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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はモタ第二姓(母方の)はジェロニモです。

マニュエル・ラファエル・モタ・ジェロニモManuel Rafael Mota Geronimo, 1938年2月18日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

マニー・モタ
Manny Mota
Manny Mota.jpg
2012年6月5日
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1938-02-18) 1938年2月18日(81歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1957年 ニューヨーク・ジャイアンツと契約
初出場 1962年4月16日
最終出場 1982年9月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ロサンゼルス・ドジャース (1980 - 2013)

息子のホセ・モタ英語版アンディ・モタ英語版も元メジャーリーガーである[1]

目次

経歴編集

プロ入りからジャイアンツ時代編集

1957年2月21日にニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約してプロ入り。この年はD級ミッドウェストリーグミシガンシティ・ホワイトキャップス英語版で126試合に出場し、打率.314を記録した。

1958年はB級カロライナリーグダンビル・リーフス英語版に昇格し、103試合に出場し打率.301を記録した。

1959年は当初A級イースタンリーグスプリングフィールド・ジャイアンツ英語版で出場していたが、途中からAAA級パシフィック・コーストリーグフェニックス・ジャイアンツ英語版に昇格した。通算86試合に出場し、打率.304を記録した。

1960年はAA級テキサスリーグリオ・グランデ・バレー・ジャイアンツ英語版で141試合に出場し、打率.307を記録した。

1961年はAAA級パシフィック・コーストリーグのタコマ・レイニアーズで142試合に出場し、打率.289を記録した。

1962年シーズン開始後はAA級テキサスリーグのエルパソ・ディアブロスで出場していたが、4月16日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーに昇格し、初打席ではセンターフライに倒れた。4月21日のシンシナティ・レッズ戦でジム・ブロスナン英語版で初安打初打点を記録した。47試合に出場し、74打数で13安打で打率.176を残した。11月30日にジョーイ・アマルフィターノ英語版とのトレードでディック・ラメイ英語版と共にヒューストン・コルト45'sへ移籍した。

コルト45's時代編集

コルト45'sの公式試合に出場する前の、1963年4月4日にハウイー・ゴス英語版と金銭とのトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。

パイレーツ時代編集

 
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(1965年)

パイレーツに移籍してからは、すぐに安打製造機として活躍を始める。右翼手ロベルト・クレメンテは不動のため、左翼手中堅手での出場が多かった。6年間パイレーツに在籍したが、打率は.297を残した。

1964年5月26日のフィラデルフィア・フィリーズ戦ではクリス・ショート英語版からメジャー初本塁打を放った。

エクスポズ時代編集

1968年オフにはエクスパンションドラフトモントリオール・エクスポズ(現在のワシントン・ナショナルズ)から指名され、移籍。

1969年シーズンは31試合に出場し、打率.315を記録した。

ドジャース時代編集

1969年6月11日にロン・フェアリー英語版ポール・ポポビッチ英語版とのトレードで、モーリー・ウィルスと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[2]。このシーズンから5シーズンにわたり、打率.300超えの最高の代打として頭角を現していく。

1970年5月16日にメジャーの歴史の中で初めて打球が原因で死亡する事故が起こるが、その打球を放ったのがモタだった[3]ドジャー・スタジアムで行われたジャイアンツ戦の3回裏に、ゲイロード・ペリーから一塁線を沿うファールを打った。その打球が14歳のアラン・フィッシュの左こめかみを直撃した。4日後、手術不可能な頭の怪我でこの世を去った[4]

1973年には当時リーグ最高の打率を記録していたためオールスターに選出された。守備面の不安から1974年以降は代打に専念したが、実働20年で史上3位[5]の150本の代打安打を放っている。

1980年からはドジャースの打撃コーチとなったが、1980年には7試合、1982年には1試合にコーチ登録ながら公式戦に出場している。

引退後編集

1990年からは打撃の肩書はなくなったが、以後2013年までコーチを務めた。また、その間母国ドミニカン・ウィンターリーグでも指揮を執った[1]

2014年からはスポーツネットLA英語版でドジャース戦のスペイン語実況を担当する。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1962 SF 47 84 74 9 13 1 0 0 14 9 3 2 1 1 7 0 1 8 3 .176 .253 .189 .442
1963 PIT 59 134 126 20 34 2 3 0 42 7 0 2 0 0 7 0 1 18 3 .270 .313 .333 .647
1964 115 296 271 43 75 8 3 5 104 32 4 1 11 1 10 0 3 31 5 .277 .309 .384 .693
1965 121 326 294 47 82 7 6 4 113 29 2 2 5 3 22 0 2 32 6 .279 .330 .384 .715
1966 116 359 322 54 107 16 7 5 152 46 7 7 4 4 25 1 4 28 7 .332 .383 .472 .855
1967 120 378 349 53 112 14 8 4 154 56 3 2 5 8 14 2 2 46 8 .321 .343 .441 .784
1968 111 366 331 35 93 10 2 1 110 33 4 2 10 4 20 4 1 19 7 .281 .320 .332 .653
1969 MON 31 97 89 6 28 1 1 0 31 0 1 3 2 0 6 0 0 11 3 .315 .358 .348 .706
LAD 85 336 294 35 95 6 4 3 118 30 5 4 12 3 26 1 1 25 6 .323 .377 .401 .778
'69計 116 433 383 41 123 7 5 3 149 30 6 7 14 3 32 1 1 36 9 .321 .372 .389 .761
1970 124 481 417 63 127 12 6 3 160 37 11 6 12 2 47 4 3 37 13 .305 .377 .384 .761
1971 91 300 269 24 84 13 5 0 107 34 4 3 9 1 20 5 1 20 9 .312 .361 .398 .759
1972 118 410 371 57 120 16 5 5 161 48 4 4 5 2 27 6 5 15 10 .323 .375 .434 .809
1973 89 327 293 33 92 11 2 0 107 23 1 3 6 2 25 9 1 12 11 .314 .368 .365 .733
1974 66 72 57 5 16 2 0 0 18 16 0 0 5 4 5 4 1 4 0 .281 .328 .316 .644
1975 52 59 49 3 13 1 0 0 14 10 0 0 3 0 5 0 2 1 3 .265 .357 .286 .643
1976 50 60 52 1 15 3 0 0 18 13 0 0 0 1 7 3 0 5 1 .288 .367 .346 .713
1977 49 50 38 5 15 1 0 1 19 4 1 1 2 0 10 3 0 0 1 .395 .521 .500 1.021
1978 37 37 33 2 10 1 0 0 11 6 0 0 1 0 3 1 0 4 0 .303 .361 .333 .694
1979 47 47 42 1 15 0 0 0 15 3 0 0 2 0 3 0 0 4 2 .357 .400 .357 .757
1980 7 7 7 0 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .429 .429 .429 .857
1982 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
MLB:20年 1536 4227 3779 496 1149 125 52 31 1471 438 50 42 95 36 289 43 28 320 99 .304 .355 .389 .744

年度別守備成績編集



捕手(C) 二塁(2B) 三塁(3B) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)


















































































1962 SF - 3 5 3 0 0 1.000 7 9 12 2 2 .913 3 2 1 0 0 1.000 22 20 1 0 0 1.000 4 3 1 0 0 1.000
1963 PIT - 1 0 0 0 0 ---- - 2 2 0 2 0 .500 35 35 0 0 0 1.000 2 1 1 0 0 1.000
1964 1 2 0 0 0 1.000 2 0 0 0 ---- 1 0 1 0 0 1.000 - 50 83 4 3 1 .967 56 23 0 2 0 .920 7 11 0 0 0 1.000
1965 - - - 60 83 5 1 1 .989 35 15 0 1 0 .938 15 16 0 0 0 1.000
1966 - - 4 2 1 0 0 1.000 52 95 1 1 0 .990 47 40 2 0 0 1.000 12 13 0 0 0 1.000
1967 - - 2 3 5 0 1 1.000 49 78 3 1 1 .988 47 45 5 1 1 .980 14 19 1 0 0 1.000
1968 - 1 1 3 0 1 1.000 1 0 0 0 0 ---- 31 57 1 1 0 .983 50 50 2 1 1 .981 22 32 2 1 0 .971
1969 MON - - - 17 30 0 4 0 .882 1 0 0 0 0 ---- 5 11 0 0 0 1.000
LAD - - - 4 6 1 0 0 1.000 73 105 7 4 2 .966 11 5 0 0 0 1.000
'69計 - - - 21 36 1 4 0 .902 74 105 7 4 2 .966 16 16 0 0 0 1.000
1970 - - 1 0 1 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000 108 165 8 5 3 .972 5 5 0 0 0 1.000
1971 - - - - 63 84 2 4 1 .956 23 27 1 0 0 1.000
1972 - - - 2 1 0 0 0 1.000 98 138 3 1 1 .993 -
1973 - - - - 74 95 4 0 0 1.000 -
1974 - - - - 3 1 0 0 0 1.000 -
1975 - - - - 6 9 0 0 0 1.000 -
1976 - - - - 6 11 1 0 0 1.000 -
1977 - - - - 1 1 0 0 0 1.000 -
1979 - - - - 1 0 0 0 0 ---- -
MLB 1 2 0 0 0 1.000 2 0 0 0 ---- 6 6 7 0 1 1.000 15 14 19 2 3 .943 271 438 16 13 3 .972 726 837 35 19 9 .979 120 143 6 1 0 .993
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

背番号編集

  • 38(1962年)
  • 15(1963年 - 1969年途中)
  • 11(1969年途中 - 2013年)

脚注編集

  1. ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視社、2013年、621頁。ISBN 978-4-905369-67-7
  2. ^ Dodgers finally bring Wills back home
  3. ^ Life in Jeopardy as Broken Bat Hits Boston Fan”. 2015年6月7日閲覧。
  4. ^ Hoffarth, Tom. “40 years ago today: A death at Dodger Stadium, and still the only one of its kind at an MLB game”. 2012年4月6日閲覧。
  5. ^ 2001年にレニー・ハリス(当時ニューヨーク・メッツ)が更新するまでは1位だった。

関連項目編集

外部リンク編集