五戒(ごかい, サンスクリット語: pañcaśīla, パーリ語: pañcasīla[2][1])とは、仏教において性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な五つの(シーラ)のこと。

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい, : prāṇātipātāt prativirataḥ[3]) - 生き物を故意に殺してはならない[4]
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい, : adattādānāt prativirataḥ[3]) - 他人のものを盗んではいけない[4]
  • 不邪婬戒(ふじゃいんかい, : kāma-mithyācārāt prativirataḥ[3]) - 不道徳な性行為を行ってはならない[4]
  • 不妄語戒(ふもうごかい, : mṛṣāvādāt prativirataḥ[3]) - をついてはいけない[4]
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい, : surāmaireya-madyapramāda-sthānāt prativirataḥ[3]) - 類を飲んではならない[4]
仏教用語
五戒, ごかい
パーリ語 pañcasīla, pañcasīlāni,[1] pañcasikkhāpada, pañcasikkhāpadāni[1]
サンスクリット語 pañcaśīla (पञ्चशील), pañcaśikṣāpada (पञ्चशिक्षपद)
日本語 五戒
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五戒の刻まれた銘版(ネパール,ルンビニ)

不殺生戒編集

文献において編集

第一の戒は、衆生の命を奪うことを禁じたものである。これはある者が意図的に、それは衆生であると理解しており、その実行に努めることで衆生を殺すことに成功した場合に該当する[5][6]。外傷を与えることはその理念的には反するが、技術的には、この戒を破るものではない[7]。この戒には、動物、小さな昆虫の命を奪うことも含まれます。この生命を奪うことの重大さは、その生物の大きさ、知性、得られる利益、スピリチュアルな発達度に依存するともされている。大きな動物を殺すことは、小さな動物を殺すことよりも悪いとされる(大きいほど多くの努力を要するため)。精神的に完成した存在を殺すことは、別の「より平均的な」人間を殺すことよりも厳しいと見なされる。そして人間を殺すことは、動物を殺すことよりも厳しい。しかし、すべての殺害は非難される[5][8][9]。この戒が示す美徳は、生ける者の尊厳への尊重である[10]

現実面編集

カンボジアとビルマでの現地調査は、多くの仏教徒が最初の教訓を最も重要、または最も非難されるべきと考えていることを示された。[11][7]。いくつかの伝統的な社会、たとえば戦前カンボジアのカンダル州、1980年代のビルマなどでは、仏教徒が動物のと殺にかかわることは稀であり、肉類は非仏教徒から買わなければならなかった[11][12]。1960年代のタイにおいては、Terwielののフィールド調査によれば、村人は昆虫を殺す傾向があるが、大型動物の殺害に関しては消極的で自己矛盾であることが発見された[13]。しかしSpiroのフィールド調査においては、ビルマの村人は昆虫を殺すことすら非常に嫌がっていた[12]

初期の仏教徒は菜食主義のライフスタイルを採用してはいなかった。実際にいくつかのパーリ経典では、菜食主義は精神的浄化とは無関係であると説明されている。ただし、特定の種類の肉、特に社会から非難されている肉には禁止事項があった。 動物の生命を殺すことを控えるという考えは、肉や生物の取引にかかわる職業の禁止につながったのだが、牛などすべての農業の完全な禁止には至っていない[14]。現代においては、需要と供給やその他の理念をもとに、いくつかの上座部仏教は五戒の一つとして菜食主義を実践している。たとえばタイのサンティアソーク運動は菜食主義を実践している[15]

不偸盗戒編集

文献において編集

2番目の戒律は盗みを禁じており、これは自分が己のものではないと認識したもの(「与えられていないもの」)を盗んだり、その意図に基づいて計画的に行動する意図が含まれる。盗みの重大さは、所有者の価値と盗まれた価値によって判断される。裏取引、詐欺、不正行為、偽造もこの指針に含まれている[5][16]

この精神の徳は布施ネッカンマ[17][18]正命[19]、ポジティブな行動による他人の財産の保護である[20]

現実面編集

第二の戒には、盗みや詐欺のさまざまな方法が含まれる。許可なく借りることや[21][22]、ギャンブルも含まれることがある[22][23] 心理学者のバンチャイ・アリヤブディフォンは、2000年代と2010年代にタイで研究を行い、五戒を守らない人は、お金が人生で最も重要な目標であり、戒を厳守した人よりも賄賂より頻繁に支払うだろうと考える傾向が強いことを発見した[24][25]。一方で、五戒に従う人々は、従わなかった人々よりも裕福で幸福であると考えていた[26]

第二の戒に違反していると思われる職業には、ギャンブル業界や、実際には顧客が必要のない製品のマーケティングが含まれる[27]

不邪婬戒編集

文献において編集

第三の戒は、性的逸脱行為を禁じている。初期の経典においては、これは既婚または婚約者との姦通、レイプ、近親相姦、未成年者(または親族によって保護されている人)とのセックス、売春婦とのセックスを含むと解釈されている[28]。後期の経典では、不適切な時間や不適切な場所など、セックスの詳細についても戒に反するとしている[29]。マスターベーションは教訓に反するが、初期の経典では在家者については禁止されていない[30][31]

第三の戒は、自分を貪欲にし、さらに他人に害を与えるものとして説明されている。その相手が善人であったる場合、違反はより深刻であると見なされる[30][31] 。第三の戒と親密さに関連する美徳は、特にパートナーとの満足感[18][32]、結婚における忠実さの認識と尊重である[20]

現実面編集

第三の戒、官能を誤った方法で使用することによる、他者への危害を回避すると解釈されている。これは、不適切なパートナーと関わることだけではなく、その関係への個人的な責任を尊重することも意味します[21]。いくつかの伝統では、行為自体の性質が非難されているため、たとえ配偶者が行為に同意していても姦通は非難される。さらに既婚者といちゃつくことも違反と見なされることがある[22][28]

第三の戒の適用に関しては、仏教の原則は、通常は避妊に対するスタンスとは関係しない[33][34] 。スリランカなどの伝統的な仏教社会では、結婚前のセックスは戒律に違反していると考えられているが、結婚を予定する人々は、これを常に守ってはいなかった[31][35]。Annuska Derksは、売春は第三の戒では推奨されていないが、通常、師により積極的に禁止されているわけではないとしている[36]

現代の師の解釈では、他人と性的関係にある人が含まれ、これは「性的責任」や「長期的な関与」などの用語によって戒を定義しているためである[28]。 現代の師の中には、オナニーを規範の違反として含めるものもあり,[37]、また他の師は、性的搾取、売春、ポルノなどの特定の職業や、娯楽産業などの不健康な性的行動を助長する職業を含めたりすることもある[27]

不妄語戒編集

文献において編集

第四の戒には、誤ったことを話したり、意図的に実行することなどが対象となる[30]。悪口を避けることには、悪意ある発言、過激な発言、ゴシップなどが含まれる[38][39]。その誤りが裏に意図してあったものである場合、小さな白い嘘と比べて、それは戒への違反はより重いとみなされている[30][40]。この戒の精神は、正直であること、信頼されること[18][32]、仕事においても正直であること、他人に対して正直であること、年長者に忠誠であること、後援者に謝意を持つことなどである[19]

仏典においては、第四の戒は第一の戒の次に重要であると考えられている。なぜならば嘘をついている人は恥を知らず、したがって多くの誤りを犯す可能性があるためである[37]。不誠実さは、他人に害を及ぼすためだけでなく、真理(Sacca)を見つけるという仏教の理想に反するためにも避けられる[40][41]

現実面編集

第四の戒には、嘘をつくことや有害な発言を避けることが含まれる[42]。現代の師、たとえばティク・ニャット・ハン師などは、これを誤ったニュースや不確実な情報を広めることを避けることも含めて解釈している[37]。データの操作、虚偽広告、オンライン詐欺を伴う作業も戒に反するとみなすことができる[27]。テルウィエルの報告では、タイの仏教徒においては、人々をほのめかしたり、誇張したり、乱用したり、だまして話したりすることも戒に反すると伝えている.[22]

不飲酒戒編集

文献において編集

第五の戒は、アルコール、薬物といった中毒性の物質を避けることであり、これは食物、仕事、行動、命の性質に対し[19]サティと責任感を重んじることを求める[17][20]。覚醒、瞑想、注意力などもこれに含まれる[43]。ブッダゴーサは1-4つ目の戒は、違反の対象となった人物もしくは動物によって、その程度は違って非難されうるが、一方で5つ目の戒は「重く非難される」とし、釈迦の教えの理解を妨げ、自身を狂気に導きうるとしている[44]

現実面編集

第五の戒は重要とされており、アルコールは低迷とセルフコントロールの欠如をまねき[45][46]、それにより他の戒も破ることとなるからである[44]。Spiroのフィールドスタディでは、取材した僧の半数は第五の戒を破ることは、その有害性を挙げて五戒の中で最悪であると考えていた[44]。それにもかかわらず、この戒は衆生らによってよく破られており[47]、タイにおいては飲酒は一般的であり、酩酊もしばし見られる[48]。チベットにおいてはビールの飲酒は普及しているが、それは少数のアルコール依存症者のみである[49]。医学的なアルコール使用は一般的に問題とされておらず[35]、一部の国(タイやラオス)では喫煙は戒を破るものではないと一般的にみなされている。タイとラオスの僧は喫煙することが知られているが、より深い修行を受けた僧は喫煙することは少ないとされる[50][51]。2000年時点では、仏教国においてアルコールの販売や消費を法的に禁止する国はなく、スリランカでは禁酒法が1956年に試みられたがとん挫した[50]。 なお前共産主義チベットにおいては、首都においては喫煙が禁止されており、僧たちは喫煙を禁じられ、たばこの輸入は禁止されていた[50]

脚注編集

  1. ^ a b c Terwiel 2012, p. 178.
  2. ^ Getz 2004, p. 673.
  3. ^ a b c d e Dharmaskandha -Gretil
  4. ^ a b c d e 五戒-戒律講説- * 真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺
  5. ^ a b c Leaman 2000, p. 139.
  6. ^ Religions - Buddhism: Abortion”. BBC. 2018年10月閲覧。
  7. ^ a b Harvey 2000, p. 69.
  8. ^ Mcdermott 1989, pp. 271–2.
  9. ^ Harvey 2000, p. 156.
  10. ^ Keown 2013a, p. 616.
  11. ^ a b Ledgerwood 2008, p. 152.
  12. ^ a b Spiro 1982, p. 45.
  13. ^ Terwiel 2012, p. 186.
  14. ^ Mcdermott 1989, pp. 273–4, 276.
  15. ^ Swearer 2010, p. 177.
  16. ^ Harvey 2000, p. 70.
  17. ^ a b Gwynne 2017, The Buddhist Pancasila.
  18. ^ a b c Cozort 2015.
  19. ^ a b c Wai 2002, p. 3.
  20. ^ a b c Wijayaratna 1990, pp. 166–7.
  21. ^ a b Meadow 2006, p. 88.
  22. ^ a b c d Terwiel 2012, p. 183.
  23. ^ Ratanakul 2007, p. 253.
  24. ^ Ariyabuddhiphongs & Hongladarom 2011, pp. 338–9.
  25. ^ Ariyabuddhiphongs 2007, p. 43.
  26. ^ Jaiwong & Ariyabuddhiphongs 2010, p. 337.
  27. ^ a b c Johansen & Gopalakrishna 2016, p. 342.
  28. ^ a b c Harvey 2000, pp. 71–2.
  29. ^ Harvey 2000, p. 73.
  30. ^ a b c d Leaman 2000, p. 140.
  31. ^ a b c Harvey 2000, p. 72.
  32. ^ a b Harvey 2000, p. 68.
  33. ^ Eugenics and Religious Law: IV. Hinduism and Buddhism. The Gale Group. (2004). https://www.encyclopedia.com/science/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/eugenics-and-religious-law-iv-hinduism-and-buddhism 
  34. ^ Perrett 2000, p. 112.
  35. ^ a b Gombrich 1995, p. 298.
  36. ^ Derks 1998.
  37. ^ a b c Harvey 2000, p. 74.
  38. ^ Segall 2003, p. 169.
  39. ^ Harvey 2000, pp. 74, 76.
  40. ^ a b Harvey 2000, p. 75.
  41. ^ Wai 2002, p. 295.
  42. ^ Powers 2013, pañca-śīla.
  43. ^ Gwynne 2017, Ahiṃsa and Samādhi.
  44. ^ a b c Harvey 2000, p. 77.
  45. ^ Mcdermott 1989, p. 275.
  46. ^ Tachibana 1992, p. 62.
  47. ^ Neumaier 2006, p. 78.
  48. ^ Terwiel 2012, p. 185.
  49. ^ Harvey 2000, p. 78.
  50. ^ a b c Harvey 2000, p. 79.
  51. ^ Vanphanom et al. 2009, p. 100.

参考文献編集

関連項目編集