ミゲル・アンヘル・ゴンザレス

ミゲル・アンヘル・ゴンサレスMiguel Angel Gonzalez Dávila1970年11月15日 - )は、メキシコ出身の元男性プロボクサー。元WBC世界ライト級王者。

ミゲル・アンヘル・ゴンザレス
基本情報
本名 ミゲル・アンヘル・ゴンザレス・ダビラ
通称 東京三太
El Mago
階級 スーパーウェルター級
身長 174cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1970-11-15) 1970年11月15日(53歳)
出身地 メキシコシティの旗 メキシコシティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 57
勝ち 51
KO勝ち 40
敗け 5
引き分け 1
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人物 編集

メキシコシティ出身の、オーソドクスファイター。一時期協栄ボクシングジムプロモートされており、東京三太リングネームで日本のリングに上がっていたこともあった。ハンサムな容姿で女性ファンも多く、日本の女性誌にも取り上げられたことがあるほどの男前なボクサーだった。

クリスチャンであるため「サンタ」の名が入った東京三太のリングネームは本人もお気に入りで、協栄との契約が切れ日本を離れた後も、メキシコのリングで「ミゲル・アンヘル“トーキョー・サンタ”ゴンサレス」とコールされていた。

来歴 編集

15歳で名門パンチョ・ロサレス門下に入門。

1988年9月、ソウルオリンピックフェザー級で出場。1回戦で地元韓国の李在赫に判定負け。

1989年1月21日、プロデビュー。

1990年12月17日、東京三太のリングネームで日本のリングに初登場。廉泰福と対戦し5回TKO勝ちを収めた。

1991年3月16日、WBC世界ライト級11位の文泰鎮と対戦し7回TKO勝ちを収め世界ランク入り。

1991年8月19日、ウィリアム・マガヒンと対戦し4回KO勝ちを収めた。これが東京三太としてのラスト・ファイトとなった。

1992年3月16日、WBCインターナショナルライト級王者ラモン・マルチェナに5回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1992年8月24日、パーネル・ウィテカーの返上によって空位となったWBC世界ライト級王座決定戦としてウィルフレド・ロチャと対戦し9回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1994年3月29日、後にWBA、WBCのニ団体で世界王者となるジャン・バチスト・メンディと対戦し5回TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。

1994年8月6日、後のIBF世界ライト級王者レバンダー・ジョンソンと対戦し8回TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。

1994年12月13日、元IBF世界フェザー級王者カルビン・グローブと対戦し5回終了時グローブの棄権によるTKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。

1995年8月15日、ラマー・マーフィに12回判定勝ちを収め10度目の防衛に成功した。

1996年、WBC世界ライト級王座返上。

1997年1月18日、WBC世界スーパーライト級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦するが12回判定負けを喫し初黒星となった。

1998年3月7日、オスカー・デ・ラ・ホーヤの返上によって空位となったWBC世界スーパーライト級王座決定戦でフリオ・セサール・チャベスと対戦するも12回引き分けに終わり王座獲得に失敗した。

1999年8月21日、WBC世界スーパーライト級王者コンスタンチン・チューと対戦するがパワーに押されまくられ10回TKO負けを喫し2階級制覇に失敗した。

2001年3月3日、伏兵のマヌエル・ゴメスと対戦するが10回判定負け。

2004年9月4日、WBC、WBA、IBF世界ウェルター級王者コーリー・スピンクスと対戦するが12回判定負けを喫しまたしても2階級制覇に失敗した。

2005年8月13日、WBA世界ウェルター級王者ルイス・コラーゾと対戦するが7回終了時棄権によるTKO負け。

2006年9月2日、WBC中央アメリカボクシング連盟スーパーウェルター級王座決定戦でアレハンドロ・ルイス・ガルシアと対戦し12回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2006年10月7日、ウリセス・デュアルテと対戦し10回TKO勝ちを収め初防衛に成功した。現役最後の試合となった。

2010年9月復帰の噂が囁かれていた[1]ものの、後日改めて現役を引退を表明した。

戦績 編集

アマチュア 編集

66戦63勝3敗

1988 ソウルオリンピック
階級 ラウンド 勝敗 内容 対戦相手 国籍
フェザー級 1回戦 3R判定 李在赫   韓国

プロ 編集

57戦51勝(40KO)5敗1分

獲得タイトル 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

空位
前タイトル保持者
パーネル・ウィテカー
WBC世界ライト級王者

1992年8月24日 - 1996年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ジャン・バチスト・メンディ