両替町
静岡市の歓楽街
両替町(りょうがえちょう)は、静岡市葵区の地名のひとつ。静岡市の代表的な歓楽街である。
両替町 | |
---|---|
両替町二丁目 | |
北緯34度58分28.93秒 東経138度22分47.36秒 / 北緯34.9747028度 東経138.3798222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 静岡市 |
区 | 葵区 |
人口 | |
• 合計 | 488人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
420-0032[2] |
市外局番 | 054 (静岡MA)[3] |
ナンバープレート | 静岡 |
江戸時代から続く町名の一つで、一丁目から六丁目までの6町からなっていたが、1940年の静岡大火後の町名整理により、旧・一丁目から三丁目が現・一丁目、旧・四丁目から六丁目が現二丁目の2町に改められた。なお、一丁目と二丁目は接しておらず、間に七間町が入っている。
歴史
編集両替町の地名は、慶長11年(1606年)、徳川家康によって銀貨鋳造所(銀座)が旧二丁目付近に設置されたことに由来する。この「両替」とは、銀座の業務として灰吹銀を買い入れ公鋳の丁銀と引き換えることである。また、この銀貨鋳造所の周辺には両替商が集積していた。家康が隠居した後の1612年、この銀貨鋳造所は駿府から江戸に移転した。この江戸に移転した銀貨鋳造所が置かれた土地が、東京都の銀座である。東京都の銀座は、江戸時代(特に慶長から寛永にかけて)には「新両替町」と呼ばれていた。銀貨鋳造所は京都にも置かれており、ここにも両替町の地名が残っている。
経済
編集産業
編集- 企業
世帯数と人口
編集2018年(平成30年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
両替町一丁目 | 283世帯 | 417人 |
両替町二丁目 | 38世帯 | 71人 |
計 | 321世帯 | 488人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
両替町一丁目 | 全域 | 静岡市立葵小学校 | 静岡市立城内中学校 |
両替町二丁目 | 全域 |
その他
編集日本郵便
編集ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ a b “静岡市の人口・世帯”. 静岡市 (2018年11月12日). 2018年12月11日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年12月8日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年12月11日閲覧。
- ^ 『写真集 明治大正昭和 静岡』ふるさとの想い出 13、小川龍彦著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
- ^ “静岡市立小・中学校通学区域表”. 静岡市. 2018年12月11日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2018年12月11日閲覧 (PDF)
- ^ 『食肉業界紳士録』41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月20日閲覧。
- ^ 『大衆人事録 第13版 中部篇』静岡12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月23日閲覧。
- ^ 『大日本商工録 昭和6年版 全国 13版』静岡県84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月20日閲覧。
参考文献
編集- 大日本商工会編『大日本商工録 昭和6年版 全国 13版』大日本商工会、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版 中部篇』帝国秘密探偵社、1940年。
- 『食肉業界紳士録』食肉通信社、1975年。