門 搭載機數40機 起工1914年1月 竣工1927年5月 建造所 ラ・セーヌ造船所} これは佛國海軍が有する唯一隻の航空母艦である。搭載飛行機40機を偵察、戰闘各1隊、爆撃2隊に編成してゐる。全長170.68米、幅27.12米、平均喫水7.92米のアイランド型で21.5節の軸馬力37,200馬力。燃料搭載量は重油2,160噸。10節の經濟速力にて行動半徑6,000浬。この艦も元“ノルマンディー”と云ふ戰艦たりしものを改装して航空母艦としたものである。大型の航空母艦の必要は英米と佛伊とでは自ら違つて居り、佛國には一隻のみ半島國にして根據地近き伊國には航空母艦は一隻もない。
  3. ^ 第三節 航空母艦/(一)總説[6](中略)斯くて日本は航空母艦としては鳳翔(鶴翔は建造取り止め)一隻を有し、排水量九,五〇〇噸であるから制限外に属して居り、改造豫定の加賀(以前は巡戰天城の筈であつたが、今回の大震災の爲め破損したので、廢艦豫定の未成戰艦之に代る)、赤城は共に制限噸數二七,〇〇〇噸とする豫定であるから、尚二七,〇〇〇噸の建造餘裕がある。米國の新成改造艦ラングレーは一九,三六〇噸であるけれども、試驗的のものとして代艦の建造を許すから、巡戰より改造豫定のサラトガ、レキシントン(共に三三,〇〇〇噸)の外、六九,〇〇〇噸の餘裕がある。/英國の既成艦フユーリヤス(一九,一〇〇噸)、アーガス(一四,四五〇噸)、イーグル(二二,七九〇噸)と新成艦ハーミス(一〇,九五〇噸)の四隻全部は亦試驗的のものとして代艦の建造を許すから、之を其の儘として置くも尚六七,七一〇噸の餘裕がある。佛國は建造中止中の弩級艦ベァルンを改造して、差當り航空母艦に充つることにしてゐる。伊國に就ては不明である。
  4. ^ 〔佛國〕航空母艦ベアルン[8] 全長597呎 幅89呎 吃水26呎 排水量21,800噸 備砲(6吋砲-8門 3吋高角砲-6門) 魚雷發射管 4門 速力 21節 搭載飛行機數 約40機/司令塔・煙突等は右舷外に張出され艦首から艦尾に亘る長600呎の飛行甲板はクリアーされてゐる。重飛行機打揚用として壓搾空氣式のカタパルトが一臺備へてある。本艦は1914年1月ノルマンジー級戰艦の一隻として起工せられ1923年その工事中に於て航空母艦に改造せらるゝことゝなり1927年5月漸く竣工した佛國唯一の航空母艦である 
  5. ^ フランスは大型水上機母艦コマンダン・テストを保有していた[11]。同艦はベアルンの補助的立場であったが[12]飛行甲板をもたない水上機母艦である[13]
  6. ^ 水上機母艦“コンマンダンテスト Commandant Teste[11] 全要目{排水量10,000噸 速力21.37節 備砲10糎砲12門 カタパルト4機 搭載機數25機(水上雷撃機) 起工1927年5月 進水1929年4月 建造所 ヂロンド造船所} 全長170.06米、幅21.79米、平均喫水7.16米。/燃料として重油260噸と石炭720噸を最大搭載量とし、10節にて行動半經6,000浬と云ふ、尚21.37節の軸馬力は21,000馬力である。/佛國海軍の有する海上航空兵力は以上の“ベアルン”とこの“コンマンダンテスト”の2隻であるが、この外に“ハラメン” “ド・クーシー”の2隻が水上機母艦として使用されてゐる。
  7. ^ 佛空軍[14] 佛國は大海軍國たる英國に對抗せんが爲にも、また歐洲大陸に優位を占めんが爲にも、空軍が重要であることを痛感してゐる。一九二八年英國と同様獨立空軍制度を採用した。佛空軍は久しく世界第一空軍の誇を持つてゐたが、驕る者久しからず、今では獨・伊・「」等の後進空軍國に壓倒され、今や翻然として悟る所あり、曾ての世界第一空軍の虚名を捨てゝ實を得んとするの熱意に燃え、米國から技術を取入れて、大いに内容の改善、質の向上を圖つてゐる。先年獨の再軍備宣言に先立ち、獨逸の民間航空の発達に愕いて、英伊と協同防空協定を協定するなど周章狼狽と云つた形で、聊か立後れの氣味である。昭和十二年に、佛空軍總數は一八〇箇中隊、約二,二〇〇機、内海軍關係二一箇中隊、約一五〇機であつた。
     航空母艦ベアルン及び水上機母艦コマンダンテストを初めとし、艦隊に七箇中隊約六〇機を搭載してゐる。其の他豫備機、練習機などを合算すると約四千機以上にも及びであらうといはれてゐるが、舊式の機材が多いと見られてゐる。/一九三八年迄に二〇一箇中隊に擴張する計畫を、昭和十一年末迄に繰上げて完成する豫定であると傳へられたが、完成を見るに至らなかつた。/此れを要するに佛國海軍は、獨伊の新興勢力竝に海の王者の傳統に蘇らんとしつゝある英國の物凄き意氣に壓されて影が薄いやうに見える。これも「ソ」聯赤酒に酔はされた必然の結果であるといへよう。
  8. ^ 〔 第二章 列國製艦政策/第三、佛國の状況[20] 佛國は今尚ほ戰後の整理中にして、大軍艦の建造に箸手せざるのみならず、夫の戰前に起工せられて後工事中止の姿にありたるノルマンデー型戰艦五隻も、愈〃建造廢棄に決定せられ、近く其の處分を見ることゝなり、又一九一四年に協賛を經たるリオン型四大戰艦の起工も無期延期となれり。(以下略) 〕
  9. ^ 航空母艦“ベアルン Béarn[2] 全要目{排水量22,140噸 速力21.5節 備砲10糎砲8門 魚雷發射管(53糎)4門 搭載機數48機 起工1923年8月 竣工1927年5月 建造所 ラ・セーヌ造船所} これは佛國海軍が有する唯一隻の航空母艦である。搭載飛行機48機を偵察、戰闘各1隊、爆撃2隊に編成してゐる。全長170.68米、幅27.12米、平均喫水7.92米。寫眞に見る如く艦橋かんけう(ブリツヂ)を右舷に偏在せしめ、マストは左舷に装着し起倒自由なる如く構造してゐる。/21.5節の軸馬力37,200馬力。燃料搭載量は重油2,160噸。10節の經濟速力にて行動半徑6,000浬。この艦は元“ノルマンジー”と云ふ戰艦たりしものを改装して航空母艦としたものである。
  10. ^ 英吉利 航空母艦イーグル(一九二三年竣工)[25] 排水量二二六〇〇噸、速力二四節。もと智利國所属の弩級戰艦アルミランテ・コックレェーン(アルミランテ・ラトーレの姉妹艦)。大戰當時英國政府之を百三十三萬四千三百五十八ポンドを以て購入しテニスン・ダンクール卿の設計に依り航空母艦に改變せるもの。三二年に修理を加ふ。
  11. ^ 航空母艦“イーグル Eagle[26] 全要目{排水量22,600噸 速力24節 備砲15糎砲9門 10糎高角砲5門 搭載機數21機 計畫年度は1913年で1918年進水しその後幾度か改装され、1923年竣工した} 全長202.37米、幅32.05米、但し飛行甲板は30.48米、平均喫水7.31米。軸馬力は50,000馬力。搭載機數21の内譯は戰闘機1個中隊(オスプレイ9機)觀測偵察機1個中隊(フエアリーⅢF12機)となつてゐる。この型は所謂アイランド型に属するもの艦橋(ブリツヂ)等は飛行甲板の右舷に偏在してゐる。イーグルも途中で航空母艦にかへられたものであるが、全く一枚の飛行甲板になつた。このやうに20,000噸以上の大型航空母艦を4隻も持つてゐる英國は世界最大の航空母艦國であるといつてよい。
  12. ^ 空母イーグル (HMS Eagle) は1920年(大正9年)4月に一応竣工し、諸試験や改造をへて1923年(大正12年)7月に完成した[27]
  13. ^ 天城型巡洋戦艦1番艦の天城が空母改装予定艦だったが関東大震災で破損し、廃艦予定の加賀型戦艦1番艦の加賀が空母になった[30]
  14. ^ 航空母艦“レキシントン Lexington[32] 全要目{排水量33,000噸 速力34.24節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機 各種計76 起工1921年1月 竣工1927年12月 建造所 フオアリヴア造船所} 全長270.65米、幅32.30米、平均喫水7.35米。速力は實に180,000馬力で得るところの34.24節という高速力は、何と云つても廣海面を舞臺とする彼等にとつては特に重要視される大威力であらう。“サラトガ”と共に米國海軍が誇る二大航空母艦中の一であつて共に元巡洋戰艦として建造中であつたものを我が赤城、加賀同様ワシントン會議の協定により航空母艦に改造したもので米國海軍第一線用の一大航空威力である。/この艦が起工より竣工までに満7ヶ年の日子を費してゐるのは、亦我が赤城、加賀と同じく一度巡戰として計畫したものを中途に於て航母に設計替の已むなきに至つたが爲である。
  15. ^ この条約枠内でドイツは19,000トン級空母2隻を保有可能になり、フランス海軍は圧倒的に不利になる[37]
  16. ^ a b ネームシップグラーフ・ツェッペリン (Graf Zeppelin) は1936年(昭和11年)12月28日に起工した[38]。2番艦はペーター・シュトラッサー(仮称艦名「B」であった[39]
  17. ^ 実質的に世界最初の空母アーガス (HMS Argus, I49、1918年9月就役) や[45]、影響をうけたアメリカ海軍の空母ラングレー (USS Langley, CV-1、1922年3月就役) [46] 、戦艦から空母になったイーグル[47] (HMS Eagle、1923年7月就役) [48]、最初から空母として建造された空母ハーミーズ[49] (HMS Hermes, 95、1923年7月就役) [50]、日本海軍の空母鳳翔 (1922年12月就役) など[22]
  18. ^ 島型艦橋を飛行甲板の外側に設けることは、日本海軍の隼鷹型航空母艦と、同型をベースにした装甲空母大鳳、大和型戦艦改造空母の信濃でも採用された。
  19. ^ 巡洋艦との水上砲戦を想定した6インチ砲から8インチ砲クラスの中口径砲は、列強各国の先行空母や同世代空母もおおむね装備している[49][26]。多段式空母時代の赤城と加賀は砲塔式と舷側配置を併用し、レキシントン級2隻は艦橋前後に砲塔式で搭載した[72]。1936年(昭和11年)12月末に建造がはじまったドイツ海軍のグラーフ・ツェッペリンも、中口径砲を装備した[73]
  20. ^ 第二次世界大戦でもユーノー作戦にともなって生起したノルウェー沖海戦で英海軍空母グローリアスが独海軍戦艦シャルンホルストグナイゼナウに水上砲戦で撃沈されるなど[74]、空母が水上砲戦を余儀なくされる可能性は常に存在した。
  21. ^ 航空母艦“鳳翔 ほうしやう”[86] 全要目{排水量7,470噸 速力25.0節 備砲14糎砲4門 8糎高角砲2門 起工大正8年12月 竣工大正11年12月 建造所淺野造船所} 鳳翔は大正11年12月に竣工した我海軍最初の航空母艦であり而も最初より航母として計畫されたものである。航空母艦は由來その型式に於て二種に分つことが出來る。即ち我が海軍の赤城、加賀、鳳翔、龍驤の如く飛行甲板上に何一つ邪魔物のないフラッシュデッキ型と、米國の“サラトガ”“レキシントン”英國の“ハームス”等の如くマストや大砲、煙突等を何れか一舷側に集めたアイランド型である。各々長短があるのであるが飛行機の發着にはフラッシデッキ型の方が便利とされてゐる。更にこれを我が海軍の4隻に就いて見ると赤城、加賀の2艦は三段式で龍驤は二段式になつてゐるのに獨り鳳翔は前後一枚の飛行甲板を以つて覆はれてゐるが、艦の操縦は他の3隻の方が便利であると云はれてゐる。
  22. ^ ダグラス社が開発したSBDドーントレスは、最初期の機体が納入されはじめたばかりだった。
  23. ^ 佛蘭西 航空機運搬艦コムマンダン・テスト(一九二九年四月十二日進水)[98] 基準排水量一〇〇〇〇噸、時速二一.三七節。四基のカタパルトを有し、主としてベアルンに對する附属艦たるべき位置にある。
  24. ^ 水上機母艦“コマンダン・テスト Commandant Teste[99] 全要目{排水量10,000噸 速力20.5節 備砲10糎高角砲12門 カタパルト4機 搭載機數26機(水上雷撃機) 起工1927年5月 竣工1931年 建造所 ヂロンド造船所} 全長170.06米、幅21.79米、平均喫水7.16米。世界最大の水上機母艦で、水上機艇隊の強力なる前進根據をなしてゐることや四基のカタパルトが物語つてゐる。/燃料として重油260噸と石炭720噸を最大搭載量とし、10節にて行動半經6,000浬と云ふ、尚21.37節の軸馬力は21,000馬力である。
  25. ^ ベアルンが搭載したSBC-4の機数について50機とする資料がある[92]。実際はスチンソンボイジャー英語版フランス語版 (Stinson Model 105) 、P-36戦闘機 (Curtiss H75) 、輸出仕様バッファロー (Brewster F2A Buffalo) を搭載した関係上、ベアルンが積み込んだSBC-4は44機であった。
  26. ^ この間、デュズミュードもひたすら航空機を輸送している[114]

脚注編集

  1. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 282–283第26図 航空母艦ベアルン
  2. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1935, p. 162原本306-307頁(航空母艦ベアルン)
  3. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 49a仏蘭西(空母ベアルン)
  4. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1937, p. 124原本230-231頁(航空母艦ベアルン)
  5. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 279–290ベアルン(BEARN)
  6. ^ a b 海軍参考年鑑、大正13年版 1924, pp. 29–30原本25-26頁
  7. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 51–53フランス
  8. ^ a b 軍艦写真帖 1930, p. 159(佛國)航空母艦ベアルン
  9. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 281.
  10. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 75–78仏海軍の空母
  11. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 163原本308-309頁(水上機母艦 コンマンダン・テスト)
  12. ^ 中島、航空母艦 1930, p. 27原本45頁〔 國名:佛國|艦名:ベアルン|排水量:二一,一六〇|速力:二一.五|搭載航空機:偵察機 戰闘機及爆撃機 四八|記事:九,八四〇噸の水上機用補助航空母艦建造中 〕
  13. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 76(写真16、コマンダンテスト側面写真)
  14. ^ a b c 海軍読本.第20号 1939, pp. 130–131原本241-242頁「佛空軍」
  15. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 338a-342フランスの艦載機の開発
  16. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 289.
  17. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 290.
  18. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 280.
  19. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 141–144(III フランス海軍/主砲は四連装砲塔を採用)
  20. ^ 海軍参考年鑑、大正10年版 1921, pp. 27–28原本25-27頁
  21. ^ ミリタリー選書(6) 2005, p. 175.
  22. ^ a b 大内、赤城・加賀 2014, pp. 45–53同時代の世界の航空母艦
  23. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 107.
  24. ^ ミリタリー選書(6) 2005, pp. 208–209.
  25. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 37英吉利(空母イーグル
  26. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 78原本138-139頁(航空母艦イーグル)
  27. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 322–328イーグル(EAGLE)
  28. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 41原本64-65頁(航空母艦 赤城)
  29. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 42原本66-67頁(航空母艦 加賀)
  30. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 71–76なぜ「赤城」と「加賀」なのか
  31. ^ 軍艦写真帖 1930, p. 129(米國)航空母艦サラトガ
  32. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 120原本222-223頁(航空母艦レキシントン)
  33. ^ 海軍読本.第20号 1939, pp. 57–59(原本98-102頁)「世界の航空母艦」
  34. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 57–59ワシントン海軍軍縮条約の決定事項
  35. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 102原本185頁〔 二 世界に現存する海軍諸協定/(一)英獨(獨は廢棄宣告)海軍協定 〕
  36. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 46–50ドイツ
  37. ^ a b 海軍読本.第20号 1939, p. 128原本236-237頁「七 躍進する獨逸海軍/海軍航空」
  38. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 136–154ドイツ航空母艦グラーフ・ツエッペリン(GRAF ZEPPELIN)
  39. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 134–139独伊の空母
  40. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 59–67ジョッフル(JOFFRE)
  41. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 60.
  42. ^ a b 福井、世界空母物語 2008, p. 250仏独伊の空母
  43. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 285.
  44. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 85.
  45. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 60–62◇アーガス(Argus)
  46. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 21.
  47. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 48–49第9図 航空母艦イーグル(チリ戦艦アルミランテ・クレーン改造)
  48. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 62–64◇イーグル(Eagle)
  49. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 93原本168-169頁(航空母艦ハーミーズ)
  50. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 65◇ハーミーズ(Hermes)
  51. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 33–34イギリス
  52. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 66–67.
  53. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 128–132多段式飛行甲板型航空母艦の衰退
  54. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 63第2図 英空母艦型比較アーガス/イーグル/ハーミーズ
  55. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 34–35第7図 航空母艦ハーミーズ
  56. ^ 中島、航空母艦 1930, p. 11原本12頁
  57. ^ 国防大事典 1933, p. 377a(右舷後部から撮影したベヤルン写真)
  58. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 284.
  59. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 90–95(イ),排煙の処理方法と設備
  60. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 2284.
  61. ^ 大内、赤城・加賀 2014, p. 42.
  62. ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 258–259制動装置とカタパルト
  63. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 102–109(ニ),着艦装置
  64. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 123–128(ヘ),飛行機昇降装置(エレベーター)
  65. ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 73第3表 英米仏空母要目表
  66. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 114–117赤城/加賀格納庫配置図
  67. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 144–145(ヘ),エレベーターの増設
  68. ^ 大内、赤城・加賀 2014, p. 159(ハ),エレベーターの増設
  69. ^ a b c d e 大内、幻の航空母艦 2006, p. 287.
  70. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 64.
  71. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 286.
  72. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 95–98(ロ),二十センチ主砲の搭載
  73. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 139–140.
  74. ^ ミリタリー選書(6) 2005, p. 158.
  75. ^ 福井、世界空母物語 2008
  76. ^ #赤城見学(1) p.16〔 既走實速力 眞ト思ハセル爲多少公表ヨリモ異ニス|赤城 二八.八節 加賀 二三.六節 鳳翔 二五.二節 龍驤 未完成 〕
  77. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 82–83第14図 多段式飛行甲板航空母艦「加賀」
  78. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 327.
  79. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 338b.
  80. ^ 中島、航空母艦 1930, p. 18原本26頁(第十一圖 上空より見たる佛國航空母艦ベアルンの飛行甲板)
  81. ^ 中島、航空母艦 1930, p. 19原本28頁(第十二圖 ツーロン軍港に於ける佛國航空母艦ベアルンに對する飛行機の着艦練習)
  82. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 32–33第6図 航空母艦アーガス(イタリア客船コンテ・ロッソ改造)
  83. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 50–51第10図 航空母艦ラングレー(給炭艦ジュピター改造)
  84. ^ 中島、航空母艦 1930, pp. 7–8原本5頁(第二圖 英國航空母艦イーグル)、原本6頁(第三圖 英國航空母艦ハーミス)
  85. ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, p. 118(原本79頁)佛國航空母艦ベアルン(左舷側より撮影)
  86. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 43原本68-69頁(航空母艦 鳳翔)
  87. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 339.
  88. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 340.
  89. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 342.
  90. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 288.
  91. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 344.
  92. ^ a b c 大内、幻の航空母艦 2006, p. 345.
  93. ^ a b c d 大内、幻の航空母艦 2006, p. 346.
  94. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 343.
  95. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 129a原本238-239頁「八 新興獨・伊兩國海軍に壓せらるゝ佛國海軍/佛國国防の惱み」
  96. ^ 海軍読本.第20号 1939, pp. 129b-130原本239-240頁「佛國の補助艦勢力」
  97. ^ 国防大事典 1933, p. 377b(2)列國航空母艦/d仏蘭西 航空母艦現在主要勢力は上表(ベアルン要目)の如く一隻である。此の他に補助母艦として、コンマンダンテストがある。排水量一萬噸、速力一〇.一五節、備砲は一三.八糎砲六門である。
  98. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 49b仏蘭西(コマンダン・テスト)
  99. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 125原本232-233頁(水上機母艦 コマンダン・テスト)
  100. ^ ミリタリー選書(6) 2005, p. 154.
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  102. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 542.
  103. ^ a b 瀬名 2016, p. 78.
  104. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 134原本250-251頁(二等巡洋艦ジェーヌ・ダルク)
  105. ^ a b c d 瀬名 2016, pp. 79–80.
  106. ^ 瀬名 2016, p. 88.
  107. ^ 瀬名 2016, p. 89.
  108. ^ 瀬名 2016, p. 92.
  109. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 389.
  110. ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 279–281戦後のイギリス海軍の護衛空母
  111. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 390.
  112. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 222.
  113. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, pp. 388–395戦後の小海軍国の航空母艦/フランス海軍の航空母艦
  114. ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 285.
  115. ^ Tucker, Spencer (2011). The Encyclopedia of the Vietnam War. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. ISBN 978-1-8510-9961-0 、388ページ
  116. ^ La guerre d’Indochine”. www.postedeschoufs.com. 2019年3月8日閲覧。
  117. ^ a b 瀬名 2016, p. 146.

参考文献編集

  • 大内建二『護衛空母入門 その誕生と運用メカニズム』光人社〈光人社NF文庫〉、2005年4月。ISBN 4-7698-2451-3
  • 大内健二「第6章 忘れられた航空母艦/ベアルン(BEARN)」『幻の航空母艦 主力母艦の陰に隠れた異色の艦艇』光人社〈光人社NF文庫〉、2006年12月。ISBN 4-7698-2514-5
  • 大内健二『航空母艦「赤城」「加賀」 大艦巨砲からの変身』光人社〈光人社NF文庫〉、2014年2月。ISBN 978-4-7698-2818-1
  • 『世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦』(海人社)
  • 世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史』(海人社
  • 『世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史』(海人社)
  • 瀬名堯彦 『仏独伊 幻の空母建造計画 知られざる欧州三国海軍の画策』 潮書房光人社、2016年。ISBN 978-4-7698-2935-5 
  • 福井静夫『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第三巻 世界空母物語』阿部安雄、戸高一成編、光人社、2008年8月。ISBN 978-4-7698-1393-4
  • 福井静夫『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』阿部安雄、戸高一成編、光人社、2009年3月。ISBN 978-4-7698-1426-9
  • 執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第四章 ドイツ、フランス、イタリアの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』ミリタリー・クラシックス編集部、イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN 4-87149-719-4
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『航空母艦・補助鑑/軍備制限問題第六巻(外他_149)(外務省外交史料館)』。Ref.B10070139800。
    • 『在京仏国海軍武官との往復文書(4)昭和10年度(防衛省防衛研究所)第1444号10年6月14日 仏国航空視察団赤城外見学の件回答(1)』。Ref.C11080585400。
    • 『在京仏国海軍武官との往復文書(4)昭和10年度(防衛省防衛研究所)第1444号10年6月14日 仏国航空視察団赤城外見学の件回答(2)』。Ref.C11080585500。

関連項目編集

外部リンク編集