協栄ボクシングジム

協栄ボクシングジム(きょうえいボクシングジム)は、東京都新宿区新宿にあるプロボクシングジムである。経営に当たるのは株式会社協栄ボクシング

協栄ボクシング株式会社
KYOEI BOXING Co. Ltd.,
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 協栄
本社所在地 日本の旗 日本
160-0022
東京都新宿区新宿5-2-1
ニュー番衆ビル2階
設立 1976年6月16日
業種 サービス業
事業内容 ボクシングジムの運営
代表者 代表取締役社長 金平桂一郎
主要子会社 プロスタッフ・協栄
協栄プロモーション
関係する人物 金平正紀(創業者)
外部リンク http://kyoei-boxing.co.jp/
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移転前の協栄ボクシングジム 外観

目次

沿革編集

フライ級・バンタム級のプロボクサーとして活動した金平正紀が現役時代から属した野口ジムのトレーナーを経て、プロテスト不合格の愛弟子・松田博幸(後にリングネーム海老原博幸)を引き連れ1959年(昭和34年)の4月に「金平ボクシングジム」として東京都杉並区に設立、その後草加市谷塚駅近く(移転後の跡は所属選手の実父で実業家の有澤二男が買い取り草加協栄を経て現在は草加有沢ジム)や渋谷区代々木駅近くを経て、1991年に大久保に4階建ての自社ビルを建てたが、その後売却を決め、2012年5月24日に現在地への移転を終えた[1]

帝拳角海老宝石ヨネクラ三迫新日本木村等と並ぶ、大手ジムや有力ジムの内の一つ。系譜としては「大日本拳闘会(神戸:嘉納健治) - 野口ジム(目黒:野口進)」の流れである。のちに協栄物産と提携して1966年3月「協栄ボクシングジム」と名称変更した。過去にスポンサーの関係で『海外タイムス・ジム』『ベル協栄ボクシングジム』『ワールドスポーツ・クラブジム』の名称を使用していた時期がある。なお、これらスポンサーのうち『海外タイムス』は悪徳商法社会問題となった豊田商事の関連企業。

初代会長は金平正紀。2代目であり現会長は、前会長の長男金平桂一郎。なお、正紀会長が追放(後述#毒入りオレンジ事件参照)されている間は高橋勝郎が代理を務めていた。日本ボクシング連盟(JABF)にも加盟している。

2015年5月21日、元所属選手かつ元WBA世界フライ級王者であり、現在は稲城市議会議員の坂田健史が代表に就任し、金平桂一郎は会長にとどまるもののプロモートに専念し第一線から退くことが発表された[2]

概要編集

先代の金平正紀会長はボクシングに対し愛情を持っており、彼の名言に「プロボクシングはビジネスだが、だからと言ってボクシングに愛情を失ってはいけない」「周りに何と言われようと、協栄から生まれたチャンピオン達が、引退後に世界・東洋・日本チャンピオンになれて良かったと思えるようにならなければいけない。そう思うようにしてやるのも私の仕事だし、思われなかったとしたら、それは私の責任だ」というものがある。

色々とスキャンダルに事欠かないジムであるが、正紀会長は協栄出身の世界王者から尊敬されており(具志堅用高とは一時決別したが、後に和解)、正紀会長が最後に育てた世界王者佐藤修は、世界王座を獲得したリング上で「故・金平会長、僕は協栄の9人目の世界王者になりました!」と叫ぶなど、先代会長は死後も選手たちに慕われている。

副業を持つボクサーは世界タイトル獲得後、ボクシングに専念するケースがほとんどだが、所属選手はアルバイトを継続するのが常識であり、具志堅ですら5度目の防衛まで飯田橋のとんかつ屋でアルバイト勤務していた。マネージャー兼トレーナーとしてジムに長年携わってきた大竹重幸は「お金どうこうではなく、生活のリズムを保つためにもいい」と勧めており、元世界王者の佐藤洋太も「今までの生活を崩して、歯車が狂うのが怖い。仕事を辞めたら遊んじゃいますよ」と語っている[3]

1989年、かねてから金平と親交の深かったスポーツ平和党党首で参議院議員になって間もないアントニオ猪木の紹介でソ連のアマチュアボクシングのトップ選手を獲得。翌年グッシー・ナザロフチャコフ・ユーリとしてプロデビューさせた。1996年にも猪木の仲介で北朝鮮のオリンピック金メダリスト崔鉄洙を獲得。

また、女性を対象とした「シェイプボクシング」にも力を入れており、小池百合子[注釈 1]も受講している。シェイプボクシングインストラクターには所属選手の瀬藤幹人も加わっている。また、2007年には女子プロボクシング本格的解禁を見据えてロシアの女子選手を招聘し、国内女子選手とのエキシビションを行う。このエキシビションに参加した藤本りえは後に協栄に移籍した。正紀会長の時代にも高築正子にアメリカでの試合出場を斡旋し、日本人女子プロボクサー第1号としてデビューさせた。

さらに、1997年ごろシュートボクシング全日本カーディナル級初代王者大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げてナゴヤドームでのK-1 JAPAN GPに参戦、また同じ時期の日本IBFの復活第1弾の興行に金平会長が来場、網膜剥離からの再起を期す飯泉健二にトレーニングの場を与えた。2007年には関連会社の協栄ワールドが当時のK-1興行会社であるFEGと業務提携を結んだ。

TBSとのタイアップで「ガッツファイティング」を主催。かつてはテレビ東京とのタイアップで「ヒートアップボクシング」も主催していた。稀にではあるが野口の分派である三迫と提携してフジテレビダイヤモンドグローブ」で放送される場合もある。

系列ジム編集

  • 協栄札幌赤坂ボクシングジム
  • グローバル協栄ボクシングジム(※会長のマック金平(協栄ジム初代会長の甥)の本家への背信行為を理由に協栄グループから事実上破門され、現在協栄ジム本体とは無関係になっている)
  • 協栄カヌマボクシングジム(現・石戸ジム)
  • 古口・協栄ボクシングジム
  • 協栄山神ボクシングジム
  • 博多協栄ボクシングジム

選手編集

日本のジムで最多となる計12人の世界王者を生み出している。

ジム出身世界王者編集

主な現役選手編集

  • 瀬藤幹人(元日本スーパーバンタム級暫定王者
  • 三瓶数馬(2013年全日本スーパーフェザー級新人王)
  • 高野人母美(東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者、モデル、2013年11月山上より移籍)
  • 亀田和毅(元WBO世界バンタム級王者、2016年10月7日移籍、10月26日ライセンス再発行)
かつて在籍した現役選手

引退した主な選手編集

事件・批判編集

黒い霧事件編集

1972年4月、西城正三やアベジム所属プロボクサーだった金沢和良キックボクシング転向を巡り、協栄ジムと日本協会が対立。また、モハメド・アリ(当時はカシアス・クレイ)の初来日興行は協栄ジムに委託されたが、アリのプロモートには黒社会が関わっていたこと(後に来日興行を手掛けた興行師康芳夫がコメントした。)もあり金平会長は協会より除名された。5月に金平会長らの手により別の協会(団体名は同名。以下便宜上「第二協会」)を設立し分裂状態になった。

1976年11月に日本協会と第二協会が再統合され、1980年に金平会長は協会と正式に和解。協会会長に就任した。

毒入りオレンジ事件編集

1981年3月4日発売「週刊文春」が、協栄ジムの金平会長が、渡嘉敷勝男や具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジを食べさせたと暴露記事を掲載。騒動になった。日本のプロボクシング史上最悪の事件と言われる。この事件が原因で、金平会長は1982年にライセンスの無期限剥奪処分を受けボクシング界から追放された。1989年に処分が解除され、プロボクシング界に復帰した。

協栄ジム所属選手の試合判定への批判編集

協栄ジムに所属する選手の試合の判定には、これまでいくつかの批判、抗議が寄せられている。

  • 2006年8月2日に行われたWBA世界ライトフライ級王座決定戦の判定を巡って、協栄ジム、TBSをはじめ、ナイキローソンなどの亀田スポンサーに多数の抗議が寄せられた[注釈 2]
  • 扶桑社発行の雑誌「SPA!」は、鬼塚が防衛に成功するごとに“今週の顔”のページにて鬼塚を批判する記事を掲載していた。
  • 坂田の日本タイトルマッチの判定を巡って、事件が起きたこともある(大串事件)。

WBA親善試合で場外乱闘編集

2006年9月27日に行われた亀田大毅の試合後、判定結果を巡り、場外で観客同士の乱闘が発生。亀田史郎もこの乱闘に加担しようとし、関係者に止められた。この乱闘で、数人の観客が負傷して担架で運ばれるなどした。また、この試合はWBAのメンドサ会長も観戦しており、乱闘はメンドサ会長の近くで起こった。メンドサ会長はいち早く席を離れたため、怪我などは無かった。なお、史郎をはじめとする関係者は、会場となった後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署から事情聴取を受けている。

WBC王者戦での反則行為編集

2007年10月11日に行われた、亀田大毅の内藤大助とのWBCフライ級王者戦において、協栄ジム側はWBCの規則に反する親族(史郎、興毅)のセコンド入りを強く主張、JBCに認めさせた。試合後には大毅の悪質な反則行為が問題となり、更に試合中に史郎、興毅が反則を指示していたことがTV中継の映像などから明らかとなった。JBCは同15日の倫理委員会にて、亀田親子にライセンス停止などの罰則を科すと共に、金平会長にも監督責任を認め3か月のクラブオーナーライセンスの停止措置を決定した。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 小池は、協栄ジム所属の亀田興毅ファンを公言しており、かつて環境大臣第2次小泉内閣 - 第3次小泉内閣)であった際に、レジ袋削減キャンペーンの協力を仰いだこともある。[4]
  2. ^ TBSには一日で約6万件の苦情が寄せられた。亀田興毅の項を参照。

出典編集

外部リンク編集