マーティン・ライル

イギリスの天文学者

サーマーティン・ライル: Sir Martin Ryle1918年9月27日 - 1984年10月14日)は、イギリス天文学者。1974年に「電波天文学における先駆的研究」により、アントニー・ヒューイッシュとともに天文学分野の研究者として最初のノーベル物理学賞受賞者となった。

マーティン・ライル
生誕 1918年9月27日
イギリスの旗 イギリスイースト・サセックス州ブライトン
死没 1984年10月14日 (66歳没)
イギリスの旗 イギリスケンブリッジシャー州ケンブリッジ
居住 イギリスの旗 イギリス
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 天文学
出身校 オックスフォード大学(学士)
博士課程
指導教員
J・A・ラトクリフ英語版
主な業績 電波天文学開口合成技術の開発
主な受賞歴 ヒューズ・メダル (1954)
王立天文学会ゴールドメダル (1964)
ヘンリー・ドレイパー・メダル (1965)
ファラデー・メダル (1971)
モーリス・N・リーブマン記念賞 (1971)
ロイヤル・メダル (1973)
ノーベル物理学賞 (1974)
ブルース・メダル (1974)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1974年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:電波天体物理学の先駆的研究、特に開口合成技術の開発

略歴

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ブライトン生まれ。オックスフォード大学物理学学位を得た。第2次世界大戦中はレーダーの開発グループに加わった[注釈 1]。戦後はキャベンディッシュ研究所で、初め太陽からの電波の研究を行った。電波天文学の分野で観測機械の改良を進め、1946年に初の開口合成技術を用いた電波望遠鏡を建設した。

1952年に王立協会フェローに選出され[1]1957年にはマラード電波天文台の初代所長になった。

1959年からはオックスフォード大学電波天文学教授となり銀河系・銀河系外天文学を専攻した。1966年に騎士号を与えられ、[2]1972年からリチャード・ウーリーの後を継いで、王室天文官(Astronomer Royal)となった。論争は余り好きではなかったが、論客として知られ、フレッド・ホイル定常宇宙論に関して有名な論争をおこなった。晩年は、後進の育成に努め、ライル奨学金を設けている(ケンブリッジ大学内における天文学分野での奨学金)。

業績

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1946年、ライルとボンバーグは多数のアンテナからの観測データを使って大口径アンテナ同様の電波天体の空間分解能を得る開口合成技術を開発した。ケンブリッジ大学の最初の電波天文学の教授、マラード電波天文台長、王室天文官などを務めた。

受賞・叙勲等

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受賞

命名

注釈

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  1. ^ 出身大学は違うが同僚として、後にSF作家になったアーサー・C・クラークが居る。彼は、静止衛星の論文を書く。

出典

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  1. ^ a b c d "Ryle; Sir; Martin (1918 - 1984)". Record (英語). The Royal Society. 2019年8月10日閲覧
  2. ^ 「ノーベル物理学賞 電波天文学の両氏」『朝日新聞』昭和49年(1974年)10月16日朝刊、13版、22面

関連項目

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外部リンク

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先代
リチャード・ウーリー
王室天文官
1972–1982
次代
フランシス・グレアム=スミス