三和倉庫株式会社(さんわそうこ、英文名称Sanwa Soko Co., Ltd.)は、日本の倉庫業者。日本曹達の運輸部門の分社化により発足し、危険物毒劇物を中心に扱う。かつては農薬飼料添加物の製造も行っていた。

三和倉庫株式会社
Sanwa Soko Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証2部 9320
1981年12月21日 - 2015年7月29日
略称 三和倉
本社所在地 日本の旗 日本
226-0012
神奈川県横浜市緑区上山1-16-1
設立 1950年(昭和25年)5月
業種 倉庫・運輸関連業
法人番号 4010401011970 ウィキデータを編集
事業内容 倉庫業、流通加工業
代表者 辻川 立史(代表取締役社長)
資本金 18億31百万円
売上高 57億6041万9000円
(2023年3月期)[1]
営業利益 6億8253万9000円
(2023年3月期)[1]
経常利益 7億0068万7000円
(2023年3月期)[1]
純利益 4億3577万1000円
(2023年3月期)[1]
純資産 91億4824万3000円
(2023年3月期)[1]
総資産 108億2380万円
(2023年3月期)[1]
従業員数 172名(2021年4月)
決算期 3月末日
主要株主 日本曹達
主要子会社 三倉運輸
関係する人物 仮戸茂(創業者)
外部リンク https://www.sanwasoko.co.jp/
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沿革 編集

  • 1950年5月 - 当時日本曹達の社員として運輸部門に携わっていた仮戸茂により、三和倉庫株式会社設立
  • 1962年11月 - 高崎事業所で農薬の生産開始
  • 1965年1月 - 塩化コリン量産化技術の開発に成功、高崎事業所で生産開始
  • 1966年8月 - 農薬部門を日和加工株式会社に移管
  • 1981年12月21日 - 東証二部上場
  • 1989年1月 - 運輸部門を分社化、三倉運輸株式会社設立
  • 1989年12月 - 塩化コリン生産終了
  • 2015年7月29日 - 上場廃止
  • 2015年8月1日 - 株式交換により日本曹達の完全子会社となる。
  • 2022年4月 - 横浜市緑区に本社移転。

倉庫 編集

  • 札幌事業所 - 〒003-0030 札幌市白石区流通センター2-2-6-108
    • 1970年開設、普通品・危険品・毒劇物・加温保管に対応
  • 千葉事業所 - 〒290-0045 千葉県市原市五井南海岸12-57
    • 1963年開設、普通品・危険品・毒劇物・保税に対応
  • 大宮事業所 - 〒331-0043 埼玉県さいたま市北区大成町4-884
    • 1952年開設、普通品・危険品・毒劇物・医薬品に対応
  • 川口事業所 - 〒334-0012 埼玉県川口市八幡木3-18-16
    • 1968年開設、普通品・危険品・毒劇物に対応
  • 川崎事業所 - 〒210-0857 神奈川県川崎市川崎区白石町4-3
    • 1975年開設、普通品・危険品・毒劇物・保税・低温危険物保管に対応
  • 横浜事業所 - 〒226-0012 神奈川県横浜市緑区上山1-16-1
    • 1965年開設、普通品・危険品・毒劇物・医薬品・医薬品危険物・保税・低温危険物・加温保管に対応
  • 大東事業所 - 〒574-0062 大阪府大東市氷野3-13-15
    • 1965年開設、普通品・危険品・毒劇物・保税に対応
  • 茨木事業所 - 〒567-0864 大阪府茨木市沢良宜浜3-4-3
    • 1966年開設、普通品・毒劇物・医薬品・保税・冷蔵保管・産業廃棄物に対応

化学品製造 編集

朝鮮戦争特需により日本曹達よりパラチオンの小分け・包装作業の委託を受け、1951年に目黒区原町に目黒作業所を開設、翌年には大宮市北袋(当時。現在の大宮事業所とは別の位置)に開設された大宮作業所に移管された。更なる作業量の増加により手狭になり、大宮作業所を閉鎖し、高崎市の大八木工業団地に用地を取得、1962年11月に高崎事業所を開設した。日本曹達から送られたDDTBHC酢酸フェニル水銀などの農薬原末を粉砕・包装し、ひと月あたり粉末500t、乳剤20万本を生産した。なお農薬部門は1966年に、日本曹達と折半出資で設立した日和加工株式会社に移管した。

1964年、日本曹達からの勧めにより、飼料添加物である塩化コリン国産化の研究に着手。1965年1月に量産化技術の開発に成功、日本瓦斯化学工業(現・三菱ガス化学)からの生産委託により、高崎事業所にて月間100トンを生産した。1966年7月には塩化コリンを50%粉剤に加工する技術の特許を取得。1969年に月産150トン体制に増強。1972年4月には流動乾燥機の過熱により火災が発生したが、乾燥機の交換により同年10月には月産300トン体制とした。1975年には武田薬品からも月間100トンの生産を受託した。1989年末、三菱ガス化学が塩化コリンを自社生産に切り替えたため、塩化コリンの製造を終了。1997年には高崎から撤退した。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 『三和倉庫50年史』2000年 三和倉庫株式会社編

外部リンク 編集