中野不二男
中野 不二男(なかの ふじお、1950年10月23日[1] - )は、日本のノンフィクション作家、科学・技術ジャーナリスト。
中野 不二男 | |
---|---|
誕生 |
1950年10月23日(73歳) 新潟県 |
職業 | ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 |
国籍 | 日本 |
代表作 | 『カウラの突撃ラッパ』、『レーザー・メス 神の指先』 |
主な受賞歴 | 日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞 |
ウィキポータル 文学 |
略歴・人物
編集新潟県新潟市生まれ。新潟明訓高等学校卒業。日本大学農獣医学部中退。2006年、「衛星開発技術の定量評価法」で東京大学より博士(工学)の学位を取得(東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻)。1978年オーストラリアへ渡り、シドニーのエンジニアリング会社技術部に勤務するかたわらオーストラリア国立アボリジニ研究所 Australian Institute of Aboriginal Studies(現オーストラリア・アボリジニ・トレス海峡諸島民文化研究所 Australian Institute of Aboriginal and Torres Strait Islander)、連邦政府アボリジニ省(Department of Aboriginal Affairs)等の助成を受けて、都市と地方における先住民アボリジニー社会、同化政策の影響など広範囲を調査し、土地権運動にもかかわった。いっぽうで太平洋戦争中のオーストラリアと日本の関係にも強い関心をもち、カウラ事件の背景について首謀者とみなされていた捕虜(零戦パイロット)の行動、機体の残骸などを緻密に調査し、ノンフィクション作品『カウラの突撃ラッパ』にまとめた。
1982年に帰国してからは、ノンフィクション作家として執筆活動に入るが、同時に国立民族学博物館の「アボリジニー社会の研究」に共同研究員として参加している。
1980年代後半から、科学技術に関する著書を多数執筆。特に航空宇宙分野でジャーナリストとして活動するかたわら、宇宙政策シンクタンク宙の会の代表幹事をつとめる。
アボリジニ研究の中で梅棹忠夫と出会い、梅棹の考案した京大式カードの愛用者となる。のちにパソコンに移行する中で、その知的生産術を『メモの技術』としてまとめた。
主な著書
編集- Japanese pearl divers in Broome, 1980. オーストラリア・ナショナル・プレスクラブ/豪日交流基金ジャーナリスト賞
- 『カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットはなぜ死んだか』 文藝春秋、1984年。〈文春文庫〉1991年 第11回日本ノンフィクション賞
- 『アボリジニーの国』 中央公論新社〈中公新書〉、1985年
- 『大いなる飛翔』 講談社、1987年。新潮社〈新潮文庫〉、1991年
- 『マレーの虎 ハリマオ伝説』 新潮社、1988年。〈文春文庫〉、1994年
- 『レーザー・メス 神の指先』 新潮社、1989年。〈新潮文庫〉、1992年 第21回大宅壮一ノンフィクション賞
- 『先端技術への招待』 中央公論新社〈中公新書〉、1993年
- 『日本の宇宙開発』 文藝春秋〈文春新書〉、1999年
- 『ニュースの裏には「科学」がいっぱい』 文藝春秋〈文春文庫〉、2001年
- 『デスクトップの技術』 新潮社〈新潮選書〉、2002年
- 『科学技術はなぜ失敗するのか』 中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2004年
- 『脳視 ドクター・トムの挑戦』 大和書房、2005年
- 『暮らしの中のやさしい科学』 角川学芸出版、2006年
- 『子どもを理科好きに育てる本』 角川学芸出版、2007年
訳書
編集- チャールズ・パーキンス 『黒い私生児』 くもん出版、1987年
- アーミン・ヘルマン 『ツァイス 激動の100年』 新潮社、1995年
脚注
編集- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.459